余韻[2014年04月20日(Sun)]
最近、個人としても、社会としても足りないと感じるのは「余韻」です
例えば、食事にしても、
お客さんの回転率を上げるようなお店が増えてきたり、
例えば、TVのお笑いでも、
ものすごい早い周期で新しいネタ、新しい芸人が増えてきたり。
食事をしながら、食事の後に会話や景色を楽しむ。
お笑いを芸人に求めるのではなく、
自分自身や身近な存在の人と育んでいく。
そんなことが減ってしまったのは、
今の社会が情報依存社会になってしまったために
自分で考える手段や時間が、
知らぬ間に奪われてきてしまったからでしょう。
何かをしている最中、
何かをしたあとの余韻を楽しむことを
意識してやっていかないと、
物事に対するすぐに成果や結果を期待してしまう。
そして、飽きるのも早い、
だからまた次の選択肢を探す。
そういうことを繰り返していても、
残るものはほとんどないんだと思います。
余韻ではなく、小休止でもいいんです。
何かを諦める前に、
一息つく、再考する「間」が必要なんじゃないかな
例えば、食事にしても、
お客さんの回転率を上げるようなお店が増えてきたり、
例えば、TVのお笑いでも、
ものすごい早い周期で新しいネタ、新しい芸人が増えてきたり。
食事をしながら、食事の後に会話や景色を楽しむ。
お笑いを芸人に求めるのではなく、
自分自身や身近な存在の人と育んでいく。
そんなことが減ってしまったのは、
今の社会が情報依存社会になってしまったために
自分で考える手段や時間が、
知らぬ間に奪われてきてしまったからでしょう。
何かをしている最中、
何かをしたあとの余韻を楽しむことを
意識してやっていかないと、
物事に対するすぐに成果や結果を期待してしまう。
そして、飽きるのも早い、
だからまた次の選択肢を探す。
そういうことを繰り返していても、
残るものはほとんどないんだと思います。
余韻ではなく、小休止でもいいんです。
何かを諦める前に、
一息つく、再考する「間」が必要なんじゃないかな