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「からくわ丸代表挨拶」 [2012年05月10日(Thu)]

「からくわ丸-Karakuwa Designers League 代表挨拶」


2012.5.10 加藤拓馬


こんにちは、からくわ丸の仮の代表、加藤拓馬です。
少しだけ、私事を書かせてください。
私は兵庫県出身で、はじめは神戸に住んでいました。 それが阪神・淡路大震災で被災して、姫路に引っ越すことになりました。 小中高生時代を姫路で過ごし、大学進学のため東京に出ます。 大学卒業と同時に東日本大震災が発生、そのまま気仙沼市唐桑町という名前も知らなかったところに移り住むことになりました。 それから今まで、唐桑でいろんな方にお世話になりながら、復興支援活動をさせてもらっています。


「中国の村」から「東北の町」へ
大学時代は、しょっちゅう中国を訪れました。 中国では、ハンセン病の回復者が集う隔離村に泊まり込みで、セメントこねたりしながら生活インフラの整備をする「ワークキャンプ」という活動をしていました。 不思議なことにそれが楽しくて仕方なかったのです。 ハンセン病は、例え回復したとしても周囲の差別・偏見が解けないという現状が世界中で今なお色濃く残っている感染症のひとつです。しかし、私が目の当たりにしたのは、病によって人生を狂わされ打ちひしがれる地元住民(村人)ではなく、差別・偏見という逆境の上に立ってなお強く生きる地元住民の姿でした。 そして、私たちと一緒に村に入り、村人に真正面からぶつかっていく中国人大学生の姿でした。 強く生きるとは、「自分ひとりでは生きていけない」という当たり前の事実を認め、相手に対して心を開いていくことだと思っています。 周囲から恐れられ、敬遠されて生きてきた村人が見せるホスピタリティは、私には真似できないものであり、こうありたいと思わせるものでもありました。 そして、それは唯一「現場」でしか知ることのできないものであると痛感しました。

東日本大震災が発生して、私は東京で働くよりも現場に入ることを選びます。 バカな選択だと言われましたが、一緒に活動してきた仲間が背中を押してくれました。 唐桑という土地には、ハンセン病回復者だった故鈴木重雄氏と私たちの先輩との古い縁があります。 そして、鈴木氏の志を継ぐ馬場康彦氏が快く私たちを受け入れてくれました。 かくして、唐桑での居候生活が始まります。


唐桑で見たもの
それから一年。 私が唐桑で見たものは、日本のコミュニティの原点でした。 それは、「家」です。 唐桑の人は、家とともに生きています。 海からの恩恵で唐桑御殿と呼ばれる城のような家屋を建て、屋号という(苗字とは異なる)家々のオリジナルニックネームを掲げ、一族を誇る人種がそこにいました。 リアス式海岸が続く唐桑では、浜ごとに家が集まり集落を形成し、家の族である集落は字の通り「家族」です。 いい意味でも悪い意味でも家が人をつないでいるのです。 派手なことを嫌う一方で、一度信頼した相手は精一杯のおもてなしをしないと気が済まない厚かましさ。 それに対して一切の見返りを求めない見栄っ張り。 その代わり、有事には全力で支え合うという暗黙の了解。 いい過ぎかもしれませんが、そんな人々を私は見ました。 唐桑は「人はひとりでは生きていけない」という当たり前の事実が当たり前な場所。 きっとこれが、コミュニティと呼ばれるものの原点なのだろうと感じるのです。 日本だけでなく、洋の東西問わず。

中国で「人」の強さの原点を見ました。 しかし、村人たちは病ゆえ家族・故郷と切り離されてきた人たちでした。 ゆえに家族とは何なのかは分かりませんでした。 だからこそ今回、唐桑で家・集落という「コミュニティ」の強さの原点を発見しました。 そして、震災によって、そのコミュニティが揺らいでいるという事実も目の当たりにしました。


まちづくりとは
代表を名乗る私に何ができるのかは正直分かりません。 しかし、唐桑の人に何ができるのかは想像できるのです。 コミュニティの強さを自覚し、それを活かして復興まちづくりを進めていく。 まちづくりとは、過去を否定するものでも、真新しいものを導入するものでもありません。 昔からあるものをちゃんと理解し、逆らえない時代の波に合うように再構築する作業だと思っています。 唐桑の人が本気になって、一丸となり、屋号「唐桑」を名乗り、上記のまちづくりを推し進めたとき、そのエネルギーは社会に対しコミュニティの原点の見直しを迫り、日本を変える出発点になるものだと信じているのです。 そして「からくわ丸」という名前には、そんな願いと確信を込めました。 だから、私はあくまで今は仮の代表です。
からくわ丸の今後の活動にご期待ください。 じっくりゆっくり唐桑と付き合っていく所存です。

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http://karakuwamaru.net/aboutより)