けせんライナーのある日 [2012年01月28日(Sat)]
前にも書いたが、今月馬場のアパートに入った。
高田馬場、ではない。唐桑町馬場。 大家は馬場さん。運よく1月から一室空いたのだ。 まだ用途は就寝のみ。 滞在9ヶ月目にして初めて得た「鍵付きプライベート空間」に喜びと違和感を覚える。 少しずつ活動の体制も変わってきている。 「アパートに入ったし、オレも“屋号”を考えようと思う」 と提案したが、かじさんから「アパートに屋号は聞いたことがない」と当然の返事が返ってくる。却下。 同姓が多い唐桑では、みな家のニックネーム「屋号」を持つ。いつしかそれが羨ましくなっている。 --- 5時40分、45分にケータイが鳴る。 けせんライナー(池袋・気仙沼間の夜行バス)でやってくるメンバーの迎えに、気仙沼駅まで行かなければならない。 なんだかんだ布団の中でもぞもぞして6時くらいにアパートを出る。 極寒の朝は、車がカチンコチンに凍っている。朝6時は一番気温が下がる時間帯だ。 雪の朝は、車に載った雪を落とす。新雪はふかふかで気持ちいい。ただ、融けたあと車が一気に汚れる。 雨が降った次の朝は、ドアが凍っていて簡単に開かない。こじ開けるとバリバリと音を立てる。ワイパーが凍って、ビクとも動かない。「ま、まじか」という声が漏れる。 びゅーっと出るはずのウォッシャー液まで凍っているのか、うんともすんとも言わない。 雨や雪が降った次の朝は、道路もつるつる。怖い。 「(冬は)滑るのは仕方ない」と地元の人は言う。 じゃあ、どうすんの?と聞くと、「滑りながら運転する。まぁブレーキを強く踏まないことだね」と、さらっと言う。東北人強し。 東北には、道路脇の至るところにデジタルの気温計が設置されている。最近はマイナスが当たり前になってきた。 今朝、6時に初めて「−9」という数字を見た。 今まで唐桑で自分が見てきた中で、最低の数字だ。「き、記録更新や」と逆に興奮する。 一方、昼1時の一番暖かい時間帯のはずの時間帯に「−1」とか出てると、萎える。 0度以下を「グランドライン」、−5度以下を「新世界」と名付けることにした。ネタが分からん人、ごめんなさい。 デジタル気温計くんが毎日20代後半をたたき出していた、サマーな時代は何だったのだろう。あれから半年。こうやって毎日毎日運転しながら気温の変動を見ていると、「日本には四季があるんだなぁ」と訳の分からない詩人モードに入る。 気仙沼駅まで車で20分。 石浜あたりから見渡せる空と海は、青とオレンジとのなんとも言えない中間色を見せる。あれは何色なんだろう。 メンバーを乗せて唐桑に帰ってくると、ちょうど朝日がキレイにのぼる。 けせんライナーのお迎えがある日はこんなカンジだ。 --- ユ○クロのダウンに、ユ○クロのパーカー、ユ○クロのフリースに、ユ○クロのロンティー、ユ○クロのヒートテックに、ユ○クロのタンクトップ。 下も完備。アイテムは、ネックウォーマーに腹巻き、手袋。 今日もOK。 東北人は春が来るまでじっと耐える。筋肉も気持ちも縮まって仕方ない。寒くないところはない。 不思議なことにエアコンというものをほとんど使わない唐桑人。寒い寒いと言いながら、ストーブを焚いて、掘りごたつを重宝する人種だ。だから、耐えることが当たり前。 「2月の半ばが一番寒い。それが過ぎれば、あとは春が来るのを待つのよ」 それを聞いている私なんかは(いやいやいや、なんでやねん。去年は6月くらいまで寒かったやんけ)とぶつくさ言う。耐性ゼロだ。 この気温の中、漁師は海の仕事をする。海上はさらに寒い。「海水の方があったけぇんだよ」と言う漁師。 風土や気質、というものは存在するようだ。「耐える」人たち。 ぺらぺらぺらぺらと口から生まれたような関西人とは違う。 また別の魅力がある。 東北の冬を感じて、そう考えるようになった。 --- お、余震だ。 こりゃ今年あたり、また絶対大きいの来るなぁ。東京の人、ホント気をつけてね。家の中の地震対策をしっかりね。 |