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小谷豪冶郎先生の霊前に [2007年12月11日(Tue)]
































   このボスにして、この秘書あり。今も献身的に尽くす
  中田貴子さんと筆者。写真は、いずれも大谷本廟で

   




 故・小谷豪冶郎先生がいらっしゃる西本願寺の
大谷本廟(京都市東山区)に、
念願かなってようやくお参りすることができた。

 一昨日は、
当時秘書だった中田貴子さんがわざわざ遠くから来て、
案内してくださった。

 2002年12月18日、
敬愛する小谷豪冶郎先生は亡くなられた。享年82。

 遺言で、京都大学医学部に献体され、
3年ほどを経て、埋葬された。
入れ替わるように最愛の令夫人が亡くなられ、
同じく献体されている。

 小谷先生は、1970年、
わが師・末次一郎が主宰した安全保障問題研究会の
創設メンバーの一人であった。

 久住忠男、猪木正道、佐伯喜一、高坂正尭、
衛藤瀋吉、神谷不二、若泉敬、岸田純之助、三好修といった
メンバーとともに、小谷先生はその重鎮だった。

 既に、半数の方々が鬼籍に入られた。

 したがって、言うならば、これらの先生方は、
その志を継ごうとするわがユーラシア21研究所の恩人でもある。

 小谷先生は、戦後一貫して
日米関係を機軸とするわが国の安全保障問題、
特に沖縄の基地問題、韓国、台湾問題の専門家として尽力され、
逝去されたときは、姫路の近畿福祉大学学長であった。

 防衛研修所の教官として所謂、売れっ子の書き手でいらした。

 当時の名は小谷秀二郎。

 ところが、ベトナム戦争を視察に行って、
米軍機で戦場を周ったことが国会で問題になるった。先生は退官して、
京都産業大学へ、
ついで京都外国語大学に迎えられた。
学部長などの職にもあった。

 2000年に創立された近畿福祉大学では学長として、
その草創期の苦労を一身に負われた。

 今、その大学の経営陣がよからぬ話題で
メディアに出てくるのが残念でならない。

 私は何度もご一緒にソ連各地や韓国を訪問した。
韓国では、著名な政治家である金鍾泌先生が
最も信頼する日本人学者として、小谷先生を迎え、
私もご一緒させていただき、何度か杯をいただいた。

「どこに情報関係者がいるかわからない。
明日の朝、自宅に来てくれ。
自分が運転する自動車の中で話そう」というメッセージを紙に書いて渡す
金議員。

 翌朝、自動車の下まで全部点検し、
秘書がエンジンをかけて、
これなら大丈夫とわかってから運転を代わり、
高速道路に入って、
初めて話し始めるという周到さは、
まさに専門家同志の「マナー」であった。

 台湾では早くから李登輝さんと昵懇でいらした。

 晩年には『北方領土とボランティア』(丸善)といった
本を出され、
私を褒めちぎるという(余計な)事もされたが、
80歳を超えて、
「幣原外交」をテーマに博士号を取得されたのは
特筆に価しよう。

 ソ連(ロシア)からの要人来日に際しては、
何度も、京都や姫路を、身銭を切って、ご案内いただいた。

 私自身、小谷邸には何度もお招きいただいた。
しかし、直接薫陶を受けた元学生たちは、今、
社会の中堅で活躍していながら、
何度も招かれたことを誇りにして、
各界でがんばり、活躍している。

 泉下できっと先生も奥様ともども
たのもしく思っているに違いない。
(まちがえてもこっちにも来いとは誘わないでくださいね)

 日本外交がさまざまな面で行き詰まった感のある今日、
小谷先生のご指導・ご助言やいかにと思う日々である。

 せめて、微力ながら、
先生が目指そうとしたことを私もめざして行きたいと約束した。

 紅葉狩りの最後か、廟内はやや混みあっていた。
お参りした12月8日は、奇しくも日米開戦の日、
感慨も一入であった。

 こういう学者が少なくなったことを惜しみつつ、
手を合わせた。ご冥福を切に祈る。
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コメント
小谷秀二郎先生のご冥福をお祈りいたします。
先だって、産経新聞に先生が昭和55年12月19日に掲載された「日米関係の
”至上命令”防衛費増」の記事が昭和正論座のコーナーで再度載っていました
。その時小谷先生のことを思い出しました。
吹浦様、小谷先生の記事をUPしていただき、有難うございます。文章を読みながら久しぶりに涙を流しました。
小谷先生は常に私達愚かな生徒に「今の生活を守る!のが国防の基本である。と何度も何度も力を込めて言っておられました。先生の代理で戦後初の日本海沖の海上自衛隊の訓練を視察しました。卒業後パリ大学大学院
国際法専攻に進みましたが、コロンビア大学にしようか?と迷っていた時にいろいろとアドバイスを受けました。72年小谷ゼミOB
              
Posted by: ワインクレイジー・うえむら  at 2012年10月26日(Fri) 16:19

小谷先生のことは思い出すだけで
未が引き締まります。感謝で一杯です。

近野さんはどちらに押すまいか判りませんが、メールで打ち合わせをしたいと思います。

fukiura@eri-21.jpにご連絡ください。
Posted by: 吹浦忠正  at 2011年02月09日(Wed) 16:43

近野(三宅)です。
昨年(2010年5月)、小谷さんの実兄(三宅寿三)が死去しました。
わたしにとって、小谷さんは大叔父さんで、修学旅行の際に京都でお会いし、養子の話をしてから先に逝ってしまったことを無念に思います。
よろしければ、大叔父さんの話ができれば幸いです。
Posted by: 近野雅樹  at 2011年02月08日(Tue) 23:28

できれば、「小谷先生から教わったこと」であなたの指針になっていることを教えてくださいませんか?

公開しにくかったら、どうぞ私あてのメールでもかまいません。メルアドはプロフィールに書いています。

Posted by: 吹浦忠正  at 2010年01月05日(Tue) 21:32

初コメントします。
私も小谷先生に教えを頂いた元学生です。小谷先生から教わった事が、今も私の指針になっています。
恩師に感謝!
Posted by: ソウルタクシー  at 2010年01月04日(Mon) 21:41

早速拝見いたしました。小谷先生の生きた証を先生に書いていただき、
とめどなく涙が溢れてきました。改めて感謝申しあげます。
吹浦先生とツーショットの私も光栄です。
きっと小谷先生が微笑んでおられると思います。
Posted by: 中田貴子  at 2007年12月11日(Tue) 23:18