続・松圃虎舞 [2013年04月21日(Sun)]
約2年前に書いた記事の続き、という位置づけで「続・松圃虎舞」。
(参照記事:「松圃虎舞」https://blog.canpan.info/entoki/archive/61) あれから2年間、松圃地区の伝統芸能である松圃虎舞で、太鼓を叩き続けてきた。 大太鼓を叩くようになり、それもいつの間にか最前列のセンターに立たせててもらうようになった。 どこかで「よそものなのに本当にいいのか」と申し訳ない気持ちがありながら。 虎舞保存会のみんなで一関まで遠征に行ったり、唐桑中学校の還暦祝いで叩かせてもらったり、まるさんで呑んだり、この伝統芸能がいろんな人をつないでくれる。 そこで出逢った、ゆーきゃんやこうがは今やからくわ丸のメンバーとして一緒に活動中。 くによしやいつこ、しょうこも昨年度は一緒に参加してくれた。 ゆきひろサン、はるしサン、まさとサン、いわぶちサンを始めとする地区の太鼓の先生たちの教えが好き。何がおもしろいかというと、先生それぞれ叩くスタイルが異なるのだ。 ゆきひろサンは、虎のお囃子調に舞うようにリズムを体でとりながら軽快に叩く。 それでも、叩き方が鋭いので、一見軽いバチさばきで私の何倍もいい音を出す。 まさとサンは腰をひいてしっかり固定させて叩く。手の動きが映える。 はるしサン、いわぶちサンは、力強く叩く。「タメ」が重要だと教えてくれるいわぶち先生。 さらにおもしろいのは、この先生方のそれぞれ息子さん、娘さんが(みな地元の中高生)、それぞれ親と同じスタイルなのだ。叩き方がそっくりで、親の背中を見るとはこういうことか!と感嘆する。 松圃の太鼓は、基本の叩き方を統一した上で、それぞれのアレンジを加えていく。 テンポがゆっくりな松圃は、手の動きや身体の動きでも観客を魅了する必要がある。太鼓を叩くというよりは、太鼓とバチを駆使して舞うイメージ。 昔のスタイルはもっとバリエーション豊かだったらしい。叩いている最中にくるっと回る人もいたとか。 「昔は数台しかない大太鼓の取り合いだった」 上手い子どもだけが小太鼓から大太鼓に昇進できる。故にみんな必死に学び、叩き方を鍛えた。「俺のバチさばきを見てくれ」と言わんばかりに。 前回の記事の最後にはるしサンの言葉を引用した。 「自信をもって叩け!俺の音を聞けと言わんばかりに叩け。 ひと打ちひと打ちに魂を込めるんだ」 この言葉が大好き。 その上で「楽しむ」ことが大切だと先生たちは揃って言う。 この2年間で痛感したことがある。 叩き方そのものを覚えるのに苦労した時代は、本番でもとてもとても楽しめるような状況ではなかった。間違えないように打つ、それのみに集中して恐る恐る叩く。ひとりだけ違うところでドンっと叩いたら恥ずかしいではないか。格好うんぬんは二の次。 でも先生たちは「例え間違えても、間違えちゃった…という顔をするな。間違えても堂々としていろ。そしたら誰も間違えただなんて思わないから」と笑いながらアドバイスをくれる。 叩き方が身体に染み付いてきたのは1年経ってからだった。例え練習期間が数ヶ月空こうと、もう身体は忘れない。笛の音を聞けば叩けるようになっていた。 するとどうだろう、次は叩くのが楽しくなってくる。そして細かい足の動き、手の動きで「どう格好よく魅せるか」を自然と研究し始める。上に書いた先生それぞれのスタイルの違いに気づき始める。 いろんな先生のいいところを真似して、ミックスして、「自分の格好いいさばき方」を求めるようになる。 「自信をもって叩け!俺の音を聞けと言わんばかりに叩け。 ひと打ちひと打ちに魂を込めるんだ」 活動も一緒だ、と気づく。 最初は自信がない。学生上がりで社会を知らない自分に自信がない。恐る恐る復興のお手伝いをする。 次の一手が不安。故に楽しくない。 でも、活動の軸が見えてくると自信が生まれる。すると楽しくなってくる。 ひとつひとつの企画に魂を込めよう。 次は魅せ方を研究しよう。 ここはピタっと手を止める。タメる。そして、勢いを付ける。メリとハリ。 腰を落とそう。伸びるところは伸びて、しゃがむところはしゃがもう。 「地域の魅力を再発見する」 「わかものによるまちづくりを推し進める」 これがからくわ丸として、そして自分個人としての復興まちづくり活動の軸。 4月、春の公演に向けてまた練習が始まった。 子どもたちが集まる。 目を疑う。この数ヶ月練習が無い間に、見ないうちにみんな少し大きくなっている。 3年目が始まった。 太鼓も活動もまだまだ楽しめるのはこれからだ。 |