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インドの市民社会と脱原発 日インド原子力協定に反対する人々 [2015年11月12日(Thu)]

こんにちは、スタッフの深草です。

11月初め、インドの原発問題や反対運動の現状調査や、今後の連携して脱原発を目指していくためのネットワークづくりのため、インドの市民や学者の方にお会いしてきました。
日本政府はここ数年インドとの原子力協定締結を模索しており、今年12月にも協定にサインすると言われています。インドはNPT(核不拡散条約)やCTBT(包括的各実験禁止条約)に入らず核兵器を所有している国。

被爆国として核廃絶を国是とする日本は、これまでNPTに加盟していない国とは原子力協定を結んできませんでした。インドと協定を結ぶ事に関しては日本内外で強い懸念の声が上がっています。
インドには22の稼働中のプラントがありますが、建設中の物も含めて、力強い原発反対運動が行われています。インドは世界最大の民主主義国家と言われていますが、反対運動には政府からの強い圧力があり、国民的議論はほとんどないそうです。話を伺ったジャーナリストの方は、原発の記事を書いてもほとんど載せてもらえないと話していました。

インドの市民の方々は、ガンディーの思想などを大切に守り、非暴力不服従行動を続けているそうです。市民活動のリーダー達は、土地を村人から奪取し健康被害を生んでいる原発を’非人間的’であるとかたり、環境的に持続可能な社会にむけて運動をしているんだと話していました。
福島や、広島長崎の核の被害者ともよりそい、核無き世界にむけて活動しているという彼らに、大変励まされる思いでした。

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鹿児島報告(2)川内原発、いちき串木野市へ [2015年06月29日(Mon)]

<鹿児島報告―2>

スタッフの吉田です。21日は、川内原発の近くまで連れて行っていただきました。その後、いちき串木野市のみなさんと意見交換しました。

【川内原発の近くまで】
20日は、串木野駅の近くの民宿に宿泊。
東京出身で昨年からいちき串木野に拠点を移して活動している高木章次さんにお世話になり、素敵なジャズカフェで翌日の行程を相談。
午前中に地元で福祉施設を経営している江藤卓朗さんが、川内原発まで案内してくださることになりました。

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原子力市民委員会の水藤さんも合流し、9時すぎに出発しました。海沿いを走り、40分ちょっとで川内原発のゲート前へ。
警備の人は二人。ゲート前から、原発の建屋が見えていました。
すぐ近くの「展示館」には、いまだに「5重の壁」といった展示とともに、原発は温暖化対策、などと訴えるパンフレットが・・・・。
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その後、薩摩川内市の鳥原良子さん、出水市(薩摩川内市の北側)の神信裕さんと合流しました。
原発から2キロほどのところに、3万年前の姶良カルデラ火山の噴火によって流れ出た入戸(いと)火砕流の堆積した地層(10メートルほどの赤土の層)が見られる場所を案内していただきました。

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神さんは、物理・地学を専門とし、地形から地殻の変動を調べています。この地層をみるに、地形などによって同じ厚さではないとしても、当然原発の敷地まで火砕流は届いていただろう。九州電力は、原発の敷地には届いていないとしていますが、当然届いていたとほとんどの火山学者は指摘をしています。

また、原発周辺にみられる断層の分布図について、九州電力の提出資料では、原発周辺5キロが空白になっています。川内川河口周辺に海岸段丘があることは、神さんの指摘だけでなく九電自体が認めています。ところが川内川河口底に同じ時代の地層があることが、ある論文で指摘されています。
このことは、ここに50m程の段差(断層)があり、これが川内川推定断層(橋本 1972)である、と神さんは指摘をしています。
しかし、九電は川内川河口底の地層を「不確かである」として、断層を認めていません。

川内原発の再稼働審査において、火山学者の提言に反し巨大噴火の可能性が考慮されていない問題(*2)・・その一つの証拠となる現場を目にすることができました。

(*2)原子力規制を監視する市民の会(2015年5月27日)
「川内原発保安規定(火山モニタリング)についての声明」
http://kiseikanshi.main.jp/2015/05/27/kazan/

その後、いちき串木野市に戻る途中、原発から約7キロの羽島漁港に立ち寄ります。
港の漁獲量は、川内原発が操業したころから漁獲量が減っていて温排水(温廃水)の影響も疑われると、地元の方は言います。

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港のコンクリートの岸壁に、わかめのような緑色の海草が揺れています。
江藤さんほか地元の人たちは、原発が止まってから生えてきたのではないか、温排水がなくなって海水温が低下したためではないかとのことでした。

【いちき串木野市で意見交換】
お昼前、「鹿児島から避難計画を考える緊急署名の会(*3)」の事務所で、20日の講演会には参加できなかった方を中心に、地元の方10名ほどが集まってくださり(しかも前夜遅く〜朝にかけてのとても直前の呼びかけで・・・!)意見交換を行いました。

(*3)いちき串木野市の人口は約2万9000人、その過半数の住民の署名を集めようと、2014年の5〜6月、全国からの参加を得て、戸別訪問や街頭などで精力的に署名を集め、ついに1万5000筆を達成、2014年6月に市長に提出しました。)

原発の避難問題や健康影響、技術的問題など、様々な角度から、長年にわたって粘り強く働きかけられている皆さんです。
推進・賛成派との議論は平行線だといいますが、今後は地元の経済や雇用の観点からも考えたいとのこと。
市議会でも原発コストの問題など取り上げたいという、いちき串木野市、日置市の現・元市議会議員の方もこられていました。

あっという間の2時間弱が過ぎ、市議の方に送っていただいて鹿児島空港へ。
帰り際、一人の年配の女性が、ちまきのようなもち米の保存食、灰汁(あく)巻をお土産にくださいました。島津藩が参勤交代の道中に持参したものだそうです。

空港では、串木野発祥とも言われるさつま揚げをたくさん、お土産に購入しました。(早速翌日のお昼、事務所のみんなでおいしく食べました。)

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若い世代の人口減少など、地方特有の悩みを抱えています。
だからこそ、及川さんのような若い世代の地域に密着した取り組みは勇気付けられるものです。

豊かな自然はもちろん、鹿児島のおいしい食など、魅力を多くの人に知ってもらい、
原発に頼らない地域づくりにつながれば・・と願って鹿児島をあとにしました。
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鹿児島報告(1)原発と再エネのホントの話 [2015年06月29日(Mon)]

スタッフの吉田です。
6月20−21日、鹿児島に出張しました。
初めての鹿児島でもあり、地元のみなさまにお世話になったので、少しでも様子をお伝えできればと、ご報告です。

【原発と再エネのホントの話】
20日(土)は、原子力市民委員会の主催のフォーラム
「『原子力発電と再生可能エネルギーのホントの話』
〜原発のコストと電力自由化後の日本と鹿児島の未来を考える〜」に参加。
http://www.ccnejapan.com/?p=5373

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立命館大学の大島堅一さんからは、原発の本当のコストについて、わかりやすく講演。
現在言われる「原発はコストが安い」というのは、事故処理費用を国民(税金)や電力消費者(電気料金)で負担しているから。
また、原発を再稼働しないと電気料金値上げ?これは、原発という負債を抱えた電力会社は、経営破たん(債務超過)しないために、苦肉の策として値上げ・再稼働に動いています。原発ゼロを決断すれば、原発維持費がなくなる(料金原価に計上できなくなる)ため、一部を再稼働するよりは、電気料金は安くなるそうですが、その選択肢はまったく示されていません。(*1)

(*1)西日本新聞:原発ゼロで電気料金安く? 再稼働との比較を試算 
http://qbiz.jp/article/64808/1/

私からは、再生可能エネルギーについて紹介。「再生可能エネルギーは不安定」「原発はベースロード電源として必要」「再エネを接続保留」というけれど、ドイツでもスペインでもカリフォルニアでも、すでに原発は廃炉・減少の方向にあり、自然エネルギーをメインとした電力供給にむけて、シフトが始まっている状況を紹介しました。
また、いよいよ2016年から一般家庭も電力会社を選べる時代へ。地域の自然エネルギーの電力会社を選ぼうという、「パワーシフト」(http://power-shift.org)を呼びかけました。
2016年はすぐそこなので、小さいグループの勉強会なども、今後広げていけたらと考えています。150620_CCNE鹿児島フォーラム_吉田.pdf

ゲストの及川斉志さんは、鹿児島県日置市に3年前から移住し、現在は地元のガス会社勤務。再生可能エネルギーを中心としたPPS事業に向けて準備中ということで、具体的なお話をしていただきました。個人的にも、市民共同発電事業や、映画「シェーナウの想い」字幕翻訳者として貸出し(無料!)や講演も行っています。

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会には70名以上が参加。アンケートで、
・「シェーナウの想い」を見たい、上映会をしたい
・地元の取り組みを応援したい、
など今後の活動の広がりに向けたコメントもいただけたことは収穫でした。
(その2へつづく・・21日は、いちき串木野へ)

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「食」からながめるベラルーシ [2015年05月16日(Sat)]

八島千尋です。
私は、「食」からながめるベラルーシについて報告したいと思います!
ベラルーシは、日本のおよそ半分の国土面積で、うち3分の1を森が占めています。南部は広大なポレーシエ湿地が広がっており、海はありません。このような環境で育まれた食文化。主食はじゃがいも。他にも、きのこ、ベリー・・・など、森の恵みを生かした食材がテーブルを彩ります。

・ドラニキ(じゃがいものパンケーキのようなもの)
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・コートを着たニシン(ニシンと野菜の料理)
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・きのこのスープ
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・白樺のなみだ(白樺の樹液と砂糖とフルーツを混ぜたジュース、左上のグラス)
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などなど、気になるお味の方は・・・とーっても美味しい!!日本人の口に合う味付けです!!

しかし、ちょっと気になるのは食品の汚染値について。線量はきちんと測定して出荷されていると現地の方はおっしゃっていましたが、基準値を調べてみると

じゃがいも 80ベクレル/kg
栽培されたベリー類 70ベクレル/kg
生きのこ 370ベクレル/kg
乾燥きのこ 2500ベクレル/kg
その他の食品 370ベクレル/kg
※設定時、ベラルーシのセシウム134は自然減衰してなくなっているため、セシウム137のみの値となっています。
(ウラジミール・バベンコ、ベルラド研究所『自分と子どもを放射能から守るには』世界文化社 参考)

日本の現在の基準値と比べると様々な食品ごとに細かく設定されていますが、全体の基準値が厳しいという訳ではなく、特にきのこは基準値が高すぎる印象を受けました。
ちなみに日本の現在の基準はほとんどの食品が『一般食品』として分類され、100ベクレル/kgです。
(参照:厚生労働省 http://www.mhlw.go.jp/shinsai_jouhou/dl/leaflet_120329.pdf

私達が訪れたベラルーシにある日本文化情報センターの辰巳雅子さんにお話を聞いたところ、今でも食材はしっかり洗わないといけないとおっしゃっていました。しかし甲状腺がんの予防の為にベラルーシではヨウ素剤が簡単に買えるそうです。日本では簡単ではないですよね。

また今後の日本にどのような影響が予想されるか?と質問をしたところ、辰巳さん曰く、ベラルーシと日本の環境、食文化などがあまりにも違うため正直予想がつかないとおっしゃっていました。
例えば、ベラルーシは内陸に位置しミネラルが不足しがちで、国民病としてヨウ素欠乏症であるが、日本人は海藻や魚介類も食べるが水銀がたまっている。これが体内で放射能とどう影響してくるか。また日本は、放射能とPM2.5や黄砂などとの複合的汚染がどう影響してくるかはわからないということです。

次に、ベラルーシで事故後に普及した食品として、ペクチン配合のお菓子を教えてくださいました。日本でも知る人ぞ知る食物繊維のペクチンですが、放射性物質を体外に早く排出する効果を持っています。
マシュマロやゼリーなどのゲル化剤として使われているので、そういったお菓子がスーパーや市場などでたくさん売られていました。砂糖たっぷりのとっても甘いテイストでした。
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違う日に訪れたベルラド放射能安全研究所では、大量のペクチンを一度に効果的に摂取できるサプリメントのペクチン剤「ビタペクト」を開発し、ホールボディカウンター検査の際に研究所が設けた基準(体重1kg あたり 20Bq以上)を超えた結果がでた子どもたちに支給をしたりしているそうです。しかし、ベラルーシ国内で知っている人はほとんどおらず、現地のインターネットでささっと検索をかけてみてもどこで買えるのかわからなかったので、簡単には手に入らないのかも知れません。
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今回ベラルーシの「食」から、食べて生き、食べて守る。ということを改めて学びました。
また、事故により主食であり美味しい食材ばかりに不安が募る状況ですが、体を守る食品の普及のあゆみが草の根運動のように続いていくこと、そして日本でも普及を祈るばかりです。
(八島 千尋)
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ベラルーシ訪問ー移住村 スターリ・レペル [2015年05月01日(Fri)]

こんにちは、元インターンの深草です。
今回、29年前のチェルノブイリ事故が今のベラルーシ社会にどのように受容されているのかを調査するため、高木仁三郎市民科学基金に支援を頂きながら、皆さんとベラルーシを訪問しました 。
チェルノブイリ原子力発電所事故といえば、原発が位置する現ウクライナを思い浮かべる人が多いと思いますが、現ベラルーシ(当時はどちらもソ連領)にはかなりの放射能が降り注ぎ、大変な被害を被っています。私からは訪問した民間の移住村についてと、ドイツとベラルーシの市民社会のつながりについて報告したいと思います。
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ミンスク中心地から北東に約150キロに、スターリ・レペル村というチェルノブイリ事故により汚染された土地に住む人々のための民間の移住村があります。村はドイツの市民団体の手によって建てられ、現在は27軒の家が建っています。作られた家はすべてボランティアの手作りで、ドイツの伝統的な工法を採用しており、省エネ効率などがとても良いそうです。村づくりはミンスクのOekodomという環境負荷の少ない家を建てるチャリティ団体とともに、ドイツやイタリアからの青年ボランティアを受け入れて、持続可能な村づくりというプロジェクトの名目で手作りしたそうです。
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村には医療センターや公民館があり、スターリ・レペル村の人々だけでなく、近隣の村の人も利用しにやってきます。こういった公共の施設もすべてが海外の支援から成り立っており、政府が関わったのは水道などの公共インフラのみだったそうです。スターリーレペル村では、今は入居者も一緒になって新しい家づくりをしています。

住人の方に、移住することに対する不安はあったかどうか尋ねたところ、事前に訪問するなどして移住の前にしっかり下調べをし、 近くの共同農場(コルホーズ)で働いている人からは自分が働き手として歓迎されていることが移住前にわかったので、移住に対する大きな不安もなく、もともと住んでいる人との軋轢などもなかったそうです。
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ベラルーシ政府は2010年に、汚染地域から移住してきた人をまた元の場所に帰還させるための再開発計画を発表しました。それ以前の2003年からベラルーシ政府はUNDP(国連開発計画)やその他の機関からの支援を受け、”CORE Program”という汚染地域のリハビリ(復元)計画を進めてきました。このプログラムは既にすでに終了しており、ベラルーシ政府が2010年に発表した計画は、リハビリからリカバリー(復活)計画への前進であると位置づけられています。一部の人の帰還が始まっていますが、今も事故の影響で健康に問題がある人がたくさん存在します。また、スターリーレペル村に移住してくる人たちは5キュリー以上汚染された土地に住んでいた人たちで(平方キロメートルあたり5キュリーは実効線量年間1mSv以上に相当)、この村は二つ目の民間移住村だそうです。そういった移住村がいまだに必要とされている中で、本当に帰還政策を行ってよいのかかなり疑問です。政府は近年汚染地図を発表しなくなっていると言われ、どこがどれだけ汚染されているのかも正確には発表されていないようです。

村はとてものどかで、近くにレプラ湖という湖があります。新しく入居してきた家族は、まだ来たばかりでおちつかないけれどそのうち庭でジャガイモを育てたいと話していました。ベラルーシの料理にはたくさんジャガイモが登場し、多くの人が庭やダーチャと呼ばれる郊外に構えた家庭菜園で野菜を手作りしています。
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また、今回の旅はドイツの市民団体のコーディネートにより実現しました。
ですので、ドイツ語がはなせる、ドイツの支援が行き届いている場所に行った、という偏りがあるのは否めません。しかし、ベラルーシの人々は今も第二次世界大戦下(または大祖国戦争)にナチスドイツに多くの村を焼かれたことを鮮明に語り継いでおり、チェルノブイリについて伝える資料にも、まるで戦争のようだ、戦争より悪い、と出てきます。ですが実際は、苦い歴史を共有しながらも、ベラルーシの市民とドイツの市民はチェルノブイリ事故を通して強い結びつきを持っていました。

ガイドを引き受けてくれたオルガさんに、戦争中に多くの村を焼き払ったドイツについて複雑な感情を持っているベラルーシ国民も多いのではと尋ねたところ(ドイツ軍は600の街を焼き払い、チェルノブイリは400の村を奪ったと話していました)、彼女は昔のドイツ人と今のドイツ人は違うものだと考えている、またチェルノブイリの事故のあとドイツはたくさんの支援をしてくれたのでとても感謝していると話していました(戦争中に生まれた、もしくは戦争後すぐに生まれた世代はドイツに対して厳しい見方をしている人も多いようです)。

今回であった人の多くは、ドイツの市民団体と交流があり、政治的な活動が制限されているベラルーシにおいても、国際的な市民団体との交流の中で、ベラルーシの市民社会が形成されていると感じることができました。とくに、過去に保養で海外に出かけた子ども達は今では大人になり、自らボランティア活動に携わっています。今回日本からも5名がこの調査に参加しました。今後も継続して福島とチェルノブイリの事故経験を共有していくことで、さらなる市民活動の幅を広げることができるのではないかと思います。
(深草 亜悠美)

参考:
- “Plans for post-Chernobyl resettlement” 13th WNN August 2010. http://www.world-nuclear-news.org/RS_Plans_for_post_Chernobyl_resettlement_1308101.html
- “German and Belarusian volunteers take part in the construction of a house for a migrant from Chernobyl zone, in the village of Stary Lepel” TownHall com 8/12/2010 http://townhall.com/photos/2010/08/12/german_and_belarusian_volunteers_take_part_in_the_construction_of_a_house_for_a_migrant_from_chernobyl_zone,_in_the_village_of_stary_lepel
- Core programについて http://un.by/en/undp/focus-areas/crisisprevention
- Core Programについて http://un.by/en/undp/db/00011742.html
チェルノブイリ原発事故から29年のベラルーシへ [2015年04月26日(Sun)]

4月26日 チェルノブイリ原発事故から29年、福島第一原発事故から4年

スタッフの吉田です。
2015年3月30日〜4月6日、FoE Japanは、福島から人見やよいさん、宇野朗子さん、八島千尋さん、そして元インターンで英国留学中の深草亜悠美さんとともに、ベラルーシ・ミンスクを訪問し、ドイツ・ベラルーシのグループとともに視察・交流を行いました。
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放射線測定の独立研究機関「ベルラド研究所」や国営保養施設「希望21(Nadeshda) 訪問のほか、ホームステイや民謡鑑賞も含め、ベラルーシの人々の現在の日常にも、様々な角度から少し触れることができました。

チェルノブイリ原発事故は決して終わらない、
影響・被害は明らかに続いている。
しかし一方で、日常生活の中では、あえて意識しなされないように意図されている。現在の日本とある意味でよく似た状況を目の当たりにしました。

例えば・・
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◆原発事故被災者と事故処理作業員への支援などを定めた「チェルノブイリ法(1990年制定)」は、2008年に改訂され、現在では、特別の支援はなくなり、通常の障がい者(病気も含む)への支援と一体化されている。

◆保養への予算も、2016年までは決まっているが、それ以降は減る方向だろうと推測している(保養施設担当者)。
 
◆国は5キュリー(185k万Bq)/km2 以上(=推定実効線量1mSv以上)の場所を「汚染地」と定義しているが、その範囲は5年ごとに見直され、どんどん小さくなっている。

◆ルカシェンコ大統領による独裁体制(1994年〜)のなかで、政権批判的な活動は大きく制限されている。例えば、国土の北西部(リトアニアとの国境付近)にベラルーシ最初の原発が建設着工しています(まだ初期段階)が、反対活動は極めて難しい状況。

◆昨年から「チェルノブイリ」という名称の使用が禁止され、私たちのホストの財団「チェルノブイリの子どもたちのために」も名称を変更せざるを得ず、現在は「子どもたちに喜びを」として活動している。

◆チェルノブイリ原発事故に関する「ベラルーシ政府報告書」(2011年)では、子どもの甲状腺がんをはじめとした健康被害についても書かれているが、現在は復興に向かっていることが強調されている。
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チェルノブイリ事故被害への対応については、多くの人が、国には期待できないと口にします。ゴメリ州の強制移住区域出身のおばあさんたちは、当時の、何度も村を移動させられた混乱状況を語ります。20代の若者たちの間では、子どもの頃に甲状腺などの病気を持っていた、もしくは今も持っている人が、特に汚染地域で多いといいます。国内外での保養に参加した若者は、心身ともに元気になった、と語ります。

日本と比べた場合に、チェルノブイリ法により、賠償や健康管理への最低限の補償がある、また1ミリシーベルト以上の地域の「避難の権利」が書かれています。
しかしその適用については、少なくとも人々の話を聞く限り、大きな課題がありそうです。

さらに、多くの人が話していたのが、一般市民の経済的生活の苦しさです。
学校の先生や医者、大学教授などの公務員の平均月収は200〜400ドルほど(2万円強〜5万円程度)、しかしミンスク市内の賃貸住宅の家賃は決して安くなく(ホームステイさせてもらった中心部・2DKのマンションで500ドルほど!)、食品や衣料品の価格も、日本より少し安い程度です。
生活が成り立たないので、多くの人が、アルバイトなどの仕事を掛け持ちしたり、両親を頼ったり、郊外の菜園や農地で週末に農業をして食べ物を自給したりしているとのこと。さらに、通貨切り上げによるインフレが激しく、1月1日に物価が突然10倍以上になることも何度もあったとのこと。

ミンスク近郊にはベラルーシの人口の約4分の1近く(200万人以上)が集まっていますが、地方に行けば状況はさらに悪化します。若い人が職につく場がなく、高学歴の人ほどロシアなど海外へ出て行く。モスクワなどに出稼ぎに行く人も非常に多いとのこと。
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ちなみに、ベラルーシでの食事は、じゃがいもが主食。きのこのクリームソースやスープもよく食卓にのぼりました。春にはイチゴやベリー類・・・つまり、放射性物質を蓄えやすい食材が、食生活のベースにあります。自分の庭で収穫したものを食べている人が、今よりさらに多かったでしょう。事故当時、汚染された地域でも同様に、このような食事が続けられていたかと思うと・・・少し恐ろしくなりました。

言葉がなくなるような状況の中で、私たちを迎えてくれたみなさんのあたたかさと、市民の草の根の活動の様子には、救われ勇気づけられました。

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−つづくー
(吉田 明子)
FoEドイツ代表ら来日: 菅直人氏との会談と、シンポジウム開催 [2014年11月04日(Tue)]

●菅直人氏との会談
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10月21日、FoE Japanは、FoEドイツ代表のフーベルト・ヴァイガー氏、リヒャルト・メルクナー氏とともに、衆議院議員・菅直人氏を訪問しました。

菅氏の議員室にて、FoEドイツ、FoE Japan、ベルリン自由大学元准教授の福沢啓臣氏、ドイツ大使館の大石式部氏、FoE Japanやeシフトのメンバーなどが参加し、1時間ほど時間をいただきました。

「3.11後に初めて考えを変えた」と菅直人氏。今年(2014年)3月にはドイツ、ポーランド、フィンランドを訪れ、福島原発事故について報告したとのこと。
また、9月に福島第一原発を視察し、廃炉に向けた現状を視察したことも話されました。

「政治の世界で意見を変えるのは大変なこと。その決断に敬意を表する」とフーベルト・ヴァイガー氏。ドイツでも2022年までの脱原発を決定したものの、FoEドイツ(BUND)など市民が求める「即時停止」とは程遠く、まだまだ政治へのアピールが必要とのこと。そこで、ドイツで現在運転している9基の原発のうち、バイエルン州のグローンデ原発が最初に廃炉となる来年、2015年に、ぜひ菅直人氏をドイツに招待し、政治への働きかけを行いたいと、提案しました。

菅直人氏からは、選挙などの日程によるため即答はできないが、日程が合えば、と前向きな回答をいただきました。また、同日午後のシンポジウムにも、終了まで参加いただきました。
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また菅氏は2013年6月、米・カリフォルニアにてサン・オノフレ原発の停止が決まる直前に同地で講演を行い好評を得たそうですが、その主催者もFoE米国でした。

●シンポジウム「ドイツのエネルギーシフトと市民参加、核廃棄物最終処分場問題」

詳細・資料はこちら URL
http://www.foejapan.org/energy/evt/141021.html
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FoEドイツの二人は、ドイツの脱原発・エネルギーシフトを支えてきたのは市民の力だと強調します。
FoEドイツ(ドイツ環境自然保護連盟・FoEドイツ)も、各地の環境・反原発グループをネットワークする形で、全国に2000以上の地域グループを持つ国レベルの組織に成長しました。WWFやグリーンピース、NABUなど含めて全国で200万人ほどもの、「環境団体」会員がいるといいます。

核廃棄物処分場問題に関しては、ドイツで現状すでに、行き場のない悩ましい問題となっていることが伝えられました。原発計画の当初から最終処分場候補とされてきたゴアレーベンは、地盤の不安定性とともに、地元や全国の市民による度重なる反対運動により、社会的にも非常に難しい状況となっています。
アッセの中間貯蔵施設は、地下水浸水が年々進み、乱雑に積み上げられたドラム缶は取り出すことが決まったものの、行き場を決められないためにそのままとなっています。
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脱原発、再生可能エネルギーへのシフトについても、政治レベルではまだまだ課題はあるものの、それを支えているのは市民であり、自治体です。「下からのエネルギーシフト」こそ、ドイツで今活発に動いているものです。

続いて、日本側から5名がコメントし、質疑応答を行いました。
○福澤啓臣さん(元ベルリン自由大学准教授)
「ドイツに40年以上住んでいる。ドイツは福島第一原発後にすぐに脱原発を決めたが、もし原子力村の現状を知っていたら、ドイツは違う、ということになったかもしれない。事故を経験しながら原発の再稼働とは、信じられないといつもいつも言われる。」

○吉岡斉さん(原子力市民委員会座長)
「政治の問題だと思う。

○細川弘明さん(原子力市民委員会事務局長)
「核廃棄物処分問題は、高レベル廃棄物で6000トン、今後さらに4000トン増える。さらに、中レベル、低レベルもある。日本でもまったく決まっていない。」

○満田夏花(FoE Japan、原子力市民委員会座長代理)
「現地の住民と連携して、市民の声を可視化する動きを、現在鹿児島でも作っている。特に、万一事故が起こった場合に避難計画の具体性がまったくない。この点は無視されてはならない。」

○近藤昭一(原発ゼロの会共同代表)
原発ゼロの会は、超党派の国会議員の連盟。現在は人数は減っているが、継続して勉強会を開催している。民主党では、原発ゼロの方向に舵を切っているが、政治を変えなければならないと実感する。

ヴァイガー氏は最後に、次のように締めます。「ドイツでは再生可能エネルギー法の導入により、多少は電力料金も上がった。しかし、国民のアンケートで、それを受容する声が多数を占める。何より、原発事故のコスト負担とは比べ物にならないとみな考えている。今後、地域ごとのエネルギー独立の方向に向かっていくべき。」

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(吉田 明子)
ドイツ環境団体の代表らとともに福島を訪問 避難指示解除区域の現状 [2014年10月23日(Thu)]

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10月18日、FoEドイツの代表フーベルト・ヴァイガー氏とバイエルン州支部理事のリヒャルト・メルクナー氏が来日。19日には、武藤類子さんと「原発いらない福島の女たち」のみなさんの案内で、原発事故から3年半たった現状の視察を行いました。

・三春町 「福島県環境創造センター」建設現場
・田村市 放射性廃棄物仮置き場
・川内村 福島第一原発を16キロ先に望める地点
・川内村 放射性廃棄物仮焼却場建設現場

三春町の「福島県環境創造センター」は、IAEAの協力を得て福島県が建設する教育研究や教育・交流を目的とする施設です。しかし、県内の小学生全員が訪れ見学する「展示」の内容がどのようなものになるのか。放射線影響について過小評価するような内容となってしまわないか、大きな懸念もあります。
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※フクシマ・アクション・プロジェクト
「知っていますか?『福島県環境創造センター』のこと」
http://npfree.jp/fukushima.html

田村市都路、川内村は、原発から約15〜25キロの位置にあり、今年4月から順次避難指示が解除されているところです。
道路沿いの各所には、フレコンバッグにつめられた除染土が置かれていました(仮仮置き場)。
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田村市の仮置き場には、フレコンバッグが2〜3段に積まれが上に緑のシートがかけられ、まるで湖のように広がっていました。ここだけでも膨大な量です。
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川内村では、16キロ先に福島原発のサイトが見渡せる場所にも行きました。各号機を肉眼でも見ることができます。過酷な環境下で作業が行われている現場を目の前に、「16キロ」の近さを実感しました。その2倍、30キロであっても、決して遠い距離ではありません。原発再稼働問題で、30キロ圏内の自治体に同意が求められない現状が頭をよぎりました。
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川内村の仮焼却施設建設現場。ここでは、飯館村の放射性廃棄物(粗大ごみや建築建材など)が焼却される予定とのこと。付近の空間線量は、高いところで1マイクロシーベルト毎時を超えるところもありました。フィルターがあるとはいえ、焼却による放射性物質の拡散が懸念されます。
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森林生態学者でもあるフーベルト・ヴァイガー氏は、森林の汚染も気に懸けていました。もっとも放射性物質のたまりやすい森林には、降雨などでさらに汚染が蓄積します。そこから流れ出る川や数年後には地下水にも、汚染が出てくるのではないか・・・。広範囲にひろがる生態系の汚染が、今後どのように出てくるのか。住宅や道路付近の除染は、そのわずか一部を除去しているにすぎません。

三春町や田村市の一部では、場所によって米作りが再開されていました。頭を垂れる稲穂が黄金色に輝く風景や、刈り取ってはざかけされている風景はとても美しく、放射能さえなければ・・と思わざるを得ませんでした。
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午後には、郡山にて、十数名の地元の方々と意見交換を行いました。「福島のひとはみんな言いたいことが山ほどある」とみなさん。それぞれに、身に迫る放射能汚染や、子どもたちを守るための自治体への地道な働きかけについて、ぜひ世界に伝えてほしい、と熱い意見交換が続きました。
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20日には、福島市の佐々木慶子さんによるコーディネートで、福島県庁秘書課に申し入れを行いました。子どもたちの保養プログラムを県の主導で行ってほしい、子どもたちにはできる限り放射線影響を避けられるような対策を、福島県から、全国の脱原発・再稼働ストップに向けて声を上げてほしい、など訴えました。
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事故から3年半以上経ちながらいまだに困難な状況が続きます。一方で、それでも前向きにアクションを続ける「原発いらない福島の女たち」のみなさんに勇気づけられる福島訪問でした。本当にありがとうございます。
(吉田 明子)
10/21 公開セミナー「ドイツのエネルギーシフトと市民参加、核廃棄物最終処分場問題 [2014年10月10日(Fri)]

FoEドイツの代表ら来日!
ドイツのエネルギーシフトと市民参加、核廃棄物最終処分場問題


このたび、FoEドイツ(ドイツ環境自然保護連盟、BUND)から、環境市民運動にかかわる代表的な2名が来日します。
ドイツの状況は、エネルギーシフトにブレーキがかかる日本の状況と共通する部分もあり、一方で、政策への市民団体の参画や、再生可能エネルギーの増加など、参考になる点も多くあります。
下記日程にて、公開セミナーを開催いたします。ぜひ、意見交換にご参加いただけましたら幸いです。

日時:2014年10月21日(火)16:30〜19:00


場所:衆議院第二議員会館 多目的会議室
国会議事堂前駅(東京メトロ丸ノ内線、千代田線)、永田町駅(東京メトロ有楽町線、半蔵門線、南北線)(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkaimap.htm

内容:【プログラム(予定)】
1)報告「ドイツのエネルギーシフトの現状、最終処分場問題」
  フーベルト・ヴァイガー氏(FoEドイツ)、リヒャルト・メルクナー氏(FoEドイツ)
2)原子力市民委員会からコメント
  大島堅一氏(立命館大学経済学部教授)、満田夏花(FoE Japan) ほか
3)原発ゼロの会のメンバーからコメント
4)質疑・意見交換

資料代:500円(FoE Japanサポーターは無料)

申込み:申込みフォームよりお申込みください
(一般)https://www.foejapan.org/event/event_form.html
(サポーター)https://www.foejapan.org/event/spt_event_form.html

主催:FoE Japan 共催:原子力市民委員会 協力:eシフト、原発ゼロの会、フリードリヒ・エーベルト財団

問い合わせ:FoE Japan 吉田(yoshida@foejapan.org/03-6909-5983)

詳細:http://www.foejapan.org/energy/evt/141021.html
チェルノブイリから28年〜日独ベラルーシ経験共有(5)福島訪問の感想 [2014年05月07日(Wed)]

本プログラムに参加しました、猪又弘毅です。
福島視察を通して感じたことを少し書かせていただきます。
視察内容については前の記事にありますので、ここでは参加した一人の若者として感じたこと、考えたことを思うままに記します。

私は23歳で、震災以降脱原発を実現するため再生可能エネルギー(以下、再エネ)に携わってきました。
まず本プログラムを通して強く感じたことは、福島について、そして放射能被害について自分が何も理解していないということでした。
そしてもう一つは、日本では再エネの普及と脱原発運動、脱被ばく運動は同じゴールを目指しているにも関わらず、実際には一つの ”文脈” では語られていないように見えることがあるということです。

つまり、ドイツの再エネの歴史や現在行われている様々なイベントを見ても、「なぜ原子力は不必要か」という証拠を用いた理論的かつ倫理的な議論が徹底的に行われ、その流れで脱原発への代替ソリューションとして自然エネルギーが提案・実行されているように感じます。
一つの根拠として、今回参加したドイツの市民団体「核の脅威のない世界のための市民団体」も、ベラルーシからの保養受け入れの活動を行ってきたと同時に、再生可能エネルギーにスポットを当てた人材育成や若手交流プロジェクトも行ってきています。
どちらも大事。どちらも理解する必要がある。
このような自然なアプローチがドイツでは見られると感じます。

しかしながら日本の場合「再エネは再エネ」「脱原発は脱原発」(脱被ばくも)とそれぞれ別々の場で議論が進み、互いに交流するような場が少ない印象を受けます。
実際、持続可能な社会を志している若者で、どちらも包括的に理解している方がどれほどいるかは疑問です。
私自身、本プログラムを通じて自分自身のその「偏り」に気付かされました。

今回、放射能の“被災地”を訪れた際に、終始なんとも説明しがたい思いが胸の中にありました。胸の中に鉛のようなざらざらとしたものがひっかかっているような。

私は宮城県の仙南地域という福島寄りの地域で育ちました。
福島の被災地は私の育ったいわゆる東北の田舎の世界にそっくりでした。
畑があり、田んぼがあり、林があり、庭のある家々と、サビの生えた商店の看板。
その見慣れたような景色の中に、ぽかんと見慣れない大きな黒い袋が
いくつもいくつも丁寧に積み重なって置いてありました。

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車内では、福島県・富岡町から茨城県・水戸市に避難をしている木田節子さんが運転をしながら様々な「真実」の話をしてくださいました。
あの日から福島で何が起こってきたのか。木田さんの人生がどう変わったか。
恥ずかしながらほとんどが知らない話であり、木田さんのお話と外を流れる福島の景色に、一瞬でも気を抜いたら何かが溢れそうで、ドイツの方々への通訳に躍起になっていました。

福島は桜が満開の時期を迎えていました。
訪れた花見山の桜や菜の花もただただ見事で、線量の高さも一時忘れる程でした。
その時に一緒に歩いたドイツの女の子がつぶやいたのは、
「すごく美しく、すごく悲しい。」という言葉でした。
一生懸命咲く桜と、未だ高い線量。
動かない政治と、強く生きる福島の方々。
感動と悲しみが常に混在している、そんな滞在でした。

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私の実家は福島第一から丁度100kmのところに位置しています。
これまで親と放射能について真剣に話をしたことはありませんでした。
もちろん放射線の数値も知らないと思います。

(親の生活はどうせあの地で続いていく… たとえ放射線が高いと分かっても…だったら今更伝えることにどんな意味があるのだろう…)
というのが率直な思いでした。正直を言えば今でもこの疑問はあります。

しかしながら、今回のプログラムに参加して、その考えが少し変わりました。親と話し合ってみようと思います。
生活を変えるということに繋がらなくても、今回の経験について話し合うだけでも前進なのだと思います。

私は、脱原発を実現する為にはいろんなアプローチがあっていいと考えています。
しかし、それぞれが決して対立することなく、ネットワークを築き、互いに理解を示すことが大切です。
そのためには、他の参加者がイベントで言っていましたが、
まずは「知ること」。
そして「言葉にすること」が求められていると感じます。
さらに言えば、若者と女性をもっともっと巻き込むことが脱原発へのさらなる加速につながると思います。

今回福島で闘っている人たちの声を聞けたことが、僕の「知ること」に繋がりました。
これからはさらに理解を深めつつ、発信を心がけ、福島のために自分のフィールドとの結びつきを模索していきます。

福島から遠い美しい土地で、自然エネルギーなどの環境教育を交えて、福島の子どもたちが楽しめる保養プログラムができるんじゃないかなぁと、
福島からの帰りの新幹線の中で漠然と考えていました。

(猪又 弘毅)
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チェルノブイリから28年〜日独ベラルーシ経験共有(1)ベラルーシの経験
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/182
チェルノブイリから28年〜日独ベラルーシ経験共有(2)広島
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/183
チェルノブイリから28年〜日独ベラルーシ経験共有(3)福島
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/184
チェルノブイリから28年〜日独ベラルーシ経験共有(4)19日イベントとベラルーシ民謡
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/185

●参加者のプロフィール、発表資料、映像はこちら
http://www.foejapan.org/energy/evt/140419.html
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