骨髄異形成症候群の兄@ [2007年12月19日(水)]
![]() 母・タヱをはさんで、兄・忠晴と筆者。 1951年春、箱根・芦ノ湖で。 私がブログを初めてすぐのころ、 2006年02月19日(日)こんなことを書きました。 同じ病気に苦悩している方やご家族に、 多少たりとも参考になればと思い、 兄・忠晴の一周忌にそれを採録することにします。 ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜ 2004(平成16)年6月6日、梅雨の走りの雨の中、 都内では、 アテネ五輪の聖火リレーが行われました。 約22キロの道のりを50人が約350メートルずつ、 走りました。 卓球の福原愛、重量挙げの三宅義信、平泳ぎの岩崎恭子らに混じって、 大学講師の石川一喜さん(33歳)がいました。 18歳で骨髄異形成症候群(白血病の一種)という病気をわずらい、 骨髄移植をした方です。 「とことん生きてやろう」と NHKテレビの取材に応えていました。 同じ病気の兄を持つ私は、 石川さんの走る姿に、 思わずこぶしを握り声援を送っていました。 骨の痛みってお分かりになりますか? 私は骨髄異形成症候群を患った兄・忠晴(当時66歳)に 造血幹細胞(つまり赤血球や白血球を製造する細胞ですが)の 「末梢血幹細胞ミニ移植」を行いました。 2004年3月4日、築地の国立がんセンター中央病院で 必要な血液の採取を受けました。 終わってみれば、 右腕に太い針を刺して自分の血液の22倍程度の量を採血され、 不要なものを左腕に返してもらう、 いわばそれだけのことなんです。 2時間半ほど、医療用安楽椅子のようなものに座り、 映画を見ていただけなのですが、 造血幹細胞を急増するための事前の注射の副作用で、 「老骨」はギシギシと痛み、 一週間たっても、まだホカロンで腰をあたためていました。 それでも退院四日後には、 アエロフロートのそれも、諸事情によりエコノミークラスに搭乗、 モスクワでの国際会議に向かいました。 気分爽快。最先端医療の進歩に参画したような、 ほんのちょっとした誇りのようなものを感じつつ、 ロシアの学者や政治家たちと、 北方領土や日ロ平和条約問題で激論を交わして 元気に帰ってきました。 (つづく) |





