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デ・コード[2019年09月21日(Sat)]

パーティーに招待されたときに、

「ドレスコード」というものがありますよね。



「セミフォーマルね!」と言われて、

どんな服装だったらいいんだと悩んだことがあります。



そんな「コード」というのは、

規則、規定、ルールを意味しますが、

哲学の世界では、


「自分が当たり前に正しいと思っていること」

「自分の中の常識や思い込み」


のことをいいます。



そして、そのコードを突き破る、脱コードすることを、
「デコード」といいます。


つまりコードを乗り越えた考え方です。



どうして、私たちはデコードと向き合う必要があるのでしょうか?




生まれたばかりの赤ちゃんにとっては、

目の前に見える世界がただあるだけです。



それが、親、友人、組織、コミュニティーとの関わりの中で、

善悪、損得、比較のフィルターが増えていきます。



フィルターが増えれば増えるほど、自分が正しい、

自分がかわいいという防衛本能がますます働き、

思考することをあきらめさせます。



「私の業界は〜だから」
「私の会社は〜だから」
「私の経験では〜だから」


「みんな〜だから」
「いつも〜だから」


そんな風に物事を一般化し、甘ったるい安心感に浸りながら
誰かに自分の人生を引き渡す。


それが「コード」です。

自分にも人にも誠実に向き合わない「偽」にまみれた世界。



 単にお金を稼ぐだけならそれほど難しいことではありません。


 情報弱者を餌食にして「偽」の商品を売ればいい。

強固な「偽」構造を持つビジネスをすればいい。



でも、それってカッコ悪くないですか?
少なくとも私はそう思います。



デコードをすることは、

世の中の大義のために自分を置いて、ただただ生きること。


だから、デコードに向き合わないといけないのです。


偽にまみれるか、義を貫くか。

選択するのは他でもない自分自身ですよ〜。

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