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対馬は韓国のもの?A [2007年07月29日(日)]






   槿(ムクゲ)は韓国では、ムグンファ(無窮花)と呼ばれ、国花になっている。対馬にも数多く咲いている。もちろん、対馬に桜の木もたくさんある。





 対馬の所属についての話は、いろいろある。1つは、長崎県に所属していることへの、対馬島民のある種の不満と不自然さであり、他は、韓国の中に「対馬島(テマド)は韓国の領土」だという主張があるということだ。

 前者についてはひとまず置くとして、韓国の主張の「ばかばかしさ」について少しお付き合いいただきたい。

 小欄では先日、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に、対馬が倭の最初の土地であると書いていることを述べた。これをこのシリーズの@として再読ねがいたい。

『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』、正式には
「『三国志』魏書巻三十、烏丸鮮卑東夷伝倭人条」。
全文で1988(または2008)文字(写本によって差がある。原本は確認されていない)からなっている。

著者は西晋の人・陳寿、その死後、この書は正史の扱いを受けるようになった。記述されたのは、3世紀末の末、280〜290年間とされている。

 これより古く、対馬の帰属について書かれているものはない。

 韓国の全羅南道に麗水(ヨス)、順天(スンチョン)、木浦(モッポ)といった主要な都市と済州島(チェジュド)との距離は対馬と福岡、平戸よりも遠いのに、済州島は韓国に属し、対馬は古来、日本に帰属している、日本固有の領土である。

 ところが、韓国には時々、妙なことを言ったり、書いたりする人がいるようだ。

 李朝2代目の太宗は倭寇の侵攻に悩まされ、その懐柔のために対馬の宗家に、毎年、米や豆を200石を渡していた。また、宗氏やその重臣に朝鮮の官職を与えるということもした。後に、徳川時代になって石高は半減されたが、長期間にわたって、対馬に一定の給付と便宜を与えてきたことは確かだ。

 太宗が対馬に沸こう取り締まりを期待してその反対給付を行なうためには、何らかの「形」が必要であった。そこで、兵曹判書という役の趙末生に一文を起草させた。そこには、「対馬は鶏林に所属する朝鮮領であった」とあるのである。
鶏林は新羅の首都であった慶州(キョンジュ)のこと。このような時期は、史実として一度もない。

 しかし、趙末生ばかりではない。朝鮮通信使として来日し、8代将軍吉宗とも会った申維翰もまた、手の込んだ方法で、「対馬はわが朝鮮の領土であり、宗家はわが国の1地方官に過ぎない」と論じているのである。   (つづく)


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