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言葉の重み[2011年06月17日(Fri)]
今朝の日経の「春秋」で、言葉の重みについて書かれていました。2つの例を挙げています。

自民党の石原伸晃幹事長が反原発の動きを「集団ヒステリー」と言ったこと。
もう一つ、再生可能エネルギー買取に関する法案について、管首相が、「管の顔を見たくないなら法案を通した方がいい」と言ったこと。

何なんでしょう、この違和感というか、感覚のズレ。
「その心は?」と問いたくなります。


一部の政治家や東電をはじめとした原発関係者、ニュースキャスターや評論家から発せられる言葉はとても薄っぺらく、表面的で、軽い印象を受けます。

左の耳から入り右の耳から出ていってしまいます。
言葉を咀嚼して、自分の腹に落ちる感覚がないのは、私だけでしょうか。


一方、被災地の人の不満、要望、希望には、ものすごい重みがあります。
共感し、想いを馳せることができます。


事象の背景や文脈をすっ飛ばして、直接見聞きしていない情報や誰かの意見に、ちょっと自分の言葉を添える程度のものが多い気がします。そこには、自分の意志というものは入ってきません。

ブログやツイッター、Facebookなど自分の声を気軽に広範囲に発信できるようになったことで、思いがけない出会いの場や発見をつくるなど、よいこともあります。でも、「自分が話す相手」が見えなくなり、言葉に込める想いや力強さが弱まっているようにも思えます。


先日、ある方から送られてきた手紙を読みました。
おそらく万年筆で書いたのだと思います。
手紙の末尾に「不尽」と書いてあったりと、普段あまり見かけないような言葉がしたためられていました。文章を書いている相手の顔が浮かんできました。


言葉って不思議ですね。
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