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真央ちゃんさすが! [2009年12月27日(Sun)]
スポーツはからっきし駄目な私が、唯一テレビ鑑賞を楽しんでいるのがフィギアスケート。
バンクーバー五輪代表の最終選考会を兼ねた全日本選手権が25日から開催され、高橋大輔浅田真央が優勝し、五輪代表に選ばれた。

国際スケート連盟 (ISU)が承認するフィギュアスケートの競技会であるIグランプリファイナルでは、残念ながら不調続きで、良い結果を残せなかった二人。今回駄目だった場合は、五輪の代表からもれるかもしれないと、ハラハラドキドキしながら見ていたが、二人とも、素晴らしい演技で、さすがである。いざというときに底力が出せる選手達だ。やっぱりこの二人がいないオリンピックなんて、物足りないもんね。

それと、女子の部では、鈴木明子選手の滑りが良かった。最初にミスがあったが、本当に楽しそうに生き生きとしていて。見ているこちらの足元まで一緒に動きそうだった。

バンクーバーの五輪が楽しみだ。

ところで皆さんは、フィギアスケートのジャンプの種類と点数をご存知だろうか。私は素人観客だが、こののサイト、動画を使って詳しく説明してくれているので、参考になりますよ。
仕事納めとSeasons' Greeting [2009年12月25日(Fri)]
今日はアントレセンターの仕事納め。恒例のアントレ通信(毎月25日に発行)と年賀状を無事17時までに終えて送付。例年にない快挙!。他のスタッフががんばってくれたお陰だが、みな花金(今でも言うかな?)のクリスマスの夜が楽しみで、必死だったのかも(笑)。

年賀状については、毎年、今年はどうしよう?と一瞬思うのだが、ご支援いただいている会員や協賛企業の方々に、メールで挨拶というのはなんとも味気なく、ずっと続けている。ただ、肩書きや所属が変られているのにデータベースが古いままだったり、誰に出すのか選ぶのが結構時間がかかって、うちのセンターにとっては大仕事になっている。なんとも微笑ましいでしょう?
そして、お正月には、私も年賀をもらうのが楽しみなのだ。身についた習慣というのは、なかなか変らないようで、クリスマスカードもしかり。20年以上も前にお世話になったカナダのホストマザーとも、いまだにカードのやり取りをしている。外国の友人は、日本の年賀状とは違い、年末の挨拶(Seasons' Greeting)として、長い手紙をカードに挟んで近況を知らせてくれる。私も、いろいろ個人的なことを書くので、離れていても、ずっと親しい家族のような気持ちになる。電子メールにはない、暖かさがあるように思うのは、私が年とったということだろうか(苦笑)。年始年末、古い友人や家族がいることを感謝する時期である。
巣ごもりクリスマス [2009年12月24日(Thu)]
今日は、クリスマスイブ。クリスチャンでもないが、親しい友人とご馳走を食べる日になっている。普段行けないレストランで外食することも多いが、今年に限っては自宅で食事をすることにした。不景気におされて、私も「巣ごもり」したくなったという訳ではないが、最近、自宅で好きなものを料理したりお互いに持ち寄って、回りを気にせずおしゃべりするのが一番楽しい。1人分の外食代で、生ハムやチーズなど、結構贅沢ができる。

そういえば、20代の頃は、よく自宅でパーティをしたものだ。といっても大抵ポトラック(持ち寄り)形式。便利な場所にある一軒家を友人とシェアしていたので、お互いの友人を呼んで、10人〜20人くらいで、何かあると集まっていた。若くてお金がなかったし、友人が友人を連れてきて、新しく友達ができるのも楽しかった。延々と盛り上がって、朝方までというのもしょっちゅう。

残念ながら、最近は体調を気にして夜中には終了。数日前に、3時ごろまで飲んでいたら、翌日はぐったり。はい、年です!仕事でも遊びでも勝負するには体力がいるのだ。
得意を見つける [2009年12月20日(Sun)]
海外留学していた友人の息子が帰ってきているというので、私+もう1名で友人家族と一緒に食事に出かけた。みんな20年近くつきあっている親しい友達で、一緒に年をとっているので、お互いいつまでも若い気分だが、1人高校生が混じると、さすがに多少”大人”の顔がでる(笑)。
友人の息子の高校生、ついこの間まで小学生だったのに、今や身長180センチ近く。立派な青年だ。小さいときは勉強をちっともしないとこぼしていた友人だったが、小学生5年のときに、先生に言われて嫌々駅伝に出たのがきっかけで走り始め、中学校で陸上部に入ってから、しょっちゅう代表選手に選ばれ、全国大会にも出場。そのまま京都の高校にAO入試かなんかで入って、引き続き陸上をやるのかと思ったら、日本の高校で練習ばかりにあけくれるのはいやだと、オーストラリアのインターナショナルハイスクールに入学。単身で留学し、寮に入ってがんばっている。彼は、父親がアメリカ人なので、アメリカにもよく行っているためか、日本の学校のクラブ制度がちょっと異常なのに気づいたようだ。
他の国では、スポーツなどは、学校の先生が得意・不得意に関わらず担当して、放課後毎日練習させるというスタイルは珍しい。大抵が、学校とは関係なく、地域のスポーツクラブに入って、コーチの指導を受けて練習する。スポーツクラブだから年配の人もたくさんいるが、対等に練習できる。日本のように、毎日嫌でも練習したり、一番若いからといって先輩に仕えて下働きしたりなど、スポーツの練習以外で”辛抱”しなければならないことはない。ただし、誰も強制しないから、自分で自分を鍛えなければいけない。はるかに自立心が必要になる。

甘えただった彼が、親元を離れ、毎日自分で朝起きて練習し、州の代表としてオーストラリアの国体に出場したと聞いて、がんばったなと思った。私なんかとてもできることじゃない。彼に、「すごいね!よく誰も監視してないのに練習できるね。」といったら、「走るのは得意やから。1日休むと、身体がなまって不安になる。2日以上走らないではいられない。」「日本に帰ってきたら、1月以上、コーチもいないし不安やけど、自分で工夫して練習してる。」とのこと。
「私も運動しないと、最近体力がなくなってきた」と話していると、彼に「続けることが大事です。なんでも、週一回でもいいから、続けると効果があります。」と言われて、感心。この若者は、すがすがしく、そして、本当に偉い!

練習して得意になれば、人は自ずと好きになる。好きになってしまえば、あとはもう大丈夫。大事なのは、得意になるまで続けられるかどうか。継続は力なりは、納得。納得。

思えば、私の他の友人の息子も、小学校のときに授業でやった「かるた取り」がきっかけで、かるたクラブに入り、中学2年生なのに、今やA級を取得して、各地の大会で大学生を押しのけて入賞している。
得意を見つけると、その人を強くさせ、かつその人の人生を豊かにしてくれる。
得意と出会うきっかけを与えてくれるのは、やはり回りの大人。特に親や教師の役割が大きい。

あー思えば、私は、ピアノも習字もそろばんも、お茶もお花も、テニスも、途中でやめてしまった。いろんなことに出会い、多くのチャンスがあったのに、未だに得意なことに出会えていない。本当に駄目な人間である。。死ぬまでに、何か、強みをつくりたいものだ。
介護する側・される側 [2009年12月17日(Thu)]
今日も朝から、「きょうと介護・福祉ジョブネット」の「次世代の担い手育成」事業の打合せで、小学校が訪問する養護老人ホームの施設の方と打合せをしてきた。この施設では、ショートステイ、デイケア、入所介護などのサービスを提供している。
養護老人ホームというと、暗いイメージがあるが、このホームは窓がたくさんあって明るく、個室も綺麗で、広々とした感じがある。施設を案内していただくと、美容院の方に髪の毛を切ってもらっている人や、入浴サービスを受けてる人、碁を打ち合っている人、車椅子にのって廊下を散歩する人、テーブルに座ってぼんやりしている人。
入所されている方は基本、要介護度3以上の人で、ほとんどの方が痴呆が入っている。痴呆がでると、家族など介護する側は大変だが、本人はかえってストレスが低い場合も多い。癌にかかっている方でも、痴呆が入っていると、痛みに対しても鈍くなるせいか、食事が食べられなくてやせ細るということが少ないとのこと。
こういう老人を若いスタッフが中心となって支援している。私を案内してくださった方は、元病院に勤めていたというベテランの看護婦の方だったが、本当に優しい顔をしておられた。

介護や福祉の仕事は、優しい気持ちのある人でないと無理だ。でないと、虐待を受けそうだ。では、この優しさは、生まれながらのものなのだろうか?実は、中学生に、介護や福祉の仕事に興味があるか聞いたところ、「興味ある」と答えた生徒のほとんどが、母親がそういう仕事をしていたり、おじいさんやおばあさんがいて世話をしたことがあったり、施設でそういう体験をしている。つまり、子どもの頃に、このような仕事を体験することで、優しさがあふれ出てくるのかもしれない。だから、他人の世話をするという体験は、貴重なのだ。

自分は絶対年とって他人に迷惑かけたくないという人が多いけれど、助けてくれる人がいるなら、年をとって少々ぼけるのはあんがい悪いことではないかもしれないと思えてくる。もちろん、最後までしっかりと自分のことは自分でできることにこしたことはないが、病気や高齢者になっても、安心して暮らせるしくみが社会にあることが心の余裕を与えてくれる。残念ながら、今の日本にはそれがない。互いに助け合う優しさも心や時間の余裕も、少なくなってきているのだ。悲しいなー。私の老後はどうなるのだろう??
愉快な時間 [2009年12月15日(Tue)]
今日は結構慌しい一日だった。来客が2名あり、その後、北白川仕伏町にあるバプティストホームを訪問して打合せ。
ここには、京都府が推進する「きょうと介護・福祉ジョブネット」の事業の一貫で福祉分野の仕事につく次世代の担い手育成を目的とした事業を実施することになり、そのための打合せ。この事業では、小学生が介護に携わる職員に取材に行くので、この施設を訪問した際の段取りの相談だったのだが、施設長の諏訪さんは、私が小雨のなか烏丸丸太町から自転車で来たことをびっくりされていた。確かに45分くらいかかりましたが(笑)、市バスを乗り換えるよりはるかに確実なのだ。

その後、事務所にもどって、仕事をした後、京都地域創造基金の役員会&懇親会に出席。ここの基金、NPOへの資金の流れをつくるために創った公益法人だが、この基金自体はお金を持っているわけでなく、理事長を筆頭に役員はみな無報酬。でも、人が集まるのは、やはり、深尾理事長とこの組織の魅力だろう。私も含め、役員の多くは、数人のスタッフを抱えながら日々自分のところの事業をどうしたものかと悩んでいる。それに、NPOをどのように支援したらいいか真面目に考えている京都府・京都市の職員に、中小企業の事業家、若い大学生のインターンが加わる。肩書きにこだわらない率直な意見交換がなされる会議に、所属組織を超えたざっくばらんな交流。
冗談を交えながら、自分達が次にやりたい夢の話になり、互いに励ましあえる。そういう中にいると、自分が次に考えている事業が形になっていくような気になる。エネルギーがもらえる場であり、私達には必要な刺激や希望を与えてくれる場である。貴重な仲間達である。

ここにいる人達の強みは、貧乏や試練に強いということ。今の事業がうまくいかなくても、掃除でもレジ打ちでも、こだわらずに仕事をして生活し、夢を捨てずに事業を続けていけることかもしれない。儲けることや安定することだけが生活の価値観ではないということは、経済成長が停滞している時代には、こういう若者が増えてくるのかもしれない。
時代が変る節目の時だとつくづく感じる。
安定した職!? [2009年12月12日(Sat)]
今日は「京和菓子」プロジェクトの子どもたちとの反省と慰労をかねた最後の授業。
秋からたった3回の準備で、提案したアイデアが協力企業(笹屋伊織)のご支援で実現し、トレードフェアでは立派な商品として販売・完売させた。ベストショップ賞も受賞し、みな大満足だったようだ。主催してくださった「ぞくっこくらぶ」の濱野さんの手腕とやはり自分希望してこのような活動に参加した児童のやる気の賜物である。
慰労会では、各自、大変だったことや楽しかったことを振り返り、売上金から経費を引いて収益を分配して、住所交換してお別れとなった。1人460円だけだったが、自分で稼いだお金としては、初めての児童がほとんど。1人だけ、お母さんのお店を手伝っているK君は、決まったお小遣いをもらわない代わりにお手伝いしたら駄賃をもらっているとのことだったが。

私のほうからは、この活動に参加して、「商売を楽しいと思ったか」、「将来自分で商売をしてみたいか」などの質問をした。売って買ってもらったり、自分の提案したことが形になることは、みな楽しかったようで、商売については楽しかったと全員言うのだが、「将来自分で商売したり、社長になりたい」というのは、家の商売を手伝ってたK君のみ。あとは、「うーん、半分半分かなー」というのが大半。迷っている理由は、社長は大変だから、というのだ。大変だから楽しいのだが、それに素直にうなずいたのも、K君のみ。「私は、安定した職業につきたい」とはっきり言う子も。お父様は公務員だそうだ。

こういう活動をすると、必ずといっていいほど、ご両親が商売されていてそれを手伝っている子どもは、商売への抵抗が非常に低く、また、客相手を手伝わされているせいか、人間関係を築くのが非常にうまい。バランスのとれた子が多いのだ。
一方で、「安定」という子は、あまり、自分と異質の子と積極的に交わろうとしない。住所交換のときも、K君などは、白版に書いた互いの住所を全員分ちゃんと書いているのに、女子のほとんどが、女の子の分しか書かない。「なぜ?」と聞くと、「どうせ、もう付き合うことはないし、、」である。「来年もやるのー」と楽しそうに聞くK君とは随分な温度差だ。

それにしても、一番無邪気で夢のあるはずの小学生のときに、「どんな仕事に就きたい?」という話をして、「安定した仕事」と返ってくるのはなんとも悲しい。親の職業に影響されるとは言っても、公務員は「安定した仕事」ではなく、「人のために働きたい、公益のために何かができる」というのが先にあるべきなのに。。そして、これからの時代、安定した仕事など、いったいどこにあるのだろうか?仕事に「安定を求める」ということは、一旦就職して、組織が変革するのについていけない、あるいは組織が変革することに反対する人になるのではないかと、心配でたまらない。

同じような話が日本にいる外国人の起業家からなされていた。日本人でビジネススクールに行く大学生のほとんどが大企業に就職したいというのは、本当にびっくりだ。欧米の一流のビジネススクールに来る学生は、皆起業家精神に溢れている。日本にはアントレプレナーシップがないのではないか?と。
確かに、良い就職先が見つからなかった、就職活動をしたくなかったからとビジネススクールや大学院に行く学生が本当に多い。問題の先送りだけならいいけれど、チャレンジすることにこそやりがいがあると思う若者や彼らを応援しようという若者が溢れる社会になるには、道のりは通そうである。
老舗企業研究:よーじや [2009年12月11日(Fri)]
京都大学と共同実施している企業研究の関係で、「よーじや」さんに何度か取材にお伺いさせていただいた。
「よーじや」といえば、皆さん鏡に映った女性の顔をマークにしたあぶらとり紙を思い浮かべられるだろう。観光客の方が購入される京都の代表的なお土産となっている。
この「よーじや」さん、年配の人ならご存知の方も多いだろうが、もともと資生堂さんなどの化粧品や洋物雑貨等を置いておられた小売店(創業1904年)で、昭和初期の頃は京都のお嬢さんがお嫁入りのときに化粧品を一式揃えた地域密着型のお店であった。
化粧品を扱っておられる関係で、舞台芸人や映画関係者、花街の人達用に、ドーランなどの化粧品と一緒におろしていたのが、次第に口コミやマスコミなどで広まり、今の商品の形になり、1990年代に大ブームとなった。
この「あぶらとり紙」は、もともとは「よーじや」が発明したものというより、「ふるや紙」といわれる金箔打紙で古くから粋人の間で使われていたもの。純金箔を打ちのばすために何度も打ち続けると同時に和紙も叩かれ、その結果、あぶらをよく吸いとる「ふるや紙」となる。「よーじや」でも最初はこの製造方法でつくられたものを販売していたが、今は、金箔打紙ではなく、手すきによって作られた緻密な組成の特殊和紙を厳選。これを箱打機で繰り返し叩き込んで紙の繊維を活性化し、抜群の吸収力と肌にやさしい使い心地を実現しているとのこと。素材と品質にこだわり、京都のブランドをうまく生かした商品開発をしている。

この「あぶらとり紙」一時期は、「よーじや」さんの売上の8割くらいを占めるときもあったそうだが、今では、その後開発された独自ブランドの化粧品や繭製品や小物、カフェなどがバランスよく収益を構成するようになりつつあるとのこと。
観光客が京都に来るのは秋が一番多く、その次が春・ゴールデンウィークと、時期が絞られている。常時身近で使ってもらえる商品を開発したり、オフシーズンの際に、各地の百貨店の特設フェアなどで販売を行うなど、地に足のついた経営をやっておられるのには感心した。

京都の老舗企業に共通するのは、皆さん、上場してまで一気に急拡大しようとしないこと。しかし、しっかり時代をみて革新を続けている。経営陣は大きな社長室などもたず、皆さん質素で謙虚。地域の付き合いを大事にしている。
そして、京都というブランドをうまく活用し、口コミから雑誌の記事へとつながげ、ほとんど宣伝費をかけずに広報している。これは、京都だからこそできることの一つかもしれない。

最後に、前回ご紹介した福寿園と同じく、「よーじやカフェ」の高木店長は粋である。取材の後、学生や私に、「よーじやカフェ」のクッキーを送ってくださった(笑)。JRとの共同企画で季節限定のものである。おいしかったです! (写真左:よーじやカフェの人気のカプチーノ、右:いただいたクッキー) 近々銀閣寺の「よーじやカフェ」にもぜひいきたいと考えている。すごいお庭があるのだ。

  
新聞記事 [2009年12月07日(Mon)]
京都新聞の日曜経済MyウェイMyライフのコーナーでご紹介いただいた。今日、叔父の通夜に行ったら、叔母さんがその記事をとても喜んでくださった。叔父さんが亡くなってとっても悲しいはずなのに。
最近は、両親の兄弟が亡くなり、法事で親戚に会うことが多くなってきた。小さいときはお正月やお盆に集まって、単純に従姉妹と遊ぶのが楽しみだったが、今は、年もとり、それなりの苦労もしてきているので、お互いを思いやることが多い。いざとなったら頼りになるのは親戚だ。兄弟の多かった両親に感謝しているが、私達の時代になったら、寂しくなりそうだ。結婚していない者や子どものいない夫婦もいて、冠婚葬祭は超高齢化・少子化の時代を実感するときでもある。
訃報 [2009年12月06日(Sun)]
母の兄弟の省三叔父さんが今日4時に亡くなった。
7人兄弟の三男。小柄でほっそりした「省ちゃん」は、働き者の気さくな人だった。いつも笑顔で私達姪っ子にも優しく、ユーモアを絶やさなかった。昨年暮れに「末期癌で余命3ヶ月」と聞いたときは、ショックだった。自分の病については告知を受けていて、でも、弱音を吐かずに気丈にがんばっておられた。強い人だったな。病院に一度会いに行ったときも、省ちゃんのほうからメールをくださって、その優しさに、なんと返事をしたらよいのか、戸惑ったのは、半年以上も前になる。母から様子は聞いていたけれども、かける言葉も見つからず、病院に見舞いに行かずにいたことを後悔している。
母の兄弟は癌で亡くなった人ばかりだ。四男の末っ子の郁夫叔父さんは、30代前半で亡くなり、その後、次女の八千代叔母さんも5年ほど前に。長男の叔父さんは早期発見で再発せずに元気だと思っていたら、奥さんの叔母さんのほうが手遅れで1月前に亡くなられた。
母方の兄弟はみな仲良く、私達従姉妹も仲良くしているだけに、なんとも寂しい。

一生懸命生きた省三叔父さん、天国でゆっくりしてください。そして、うちの父と一緒に酒盛りして、がんばったご自身をねぎらってね。