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機雷での殉職者に合掌 [2007年05月30日(Wed)]




 海上自衛隊の掃海艇「うらが」



 わがユーラシア21研究所は虎ノ門の金刀比羅宮(ことひらぐう)の真向かいにある。5月26日、海上交通の安全を守るこのお宮の「本店」である香川県琴平町の金刀比羅宮で「掃海殉職者追悼式」が行われたという。

 昨日の読売新聞によれば、
 終戦時の残存機雷は、約6600個、
 除去した機雷数は、 約6200個、
 除去の殉職者数は、    79人、
 過去5年間の除去数、   18個

であるという。戦時において、米軍が日本を海上で経済封鎖するために港湾の出口周辺を中心にこのように多数の機雷を蒔いた。このため、戦時のみならず戦後も、食糧難や燃料難をはじめ、日本の経済活動を至難なものにした。

 幸い、日本政府が「航路啓開隊」を組織し、船舶が乏しい中で、漁船などをやりくりし、各地で機雷の撤去、掃海を実施し、1952(昭和27)年には、一応の安全宣言を出すことができ、以後は、海上自衛隊がその業務を引き継ぐようになった。

 機雷は地雷同様、終戦後も被害をもたらせ続ける。軍艦も客船も区別しない危険な「武器」であり、四六時中、その危険は続く。

 海上自衛隊はこの掃海作業の技術水準においては世界一とまでいわれている。それゆえに、湾岸戦争後、世界の期待を集めてペルシャ湾の掃海にもあたった。

 この「武器」の軍事的な有効性ゆえに、なかなか禁止というわけには行かないかと思うにつけ、これまで掃海に当ってこられた人々の労苦を偲び、殉職された方々のご冥福を祈りたい。
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