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ルイ17世の遺体確認 [2007年02月12日(月)]




 白いユリはブルボン王朝のシンボルである。


 ルイ17世についての最近の情報である。

 高校の世界史の教科書では、ルイ17世もナポレオン2世も出てこない。16世の次は18世であり、1世の次が3世である。そのルイ17世についての最近の情報である。

 さきほど述べたように、マリー・アントワネットの次男ルイ・シャルルがルイ17世ということになるのだが、その死亡には諸説があった。

 幽閉されていたタンプル塔でわずか10歳で亡くなったという事実が、最近になって確認された。

 すなわち、2000年4月、マリー・アントワネットの遺髪と、ルイ17世と伝えられる遺体の心臓部分のDNA鑑定が行なわれ、2年以上に及ぶ検査の結果、2004年6月、遺体はルイ17世(ルイ・シャルル)であると発表された。これにより、遺体は歴代のフランス王の墓があるサン・ドニ大聖堂(パリ)に埋葬された。

 1791年、ルイ16世が処刑されると、ルイ16世の弟であるプロヴァンス伯ら反革命派(王党派)によって、ルイ・シャルルはルイ17世に指名された。しかし、同王は1795年、タンプル塔の一室で病死したのであった。1814年、王政復古によりプロヴァンス伯がルイ18世としてフランスを支配することになった。

 なお、1830年の「七月革命」で「フランス国民の王」となったオルレアン朝のルイ・フィリップ(1773年〜1850年、在位1830年〜48年)にも一言触れねばなるまい。この人の父親は、フランス革命でルイ16世の処刑に賛成したが、後に自らもギロチンで処刑されたオルレアン公フィリップ・エガリテ(フィリップ平等公)。ブルボン家ではあるが、ルイ18世とは系統が違う。オルレアン朝で王位に就いたのはこの人一人であるが、今も、フランスではその子孫は正当な王家として見なされている。


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