「ぼくが、自分でこけた」[2007年05月31日(木)]
今朝の朝日新聞、ルポ虐待Nに「ぼくが、自分でこけた」という次のような記事があります。
虐待を受けながら、その事実を認めようとしない子もいる。「頼れるのは親しかいないし、本当のことを言うと、もっとひどい虐待を受けるかもしれない、という不安もあるのだろう」と、虐待専従班の1人は言う。
1年ほど前、保育所で保護した男の子もそうだった。「園児の足に不自然な傷がある」という通報を受けた専従班の職員2人は、園長室で男の子と向き合った。「ちょっと見せてね」。ズボンをめくると、太ももに、いくつか打撲痕がみえた。「この傷、どうしたの?」と尋ねると、「分からん」。「でも、このケガひどいよ」と聞いても、「ぼくが、自分でこけた」。あとは、何を聞いても、黙り込んだまま。
転んでできるような傷ではない。「また、たたかれるのは嫌やから、今日は別の所にお泊まりしようね」と、専従班の職員は一時保護所に連れて行った。(5/31朝日から一部抜粋)
犯罪被害者の多くは声をあげられないままいますが、最後まで残される「被害者」は虐待されている子どもたちだと思います。被害者であることすら言葉にできず、親に愛されたい、離れたくない、自分が悪いことをしなければ、などと考えてしまいます。
「ぼくが、自分でこけた」という言葉は、他の子どもの診断書の中でも何度か見たことがあります。声をあげられない現在進行中の被害者に対しては、周囲が一刻も早くその被害に気づき、その状況から引き離すことが大切です。これはDV被害についても似たようなところがあります。
身近なところで、多くの小さないのちが声にならない悲鳴をあげています。その声を聴き取れる心の耳をもちたいと思います。



