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マトリョーシカの起源 [2007年03月23日(Fri)]










マトリョーシカの原型ともいうべき、箱根の入れ子人形「七福神」。横浜の人形の家所蔵




 以前小欄で、もしかして世界一のマトリョーシカ(28個組)がユーラシア21研究所にはあると書いたところ、多くの方から問合せや情報の提供がありました。感謝します。

 また数日来、拙著『捕虜たちの日露戦争』(NHK出版)の抄録を連載していますが、それを読まれた方からは、マトリョーシカは日露戦争(1904〜05)の時の松山捕虜収容所のロシア兵が愛媛県の郷土玩具「姫だるま」をまねて作ったのではないかという説があるとおしえていただいた。

 そんなことが重なったので、すこし調べてみようと思った。

 早速、ウィキペディアでみると、なるほど、松山にいた捕虜が起源という説を最初に取り上げ、1900年にパリ万博のロシア館で陳列されたところ、大いに人気者となり、銅メダル獲得したという事実と時期的に合致しないと否定している。

 日本ユーラシア協会の解説が一番詳しいようです。それによると・・・

    ☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃☆〃

 現存する最古のマトリョーシカは、1890年代半ばの制作といわれる8人組の物でロシアのザゴールスク玩具博物館にあります。

 1890年代といえば日本では明治時代。箱根ではお土産として箱根細工の入れ子人形が売られており、福禄寿の胴の部分が上下に二分され、中から幾重にも神様が出てくる「七福神」がありました。当時、箱根の塔ノ沢にロシア正教会箱根避暑館があり、多くのロシア人が出入りしていました。その箱根にロシアの富豪マモントフ夫妻が訪れた折りに入手したのか、または、箱根に来たロシア人(「ロシア正教の修道士」という説あり=吹浦)を経て「七福神」はロシアに渡ったのです。

 S・I・マモントフ夫人はモスクワ郊外のアブラムツェボにサロンを作り芸術家の支援をしていましたが、夫人の発案で、画家S・V・マリューチンとセルギエフ村のろくろ師V・スビョズドチキンによって作られた説が有力です。


    ☆━━━━…‥・  ☆━━━━…‥・


 いずれにもせよ、箱根細工の入れ子人形(「こけし」「だるま」「七福神」)がロシアに渡ってマトリョーシカになったというのは正しいようである。

 マトリョーシカという名前は、ロシア女性の名前マトリョーナの愛称(アレクサンドルがサーシャ、タチアーナがターニャになるが如し)からきている。

  3月18日、私は結婚披露宴の帰り、横浜の人形の家を訪問、久しぶりで箱根の入れ子人形の代表格ともいうべき「七福神」を見てきた。7個組のこの人形からマトリョーシカに発展した「国際交流」、ロシアに携わる者として、やはりじっと、そしてうっとりと見つめないわけには行かなかった。

 今度、ロシアに行くときには久しぶりにザゴルスク(モスクワから北に250キロ程度)にも行って、この最初のマトリョーシカを見て来たいものだ。

  なお、ユーラシア21研究所のマトリョーシカは書棚に並べてあります。関心のある方は、どうぞ、いつでも覗いて見てください。
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