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雪の話と山の話 [2013年02月07日(Thu)]

どうでもいい話。

唐桑は太平洋沿岸ってことで、雪の日は決して多い訳ではない。
それでも、たまに雪が降るたびに気づくことがある。毎回、雪の種類が違うのだ。
「あぁ、この雪は湿っぽいねぇ」とか「この雪は積もるよぉ」とか地元の人は言う。
豪雪地域では、種類によって雪の名前がいろいろある、ということを思い出す。
また、雪の降らない赤道付近の国々では、「雪」を示す言葉がそもそもないらしい。
おもしろい。

言葉の話。
そう考えると世の中は言葉ありきじゃない。言葉は後付けのツールに過ぎないってことを知る。
言葉はあくまで物事を分類して他人と共有するための道具だ。ということは、地域によって風土が異なり、風土によって物事の分類の仕方も異なるので、言葉も自然に変わってくる。勝手に納得。

先日、信州(長野)の中野を訪れた。
まちづくり先進事例の視察のための訪問だった。
東西を荘厳な山脈に囲まれ、「北信五岳」と呼ばれる2000メートル級の5つの山がどしっと構えている。頭5つ抜きんでているので、何やらこっちを向いて5人で会話しているようだ。
「ほー、これが山脈か」と播磨平野で育った私は感嘆しっぱなし。ともすれば怖ろしい。山岳信仰という言葉を思い出す。
唐桑が恵みの海、恐怖の海に対して畏敬の念を抱くと同様、ここでは山々が畏敬の対象になったのだろう。「信仰」は「恐怖」、「恐怖」は「無知」に因る。確かにこんなデカイ山は計り知れない存在だ。

私たちが訪問した出川さんと車内で話した他愛のない話。
信州の人が他の地域に赴くと、「山がないんですねぇ」と言う。その地域の人は驚いて「見ての通り、山ならたくさんあるじゃないですか」と返す。
「信州の人にとっては2000メートル級のものが“山”であって、数百メートルのものは“丘”って呼ぶんだ」と笑いながら教えてくれる。
なるほど、唐桑の早馬山などは、彼らにとっては「丘」でしかなのか、とおかしくなった。
ちなみに唐桑で「おか」という言葉は、海に対しての陸地のことを指す。(“陸”は“おか”とも読む。)
漁師たちは、引退後加工会社など陸地で働くことを「おかで稼ぐ」という。
唐桑の人にとっての「やま」の概念は、信州の人にとって「おか」という概念。
唐桑の人にとっての「おか」の概念は、信州の人には無い概念。なぜなら信州という海無し国に、海に対しての陸地を指す道具(言葉)はそもそも不要。

地方を巡る醍醐味のひとつは、言葉だ。
明治以降社会の均一化を目指し造られた「標準語・共通語」、それが100年かけて定着した今の社会。
言葉は絶対的なものではなく、そもそも相対的な風土そのものだ。