バカにされてもいい。 [2014年05月26日(Mon)]
集団的自衛権について、憲法解釈の変更でこれを可能に。さらに、それを私的諮問機関と閣議決定をもって首相が推し進めようとしている件について。
年末の「特定秘密保護法」騒動に関しても、ここで何かしら記事を書こうとしたが思いとどまった。遠東記であまり政治のことを書くのは適切ではない、と思ったから。 しかし、あれから半年。何かしらブームが去れば忘れっぽいこの国なので、ここでやっぱり言及しておきたい。自身の記録として。 1つ。具体的な話。 アメリカに守られてばかりでは対等ではない、という意見について、基地問題を常に念頭においてほしい。望まれることではないが、沖縄をはじめ、すでに日本はかなりの犠牲を伴って結果的に(米主導の)東アジアの安全保障に貢献している。 それを忘れちゃいけない。 ロシアが西に手をのばし、中国が東に手をのばし始めた。 アメリカはフィリピンに再軍備。 残念ながら、この歴史の変わり目を、感情のものさしではなく、世界史のものさしで捉えている大学生は少ない。「幕末」を知っていても「冷戦」を知らない。最高学府にいる若者として、もっと興味をもってほしい。平和も過ぎる。 1つ。理念の話。 軍事的な圧力を外交のカードにするのはもう時代遅れだと、胸を張って言える国であってほしい。「集団的自衛権が抑止力になる」なんて、もっともらしい暴論だ。 歴史を進めてきたのは、「軍事力」ではなく「理念」だ。 安保法制懇のあるメンバーが言う。「日本を普通の国にしましょうよ」 日本人は「普通」という言葉に弱い。 一方で、戦争することを「普通」だと公然と言える国になってしまった。 そんな「普通」を否定するような、安全保障先進国であってほしかった。 バカにされてもいい、 ジャップは卑怯だと罵られてもいい、 結果、国家のプライドが傷ついてもいい。 ただただ、日本人が外地で外国人を殺すような国にだけはなっちゃいけない。 「いい?戦争だけは絶対やっちゃいけないんだよ。 ほんとうに、食べるものも着るものも、なぁんにも無くなっちゃうからね。」 唐桑の90のばあちゃんたちは、今も涙を眼に浮かべてそう語る。 |