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岩沼ファーム・森さん達の復興 [2013年04月04日(Thu)]

スタッフの中畝です。

東北の木をつかった復興支援、「結いの素」プロジェクトで、2012年3月に農作業拠点の設置を支援した岩沼園芸組合の森さん達。震災から2年、小屋の設置から1年が経った2013年3月、現地を訪問し、お話しを聞いてきました。
設置時のレポートはこちら> http://www.foejapan.org/forest/moripre/yui2011_1.html
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3人の農家さんのリーダー、森さん(写真左)は岩沼園芸組合の会長さんで、2011年度、2012年度は農業復興組合の副会長を務められていました。多くの市町村では地区や生産物によって複数に分かれて活動している復興組合ですが、岩沼市は全ての農家さんが参加して一つの組合で活動を続けてきました。地表のガレキのみならず、耕運機で土をおこしては細かいガレキの処理まで行う丁寧な作業で浸水した農地の2/3が復旧したそうです。

毎年4月から2月までが復興組合の稼動時期で、森さんも自分の農地(ハウスでチンゲン菜を栽培)をやりつつ、様々な調整などをする忙しい日々だったそうです。しかし、「今年は随分海のほうまで作付けできるようになったんだよ」と言う顔は、初めてであった1年半前、一緒に小屋を建てた1年前と比べても随分明るい表情になっているのを感じます。

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被災直後の田んぼ(上)と、2012年作付けが出来た田んぼ(下)

復興組合は、また2013年の4月から活動を始めるそうです。このペースで行けば、残りの1/3の復旧作業も、2013年度中にメドがつきそうです。また、農地の復旧が進む中、彼らの生活にも徐々に変化が出てきています。岩沼ファームを使っている3人のメンバー中で一番若いマサノリさんは、知り合いに土地を譲ってもらい既に自宅を再建、3月中ごろに新居に引っ越したそうです。リーダーの森さんも4月中ころには自宅が完成するそうです。「次に来たときは新居に寄ってってよ。」是非お邪魔します。

また、畑にも変化が。小屋の設置後丸1年間作り続けてきたチンゲン菜から、元々の作物・きゅうりの栽培を再開するそうです。初めて作るチンゲン菜で、この1年は随分と苦労も多かったそうですが、土ができはじめ(素人には変化はわかりませんが・・)たことでようやく長年取り組んできた、勝手知ったる・きゅうりが再開できることで、「これでちょっとは楽になるかな」と笑顔がこぼれます。

しばらくは夏季はきゅうり、冬季はチンゲン菜の二毛作を続けるそうですが、2年半越しのきゅうりが実るのが今から楽しみです(写真は以前分けていただいた園芸組合の他のメンバーのきゅうり)。
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収穫の時期にはまたお邪魔したいと思います。もちろん食べるだけでなくお手伝いも兼ねて。
【結いの素】木のおもちゃを岩沼市、山元町の子どもたちにプレゼント★ [2012年08月14日(Tue)]

こんにちは、インターンの内山です!

7月30、31日に結いの素プロジェクトで宮城県まで行ってきました。結いの素プロジェクトでは、地域材や再生材を活用して被災地の農業や漁業と いった産業と地域コミュニティの再生につなげる活動を行っています。今回は、両日合わせて4カ所の保育園や小学校の児童クラブを訪ね、子どもたち と一緒に宮城県産の木のおもちゃを使って「将来住みたい(作りたい)まち」を作るというワークショップを行いました。

30日の午前中は岩沼市の岩沼はるかぜ保育園、午後からは山元町の山下小学校児童クラブで子どもたちと一緒にワークショップを行いました。保育園では「木でできた積み木で遊んだことがない!」という子どもたちもいたので、杉のいい香りで木のぬくもりを感じてもらえたのではないかと思 います♪児童クラブでは、さすが小学生!というような立派な建物をたくさん作ってくれました。中には積み木で自分の田んぼを作っている男の子が「将来農家 になる!」と宣言していて、とても頼もしく感じました。
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児童クラブでのワークショップの後は、津波の被害が大きかった沿岸部を見に行きました。ホームだけが残された駅の跡や、黒板に3月11日と書かれたままの小学校など、未だに震災の傷跡は大きく残されていました。しかし、津波で流されて広大な原っぱになっているところで一人、野菜を作るご年配の方を見つけました。この方は、塩害で農作物ができないと言われている沿岸部で、唯一野菜を作り始めたそうです。あまり大きな畑ではありませんでしたが、茄子やトマ ト、きゅうりなど、なっている野菜はとても立派なものでした。
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31日には山元町にある南保育園と北保育園の二カ所を訪ねました。山元町は比較的被害が大きかった地域であり、もともと別の保育園に通っていた子どもたちが南保育園や北保育園まで来ているケースもあるようでし た。しかし、やはり子どもたちはとっても元気!私たちも圧倒されるほどでした。また、前日の反省を生かして作戦を練ったことが功を奏し、南保育園 でも北保育園でもとても立派なまちが出来上がりました。学校や、お店やさん、中にはディズニーランド(!?)を作る子もいました。
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ちなみにワークショップの後、木のおもちゃは子どもたちにプレゼントしましたよ♪

今回私は震災後初めて宮城県を訪れましたが、沿岸部に残されたままの瓦礫を見てまだまだ復興は終わっていないと感じると共に、地元の人たちから とっても元気なパワーを感じました。しかし、これからも産業とコミュニティの活性化は不可欠です。結いの素プロジェクトの応援をこれからもよろし くお願いしす!
(インターン 内山雪乃)

Facebookページにも写真と報告を掲載しています。
https://www.facebook.com/yuinomoto
岩沼市の「千年希望の丘」 [2012年06月08日(Fri)]

スタッフの中畝です。

東北復興支援事業の「結いの素」プロジェクトで協力している岩沼市。
(プロジェクトの模様はこちら
市域の約半分(49%)が浸水したこの街では、被災市町村の中で最も早く復興計画を策定したり、沿岸集落の集団移転地を決めたり、一日も早い復興・発展に向けて進んでいます。

そんな中、また新たな試みが。同市では沿岸部に、多重防御思想を組み込んだ「千年希望の丘」を作る計画があります。
"震災の記憶を忘れずに、千年先まで人々が豊かに暮らすため"というコンセプトから、今回の震災で発生したガレキのうちから、有害物質をのぞいたコンクリート片、木片を丘の盛土の中に混ぜて活用していくため、実証試験が始まりました。(テレビなどでたくさん報道されていたので、お見掛けされた方もいらっしゃるかと。)
上記事業の打合せの合間に時間ができたので、見学に行ってきました。

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津波報道で繰り返し放映された仙台空港の南側程近く。海岸線から約1kmほどのところに高さ4〜5mほどの丘が築かれました。

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市民の皆さんの手によって広葉樹が植えられていました。しっかり根付いて欲しいですね。

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写真奥に見えるのが海岸近くの松林。元は帯状にず〜っと続いていました。津波を受け止め被害を減らしてくれた松たちのうち、一部はまだ残っています。
ガレキの処理については色々な議論があります。この試みはまだ始まったばかりですが、岩沼のみならず東北・日本全体の災害対策の希望となるように、今後も見守っていきたいです。
<復興支援事業>棟梁と打合せ [2012年02月17日(Fri)]

こんにちは、スタッフの中畝です。

復興支援事業、だい〜〜ぶご報告が滞りまして。

いきなり”棟梁”が出てきたので、動きを簡単に振り返りますと、前回報告の8月以降、数度の打合せを重ねた結果、元々岩沼市の沿岸部にいた農家さんたちの中で、内陸部に農地を借りて、施業の再開を目指している「森さん達」と出会いました。
既に12月には元田んぼだったところにビニールハウスを6棟建てたのですが、野菜の出荷のためには収穫後の梱包作業を行う場が必要で、作業道具置き場も兼ねて、作業小屋が必要ということになり、一緒に拠点を作ることになりました。

ということで、2月いっぱいで復興組合の仕事も終わり、施業が本格再開するのにあわせて、3月12日〜16日に設置を行うことになりました。いよいよ本格始動です。

昨日、理事で設計士の石田さんの事務所で、今回指導していただく白根工務店の白根さん(”棟梁”と呼びます)と打合せをしてきました。このお二人は「伝統木構造の会」というNPOに所属していて、棟梁は大工会の幹事さんを務めてらっしゃいます。
農家さん、現地ボランティアさん、我々と、みんなの手で組み立てる予定で、当初は東北の大工さんに指導をお願いする予定でしたが、現地は大忙しとのことで、埼玉から来ていただくことになりました。

”ツー・カー”って言うんでしょうか?素人の私には分からない言葉もありましたが、必要な資材や加工についてサクサク話が進んで、農業の復興小屋がリアルに目の前に浮かんでくるようでした。

(一番右奥が棟梁、その手前が石田さんです。)

急遽、現場打合せ、資材準備などで、22日に現地入りすることになりました。そうそう、模型も完成していたので、画像を入れておきます。1コが6畳大の作業小屋で、3軒共同で使って頂きます。

元々のコミュニティや人のつながりが守れる拠点にしたいです。
次回は現地の模様などをお届します。

中畝
<復興支援事業>津波から5ヵ月後の岩沼の農地 [2011年08月12日(Fri)]

こんにちは、森林担当の中畝です。

東北の農漁業の復興支援事業<http://www.foejapan.org/forest/moripre/fukkou.html>の中で、"農業"の支援候補地となっている岩沼市に移動し、現地視察、調整を行いました。

(5月訪問時の報告はコチラ⇒http://blog.canpan.info/foejapan/archive/18)

市役所での打合せのあと、早速農地の現状視察に繰り出しました。
まずは下の写真をご覧下さい。




同じ場所で、上が3月末、下が今回8月です。

津波による被災直後は潮水が流れ込んだことで、住宅や車両のカケラが田んぼを覆っていましたが、それらも大きなものはほぼ撤去され、青々と草が茂っていました。
地表部の塩分濃度の高い土を攪拌してしまう恐れから、重機の使用も出来なかったとのことなので、大変なご苦労があったことと思います。

青々とした田んぼは、一見すぐにでも作物が育ちそうにみえますが、特に海岸に近い田んぼのくぼんだところには、いまだ潮水が残って池のようになっていたり、内陸部でも、潮水が滞留し高い塩分濃度が残されたであろう場所の草は、先端部分から黄色く変色し、枯れてきているような状態です。

そんな中、ある試みがスタートしています。その名も「震災復興!塩トマト」。
なんでも、干拓地など塩分濃度の高い土壌で育ったトマトは少々小ぶりなものの、糖度が高くなるようで、熊本県の干拓地などで栽培されてきたもののようです。




NPO、企業、地元住民が協働している事業として、とても参考になります。
岩沼市は、先日宮城県内でも一番早く復興計画を策定しました。いよいよ本格的な復興がスタートしますが、現地の動きにあわせて私たちの支援が役に立つように、今後も調整を進めていきます。

中畝
<復興支援事業>石巻の漁師さんたちの今とこれから(後編) [2011年08月10日(Wed)]

こんにちは。森林担当の中畝です。

前回記事(石巻の漁師さんたちの今とこれから(前編))
の続編として、漁師さんたちと、集落の復興に向けた動きについてお伝えします。

まず住居について。

漁師さんたちは、集落の背面の高台で避難所で共同生活をしている時から、
仮設とはいえ、生まれ育った土地や、子どもの頃から皆で一緒に生活し、漁に出てきた仲間と
離れて生活しなければならなくなることを心配していましたが、
震災直後、第一避難所となった町のグランドに仮設住宅が建ち、そこに入居することが出来ました。



トンネルを越えて隣の相川集落と一緒に、およそ40世帯がここに入居しています。
東海大学さんにより、9坪の木造の集会所も寄贈され、昼間は子ども達がマンガやおもちゃで遊び、
夜は漁師のお父さんたちが会議+(たまには酒盛り)で復興に向けて活力をつけています。
「結(ゆい)」で結ばれた皆さんは、非常に強い絆を持っています。



市の方でも、新たな集落づくりとして、本設住宅が建設できる土地の造成について議論が始まっていますが、
膨大な事業費を要するため、いまだ国の具体的な援助が見えない中では見通しも立てづらいのが現状です。

そして、生業である漁業について。

前回お伝えしたとおり、港湾施設や漁具が流されてしまったため、
被災後5ヶ月が経過した現在も、漁に出たくても出られない日々が続いています。
湾内でワカメなどの養殖を行うためには、ロープを固定するためのアンカーの再整備が必要で、
これは個人個人で行えるものではありません。



現在漁師さんたちは、行政によるガレキ撤去作業による日当で生活していますが、彼らは一日も早い元の”生業”の再建を願っています。

港の復興作業はもちろん、震災以前より住居と港が離れてしまう可能性があることから、
その後の漁業施業のためにも拠点が必要です。

”住”のコミュニティが守られた今、次は”職”のコミュニティの再建が必要です。
私たちの食卓を守ってくれる漁師さんたちへの支援として、是非皆さんもご協力下さい。

事業の詳細、ご支援はコチラ⇒http://www.foejapan.org/forest/moripre/fukkou.html

中畝
<復興支援事業>石巻の漁師さんたちの今とこれから(前編) [2011年08月09日(Tue)]

こんにちは。森林担当の中畝です。

東北の地域・産業復興を地域の木材で、ということで、東北の杉を活用した番屋(港の近くに置く作業小屋)を建設し、漁師さんにプレゼントする事業を進めています。
詳細はコチラ⇒http://www.foejapan.org/forest/moripre/fukkou.html
今回は、前回訪問の5月以降の復興状況の確認と、受け入れ先となってくださる集落の方との調整に、石巻市北上町十三浜に行ってきました。
(今号は被害の様子について)




石ノ森章太郎先生のサイボーグ009やロボコンといったキャラクターが駅前で迎えてくれます。
彼らのメッセージも、「がんばろう!石巻」。

石巻市は旧石巻市も含めて7つもの市町が合併した県内第二の街で、牡鹿半島を越えて三陸海岸まで広がっています。
目的地の北上町十三浜は市街地から1時間車を走らせた三陸海岸沿いに広がっています。
「浜に向かって13の集落が並んでいるので十三浜。」お邪魔した小指集落は25世帯の8〜9割の方が漁業に従事する漁村です。
リアス式の海岸の湾内に入り込んだ津波は、18世帯の家屋を押し流しました。



ワカメ、カキの養殖が基本ですが、冬季にはウニとアワビが解禁になり、集落の生計を支えています。
今回の津波では、番屋などの港湾施設、養殖に使う小船、漁具などが全て流されてしまいました。
(沖に出ていた比較的大きな船はかろうじて助かった。)
また、上記の住宅の近くには、得られた海産物の乾燥や冷凍を行う設備もそれぞれ隣接されており、それらも流出してしまっています。
漁業や農業にとっては「住」と「職」は不可分のものですが、そのいずれもが大きな被害を受けてしまっています。



復興に向けた動きは次号につづく

復興支援事業へのご寄付はコチラ⇒http://www.foejapan.org/forest/moripre/fukkou.html

中畝
「森のプレゼント」事業視察 宮城県岩沼市@復興への動き [2011年05月10日(Tue)]

こんにちは、スタッフの中畝です。

「森のプレゼント」スキームの活用による被災地復興支援事業(詳しくはコチラ⇒http://www.foejapan.org/forest/moripre/fukkou.html)による被災地入り、先日は被害の模様をご報告しましたが、今回は復興への歩みについてご報告します。


岩沼市災害ボランティアセンターは、各地のボラセンの中でも珍しく県外からもボランティアさんを募集しています。5/3はGWということもあり、ボランティア受付に長蛇の列が続きました。1ヶ月ほど前は、150〜200名程だったところが、この日は500名程の方々が全国から集まっていました。ボランティアセンターの近くの公園が開放され、ボランティアさんたちのテント村になっています。ここではボランティアさん同士がルールを決めて生活しています。ゴミの集積から、近所の銭湯の案内などもあり、自治が進んでいます。


平坦地が広がる岩沼市では用地確保の障害もなく、360戸の応急仮設住宅(プレハブ)が建設済みor建設中で、一次着工分の100戸は入居がはじまっています。被災地全体で見ても、着工・完成が非常に早い地域で、現在避難所に避難している世帯はほぼ収容できるとの見通しです。二次着工分の現場では、材料が積まれて工事が進んでいますが、「この部材どこの材か・・・」気になるところです。プレハブの土台には小径木が杭として使われます(その上に住居が乗る感じ)。この杭の需要が非常に高まっており、値段も上がり、さらに、「普段燃やしてしまうようなものまで、今は市場に出してるよ」とは、ある林業家さんのお話。


地震より2ヶ月が経ち、岩沼市では“暮らし”を取り戻す復興が進んでいます。FoE Japanは「森のプレゼント〜元気モリ森みちのくサポーターズ〜」を通じて、民間団体として国、行政の手の届かない部分での支援を行っていきます。
「森のプレゼント」事業視察 宮城県岩沼市@被害の模様 [2011年05月06日(Fri)]

こんにちはスタッフの中畝(なかうね)です。私たちFoE Japanは、先の震災被害を受け、今後の復興の中で、
「環境NGOとしてできることは何か」「環境NGOがすべきことは何か」
について考えた結果、これまでの森林保全活動を通じて行ってきた、国内の森林保全を目的とし、社会や環境に負荷の少ない地域材や国産材を選んで使い、街と山が一つになって森を守る「森のプレゼント」のスキームを活用し、街の復興のサポートを行っていくことにしました。※詳細は下記参照(ご支援お願いします!)
http://www.foejapan.org/forest/moripre/fukkou.html

被害を受けた地域で、現在何を必要としているのか、私たちに何が出来るのかを確認するため、連休を活用して現地に入りました。
現地入りするのは、3月末に続いて今回で2回目。前回訪問時との比較などで現地の状況をお伝えします。


岩沼市は仙台市の南側に位置するベッドタウンで、報道などでも取り上げられた仙台空港(名取市とにまたがる)がある街です。太平洋側に開けた海岸線があり、平坦な土地が多いため、海岸線沿いが主に津波被害を受けました。
街の東部に広がる田畑には、近くの住宅地から流れてきたガレキや車両などが散乱しています。それでも1ヶ月前から比べると、道路脇のガレキは片付けられてきていますが、テレビなどでは感じられない潮とヘドロが混じった臭いはまだ鼻を刺激し続けます。


海岸線は外側から堤防、防潮林が守っていましたが、高さ5mもあろうかという堤防はところどころで破壊され、松の防潮林をも押し流してしまいました。1ヶ月前までは、海から運ばれた大量の砂がさえぎっていましたが、復旧のための駐車場を確保するために砂がどけられて堤防まで進めるようになっていました。


防潮林の内側には貞山堀(伊達政宗公が開削した、元は木材を運搬するための運河。貞山は政宗公の贈り名)という川が流れていますが、堤防の決壊により一部では直接海水が流れこんでしまっているところもあります。

次回は復興への動きをお届けします。

中畝幸雄