笑えない「支援」の話[2007年05月25日(金)]
ファミリーズが「当事者が語ること」にこだわるのは、支援者中心の発想では、被害当事者が真に必要としているものが見えなくなるからです。
支援者は、被害者を「可哀想な人」「放置しておけない人」と見て、手をさしのべようとします。しかし、当事者は上から見られる視線に敏感です。どんなに優しい丁寧な言葉でも、上から同情や哀れみでかけられるものには違和感を感じます。
一生懸命カウンセリングを勉強しようと被害者支援ボランティア講座に人は集まります。また法律を勉強して被害者支援をしようとします。
被害者が赤ん坊を背負い、重い荷物を持ってシンポジウムに参加し、その後会場の弁護士さんに一生懸命相談していることがあります。付添のボランティアの方も一緒になって弁護士さんの言葉をメモしたりするのですが、メモしなくても、重い荷物をそっと持ったり、赤ん坊を代わっておぶったりした方が当事者の方は助かるのにと思います。笑えない実話です。
昨年DVシェルターの現場からの声をお聴きしました。シンポ後にシェルター・スタッフに聴いたお話がとても貴重でした。
シェルターに協力してくれるボランティアには、カウンセリング志向の人と、何もできないけれど何かできることがあればという人と二通りおられるそうです。今日はシェルターのトイレ掃除をしましょうと声かけをすると残ってくれるのは後者の方たちだけで、長続きするのも後者の方たちだそうです。
法律相談にボランティアの方が付添でこられることがよくありますが、一緒になってメモをとって勉強する方よりも、同伴した小さな子どもたちと床の上におもちゃを広げて遊び相手になってくれる方の方が信頼できることが多いようです。笑えない実話です。



