箱根駅伝で思い出す [2007年01月03日(水)]
![]() 長野冬季オリンピック開会式でのクリス・ムーンさん。私が監訳(小川みどり訳)した『地雷と聖火』(青山出版社)の表紙より。 箱根駅伝、今年は久々に早稲田が今のところはらはらさせられる順位はないようです。ですから、映像が出てくる機会は少ないのですが、これで、例年のように、テレビにかじりつきにならなくていいのは助かります。 このコース、実は私も「走った」ことがあります。長野での冬季オリンピック開会式の2日後、1998年2月9日のことです。もっとも、私は走っているバスの中をうろうろしていただけ。それも途中からは、ドテッと座ったまま、たぶんスルメイカかピーナツをかじっていたような気がします。何のためにそんなことをしていたかって? そう、そこが肝心でしたね。クリス・ムーンさんと谷川真理さんが箱根から東京まで走り、翌日、都内で70あまりの大使館をまわって、対人地雷廃絶のアピール文を届けて周った、いわば総責任者だったのです。 クリス・ムーンさんは、長野オリンピックの最終聖火ランナー。モザンビークで地雷撤去を指導していたさなかに自ら地雷にやられ、右手、右足を失いました。それでも義足をつけたまま趣味のランニングを続け、世界各地で地雷廃絶を訴え続けているのです。 難民を助ける会では『地雷ではなく花をください』の刊行を始め、早くから対人地雷の問題に熱心に取り組んで来ました。このため私もクリスとはNGO東京地雷会議を開催した1996年から親しくしていました。 長野のオリンピックの諸行事が固まりつつあるとき、私たちは小林実組織委事務総長に面談して、聖火リレーでのクリスの登用を迫りました。私自身、国旗の専門家として同組織委の式典担当顧問ということもあり、小林事務総長はその提案を軽視はしなかったのですが、容易に首を縦には振りませんでした。周囲に、「なんで外国人なの?」「パラリンピックじゃないのになんで障害者が出てくるの?」といった意見があったようです。 開会式の総監督は劇団四季の浅利慶太氏。こんどはこちらを追いかけました。 「それってすごいアイディアだよ。世界的な課題に日本から発進できるんだ。オリンピックは世界的な行事なのだ。英国人が走るのも結構、最終ランナーの一人になってもらおう」。 話は具体化しました。国旗を最終点検するという本来の職務はあっさりと終え、あとは、実際に旗を製造した名古屋の服部という会社に任せまました。 2月7日、純白の衣装のクリスは聖火のトーチを高々と掲げ、開会式場に入ってきました。クリスを取り囲んで五輪カラーの服を着た小さな子供たちが踊るように入ってきたのです。私はもう涙が止まりませんでした。 そして、私たちの招待で観覧席に静かに座っている、その3ヶ月前に対人地雷禁止運動でノーベル平和賞を受賞したばかりのジョディ・ウィリアムズさんと視線を交わし、うなずきあいました。 クリスとはその晩、長野県内で一泊し、翌日、小田原で、谷川真理さんと合流したのです。 谷川さんもすごいです。クリスのペースに合わせてこの長い距離を走り、通路の確保にあたり、英語でクリスを励まし、東京まで完走するのです。コーチの中島さんもいっしょです。中島さんにいたっては、その間に、私たちのバスに戻って水分その他を持ってまた追いかけたり、トイレを探しに先行したりする、現場監督のような役割をするのです。 各国の大使たちの多くが玄関に出迎え、見送り、激励してくれました。 2年後、クリスと真理さんは、今度は比叡山永平寺から、滋賀県新旭町(現・高島市)まで走りました。新旭町では対人地雷全面禁止条約に加入した日本が保有していた100万個の地雷の破砕を行っていたのです。海東英和町長(現・高島市長)と私は1992年に行われた第1回「ビザなし」訪問団で北方領土を訪問した仲でもあり、クリスと真理さんの二人によるこのランも、地雷廃絶運動の中では大いに啓発効果がありました。 谷川さんはその後も対人地雷問題に熱心に取り組んでいます。毎年、1万人ものランナーを集めて荒川土手で開催される「谷川真理チャリティハーフマラソン」では、純益数百万円を難民を助ける会に寄付してくれています。今年も1月14日に行われます。ここには私が毎年「参加」しています。いいえ、これも走るのではなく、谷川さんの応援に行くだけですが・・・ あれあれ、この文章を書いている間に、箱根駅伝は少し順位が変わったようです。また、スルメでもかじりながらテレビの前に行こうかな。 |




