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上総掘りは等身大の協力 [2006年03月28日(Tue)]




 日本が今でも、世界で20数番目の産油国であるってご存知でしたか?
 新潟県中条町や秋田県昭和町などで原油を生産しているのです。

 私は中学時代に軟式テニス部に所属していました。今ではソフトテニスというんですってね。テニスコートのすぐ裏は油田でした。ですから、時々、金網を越えてボールがその中に落ちてしまうんです。それをズボンのすそをめくってとりに行くのが、新入部員の役割です。油田や油井にはそのくらい親しみを感じています。長じてアラブ、イラン、ブルネイなどで、噴油をいかに抑えるかというやり方をしているのを見て、「持たざるもの」の切なさを感じたのでした。いまでも秋田には観光用に何本かの油井がありますが、日がな1日、のんびりとくみ上げています。ブルネイではそれを「sleeping Donkey」というのです。ちなみに、じっと見つめていてごらんなさい。15分もしないうちに、こっちが眠ってしまいます。

 閑話休題。
「上総掘り」って、聞いたことはあるでしょう?
千葉県上総(かずさ)地方を中心に伝わっている、人力だけによる井戸の掘削法なのです。先端に金属をつけた棒で地面を叩いて穴を掘り進むのです。棒の上端に太い竹籤(たけひご)を結び、材木で作った円形の回転やぐらの中を人間が歩き回って、棒を上下させるのです。

  ばかにしちゃいけません。秋田の黒川油田(南秋田郡昭和町)はこの技法で地下800メートルをも掘削、1936年、見事に噴油しました。「上総掘り」はもう150年以上の歴史を持ち、熱海や別府など岩盤の多いところでも、これで温泉を掘っていました。詳しくは、千葉県佐倉の国立民俗博物館やHPでご覧下さい。

「等身大の海外協力」ということで、難民を助ける会では1986年に、数少ない技法継承者の一人、近藤師匠をお招きし、約一ヶ月、国立オリンピック記念青少年総合センターで合宿、10人が技術を習得し、みなさんいずれもザンビアのメヘバ難民定住地に赴き、現地スタッフを指導しつつ、数十本の井戸を掘削しました。

 その一人が、2日前に小欄で「テンサイ少年」を紹介しましたがその父親である菅沼智之くん。早稲田で地質工学を学び、アジアで機械による井戸の掘削などにあたっていました。それが、自己流の「意識改革」で、「上総掘り」に志し、メヘバや首都のルサカで頑張ったのです。しかも、その間、夜は、ローソクの灯で会計学を学び、帰国直後の国家試験で、見事、公認会計士への道を進み、今日、上海で日系企業480社を担当しているという変り種です。当時の日本経済新聞も「変り種の合格者」として紹介していました。

 またまた閑話休題。ルワンダで民族紛争が起こり、多くのフツ族の難民がタンザニアに出てきた時、難民を助ける会は緊急性を考えて、「機械掘り」を選択、19.3トンもの掘削機械を、私が当時の玉沢徳一郎防衛庁長官に2度にわたり長官室でねじ込んで、自衛他のチャーター機で運んでもらいました。

 そのときに現れたのが、新婚ほやほやの大野篤志くんと越後佐知代さん。ともにザンビアで菅沼君同様、頑張りぬいた人です。「タンザニアで上総掘りをやりたい」。
昨日紹介した緒方貞子先生の言葉ではありませんが、「Do what you like!」です。見事に自力でやり遂げました。今ではご夫婦が中心になって、特定非営利活動法人インターナショナル・ウォーター・プロジェク(IWP)を立ち上げて、活動しています。

そして、数年前からケニアに進出、ここでも成功、今回、そうした努力と成果に対し、第4回世界水フォーラム(メキシコ)では、京都世界水大賞(KWWGP)、セミファイナリストの30団体にノミネートを受け、プロジェクトマネージャーの大野比佐代事務局長が水フォーラム事務局からメキシコに招待されました。

 日本からは皇太子殿下も行かれましたので、関心を持たれた方も多いのではないでしょうか。以下は、大野夫人からの報告(抜粋)です。みなさん、是非、ご支援下さい。

国際フォーラムで世界中から人が集まるので仕方がないのですが、日本人からすると「もっと何とか出来ないのか」と思うのです。スペイン語だけの情報に右往左往しながらも、何とか参加者登録が済んだのは昼を過ぎていました。

2日目は皇太子殿下の日本パビリオンご視察が急に入ったため、またまた予定が変更になり、時間を繰り下げて午後から10団体の予選プレゼンテーションが始まりました。審査員もいなければ、観客もおらず、10団体が居るだけのステージでプレゼンが始まりました。IWPの番が来ましたが、いつものキレが無いままにプレゼンが終わってしまいました。
 3日目の18日は、中盤10団体の予選プレゼンが朝から行われていましたが、ちょっと抜け出してメキシコシティーの中心にある「メキシコ国立人類学博物館」を駆け足で見て 周りました。

4日目は、後半の10団体のプレゼンですが、審査しないはずなのに審査員が居るし、進行役も昨日と違いシャッキリしていてまるで違う雰囲気でした。「何か公平性にかけるなぁ」と思いました。夕方、 “ジャパンナイト”の前に、決勝進出のファイナリスト10団体の発表です。ファイナリストの名前が次々と呼ばれ、最後にIWPが呼ばれて思わず「エッ?残っちゃった!でもヤッター!バンザイ」。

世界のベスト10に選ばれました!

 5日目(20日)は、12名の国際審査員の前でグランプリを懸けて、会場のシチズンズハウスで10団体のプレゼンテーションが行われました。またしても予定より30分も遅 れて始まり、会場のプロジェクターの具合が悪くて進行しない上に、この時とばかりに各団体の気合を入れたプレゼンは予定の時間を大幅にオーバーし、5団体が終わった時点でタイムアウトとなってしまいました。6番目の私たちは、翌日、会場を移してやることになりました。

 6日目。本来ならば唯一予定が無い日で、ティオティワカン遺跡に行く予定を立てていたのに、プレゼンとなってしまいました。会場は前日のシチズンズハウスに比べて4分の1程度の日本パビリオンで、予想した通り国際審査員も前日と違って全員揃わず、どうなるんだろうか?と不安なスタートでした。1番目の私たちのプレゼンは、事務局長本来の調子に戻り、いつもの様に完璧と言えるプレゼンが進み、会場の国際審査員からも質問が多数出て、上総掘りをアピールすることが出来ました。

7日目最終日は、閉会式が12時30分からカミノ・レアル・ホテルの大きなホールで
行われるので、ちょっとその前に、タクシーを飛ばして1時間のところにあるティオティワカン遺跡に行って、ピラミッドに登って来ました。良い思い出になりました。閉会式は、開会式同様招待者のみが入場できますが、会場の混雑に紛れて入り込んでしまい大きな体を小さくしながら、京都世界水大賞の発表に立ち会いました。残念ながらグラ ンプリ(大賞)はインドの団体へ渡りましたが、ファイナリスト10団体がそれぞれ素晴らしい活動を称え合い、みんなで記念撮影をして7日間のエンディングを迎えました。

[ 第4回世界水フォーラム(メキシコ)で学んだこと ]
前回の水行動コンテスト、今回の京都世界水大賞と連続ベスト10に入ったことは、「上総掘り」が世界に認められた適正技術であることの証です。京都世界水大賞にノミネートされた30団体には、国連機関や国際機関から大きな資金を受けて活動している.
 NGOが多くあったことが印象に残りました。京都からこの3年間を振り返ると、私たちも大きく成長しました。次回の水フォーラムに向けてIWPは成長し続けます。

 1. 国連や国際援助機関から資金を受けて、世界で活躍する団体へ成長する
 2. 次回世界水フォーラムでは、分科会の開催やブースを出展をするなど、世界の

水不足の人々のもとへ「上総掘り」技術を届けることができるようにアピールしてまいります。みなさま、これからも、応援をよろしくお願いいたしま
す。
第4回世界水フォーラム・メキシコの報告会は4月の中旬に実施する予定です。皆様、是非ご参加ください。




挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。


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