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ベラルーシ訪問ー移住村 スターリ・レペル [2015年05月01日(Fri)]

こんにちは、元インターンの深草です。
今回、29年前のチェルノブイリ事故が今のベラルーシ社会にどのように受容されているのかを調査するため、高木仁三郎市民科学基金に支援を頂きながら、皆さんとベラルーシを訪問しました 。
チェルノブイリ原子力発電所事故といえば、原発が位置する現ウクライナを思い浮かべる人が多いと思いますが、現ベラルーシ(当時はどちらもソ連領)にはかなりの放射能が降り注ぎ、大変な被害を被っています。私からは訪問した民間の移住村についてと、ドイツとベラルーシの市民社会のつながりについて報告したいと思います。
150403_stari_lepel.jpg

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ミンスク中心地から北東に約150キロに、スターリ・レペル村というチェルノブイリ事故により汚染された土地に住む人々のための民間の移住村があります。村はドイツの市民団体の手によって建てられ、現在は27軒の家が建っています。作られた家はすべてボランティアの手作りで、ドイツの伝統的な工法を採用しており、省エネ効率などがとても良いそうです。村づくりはミンスクのOekodomという環境負荷の少ない家を建てるチャリティ団体とともに、ドイツやイタリアからの青年ボランティアを受け入れて、持続可能な村づくりというプロジェクトの名目で手作りしたそうです。
IMAG3675.jpg

村には医療センターや公民館があり、スターリ・レペル村の人々だけでなく、近隣の村の人も利用しにやってきます。こういった公共の施設もすべてが海外の支援から成り立っており、政府が関わったのは水道などの公共インフラのみだったそうです。スターリーレペル村では、今は入居者も一緒になって新しい家づくりをしています。

住人の方に、移住することに対する不安はあったかどうか尋ねたところ、事前に訪問するなどして移住の前にしっかり下調べをし、 近くの共同農場(コルホーズ)で働いている人からは自分が働き手として歓迎されていることが移住前にわかったので、移住に対する大きな不安もなく、もともと住んでいる人との軋轢などもなかったそうです。
IMAG3680.jpg

ベラルーシ政府は2010年に、汚染地域から移住してきた人をまた元の場所に帰還させるための再開発計画を発表しました。それ以前の2003年からベラルーシ政府はUNDP(国連開発計画)やその他の機関からの支援を受け、”CORE Program”という汚染地域のリハビリ(復元)計画を進めてきました。このプログラムは既にすでに終了しており、ベラルーシ政府が2010年に発表した計画は、リハビリからリカバリー(復活)計画への前進であると位置づけられています。一部の人の帰還が始まっていますが、今も事故の影響で健康に問題がある人がたくさん存在します。また、スターリーレペル村に移住してくる人たちは5キュリー以上汚染された土地に住んでいた人たちで(平方キロメートルあたり5キュリーは実効線量年間1mSv以上に相当)、この村は二つ目の民間移住村だそうです。そういった移住村がいまだに必要とされている中で、本当に帰還政策を行ってよいのかかなり疑問です。政府は近年汚染地図を発表しなくなっていると言われ、どこがどれだけ汚染されているのかも正確には発表されていないようです。

村はとてものどかで、近くにレプラ湖という湖があります。新しく入居してきた家族は、まだ来たばかりでおちつかないけれどそのうち庭でジャガイモを育てたいと話していました。ベラルーシの料理にはたくさんジャガイモが登場し、多くの人が庭やダーチャと呼ばれる郊外に構えた家庭菜園で野菜を手作りしています。
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また、今回の旅はドイツの市民団体のコーディネートにより実現しました。
ですので、ドイツ語がはなせる、ドイツの支援が行き届いている場所に行った、という偏りがあるのは否めません。しかし、ベラルーシの人々は今も第二次世界大戦下(または大祖国戦争)にナチスドイツに多くの村を焼かれたことを鮮明に語り継いでおり、チェルノブイリについて伝える資料にも、まるで戦争のようだ、戦争より悪い、と出てきます。ですが実際は、苦い歴史を共有しながらも、ベラルーシの市民とドイツの市民はチェルノブイリ事故を通して強い結びつきを持っていました。

ガイドを引き受けてくれたオルガさんに、戦争中に多くの村を焼き払ったドイツについて複雑な感情を持っているベラルーシ国民も多いのではと尋ねたところ(ドイツ軍は600の街を焼き払い、チェルノブイリは400の村を奪ったと話していました)、彼女は昔のドイツ人と今のドイツ人は違うものだと考えている、またチェルノブイリの事故のあとドイツはたくさんの支援をしてくれたのでとても感謝していると話していました(戦争中に生まれた、もしくは戦争後すぐに生まれた世代はドイツに対して厳しい見方をしている人も多いようです)。

今回であった人の多くは、ドイツの市民団体と交流があり、政治的な活動が制限されているベラルーシにおいても、国際的な市民団体との交流の中で、ベラルーシの市民社会が形成されていると感じることができました。とくに、過去に保養で海外に出かけた子ども達は今では大人になり、自らボランティア活動に携わっています。今回日本からも5名がこの調査に参加しました。今後も継続して福島とチェルノブイリの事故経験を共有していくことで、さらなる市民活動の幅を広げることができるのではないかと思います。
(深草 亜悠美)

参考:
- “Plans for post-Chernobyl resettlement” 13th WNN August 2010. http://www.world-nuclear-news.org/RS_Plans_for_post_Chernobyl_resettlement_1308101.html
- “German and Belarusian volunteers take part in the construction of a house for a migrant from Chernobyl zone, in the village of Stary Lepel” TownHall com 8/12/2010 http://townhall.com/photos/2010/08/12/german_and_belarusian_volunteers_take_part_in_the_construction_of_a_house_for_a_migrant_from_chernobyl_zone,_in_the_village_of_stary_lepel
- Core programについて http://un.by/en/undp/focus-areas/crisisprevention
- Core Programについて http://un.by/en/undp/db/00011742.html
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