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老舗企業研究:伝統への挑戦 [2009年10月30日(Fri)]
本日は京大のプロジェクトで、福寿園の本社に伺い、福井正憲社長に取材させていただいた。

福寿園は寛政2年(1790年)の創業で、大阪・神戸に通じる木津川の船着場として、また大和・伊賀街道の交叉地として諸物の集散地であった山城国上狛(現京都府木津川市山城町)に福井伊右衛門が茶商として始めた。現在も、本社は、JR奈良線上狛駅から歩いて10分ほどのところにある。
創業者の伊右衛門の名前は、2004年にサントリーとのコラボレーションで売り出したペットボトルのお茶のヒットで一躍有名になり、京都以外の人で福寿園の名前を知らなかったけどこの「伊右衛門」で身近に感じるようになった人も多いのではないだろうか。

福井氏は、8代目。とても73歳には見えないほどお元気。商工会議所やライオンズクラブの役職を歴任された地域の名士。旅行が趣味で、それも誰も行かないような秘境にいくのが趣味とのこと。
そんな社長に、200年以上も事業が続いている秘訣は?と尋ねると、「ぼちぼちすること。商売は、やりすぎたらあかん」「その年の儲けだけ気にするのではなく、蓄積が大事」「時代の流れを読んで、今の時代に必要とされるものを提供しながら、次の世代のために投資することを忘れたらあかん」とのこと。福寿園の家訓は「無声呼人」(声なくして人を呼ぶ):徳のある人のところには、呼ばれなくても人が集まるという意味。このために、「信用、得意先、技術、人材、資本の5つを蓄積して社会に貢献する」を社是とし、代々受け継いできた。また、商売は対等。どんな客にもへつらって商品を売る必要はない。社格(社としての品格)のある得意先を選ぶこと。さすが、老舗としてのブランドを維持してきた会社だけある。

また、「外から会社(日本)を見る」ことの大切さについて述べられた。社長の旅行好きは、結局のところ、そのためのようでもある。海外での経験から生まれた事業も数多い。社長は、インドや中国への事業で失敗したお話を交えながら、「小さく失敗して大きな失敗をしない」ことの大事さについて語られた。
また、サントリーとのペットボトル事業は、福寿園にとっても大きな投資であり、今や収益事業として大きな位置を占めているが、ペットボトルのお茶が売れることで、市場全体としても、茶葉が売れなくなっている現状がある。福井氏は、これに対して、お茶だけを販売する時代ではなくなった。次の事業展開として、お茶を核としたライフスタイルをプロデュースするティーライフの提案を行なっていくとのことについて熱く語ってくださった。そして、この新しい挑戦を結集したのが、昨年度四条どおりにオープンした本店だ。
フランスを征するものが、世界を制する。京都をパリと互角にする。という強い思いで、フランス料理に合うお茶を考案したり、お茶をつかった洋菓子の研究などにも力をいれておられる。これらの試みは、四条本店に行けば体感できる。

最後に、帰り際に訪問した4人全員に、本店で開発された新しい新商品ブランド「富小路」の玉露と煎茶のティーバックセットを手土産に持たせてくださった。洗練されたパッケージデザイン。粋なおもてなしに老舗経営者の心のゆとりが見えた。

他人の資本をいれてまで規模を大きくすることを求めない。しかし、きっちりと次の世代に残していける事業をしていく。そのために、消費者の意見を聞くのではなく(当然、参考にするば)、あくまでメーカーとして市場を作っていくモノづくりをしていく。
−老舗の経営には、私達、人間の生き方にも共通する秘訣があるのではないだろうか。

以下、お土産にいただいたお茶「富小路」のセット。缶の中には、ハーブなどと同じようなネット型のティーバックが入っている。

菊花賞−大人の遊び [2009年10月25日(Sun)]
今日は、生活経済ジャーナリストの高橋伸子さんのご招待をうけて、京都競馬場へ。
高橋さんとは文科省の中教審の委員をご一緒してから、仲良くしていただいている。高橋さんは、筋の通った才女で、本質を突いたことをずばりといわれるので、聞いていてとても気持ちが良い。偉い方なのに、気さくで、ウィットの聞いたジョークをいいながら、いつも笑顔で、私たちを応援してくださる。私の尊敬する女性の1人である。

そんな高橋さんは、JRA(日本中央競馬会)の経営委員会の委員ということもあって、関係者しかいけないグランドフロアで、しかも記者席の横の貴賓室で、優雅にコースを眺めて競馬を楽しませていただいた。
私に加え、京阪神エルマガジン社の廣實社長と同社広報の松縄氏、奈良県消費者生活センターの相談員の谷口氏。谷口氏は、賭け事のトラブルで相談に来る人が多く、「あんたにはわからやろ」と言われて、勉強もかねてとのこと。皆さん素敵で楽しい仲間であった。

ちなみに、このグランドフロアにいらっしゃる方々は、馬主の方やその協会の役員の方々で、ここに入るには、フォーマルな衣装がマスト。また、このフロアにいると、馬と一緒に裏からパドックにでて、まじかで馬や旗手の方を拝見できる。旗手の方は、馬主の方と思われる人に丁寧に挨拶しておられる。フォーマルな衣装でたたずんでおられる紳士淑女を拝見すると、イギリスのアスコット競馬場のような雰囲気がある。
ただし、それ以外の場所は、菊花賞ということで、すごい人。JRAの職員の方にお伺いしたら来場者は6万人とのこと。すごいエンターティメント産業である。

でも、このJRA、日本で二つしか残っていない特殊法人の一つ(もう一つはNHK)というのをご存知だろうか。ただし、政府の出資は一切なし。NHKよりはるかに健全。私も、高橋さんや本日ご一緒いただいたJRAの職員の方にお伺したのだが、競馬の収益の75%分は勝馬券の配当に回され、5%が馬主さん(勝ち馬への賞金)、10%は国に納め、残り10%で競走馬を育成したり、従業員のお給料を支払っているとのこと。
宝くじよりよほど多くのお金を顧客に返している。宝くじは、当選者に回るお金は約45%、販売手数料を引いた約40%が主催者である都道府県と政令指定都市に入り、何に使っているか非常に不透明。公共事業と言っても、必要なものとは限らないし。。。
JRAでは、自らも良馬をみつけ、育てているが、実は、馬に関わる大きな産業を支えている存在でもある。

うーん、それにしてもいろいろ勉強になった一日であった。
で、儲かったかって?菊花賞は誰も予測していなかったスリーロールスという馬が一等。浜中騎手はまだ21歳のイケメン。遊ばせていただいた分、他の方の幸せに寄付して帰ってきました(笑)。
ソーシャルイノベーション:女性パワー炸裂! [2009年10月24日(Sat)]
同志社大学で実施している「ソーシャル・イノベーション型再チャレンジ支援教育プログラム」、私の担当日2回目は、女性の起業支援の草分け的組織の方に来ていただいた。

1人は、WWB/ジャパン代表の奥谷京子氏。 WWB/ジャパンは、社会起業家へ融資する「市民バンク」の片岡勝氏のパートナーあだちゆきこ氏が1990年に設立。 以来、全国で起業家スクールを開催し、その卒業生は 6,000人、うち 1,000人以上が起業家として現在活躍。奥谷氏は、2005年から代表になり、全国を飛び回っておられる大変元気な女性。
もう1人は、女性の起業支援をしたいとWWB/ジャパンをあだちさんをたずねて1993年に起業家塾を名古屋で開催、1998年に起業支援ネットを立ち上げた関戸美恵子氏。関戸氏も、お会いすると小柄で華奢な方なのに、話しだされるとすごいエネルギー。思わず、ついていきますといいたくなる。そんな彼女も、今年3月に代表を若い人に譲っている。彼女いわく、最近やっと事業が起動にのり、社会起業家も認知されるようになってきた。でも、20年は長かったと。次は、市の委託事業ではなく、民の力でインキュベーション施設を運営するしくみをつくりたいとのこと。

私は、1997年に京都リサーチパークという民間のベンチャー支援機関に入社し、インキュベーション施設の運営に関わらせていただいた。当日は、公的機関でも民間でも、同様のサービスを提供しているところはなく、視察が相次いだが、その後、役所が同じようなことを真似て各地で実施されるようになった。民業圧迫の感もあったが、結局、役所が支援して事業に成功したという事例はほとんど聞かない。結局は、場所の提供どまりになっている。
ただ、私は、個人的には、税金を使って、リスクの高いベンチャーに投資したり、起業コンサルティングを行なうのは反対で、安価な場所の提供で十分だと思っている。
ただし、民でも、不動産収入である程度の収益を確保できるのでなければ、十分なコンサルティングを行なう体制を確保するのは難しく、しかも上場利益が見込めない社会起業家の場合、事業運営はかなり大変だ。
そんな困難な分野に挑戦しようとしている関戸氏。でも、きっと成功させるだろうと思わせるオーラが彼女にはある。名古屋の次はぜひ京都で!
京菓子プロジェクト [2009年10月18日(Sun)]
今日は、オリジナル和菓子開発プロジェクトの「京の街・京の伝統京和菓子」の講座。”ぞくっこくらぶ”の濱野さんが主催してくださっているのだが、小学生と一緒に活動できるので、私にとっては、何より楽しい時間。
濱野さんのご尽力で、夏に講師でお招きした笹屋伊織の職人さんが、先月子どもが考えた新作の和菓子の提案を実際に試作品としてつくってくださった。子どもたちにとってはすごいことだった。
ただ、残念ながら、どうしても難しいものがあって、全員のものとはいかなかったが。私は、自分がその子どもの立場だったらと思うと、本当に心が痛んだ。が、子どもは、私なんかよりはるかに偉い。きっと落込んだと思うが、ちゃんと状況を受け入れ、京菓子を販売する皆の会社「おぶとも亭」の素晴らしいロゴを考えてくれた。

その後、来月23日のトレードフェアで販売するものを検討。ここで、みんなのアイデアから、当日販売するものを一つだけ選ぶ作業。皆、よく考えて意見を言い、譲り合っていた。大人の会議と比べて、なんとも微笑ましい。

私達大人は、素直で優しい気持ちをもった小学生から学ぶことは本当に多い。

子どもが選んだ和菓子トップ3は以下のもの。トレードフェアでどれが販売されるかは極秘情報(笑)。ぜひ確かめにいらしていただきたい。11月23日京大で開催です。


          
菓子名:「彩り紅葉」



菓子名:「秋の兄弟」



菓子名:「秋の森」
“京都発” 市民社会を支える新たな挑戦 [2009年10月17日(Sat)]
本日は午後から、役員を務める公益財団法人京都地域創造基金の記念フォーラム「“京都発” 市民社会を支える新たな挑戦」が開催された。
京都地域創造基金は、市民・非営利セクターに様々な資金循環を生み出す事業実施を目的に、昨年から準備会議を開き、300人を超える市民の寄付により本年3月26日に設立。8月7日に京都府から公益認定を受けた。
認定を記念した本フォーラムのメインセッションでは、京都府知事の山田啓二氏、京都信用金庫専務理事の榊田隆之氏、京都地域創造基金理事長の深尾昌峰の3人に、各自の立場から基金事業の展望について語り合っていただいた。私は、役不足ながらも、コーディネイターを。
パネリストは3人ともも超ご多忙の方々。打合せは開始前の10分程度。こういう流れでということだけで終わってしまったが、さすがに百戦錬磨の方々。私の投げかけにも、すらすらをお答えいただき、山田知事は、2度も自らマイクをとって熱い思いを語られた。そんななか、2時間はあっという間に終了。結局、深尾理事長の話す時間が一番少なくなってしまった(笑)。

セッションのあとに、多くの方から「原田さん、つっこみきついねー」と笑われ、参った参った。そんなつもりはなかったのだが、こういう時に日頃の性格が出てしまうようだ。注意注意!
正直、直前まで、私の失敗で基金に迷惑かけたらどうしようという心配で一杯だった。そんな私の不安をよそに、深尾理事長は、いつもながら、何にも動じず飄々としている。山田知事や榊田氏と互角に話す彼は、若いながら、まったく偉大な人物だ。身内ながら、いつも関心してしまう。私のほうは、まだまだ修行が足りない。

セッション終了後に、皆で机を移動して、パーティの準備。いかにも我々NPOらしい会だ。パーティには門川市長もこられ、参加者と交流。NPO関係者、行政や学識者の方々。いろんな人がおられ、私も、参加者の方々とのお話を楽しませていただいた。その後の身内の会も。

本基金、まだ設立されたところでこれからいろいろ苦戦しながら事業を展開することになると思うが、行政ではできない公益事業の担い手として活躍している起業家を支援するお金の流れをぜひともつくっていきたいと考えている。そのためにも、多くの方に参画いただきたい。
みんなで一緒に汗をかきましょう!
老舗企業研究:14代目の革新 [2009年10月16日(Fri)]
今日の午後は、京都大学のサービスイノベーションの事例調査のお仕事で(株)エイラクヤを訪問。久しぶりに社長の細辻氏にお会いした。
細辻氏には、うちのNPO法人が主催する京都EDOS会の5回目(2005年)に講師で来ていただいて、その後、トレードフェアの審査員でもお世話になっていたが、それ以来だ。
当時は、明治初期から昭和にかけての手拭を復刻し「京三条 町家手拭」として新しい事業展開をされて5年たち、次のブランド「RAAK]と立ち上げられたところくらいだった。その後、次々と店舗数を増やされ、今では、東京の新宿丸井にも入り、近々もう3店舗開店予定とのこと。ただし、あくまで、復刻版の町家手拭のほうは京都のみとのこと。
時代の流れを読み、ONLYONEのブランドづくりに時間と労力をかけ、思い切って投資をし、成功されてきたエネルギッシュさに、私達のおおいにパワーをいただいた。

久しぶりにお会いした細辻社長は、確実に経営者の顔になっておられた。苦労と努力は人を成長させるなーと感心しながらも、同年輩の社長の若々しさに、私もがんばらなきゃと思った2時間であった。
仕事が楽しくなるとき [2009年10月14日(Wed)]
非営利活動法人の仕事は、お金をもらってやる仕事もあるが、ミッションを実現するために大事な活動であれば予算がつかなくてもボランタリーに動く。
当センターの場合、この後半の仕事が大きな比重を占めている。毎年やっていることもあれば、その年に突然舞い込んでくるお話もある。
新しい活動と言っても、もちろん日頃から蒔いている種やお付き合いしているネットワークから生まれるのだが、昨年から関与している世界的なアントレプレナーシップのイニシアティブ運動であるGlobal Entrepreneurship Weekや今年事務局をつとめることになったGlobal Inovation Tournamentもそんな活動の一つである。
予算もつかず、興味を持った人が主体的に関与して実現していくという、まさに関係者のアントレプレナーシップが試される活動だが、Global Entrepreneurship Weekは昨年度は80カ国以上が参加し、本当に大きなムーブメントになりつつある。
この活動が楽しいのは、活動の趣旨に賛同することはもちろん、とにかく参画者が素晴らしい人達だということ。自分の収益にもならないのに、こういう運動に積極的に時間や労力を費やして盛り上げたいというような人は、アントレプレナーシップの醸成の必要性を感じていて、かつ、ある程度特定の分野で実績をあげ、社会に(特に若者達に)還元することを楽しみながらやっているのである。そして、本当に優秀で仕事が早い。
大抵が、企業の社長かそうでなくてもそれなりのポジションの人達で、めちゃくちゃ忙しいはずが、すぐにレスが帰ってきて、問題があれば解決策がすぐに提案される。偉いのに、謙虚で、威張らず、誰とでも気軽に話してくれる。本当のエリートとはこういう人達なんだなーとつくづく思う。
討論も書類も英語と日本が入り混じり、長く英語から遠ざかっている私は、大抵日本語で失礼しているのだけれども(笑)
そして彼らの多くが、国籍に関係なく、スタンフォードやハーバードなどのビジネススクールの卒業生で、30代の若手が多い。こういう人達と間近に接していると、日本のビジネススクールを出ている人のアントレプレナーシップへの関心の低さやボランタリーな活動への積極性の欠如が、情けなくなることが多い。企業組織のマネージャーとしては、そこそこ出世するのだろうけど、なんともおもしろくない人達だと思ってしまうのは、私がそもそも組織人としての才能がないためのヒガミも入っているのだろう。

ただ、これからのグローバルな社会では、所属先の肩書きだけで勝負できるような世界ではない。個人として自立して働けるプロフェッショナルが求められている。そう考えると、本当に日本は大丈夫なのだろうか。このままの教育で、本当に世界で活躍できる人材が育成されるのだろうかと、不安でならないのは、私だけではないだろう。
福祉業界の挑戦者 [2009年10月10日(Sat)]
10月から始まった同志社大学大学院総合政策科学研究科で実施している文部科学省「社会人学び直しニーズ対応教育推進事業:ソーシャル・イノベーション型再チャレンジ支援教育プログラム」。10日(土)は私の担当日だった。
最初にNPOの事業モデルについて導入授業を行なったあと、2名の起業家のお話を聞いて、最後にケース分析を実施。講師で来ていただいた起業家の1名はNPO法人!-style(エクスクラメーションスタイル)統括マネージャーの吉野智和氏で、もう1名はアクシ株式会社代表取締役社長の元地裕子氏である。お二人とも、福祉業界で先進的な事業に挑戦中の創業者。

吉野氏は、社会福祉法人で10年勤務したあと、そこではできなかったことを今の事業で実現中。障害者が働く作業所(就労移行支援施設)をNPO法人として運営し、そこで創られた商品が市場に流通するシステムを株式会社を使って構築。今では、!ファクトリーの商品を全国の雑貨店や、飲食店、大手通販会社「FELISSIMO〜フェリシモ〜」で販売している。
今まで作業所といえば、企業からの下請けの「内職的な仕事」や、自分たちで商品を作ってバザー等で販売するのが主で、収入は不安定だった。そのうえ、創る商品も、お客様のニーズを考えたり、より付加価値の高いものを生産しようというコンセプトで生産されているものがほとんどなかった。「売れたらいい」という消極的な考えで、少しでも高く販売して、障害者の自立を促進しようという考えは作業所の運営者には少なかった。こういう作業所で、障害者の入所者の人がいくらお給料をもらっているか、一般の人はほとんど知らないだろう。
障害者の多くは、こういう作業所に通い、就労移行支援の指導サービスを受けるということで、給与の1割をサービス利用料として払い、販売した商品の利益を給与として得る。しかし、入所者が得る賃金は1月5000円から1万円というところが多く、なかにはフランス料理店を運営されているような場合は月10万ほどになる人もいるそうだが、大抵は、月7万円ほどの障害者年金で暮らしている。住む家のない人は、生活保護を受けることになるので、そうなると月13万円で家賃もいれて暮らすことになる。作業所で高いお給料をもらえるようになったら、年金や生活保護の額が少なくなる。
吉野氏のところでは、知的障害と精神障害を持った人が20名ほどおられ、そこに健常者の人が入って技術指導などして支援されている。ここでは、賃金が今1月1万5千円ほどのとのこと。ただ、吉野氏は、作業所で高い賃金を得ることを目的とするのではなく、高い賃金を得られる人は一般企業に就職して普通に給与を得られるように卒業させてあげることが大事。作業所では、あくまで、障害の程度の差に関わらず、みなが楽しくいれる居場所を提供することが重要だと考えているとのこと。だから、吉野氏のファクトリーでは、一生懸命働く人も座っているだけの人も、同じ賃金だということである。
ただ、障害者にとって一般企業での就労は易しいものではない。吉野氏のようなチャレンジャーがもっと多く福祉業界に参入し、障害者が安心して暮らし、就労できる機会を提供できる社会がくればと思う。

一方もう1人の講師の元地氏は、私も講師を勤めている神戸商工会議所の創業塾の2年前の卒業生。在日外国人の働く場がないという問題に注目し、派遣会社で勤めていた経験を活かしてフィリピン人を中心に在日外国人の介護現場への派遣を開始。事業を始めて1年半。既に20名ほどの派遣実績がある。
最初は、外国人であることや言葉が不自由なことなどから雇用を敬遠していた事業主も、日本人より真面目に働く外国人の女性スタッフ達をみて、少しづつ受け入れ初めてきたとのこと。これも、元地氏が、面接や研修に時間をかけ、派遣スタッフをかなり選別して送っていることや、現場に同行して、介護日誌の記述を外国人が働きやすいように施設に依頼して変更するなど、地道な努力が実った結果である。ただし、今だに、同じ仕事をしていても外国人のほうが賃金が安い現状を、なんとかしたいと、元地氏は言う。

吉野氏も元地氏も、福祉業界に新しい風を起す起業家である。
みんなやがては年をとり、そして、いつ障害になるかもわからない。他人ごとではないということを心において、よりよい福祉の実現を、皆で応援したいものである。
日本人のボランタリー度 [2009年10月06日(Tue)]
今日は打合せが4つ。
朝一番は8時からブレックファーストミーティング。11月に実施するGlobal Entrepreneurship Weekについて、実行委員で政策研究大学院大学の教授をされている黒川清先生と斉藤ウィリアム先生と打合せ。

黒川先生は、安部・福田内閣で特別顧問もされていた方で、昨年度当センターのトレードフェアに参加くださり、大いに応援いただいた。斉藤先生は、大学在籍中起業して指紋や顔などの認証技術を開発した有名人。2004年に会社を売却して、若くしてリタイアし、今は起業家の支援などを行なっているが、まだ38歳。まさに、アメリカンドリームを実現した起業家。黒川先生も斉藤先生も、次代を担う若者の育成に熱い思いをもっておられる。

黒川先生は、私のような人間にも、飾らずお話ししてくださるので、一緒にいると大いに刺激を受ける。今日も「人はお金を持ったときに本当の人格がわかる」と、教授になったとたん威張るオヤジ連のお話をされていた。肩書きがついて偉そうにしているのではなく、肩書きを持つまでへつらってきただけなんだ。
イベントの打合せでも、「その人知らなくて」と言うと「知らないなら、どうやったら知れるか考えたらすむこと。そんなつまらない言い訳いらん。」とパシリ。

一方、斉藤さんは、アメリカ育ちの天才だが、すごく物腰の柔らかいジェントルマン。一緒にいると、心がすごく落ち着く方だ。アメリカと日本を行き来される生活で、とても忙しいだろうに、ボランタリーな国際イベントの企画や広報、協賛金集めなどを一手に引き受けてがんばってくださっている。
そんな彼と話しいて、日本人のボランタリーな活動への起動力の低さをつくづく感じて、申し訳なく思った。何も決まっていないなか、自分が自ら動いて形にしていくのがすごく苦手なのだ。まず、わからないことには関わらないというのが先にくる。
これは、何もこういう活動に限ったことではなく、多くの場面で起こる。特に男性達に多いのだ(笑)。出世や給与が関わることならがんばっても、同窓会の企画や町内会の行事、ボランティア活動などとなると、結構会社組織で勤めているような人は逃げようとし、「あ、それならここは自分がやりますわ」「じゃ、僕はこっちやるよ」とは、なかなか言わない。そういうの言うのって、大抵自営業してる人だったり、女性だったりなのだ。
また、前回紹介したインドネシアの子どもを支援しているPrabowo氏も、支援くれてるほとんどが外国人。60人ほどいるなかで、日本人はたった二人とのこと。日本にいる外国人と日本のサラリーマンの収入の格差もあるかもしれないが、外国人の場合「それいいことだね。自分も支援するよ」と、事業に賛同するとすぐに進むが、外国人でも奥さんが日本人だと、相談した結果断ってくる人が多く、日本人となると、大変難しいとのこと。日本人は、慈善活動には興味がないのかな?といわれ、そんなことないと、地震の際とボランティア活動や、歳末の助け合い募金などの例もあげてみたが、確かに、気軽に他人を支援するというボランタリーな姿勢が普通に身についているという人は少ない。

ふっと思い出したのは、別のアイルランド人の友人が、目の見えない人が杖ついて信号を待っていても、日本人は声をかけない。すごい国だと皮肉って笑っていたのを思い出した。自分の国なら、必ず声をかけて一緒に渡りましょうとなるのにと言うのだ。私は、おせっかいなので、結構そういうことに関わるほうではあるが、言われてみれば、日本人は、お年寄りが電車で立っていても席を譲らない若者も多い。

税金納めてるんだから、困っている人を助けるのやお上の役目と思ってしまっているのだろうか。それとも、人間関係が薄くなってきたからなのか。
考えさせられることである。
国を思うリーダー達 [2009年10月04日(Sun)]
当NPO法人の役員の1人にインドネシア出身のDede Prabowoというのがいる。
彼は、インドネシアの東大にあたるバンドン工科大学を卒業した秀才。エンジニアとして働いた後、富士通の奨学金生としてMBAを取得。今はファンドの投資顧問の会社に勤めながら、インドネシアの貧しい子どもたちの里親の世話をしている。
私は、彼がMBAを取得中、同じキャンパスで、短期のビジネスコースに奨学金をもらって留学しており、仲良くなった。
彼は、出会ったときから既に日本語がぺらぺらで「自分がこうしてあるのは母が教育に熱心で大学まで行かせてもらえたから。同じチャンスを多くの子どもに与えられるように将来なりたい。そして、そのためにお金をためたい。」と高い志をもった立派な若者であった。

あれから10年以上たち、彼は確かに高級取りになったが、マンションを買ったくらいで、贅沢な暮らしをせず、しっかりと夢を実現しつつある。7年前から、経済的に恵まれないインドネシアの学生への 教育援助活動(Alam Aksaraアラム・アクサラ)を開始し、有志とともに今まで65人に奨学金を授与。 彼自身も8人の子どもの里親になり、1人は医学部を卒業して医者になったとのこと。貧困のスパイラルを断ち切ったことになる。

そんな彼と、当センターが主催している高校生の国際イベントについて土曜日は朝に打合せをしていたのだ。このイベントが、次年度インドネシアで開催されることになり、彼の友人が現地主催者の下で働いていることもあり、来年度にむけてどのように連携して、日本の高校生にもより良い学びのチャンスを与えるかを相談していた。ガルーダ航空にチケットをなんとか提供してもらえないかというような話も含めて。

そんなときに、たまたま彼が電話したバンクネガラインドネシアの東京支店勤務の友人が上司の支店長と一緒に京都に来ているということで、急遽、午後に合流。2人との話がまた興味深かった。この銀行では、大使館とインドネシア銀行と連携して、毎年日本に来ているインドネシア人の企業研修生対象に、「銀行サービスの説明とアントレプレナーシップ」のワークショップを開いているというのだ。日曜日は京大の宇治キャンパスで開催。150人の研修生が集まる予定で、京大に留学しているインドネシア人の大学生や大学院生が事務局運営をサポート。
銀行サービスの説明はわかるがなぜ「アントレプレナーシップ?」と思ったのだが、説明を聞いてなるほどと思った。
日本に来ているインドネシア人の研修生の半分近くが帰国した後起業し、その半分ほどしか事業運営に成功していない。彼らが、帰国後、起業する際の障壁や問題を少なくするために、今のうちにその準備ができるようにサポートし、かつ大使館もそういう人材育成に投資しているというのだ。そして、オールインドネシアで協力して、日本に来ている研修生に情報を流し、北海道、東北、関東、中部、関西、、、と日本全国6〜7箇所で研修を開催している。

Prabowoの思いもこの銀行支店長の活動も、根底ではつながっている。自分達の国をよりよくしたい、若い人達により良いチャンスを与えたいというものである。
両者ともに、インドネシアのトップエリート層であるが、彼らが自国のために貢献したいという熱い思いを聞いていて、果たして私達日本のエリート層も海外で同じような熱い思いで日本という国を思っているのだろうかと考えさせられた。
少なくとも、そういう若者を育てたいものである。
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