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いい景観でメシが食えるのか [2013年11月29日(Fri)]

唐桑御殿つなかん。

かつて、地元の高校生らとわいわい命名した「つなかん」の4文字は、ついに宿泊営業の資格をとった。
不思議な感覚。じーんと嬉しい。
つなかんについては、2011年に記事を書いている。

参照記事:「ツナカン物語」
https://blog.canpan.info/entoki/archive/70
https://blog.canpan.info/entoki/archive/71

さて、そのつなかんに先日お客さんを招いたときの話。
たまたまつなかんに泊まっていた仙台のオリさんと市内から来てくれた塚本さんと、夜呑みながら議論になる。以下、その一部をまとめたもの。

2人のおっちゃんが声をそろえる。
「都会の方が住みやすいでしょう。買い物はすぐできるし、大きな病院もあって医療面も心配ない。」
地域で生きるとは。地域づくりとは。
もちろんこの2人の大人は「ふっかけ役」。日本の50〜60代代表役だ。(塚本さんは50いってないけど。)

「みんな都会に行っちゃったら、日本の一次産業はどうするんですか!米食えなくなりますよ?」私はすでにエンジン全開。

「買えばいいじゃん。中国からどっかから、安価でいいものがたくさん手に入る時代だ。みんな都会で暮らせば安心だ。」
流行りのコンパクトシティですか。
「そうそう、コンパクトシティってヤツよ」オリさんが笑う。

一方、噛み付く私。「田舎には田舎の持っている自給自足の力がある。そうやってみんな都会に出て、ホームレスが続出。今の都市問題はどうするんですか!」

「ホームレスは、地方で生きていけないから都会に出た人たちだ。実際、細々とでも食えているじゃないか。仕事がある。生きていけるんだよ。」

「あーもう!いいですか、都市なんてロンドンの時代からその問題性が指摘されているんです。このままじゃ日本の都市部は…隣の家の人の顔も知らないし…治安とか…」

「そうか?日本はいい国だと思うよ?」オリさんが問う。

頭がぐるぐるまわる。思考と酒がぐるぐる。「…確かに日本はいい国です。学生時代、途上国をまわって痛感しました」あれれ、日本の都市部ってそういえば何が問題なんだったっけ…

オリさんは一流企業で現役で活躍する今年還暦。この人たちジャパニーズ・サラリーマンが成した戦後復興に凄まじい恩恵を受けている私。でも負けられない。
「地域には豊かさがあります。この豊かさの価値はこれから見直しが図られ、地域の活性化なしにはこの国は立ち行かなくなります。都市部依存型の時代は終わります。これからは、より『人間らしい生き方』が…」

「いい景観でメシで食えるのか?たくまくんの言う豊かさはお腹を満たしてくれるのかい?」

…!

戦後を知らないポンポンの私。
私のまちづくり・地域づくりは感情論に立脚していることに気付く。
「なんとなく」田舎暮らしが「人間らしい」と決めつけている。

ユタカさの認識が変わるとは。
吉本さんや結城さん、梅原さんが言っていたことを本当の意味で自分のものにできていない自分がいた。
「都会にはカネがある。でもカネ以外のものなら全部ローカルの方がもってる」結城さんの言葉がよぎる。
結城さん、でもカネで何でもできる世の中で、どれだけローカル(地方)が通用するんでしょうか。
ぱたんと倒れた。
まだまだだ。これじゃ田舎に人が残らない訳だ。
「たくまくん、ごめんねぇ。本当はそんなこと思ってなくても反論がどんどん出てくるもんだ。でもおもしろかった〜」とオリさん、塚本さんは笑っている。
勉強になりました。本当にありがとうございました。


仕事だ。職がないとメシは食えない。

目をそらしていた事実。
やはり「仕事をつくる」ことからは逃げられない。
さて、参った。
NHK Eテレ「東北発☆未来塾」出演中です [2013年11月21日(Thu)]

毎週木曜日23:00〜23:20
NHK Eテレ「東北発☆未来塾」
〜デザインのチカラ〜
(再放送 毎週土曜日 昼11:20〜11:40)

11月はからくわ丸のメンバーと毎週これに出ています〜
講師先生は、デザイナー梅原真さん。

どうぞ!本日もあります。

番組サイト
http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/


3回忌 [2013年11月20日(Wed)]

11月13日がやってくる。

普段はうんともすんとも言わない「ずじん」のLINEグループで、みんなが他愛もない会話をぽろぽろ。
3年経ったねーとか。早いねーとか、年とったねーとか。


夜中にひとり、リャオ爺の写真に向かって手を合わせる。

2010年11月13日―
半蔵門のビジネスホテルの一室。
真夜中に中国から電話がかかってきて、しばらくして震える溜め息を大きく吐いた。
何が夢だ。なんにも間に合っちゃいない。
俺は逃げてただけだ。

2013年11月13日―
まだまだ闘ってるよ。
まだまだ行けるよ。
もう逃げないから。

ryao pic.JPG
岩手めぐり週間 後編 [2013年11月16日(Sat)]

つづき
3日(日)と4日(月)は釜石。
釜石市橋野町にて東北環境教育ミーティングにオブザーバー参加。

三陸沿岸をここまで北上したのは初で、いい機会だった。
宮城と岩手というだけで、なかなか目も足も北に向かなかった今まで。
鵜住居も釜石も、唐丹、吉浜、三陸も、大船渡も高田もそして唐桑も、「リアス式海岸」の同じ構成員であることを知った。地図上では分かっていたけど、初めて実感した。

気になったことが2点。
まず防潮堤。あちこちの港で、津波でブッ壊された防潮堤が虚しく工事を待っていた。
気仙沼はこうあっちゃいけない。改めてそう思った。

2点目、三陸道※でスイスイ北上できるのは本当に有り難い。
(※三陸自動車道。仙台から宮古まで三陸沿岸に建設中の高速道路。岩手県は一部除き開通済)
しかしその一方、全くといっていいほど下界の様子が分からなくなる。リアスの地形や町並みが気になるのに、まちも何も見えない。ただ塀のみ。今度は下道で回ろう。
三陸道は三陸の旅をつまらなくするんだなぁと実感。便利さと風情はことごとく対立する。
まぁでも時間もったいないしね。便利さには適わないか。

気仙沼も三陸道が開通すると単なる通過点の一つに仲間入りする。単なる点にならないよう気仙沼・唐桑を主張していかなきゃねぇ。

さて釜石。
久々に工業港というものを見たので新鮮だった。釜石の夜空には真っ白な煙がぶわぶわと広がり登っていく。石巻なども工業港だろうが、ここは山がすぐ後ろに迫っている故、また印象ががらっと異なる。窮屈さを感じるが、親しみやすい。

沿岸から30分ほど内陸に入っていく。川沿いに走る一本の山道(県道35号)をひたすら登っていくと小さいまちがある。橋野町だ。
その昔、沿岸と内陸で物々交換が盛んだったころこの道は「塩の道」と呼ばれていた。大槌と遠野を結ぶこの交易ルートは、馬に塩や米を載せて人が行き来していたそうだ。

とにかく紅葉が見事だった。

鉄鉱石がよく採れる橋野町。橋野高炉跡という史跡があり、江戸時代から純度の高い鉄を生産していた。「鉄のふるさと」という言葉の所以はこの橋野にある。釜石の製鉄の出発点を築いたのはこのまちだったと聞く。

吉本さんには今回もまた多くを学んだ。それはまた後で書く。

---

5日(火)は盛岡、岩手町。
リアス唐桑食と地域の絆づくり協議会の視察研修に参加。

貸切バスで、夕市や大唐桑愛好会のおっちゃん・おばちゃんたちと盛岡を目指す。
陸前高田から内陸にぐんぐん進む。
眠りについて、ふと覚めると山の中。次に覚めたときは、遠野。
遠野は初めてだった。いや、一度通ったことがあるな。一度ゆっくり見てまわりたいまちだ。
降りたい想いをこらえながら、バスに揺られ北上を続ける。
また眠った。次に覚めるとまた山の中を走っている。
もう連日見ているので紅葉の美しさも、心に染みてこない。

次に覚めたときに、はっとした。
大きな川。
大きな看板に「一級河川 北上川 太平洋まで188km」と書いてある。
はーなんとなんと。

そして進行方向に目線を向けると、遥か彼方で高層マンションが束になっている。

ば!
おっかねぇ。都会だ。

どうやら田舎に居すぎたらしい。
いや、こんな山の奥の奥に街があることに驚いたのかもしれない。
東北道で一関から北上して入ったことしかなかったので、感覚として新鮮だった。
下道で入るとまた受ける印象が違うのか。下道はおもしろい。
盛岡に入った。

盛岡イオンで産直を見学し、次は岩手町にある道の駅を目指す。
国道4号線だろう。また北へ北へ。
かちどきさんが通路はさんでお隣の席だった。
「高校のとき、自転車で旅してな。そのときこの道通ったなぁ」
唐桑からですか。随分遠くまで。
「そのときはまだ盛岡から北が砂利道でな。はっはっ。ひどくてなぁ。
道の脇で野宿したりしたなぁ」
高校ってことは今から50年ほど前ですよね。
当時は盛岡以北の国道が舗装されてなかった…!えー!
信じられない。だって4号線だよ?

本当に日本の風景はここ半世紀で一気に変わったんだ…

とか何とか悶々としていると
なんとも男らしい無骨な山が見えてきた。岩手山だ。
標高2000m。小岩井乳業のロゴに描かれているあの山。
「あれ、冠雪してんでねぇべか。ほらぁ、あの白っこいの」とおばちゃんもわいわい。

「こっちを見てごらん」窓にへばりつく私にかちどきさんが声をかける。
「あれが姫神山。岩手山もいいけど、姫神はなんとも綺麗な形をしている。」
バスの右側の窓からは、なんとも華奢で綺麗な三角をした山が見える。標高1000mちょっと。
名前のイメージがそう思わせるのか。岩手山が男なら、姫神山は女性。

「啄木の言う『ふるさとの山』っていうのはね、岩手山だって思われているけど、本当は姫神山だと言われてる。啄木のふるさとは姫神の麓だからねぇ」
かちどきさんのうんちくの量はすごい。
なるほど、そもそも石川啄木さんは岩手出身だったのか!知らなかった。

西に岩手山、東に姫神山。
Googleマップを見ると、盛岡から八幡平まで国道と北上川が、両山に挟まれている様子がよく分かる。
大きな山を見るのは好きだ。心が高揚する。
いい所じゃないか。


道の駅で研修&お買いものをして、帰ってきた。

岩手をもっと知りたくなった。
冬突入 [2013年11月12日(Tue)]

さぁ気仙沼に冬がやってきた。

先週ついに、ホーム(拠点のプレハブ)にだるまストーブが設置、点火された。
相変わらず付きの悪い芯がもわっと煙を上げると、冬のにおいがする。

11月11日、ポッキー&プリッツの日。
帰宅時、午後6時、気温計1度。

きたきたきた。もうすぐ氷点下。
寒さで肩がぐぐっと縮こまってそのまま。肩がこるこる。

かじさんがだるまストーブにやかんをのせる。
じゅーっとやかんの底の水が蒸発し、しばらくするとコトコトコトと冬の音がする。
ホームの冬。感覚が染み付いてきた。

ながーい冬。4月までは冬。年の半分が冬。
5月にまた会いましょう。

11月12日、雪がちらついた。
商会のかっつはタイヤ交換に追われる日々。これでまた膝や腰やらねばいいけど。
岩手めぐり週間 前編 [2013年11月09日(Sat)]

11月頭の三連休含む6日間ほどは「岩手めぐり」週間となった。
以下、そこで何となしに考えたコトたち。

10月31日(木)はお隣、陸前高田。
吉本哲郎氏と陸前高田の八木澤商店さんを訪問。河野会長の話を伺った。

高田の沿岸部では急ピッチで土地の整備が行われており、10何台ものショベルカーが一ヶ所に群がっているという異様な光景を見た。みんな一ヶ所にぎゅっと集まって、せっせと頭を上げ下げ、キュラキュラと土の山を行ったり来たり、よいしょよいしょ土を運び回っている。
「なんだか虫みたい…」
横のまゆみがこぼす。確かにアリんこみたいに見えてくる。働きアリ。
すると思考がぐわっと広がる。見渡すと、やれそこでもやれあそこでもアリたちがせっせと土を運び運びしているではないか。このまち全体がアリの巣に見えてきた。

まちとはヒトの巣だった。
ヒトが集まって住めるように、長年かけて、何もなかったところに道路を引き、個々の家を建て、子を産み…まるでアリの巣だ。

子どものころ、アリの巣を水攻めしたことを思い出す。(あ、大人になっても中国の村でしてたっけ。アリに噛まれて足が痛くて痛くて…)慌てるアリたちを上からにやにやして眺める。

まさか、誰か空の上から見てるんじゃないだろうな。怖い。

そんなことをぼーっと考えながら、土埃舞う高田の沿岸を走る。

---

1日(金)、2日(土)は完全お休み&デート。
水沢IC付近の温泉に入りに行って、一関にある厳美渓とガラスパークを堪能してきた。

バブルの名残、今はすっかりハゲてしまっているテーマパークの類は、今になってなんとも言えない風情を醸し出す。がらんとした空間。池には水もなく、噴水の水路がむき出しになって青く苔が覆っている。誰もいないのだが昔の観光客の笑い声が聞こえる。
「諸行無常」というか、もはや「わびさび」というか。
いや「バブル時代博物館」かも。
日本中、二流三流観光地なんてみんなこんな感じになっちゃったけど、これはこれで見方を変えると非常にシュールでおもしろい。だいぶ楽しんだ。

そして、3日(日)と4日(月)は釜石へ。

つづく
インタビュー記事 [2013年11月01日(Fri)]

地星社さんによるインタビュー記事がアップされました。
ありがとうございます。どうぞご覧ください。

気仙沼市唐桑町でのまちづくり活動/からくわ丸 前代表の加藤拓馬さん、現代表の立花淳一さんらへのインタビュー|フィールドノート
http://chiseisha.org/fieldnotes/130801_karakuwamaru/

(新しい事業・活動の立ち上げに関して)
「やるまでの経緯が一番重要なんです。そういう仁義的な部分が、唐桑はすごく強い。(中略)

 自分らの活動というのは地味かもしれないですけど、本当に地元民の方々、本当に底辺の基盤のところからやっていくという形をとってるんです。
だから、復興支援という形じゃない。
まちづくりというものの、一番基盤の、底辺の部分からやっていきましょうというスタンスなので。

 地元の方々にどんどん広めていって、みんなに認められたときに、初めて大きなことができるかなと。
なので、それができない限り何をやっても、いい団体であろうとなかろうと、受け入れてもらえない。
たぶんこういう傾向は唐桑では強いですけれども、他のところでやっても同じだと思うんですよね。
それは今、何かやろうとしている人たちはみんな同じだと。」
からくわ丸総大将(代表)立花淳一(記事より抜粋)


身内ながら、的を得たいい言葉だと思う。
からくわ丸の現代表は28年間地元唐桑住民。
1年前までこういう地域づくりの世界とは無縁の兄ちゃんだった。ばばば。

からくわ丸のメンバーは現在ほとんど地元住民。
本当に底辺の基盤のところから一緒にやっていこう。