ボランティア入門 C [2007年04月15日(日)]
![]() 「実相寺の桜」。挿画は、石田良介画伯のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。 NGOがどれだけ根付いているかは民主主義のバロメーターではないかと思う。中国や北朝鮮の例を見れば想像がつく。 NGOはその世界的連携で新時代を切り開くことがしばしばあるが、日本の国内においてネットワークをしっかり構築するには、自由意思による活発な寄付文化が定着していない社会の実態は、それを決して容易なものにはしてくれないようだ。 そもそも、NGOの原点は、国(政府)や地方公共団体とは別の次元で、市民が自発的に何らかの組織を創出して活動することにある。 したがって、国や地方公共団体と、時には協調し、補完したり、時には反発したりすることはあっても、その下に従属するという関係ではない。重要なことは「自発的に」ということ、つまり、イニシアティブを持って活動を展開するということだ。 今日でいうNGOに近い形の民間組織はヨーロッパでもわが国でも必ずしも近代市民社会の成立後に初めて現われたものではないが、しかし、NGOが個の発意の連鎖で社会的存在になるという意味では、民主主義や近代市民社会の発展と密接な関係にあるのはいうまでもない。 これについて、「(そんなことは)既に1830年代にフランスの思想家トクヴィルが『アメリカの民主政治』で指摘している」と入江昭・ハーバード大学教授(早稲田大学客員教授)が「読売新聞」(1998年6月10日付)に次のように書いている。 アメリカの民主政治を最初に分析した、そして今日でも説得力のあるこの本によれば、アメリカ人は年齢や職業に関係なく、「いつもグループを作っている」。そのような自発的グループは多数存在しているということは、アメリカ人が決して自己中心的な個人主義なのではなく、かといって国家や上流社会の人たちを頼りにして自分たちの問題を解決しようとしているのでもない。国と個々の市民たちとの間に存在する各種のグループが、アメリカ民主主義という政体の中で文明を栄えさせているのだ、とトクヴィルは指摘した。 昨今、NGOは何番目かの新しいジャンルを切り開く社会的存在であるかのように注目され、前述のように、国連をはじめ、多くの国際会議で政府代表とは別の独立した席を与えられ、意見を開陳できるようになった。 また、最近の対人地雷禁止条約を推進した<オタワ・プロセス>やリオデジャネイロや京都での環境会議のように、NGOが地球規模ともいうべき国際的なネットワークを活用しながら、各国政府を動かして人類的課題に果敢に挑戦し、実績を上げている例も増えてきている。 「トクヴィルが米国社会について述べたことが、世界全般についてもいえるようになったからで、国に頼らず、あるいは政府の指導を待たずに、各国の人々が自発的に組織を作り、横の連絡をつけることによって、国際的市民運動へと発展させていく」ようになったことが今日のNGOの特徴であると入江教授は指摘する。 それだけに、まだまだ「結んで開いて」の発展途上段階にある日本のNGOもそれぞれの自立と成長に努め、「お手てつないで」新たな国際的市民運動へと発展させていかねばならない時期にきていると考える。 但し、寄付文化が確立されているとはいいがたい日本において、浄財というパイは限られているし、所詮は、良質とはいえ「馬賊の親分」的雰囲気を持つリーダーが多い中で、その連携は実に至難なものがあるは事実であろう。 |





