準備重ねてこそプロ [2007年02月14日(水)]
![]() 「早春」。挿画は石田良介画伯の特段のご厚意で掲載させていただいております。禁無断転載。 さて、通訳のこと。海外帰国子女が増え、ずいぶん通訳者が多くなった。これは大変結構なことだが、そのほとんどが、日本語と英語間の通訳であり、依然、他の多くの言語の通訳者が不足している。 一般的に通訳には、もう少し日本語が「上手くなってほしい」「予想される話の中身についてもう少し基礎知識を身につけてほしい」といった希望を提示したい。 2年あまり前、東京財団はアメリカ大使館と共催で、虎ノ門DOJO(道場)の形でジョン・ボルトン氏(その直後に国連大使に就任)の講演会を行なった。通訳は大使館の通訳官と、民間の日本人通訳ではトップクラスのともに女性だった。 ところが、話の中にリビアとリベリアが出てくるため、通訳は完全に混乱してしまった。確かにLibyaとLiberiaでは発音はよく似ている。しかし、リビアはカダフィ率いる産油国で国際政治場裡でアメリカと厳しい対立関係にあった国、他方、リベリアがこの時に話にでてきたのは、船籍をリベリアに置く「外国船舶」の話であった。 私は司会をするときは必ずレシ−バーを耳にして、きちんと通訳がなされているかをチェックする。この時は、ボルトン氏の話中であったが、ついに話をストップして、内容を整理させていただいた。 また、昨年、山梨県下で行なわれた「国際シンポジウム2006」では、エストニアから安全保障問題を専門とする女性研究者を招いて、木村汎、袴田茂樹両教授とともに壇上に並んでいただき、私がモデレータを務めた。そのときは、通訳が1956年の「日ソ共同宣言」と1993年の「東京宣言」とを混同し、話が一時混乱しかけた部分があった。 これまたシンポジウムの進行を一時停止し、事実関係を説明した。 このシンポジウムは4半世紀以上も続いており、以前はわが師・末次一郎がモデレータであったが、この15年ほどはほとんど私がその役にあたり、そのほとんどでサイマル・インターナショナルの村松増美会長(「人類、月に立つ」の時の同時通訳者の一人)が自ら通訳ブースに入った。まさに「名人」だった。 この人が言うには、「自分の時代には外国人との接点といったってそんなにあるわけじゃない。映画『カサブランカ』を30回見て英語を学んだよ」。 「吹浦さん、あんたの捌きが面白いし、私も年に1、2度は“現場”に戻りたいんだよ。話し手と通訳者、あんたとは勝負だね」と根室でのシンポジウムのときに語っておられたのが懐かしい。 「通訳は言葉より事前の勉強だよ。それと蓄積。それがなくちゃプロじゃない」。あの人の通訳は本当にめりはりが利いていた。また、質の高いユーモアのセンスを持ち合わせた人だ。 同社が倒産して以来、村松さんの顔が見えなくなった。オーストラリアで暮らしているとも聞いた。一度、朝日新聞の「天声人語」の執筆者だった白井健策氏の葬儀のとき、ご一緒し、賛美歌を並んで歌ったことがあるくらいの接点しかない。今度、久しぶりにお訪ねしてみたい人だ。 |





