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乙訓の里訪問 [2011年09月12日(Mon)]
本日は障害者地域活動センターの乙訓の里を訪問。介護福祉士の玉谷さんがJRの長岡駅まで迎えに来てくださいました。

身体障害者を主対象とした生活介護事業所を訪問するのは初めて。施設の利用者の方々は障害の程度の差はありましたが、みなさん車いすに乗っておられ、私が到着した日は朝から生産活動に取り組まれる日で、紙すきや縫製、売上管理などの作業をされていました。

車椅子にもたれながら、マヒしながらも動く右手で筆を持って絵を描いている方、工夫されたペン型の器具を使ってパソコンに数字を入力されている方、中には疲れて眠っておられる方も。

支援員の方は、利用者の方ができるだけ自発的にやりたい作業を選び、できる範囲のことを手伝えるようにと工夫され、その中にはミシンを動かすための電源をいれる役割の方も。そのために、もたれた車椅子の頭のところで頭を使って押すボタン装置がありました。
ただ、電源をいれる捜査はそう度々あるわけでなく、その利用者の方もすることがないとモチベーションが下がってしまう。ということで、利用者の方がやりがいを感じれる作業の工夫や準備が課題とのことでした。

福祉のことについては素人の私にとって、通常のプロセスで多少工夫した道具を使って、モノづくりの本当にわずかな部分を担い、多くの部分を支援員の方が仕上げる生産活動への異議が最後まで理解できませんでした。

道具と環境を整備することで、もっともっと生産的な活動をできるのではないか?
障害があるからと言って「利用者の思いや主体的に活動すること」を最優先してモノづくりは二の次になるというのがわからないのです。
私達納税している者たちは、自分がやりたくないことも仕事のためにやらなければいけないことが度々あります。たくさんのことができない子供であっても、社会のルールを守り、やりたくなくてもやらなければならないことがたくさんやらなければならない。
そんななか、障害を持っているというだけで、「やりたくないことも、がんばってやれるようにしましょう」という支援がないのが、差別のような気がしてなりません。。

これは今の私にとって大きな宿題となりました。もっともっと勉強して考えていかなければ答えがでそうにありません。
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