トルコと日本を結ぶもの [2006年10月31日(Tue)]
ソルマズ・ユナイドン駐日トルコ大使(右)と筆者 ソルマズ・ユナイドン大使はため息の出るほど、品がよくお美しい女性大使。その人柄と人気ゆえもあって、昨夜、神宮前の大使公邸で開かれた独立記念日の祝賀宴は庭まで含め、各界の名士で超満員だった。 それとともに、東京の各国大使館をずいぶん訪れたことがあるが、規模の大きさ、近代的で秀麗な建築美、トルコ大使の公邸はおそらく指折りの名建築かと思う。 トルコ共和国は1923年10月29日のローザンヌ条約で成立、初代大統領にケマル・アタチュルクが就任した。今年は同日が日曜日のため、翌30日に、独立記念日祝宴が開催された。 日本とトルコの関係は、1890年のエルトゥールル号事件から始まったといっても過言ではない。 その3年ほど前に小松宮彰仁親王同妃両殿下が欧州訪問の帰途にオスマン帝国を公式訪問したことに対する答礼として、アブデュル・ハミト2世がオスマン提督を特使として日本に派遣した。 ところが、その帰路、乗艦エルトゥールル号が嵐に遭い、紀州の串本沖で沈没、乗組員581名が死亡するという大事件となった。しかし、官民あげての手厚い救護により、ともかくも69名が救助された。 さらに、日本側は巡洋艦2隻を派遣してこれらの人々をトルコまで送還したのであった。爾来、両国の歴史的友好関係が今日まで続いている。 また、1984年3月、イラク・イラン戦争のさなか、バグダッドやテヘランで孤立した邦人を救出するためにトルコ政府が特別機を派遣した出来事も、両国の友好関係を象徴する出来事となった。 昨年12月、私はユナイドン大使のお招きで、遭難105年追悼祭に参列した。この日も一天俄に掻き曇り、やがて往時を偲ばせる大嵐となった。 高円宮妃殿下が参列されたが、テントの最前列で、お気の毒な状況になった。関係者はみな、カチンカチンの緊張ぶりでどなたも妃殿下の座を引き下げようとしない。そこで、旧知の私が女官や侍従にお話して、一緒に座席を交代させた。 昨日の宴席でたまたまある旧皇族の方に伺ったら、「あの追悼祭はいつも天気が悪くなるんだ」。 いまだ御霊はやすらかではないようだ。 昨夜は、全日空の幹部をしておられる畏友・野村紘一氏もご夫妻で来ておられた。野村氏は、このエルトゥールル号の引き上げ計画をたて、入念に準備を進めておられる。エルトゥールル号そのものは木造艦であることもあって、かなり破壊されているであろうが、艦内設備や装備は相当海底に沈んでいるのではないか。日土両国の友好・親善のためにも、成功を祈りたい。 なお、このエルトゥールル号の事件については、中央防災会議が昨年3月『1890 エルトゥールル号事件報告書』というすばらしい記録をまとめている。 ユナイドン大使は、11月21日(火)12時30分より、東京財団虎ノ門DOJO(道場)で、講演してくださることになっている(入場無料、自由参加)。長い日本での公務をまもなく終えて、帰国すると伺っている。 |