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一般社団法人まるオフィス maru-office.com
10年先を読む [2017年11月29日(Wed)]

1年前の話です。
唐桑中学校の当時3年生たち数名を連れて、総合学習の一環で白幡先生のお宅にインタビューに伺ったときのことです。
「中学生に伝えたいことはありますか」という中学生からの質問に対し、
社会がどのように変化していくのかを見抜く力をつけてほしい、と白幡先生はおっしゃいました。

私たちの時代、就職に必須だったものは何だと思いますか?
そろばんですよ。信じられますか?
特にこれからは人工知能の時代、今ごく普通の職業だと思っているものがいつの間にか消えてしまっている、なんてことがいくらでもあり得るんです。

学校で勉強したことに意味があるのかどうかが問われかねない時代に入ったんです。

と。
私にとって衝撃の言葉でした。これが気仙沼市の前教育長の言葉だということも興味深かったです。
それから「時代の先を見抜く力」というのが、私の地域協育活動の軸となりました。
これからもご指導よろしくお願いします。この度は受賞おめでとうございます。

ぱちぱちぱち

喫茶GIGIにて、唐桑の教育界隈のメンツでひっそりと白幡前教育長のお祝い会。
ぐるっと一言ずつお祝いの言葉を述べていく。
そのあと、わいわいがやがやと歓談中にひょいひょいっと先生に手招きされる。

「『先を読む』上で注意しなければいけないことがある」と。
(よく聞き取れず、「酒を呑む」話だとしばらく勘違いしていた私。)

「10年先を読んでも周りに理解されず『我慢』が必要になる」
「策士はね、2〜3年先を見せるんだ」

それは先日のESD円卓会議での私のプレゼンに対するフィードバックでもあり、
ご自身が10年先を行って気仙沼のESDを牽引したことに対する振り返りでもあった、のかもしれない。
なんにせよ非常に説得力を伴った一言だった。

ESDはもうみんな(全国)にマネされちゃったから、これから気仙沼が取り組むべきは「海洋教育」だと思う、日本は島国だからね、海には(文理問わず)全ての教科が詰まっている、といつかニコニコしながら語ってくださった。
飽くことなく常に子どもたちと時代の先端を見ている方だ。

「先生、震災の直後にGIGIでこう言ってくれましたよね。
『樹を植えて花が咲くまで10年はかかる。なんでも10年やってみることだ』って。
それをときどき思い出すんです」

10年。
私たちが10年先を読めているかどうかは置いておいて、上手く立ち振る舞いながら、我慢強くやりたい。
唐桑に来てまだ6年半、法人を立ち上げてまだ2年半。まだまだだ。

「あーそんなこと言ったかな?」

うつむき加減で、ボソボソとニコニコといつものように語る先生だった。
100人の仲間募集中! [2017年11月09日(Thu)]

★100人の仲間募集中!★
−まるオフィス マンスリーサポーター制度!−

まるオフィスはこの度、マンスリーサポーター(毎月定額寄付)募集を始めました。ぱちぱち
というわけで、最近まるオフィスのスタッフが、活動への想いを順にFacebookに綴るリレー投稿を続けております。
こういう機会でもないと改めて伝えることもないし!いい機会じゃん〜くらいの気持ちで始めたキャンペーン。

どしたどした。
まるオフィス、ついにカネが尽きたのか。
いい文章書くなぁ。
ちょっと重い。

様々な反響を主に地元気仙沼からいただいております!笑
お騒がせしております。あ、みんな元気です!
安心してください、私で最後です。トリです!

---

私には忘れられない光景があります。
もう何年も前のことですが、中越に復興事例の先進地視察に行ったときのことです。
全村避難で著名な山古志村など山の中の村を巡っていました。

これはなんですか?

山道の傍に大きな大きな石碑が。
「ここはじょんでぇら」
とひらかなで彫られていました。

「これは記念碑ですよ。十二平という村がありましてね。なまって『じょんでぇら』と親しまれていました」

私はそれを聞いて、ぞっとしました。
これは記念碑なんかじゃない。集落の墓石だ。

この例は地震による移転だったかもしれませんが、今後日本中の“いなか”にこのような墓石が建ち並ぶのでしょう。
唐桑半島にはこの墓石は一基も建てさせたくない。そう感じました。

---

一方で、こんなことも思います。

限界集落化したムラは統廃合してコンパクト化した方がムラ人のためでもあるんじゃないか?
なにも古びたムラの「存続」にこだわる必要はない。
人が減ったのも社会の流れであれば、ムラを閉じるのもまた時代の選択。
必要以上に保守的で郷愁的になってるんじゃない?
実際、東京の友だちに言われたことでもあります。

でも、想像してみてください。イマジン、イマジン。
ちょっとSFチックな話です。

---

あと10〜20年かけて人工知能(AI)革命が進むと、
いろんなところでAIが人間に取って代わり、いいことも悪いこともたくさん起きるでしょう。

人間は奴隷的な労働から解放されるかもしれない。
いや、もしくはAIによって人間が管理される時代の始まりかもしれない。

どちらにせよ、人間が人間らしくはたらくとはどういうことなのか、
根本から問われることになります。


あと10年もしない内に団塊の世代が後期高齢者になります。
「老後はゆっくり趣味に費やす」なぁんて時代は終わり、
「どうやって最期まで豊かにはたらくか」が問われるようになるでしょう。
(老後こそ自宅でゆったりテレワークがぴったり!とか言われてるかも。)
医学が進めば生き長らえることは容易になり、より「質」を求めるでしょう。

人間らしく死ぬまではたらくとは?がここでも問われます。


そこを追い求めると、都市離れが進むかもしれません。
テレワークのように遠隔コミュニケーションがどんどん可能になると(営業ですら可能になりつつあります)、
異常に人が密集した東京にいる必要ないじゃん、そんな人が増えていきます。


自動運転技術が確立すればコミュニティのあり方まで変わるだろう、
と、ジャーナリストの津田大介さんがこの前吞みながらこぼしておりました。
「気仙沼で夜中までみんなでわいわい飲んで、そのままマイカーに乗ってポチっとボタンを押せば、朝には東京に着いてる。そういう時代ってことだもんねぇ」
コミュニケーションと移動技術の革命により、首都圏と地方の壁はどんどん薄くなっていきます。


そこに、首都圏へ大きな地震がやってくるでしょう。いずれ、の話です。
都市部のリスクが露呈し、3.11後に地方への移住者が増えたような現象が再来します。


より人間らしく、より効率よく、よりよいロケーションで、はたらく=くらす。


そんな未来がやってきます。
そんな未来がやってきたときに、地方のムラやまちが再び価値を発揮します。
そんな未来がやってきたときに、地方にムラやまちが残ってなければ…
それはもう残念ムネンでは済みません。
石巻の古山隆幸さんが言ってました。
「カネと土地さえあれば気仙沼は東京をつくれるけど、東京は気仙沼をつくれない」

もう二度とつくれないものを失おうとしているんです。

あぁ1000年かけてつくってきたこの国の多様性を、たった100年の勘違いで、全部消してしまった。
昭和と平成の時代は、なんてバカでピュアだったんだろう。


そう未来の人は振り返るでしょう。
例えば干し柿の作り方を検索しながら、困った顔でつぶやくでしょう。


以上、星新一のような未来のお話でした。

浜に杉の丸太を並べ、だんべっこ(一番小さな6人乗りの小舟)を転がして、跳び乗り、
とぷんっと着水したときに、
水面まで繁る森みたいな海藻の中に手を突っ込んだときに、
ひやりと体温を海に奪われ、すがすがしい気持ちになるときに、
柔らかな弧を描く太平洋の水平線を背景に「食」を獲るギラギラした漁師の背中を見たときに、
こりゃ一周回って未来の島国の最先端いってるなって思うんです。

だから、気仙沼でまるオフィスをやってます。
浜のまちのくらし方=はたらき方が100年後もしっかり在るようにしよう!っていう挑戦です。
気仙沼でモデルをつくって日本中に発信しよう。このまちにはそのポテンシャルがあります。
漁師やればいいじゃん、ってよく言われますが、
自分さえそういうくらし方ができればいいとは思わないので、
自分はどこまであくまでプロの「仕掛人」として子どもたちに発信し続けられるか、挑戦中です。
きわどい立場で、甘ったれてんなぁと言われながら挑戦中です。

ムハマド・ユヌス氏は「『貧困』を博物館に」って思ってグラミン銀行を始めました。
私たちは「気仙沼のくらしが博物館に行かないように!」って思ってがんばります。


以上、よく分からない話で、投稿を終わります!笑
こんな世界観で未来に貢献したい!って思ってやってるんで、もしよかったら寄付してもらって、ちゃんと定期的にこの挑戦のレポートを送らせてくださいな〜という話でした。おしまい。

……………
 
★100人の仲間募集中!★
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まるオフィスでは、一口1,000円からご支援いただける「マンスリーサポーター(愛称:まるクルー)」の募集を開始しました!みなさまからいただいたご支援を、気仙沼での活動に還元させていただきます。
 
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マンスリーサポーター スタート記念!
「100人の仲間、大募集!!」
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サポーター募集開始を記念しまして、10〜11月のあいだで、「100人の仲間」を募集します!この機会に、ぜひ気仙沼を盛り上げる一員になりませんか!?
 
【現在ご支援を受け付けている活動】
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……………
 
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まるゼミ誕生までE〜ESD円卓会議にて〜 [2017年11月06日(Mon)]

11月2日。
「気仙沼ESD/RCE円卓会議2017」@面瀬小学校にて開催。

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気仙沼中の小中高の校長もしくはESD担当の先生、大学の先生、民間の関係者が一堂に会する会議。
20年近く続いており、気仙沼が「ESDのメッカ」と呼ばれる所以がここにもある。
私も出席するようになって3年目になるか。

今年、ESDの地域事例発表とパネルディスカッションで登壇させていただいた。

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この連載は今回で最終回。
この事例発表のプレゼン内容を最後の締めとして紹介させていただく。
いろんな今までの経緯がぎゅっと詰まったプレゼンになった。

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それでは、どうぞ。

---

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まず、まるオフィスの紹介をちょこっとします。

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私たちのミッションは「気仙沼に関わる若者の活動人口を増やす」ことです。
日本全体で住民人口が減っていくのに、気仙沼だけ住民が増えていくなんてことは今後あり得ません。
だったら、まちの内外問わず全国に、気仙沼のためにアクションを起こす人を増やしましょうよ、っていうミッションです。
そのために、3つのテーマで事業を展開しています。

1つ目は「種まき」。今日の話のメインですね。地元の中高生を対象にしています。
高校生は卒業後多くが外に出て行きます。唐桑だと90%に上ります。

そこで、外に出た人たちと気仙沼をつなぐ「マッチング」が必要になってきます。
移住センターMINATOなどの事業がこれに当たります。

そして3つ目。地域内にくらす若者のアクションも喚起すべく、ぬま塾、ぬま大学のような若者の挑戦の「応援」プログラムも手がけています。
財源は主に助成金や市からの委託金で成り立っています。

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今日は、テーマ「種まき」のための「じもとまるまるゼミ」事業を紹介します。

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このように、地元の中高生が地元の漁師さんや農家さんのもとに半日弟子入りするという体験プログラムです。
ときに、外から社会人や大学生を呼んできます。
地域の内外のプレーヤーをつないで、「力を合わせて育ち合う」=「協育」のエコシステム(生態系)をつくりたいんです。

百聞は一見に如かずってことで、去年の漁師体験をまとめた動画をご覧ください。




なんでまるゼミをやってるのか、その背景を紹介します。

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今、急激な少子化によって、地域にこんな悪循環が生まれています。
子どもが減ると、子ども向けのイベント、企画、事業はどんどん統廃合されます。唐桑にあったキッズクラブも近年なくなっちゃいました。学校以外で地域に触れる機会が減っていくんですね。

そうすると地元への愛着が湧かず、結果Uターン率が落ち込む。だから少子化が止まらない、というスパイラルです。
一方で、社会全体の課題も他人事ではありません。

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具体的にどれくらいいないかっていうと、この例をご覧ください。小原木を含む唐桑地域の中学生の入学者数です。
オリンピックが終わり、21年の入学者数は16名にまで落ち込みます。
今は一学年40名ですから、数年後にはがらりと中学校の雰囲気は変わるでしょうね。
そう遠くない話です。

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ある漁師さんはこう言います。

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唐桑の高校生はこう言いました。
先生がダメって言うからです、と。
安全への考慮は理解しつつ、一方これで海のまち気仙沼は「海洋教育」を進めているんです、と言えるでしょうか。

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子どもたちは激減し、学校以外で地域やそこにくらす大人たちと触れる機会も失いつつあるのが現状です。浜から遠ざかっているのはその代表例です。

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じゃあどうすればいいのでしょうか。私たちは、子どもたちに気仙沼のかっこいい大人たちの背中を見せるっきゃない!と思い至りました。

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学びのテーマは「地元のくらいがい、はたらきがい」としました。
このように主に一次産業の方々に、今までプログラムを受け入れてもらいました。
自然と対峙してはたらき、くらす人たちです。

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この先生たちをマッピングしてみました。見てください、唐桑半島全体が学び舎になるんです。これがもっと増えていって、日曜になったら気仙沼中から中高生が唐桑半島に学びに来る、なんてことを夢見てます。

では、この学びのテーマを掲げたまるゼミは何を目指しているのでしょう。

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それは「いきぬく力」です。
これはダブルミーニングでして、ひとつが力強いバイタリティを表す「生き抜く力」、もうひとつは“いなか”ならではの「息を抜く力」です。レジリエンスなんて言葉が最近よく言われますね。

ワークライフバランスなんて言葉が都会では横行してますが、そもそもワークとライフが二項対立で語られることが疑問です。気仙沼の魅力は「はたらく」と「くらす」が非常に近いことです。
漁師なんてまさにそうでしょう。くらすようにはたらき、はたらくようにくらし、両者は不可分です。それが本来のくらしの姿なんだと思います。

そのコツは息を抜きながらはたらくこと、くらすことです。常にいっぱいいっぱいじゃない、余裕がある、と言った方が分かりやすいでしょうか。
このまちはその術を持っています。それを子どもたちに伝えたいんです。

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このようにして、前身企画「すなどり先生」を含むと1年半これまでやってきました。

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先日公開されました教育事務所のPR動画にも、まるゼミのカットを使っていただきました。

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まるゼミの展開として、地元企業のスポンサードでコラボ企画を始めました。この夏に「気仙沼さん」という通販サイトとコラボして、商品PRのCMを高校生たちとつくりました。
ぜひ中高生とコラボしたい企業さんがいれば、お声がけください。プログラム考えます。

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さて、最後のトピックです。

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「ムラを捨てる学力」が日本の中山間地域で問題になってきました。
それを「地域(ムラ)を育てる」教育に変えていきたい。島根県の離島海士町に視察に行って思ったことです。
地域と教育は両立するのでしょうか。
※詳細は前の記事(リンク)と重複するため割愛

とは言っても、中高生にUターンを強制する訳には行きません。
「将来はぜったい気仙沼に帰ってこいよ!な!ぜっっったいだぞ!」と押し付けることがまるゼミではありません。
長らくそこに私も悩んできたのですが、今はこう考えるようにしています。

将来地元に帰ってきて挑戦する!という選択肢もとても魅力的だなぁと子どもたちが思ってくれるよう、このまちを磨き続けることが大事ということです。それを子どもたちに伝え続けることが地域協育なんです。

豊かな人生とは、選択肢が豊かにある人生だと考えます。

今は残念ながら、地元に帰りたくても、もしくは地元で魅力的な仕事に携わりたくても叶わないことが多いです。
原因は様々でしょうが、とにかくUターンという選択肢が魅力的ではないんです。それは致命的です。
「地元という選択肢」が魅力的であることが今住んでいる私たち大人の務めです。

都会で挑戦するもよし、気仙沼へUターンして挑戦するもよし。
この「選択肢の広がり」が、子どもたち自身と地域の両方を豊かにすると思うんです。

では、そのために私たちが求められる役割はなんでしょう?

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それはコーディネーターです。私たちは地域の中でコーディネーターとして、三方よしならぬ四方よしを目指します。
生徒だけじゃなく、保護者、地域にとってはもちろんのこと、学校にとっても有意義であることが大切です。そんな学校現場も今大きく変わろうとしています。

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恥ずかしながら私はこのニュースをつい最近まで知りませんでした。衝撃のニュースです。これは近いうちに学校現場が全く変わってしまうことを示唆しています。
詰め込み型の、インプット型の学びはすべてアプリケーションが替わって担うようになるでしょう。
じゃあ教師は何をするの?教師の役割が激変します。
それは、アクティブ・ラーニングのコーディネーションや日々のワークショップのファシリテーションです。
この変化を学校だけの問題にしていていいのでしょうか。
地域で教育を支える準備を今からしておかないと、子どもたちがただタブレットを触るだけの教育になってしまいます。
地域の力が必要なんです。

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そのための私たちの課題はやはりこれです。資金調達が乏しいという活動の課題はずーっと残っています。
(民間でこういう地域のコーディネート役や地域教育事業をやっても稼げないから、やる人がいないんでしょう。マネタイズが最大の挑戦かもしれません。)
今、助成金を卒業して、寄付や企業スポンサー、事業収益など財源の多角化を目指していますが、なかなか厳しいので、是非みなさんアドバイスください。

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最後のスライドです。
私はこういう文化を気仙沼につくりたいんです。みなとまつりの協賛に地元企業の名前がずら〜っと並ぶように、次世代への協育事業についても、投資だと思ってお金を出し合うまちです。


社会の次世代を担う人材に「いきぬく力」をつけてもらいたい。
そして、それを地元のかっこいい大人たちの背中を通して伝えることで、地元も子どもたちも両方豊かになることができます。
地域ぐるみで投資する文化がつくれればコーディネートも安定し、地域協育のエコシステム(生態系)がつくれます。
それこそが気仙沼モデルになり、社会全体に輸出し得るのです。

ありがとうございます。
まるゼミ誕生までD〜少しずつ、少しずつ〜 [2017年11月04日(Sat)]

まるゼミは農家体験から始まった。
4月下旬、念願だった市教育委員会の名義後援が決まる。
これで、唐桑中学校にチラシ配布のお願いに行ける。

5月30日、漁師体験にも後援の決裁が下りた。この1年、「すなどり先生」を始めてからの悲願だった。

まちも、私自身も、まだ盛屋さんの海難事故の深い悲しみの中にあった。
そんな中「漁師体験」の募集をかけることは不安しかなかったが、6月25日牡蠣養殖漁師体験「やっくんゼミ」を実施。

中学校にチラシを配布できるおかげで、少しずつ「公」性が増していく。
相変わらず集客には苦戦するが、少しずつリピーターが生まれる。
中学校を卒業して高校生になった子たちも参加してくれるのが嬉しい。

---

少しずつ、少しずつ。スクラップ&ビルド。

まるゼミを進める一方、
5月、6月は、民宿つなかん再開のお手伝い、唐桑中学校の総合学習のお手伝い(主に1、3年生)がはじまる。
協働教育のプラットフォーム構想も練らねば。まちづくり協議会はどうする?

7月、あっという間にパンクした。

まるゼミって、地域協育って、何目指してるんだっけ?
いよいよ棚上げしてた議論を下ろしてくるときだ。

経営未来塾では「志」が向く方向性をしっかり見据えることができた。
でも、それを団体のMISSIONという形で事業に落とし切れていない。

すると芋づる式に、移住センター、担い手育成事業…と他の事業のアラも出てきた。
「まるゼミだけ方向性が見えていない」なんてあり得ない話で、すべて地面の下で、つるで、つながっている。
そもそも、まるオフィスは何をしたいの?


春の勢いは失速し、また瞑想(迷走)モードに入った。


設立メンバーのしゅんくん、こうや、えまを召集して、集中的に議論する。実に7月〜9月まで、数時間×13回(最長7時間/回)に及ぶもんもん会議は、地獄だった。

そこで出た答えはシンプルだった。

「Uターンしなくてもいいよね」
気仙沼の内にいるか、外にいるかはさほど重要じゃない。

「気仙沼の活動人口を増やそう」
気仙沼のためにアクションを起こす人が全国で増えることが大事。
んー、つまりカネか時間をまちのために費やしてくれる人の数。

そうすることで、まちが持続可能になった…!というモデル事例をつくれるといいねぇ。

自然と議論は、新規事業の話にまで及んだ。
気づけば、秋だった。

---

少しずつ、少しずつ。スクラップ&ビルド。

4月。
りんご農家体験(戸羽貫ゼミ)

5月。
野菜農家体験(田端ゼミ)@

野菜農家体験(田端ゼミ)A

6月。
お米農家体験(戸羽毛ゼミ)

牡蠣養殖漁師体験(やっくんゼミ)

7月。
ホタテ養殖漁師体験(こはまゼミ)

まちづくり体験(からくわ丸ゼミ)

8月。
アナゴ漁師体験(武丸ゼミ)

浜のまちがっこう(まち協とのコラボゼミ)

10月。
イワシ定置網見学(松島網&みきおゼミ)

※レポートはこちら


経営未来塾で構想…もとい妄想した、社会人によるワークキャンプ(5月)や、地元企業とのコラボ企画(8月)をなんとか実現させる。
まるゼミの目指す方向が整理されてきたので、いよいよマンスリーサポーター(毎月定額寄付)募集の準備にも踏み切った。(10月リリース)
地元企業の広告募集をつけたまるゼミレポートも完成した。4半期ごとに発行すると決めた。

まるゼミレポート.jpg


「お金を集めよう」「そうすることでサービスを高めよう」という今の社会の当たり前の摂理がようやく「腹落ち」してきた私である。

「おカネくださいは悪ちゃうで」と言われてから1年弱。
ここ1年半、経営未来塾やETIC.の事業を通して様々な人に言われてきて、ようやく。
人は頭で分かっていても、腹に落ちるまで1年はかかるらしい。(行動につながるまで何年かかるねん)
法人設立から2年半。
今さら何を言ってんだか…という話だが、手遅れになる前でよかった。
この1年の一番大きな変化かもしれない。


少しずつ、少しずつ。崩しては積み上げて。
そして、11月2日がやってきた。
まるゼミ誕生までC〜いくらのアップル版をつくってください〜 [2017年10月30日(Mon)]

「アップルのようなロゴがいい」

歩さんへの無茶ぶりは続く。
地元Uターン組のデザイナー歩さんに、新事業「じもとまるまるゼミ」のロゴの注文をする。

「なんかこう」
「強烈にシンプルで、強烈に印象的な」

リンゴのマークを見れば誰だって、マッキントッシュ、アイマック、アイポッド、アイフォン、もしくはジョブズを連想する。ニュートンのリンゴから始まったアップル社のリンゴ。

「じもとまるまるゼミ」に込めた想いは、1.地元はまるまる(まるごと)学び舎になりうる、2.地元は◯◯先生で溢れてる(◯◯にはいろんな名前が入る)という2つのメッセージ。

「〇〇とかけて…隠れたコンセプトは…そう…『いくら』!」

「いくらは鮭のたまご。鮭のように、いつか地元に帰ってくるのが願いです」

そう、彼らは将来夢溢れる地元のたまごだ。

「いくらのアップル版をつくってください」

ぶつけるようにアイディアを投げる。
これが、歩さんへの注文だった。

その結果、生まれたロゴがこちら。
これ、実はいくらなんです。笑

marumaruzemi_square.png


このブルーは前身企画「すなどり先生」の基調カラーを踏襲。
三陸の豊潤な海の青緑を表す。
森が近くプランクトンが豊富だから、藻のような、まるで深い森のような色をしているのが三陸の海の特徴だ。

---

新企画のプロモーション1分ムービーは東京のかっくんにお願いした。「すなどり先生」の素材を送って、再編集してもらう。4月1日、かっくんから届く。



いよいよ大詰め。

---

Webページは、タクビーさんに注文し、あすかちゃんと3人で打ち合わせを重ねて作った。
4月11日のリリースになんとか間に合う。

スクエアシップで3人で小さく拍手。
いぇい、いぇい。もうくたくただった、4月の半ば。

前身の「すなどり先生」を妄想してから1年半、経営未来塾卒塾から半年。


気仙沼の体験型地域塾「じもとまるまるゼミ」Webサイト
maru-zemi.com

スクリーンショット 2017-10-30 23.03.09.png


2017年4月11日、人知れずまるゼミが公開された。
まるゼミ誕生までB〜地域と教育の壁〜 [2017年10月29日(Sun)]

私にはずっと蓋をしていたことがある。

「コミュニティは夢を諦めさせる装置やと言われてる」

もう3〜4年前だろうか。高校の先輩が気仙沼に来てくれた。中央省庁で官僚として働く先輩。
その先輩と飲んでるときに、教えてもらった言葉。

唐桑で過ごしているからか、すぐにピンと来た。
集落においては、豆腐屋の息子は豆腐屋、米屋の息子は米屋である「べき」なのだ。

集落のよさは各家々の「役割」がそれぞれしっかりしていること。
それが都会では醸し出せない「くらしがい」を生んでいることは確かだ。
でも、一方で個の夢を縛る。「おれは家督(後継)だから」と夢を諦めて家業に入る人も少なくない。

若者の夢を諦めさせて、維持してきたのがコミュニティなのだ。

実際、近年「家を継ぐ」という意識が希薄化するとコミュニティは一気に廃れた。
私が求めているものは、夢を諦める子どもたちの姿なんだろうか。

そこの答えが分からず、蓋をした。

それを今回、海士町への旅で開けることになった。


---


2017年2月13日。
島根県の離島海士町、隠岐国学習センターにて豊田庄吾さんの話を聞く。

とあるエピソードを教えてくれる。どこの地域の話かは忘れた。
「先生、これ以上子どもたちに教えないでくれ」
村人からこう言われた教師がいたそうだ。教育すればするほど、子どもたちが外に出て行き、ムラが廃れる。そんな「教育のジレンマ」が日本には存在するという。
私は冒頭の先輩の言葉を思い出していた。

でも、「地域」と「教育」は共存し得る。
確かに教育が地域衰退に貢献していた面もある。それを「地域の魅力を活かした教育の魅力化」へと昇華させようとしているのが海士町だった。


「離島中山間地域の学校の役割を再定義できないだろうか」

「教育の分断『T字の壁』をぶち壊せないのか」

 高校 | 社
ーーーー| 会
 小中 | 教
 学校 | 育

↑ T字の壁
横の壁:高校と小中の壁
縦の壁:学校教育と社会教育の壁

「地域で新たな生業、継業を創り出せる人材『地域起業家的グローカル人材』をどう育てるか」



そのあと、島の高校の寮の見学へ。
寮生自らが寮内を案内してくれる。
姫路出身の子もいた。同郷だ。まちについて尋ねると、

「この島は、本気でやりたい!って言ったら、絶対誰かが応援してくれる島なんです」

と、さらっと答えた。ひねりだした感もない。もちろん言わされてる感もない。自然とぽろりと出してくれた言葉に大人たちは唸った。


夜。
民宿で地元の人も来てくれて宴会になる。
地酒が出て来ると一気にみんな舌がまわる。

「んじゃ、海士町恒例の」
締めになると、みんな立ち上がって輪になり手をつなぎ、
「ふるさと」の3番を唄う。

「こころざ〜しを〜はたしに〜」
「いつのひ〜にか〜かえらん〜」

20世紀の故郷像が元の唄では唄われている。
「志を果たして」帰る場所が故郷。成功するのは都会。
終えたら帰る場所、負けたら帰る場所が故郷。

でも、これからは違う。海士町は歌詞を1文字替えて唄う。
「志を果たしに」帰る場所が故郷。修行するのは都会。
力をつけたら帰る場所、挑戦したくなったら帰る場所が故郷。

「ブーメラン」のように。力強く外に出すと力強く帰ってくる人材。

本島から3時間もかかるこの離島で、新しい実験が着々と進んでいることに大きな刺激を受ける。


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今回、市教育委員会、市役所、NPOの3者がチームを組んで、海士町に行けたことが何より大きかったかもしれない。

松江に着き、居酒屋で夕食をとりながら、付せんとペンが配られ、みんなでやんややんや議論する。カオスだ。
「海士で得たことの振り返りをしたい」「腹が減った」「呑みたい」の欲がごちゃ混ぜになってる。

短い視察の期間に、岩本悠さんにも松江で二度お会いすることができた。


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視察団はその後もミーティングを定期的に行なっている。
3月、市教育委員会への報告会を経て、
気仙沼版「高校生マイプロアワード」実施に向けて動き出した。

個人的には、神谷先生と唐桑地域の協働教育について相談する機会が増えた。

チームは拡大し、教育委員会の藤山先生も加わってくれるようになった。
その藤山先生が言う。
「私は『ムラを育てる学力』をつけたいなと教師になってずっと思っています」

いた。海士で聞いた話と同じ話をする人がいた!
「ESD先進地」気仙沼は伊達じゃない。
気仙沼も「地域×教育」でまだまだおもしろい事業ができる。

じゃあどうやって?

そんなこんなで新年度がやって来た。
まるゼミ誕生までA〜生きがい働きがいを暴く〜 [2017年10月26日(Thu)]

2016年12月19日。中井小学校校長室。

「地元の漁師、大人たちのね、生きがい、働きがいを暴くことが大事だよね。
なんのために生まれ、なんのためにこの仕事をしているのか、
『感動』がどこにあるのか、
それを丸裸にするのがまるオフィスの役割だと思うんだよね」

えいき先生が地元中高生向け漁師体験「すなどり先生」について、フィードバックをくれる。

気仙沼の「かっこいい大人」のひとりだ。
この部屋には先生が大好きなミニカーやエレキギターもあって、異色の校長室だ。
そして子どもたちが集まってくる校長室。
「大人って楽しいんだぞ!」という姿を子どもたちに日々伝える校長先生だ。

人間の生きがいをえいき先生はこう語る。

「自分の好きなことで . 人の役に立ててる仕事に 一生就くこと」

おぉ。こちらも熱を帯びてくる。
先生はなんのために生まれ、誰の役に立つ仕事をしてるんですか…?

「俺はぁ、やっぱり子どもたちの笑顔をつくるために生まれてきたんだなぁ」

しびれる。
決めた。
新企画案「じもとまるまるゼミ」の学びのテーマはこれだ。

従来の案「地元のくらし方・はたらき方」を消して、
「地元のくらしがい・はたらきがい」とした。

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経営未来塾の終盤、もう吐けるものがないことを悟った私は何かを詰め込まねばと珍しく読書を始めた。
それが『未来を変えた島の学校』(岩波書店)だった。

島根の離島、海士町の学校の話。
岩本悠さんに会いたい。

そう念じていると不思議なもんで、卒塾の翌月、NHKの収録をきっかけに岩本さんが気仙沼にやってきた。
NHKの収録は1月に終わったが、これはチャンス!と市職員の神谷さんらを中心に、瞬く間に気仙沼の市&市教委&NPOの教育視察企画 to 海士町が立ち上がった。

2月、ついに、あのまちづくりの先進事例の中でもボスキャラである海士町に上陸することになった。

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ここ1年、「協育」だなんだ言い始めたはいいものの、
どういう地域でありたいか、ばかりで、
どういう人材を育てたいのか、
そう言えばそんなこと考えたこともなかったのかもしれない。

新たな領域に足を踏み入れると、視野を大きく広げてくれる出逢いがわんさか待っている。
まるゼミ誕生まで@〜おカネくださいは悪ちゃうで〜 [2017年10月25日(Wed)]

4ヶ月ぶりに遠東記を再開します。
長いことブログの執筆を休みました。
ごめんなさい。また遠東記を読んでくださいね。

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「おカネください!って言うことと、これやりたいんです!って言うことは全然違うから。
両者の間には大ぉきな川が流れてるから」

はぁ。いつまで経ってもその川を渡れずにおります。

「おカネくださいって言うことは思ってるより悪ちゃうで」

はぁ。悪までとは、ねぇ。思ってないっすよぉ。自信ないんすよ、結局。


2016年12月6日。
花形さんと森さんに囲まれ「福よし」でビール片手にうな垂れる。

今のオレってどんな感じっすかねぇ。
「踊り場に来てる感じやわ。ちょっと前より今の方が好きやけどな」
踊り場かー。長い踊り場やわぁ。

経営未来塾を意気揚々と卒塾して1ヶ月半。
明日陽が昇れば革命を起こしてやる!ぐらい意気込みで走り出したものの、あっ…

という間に、日々の仕事に埋もれ掻き分ける生活に戻った。
何も動けていない自分に苛立ちだけが募る毎日だった。
気仙沼ESD円卓会議では、来年はまるゼミの事例ひっさげてあそこに登壇したいなぁと指をくわえて見ているだけ。
唐桑町まちづくり協議会もついに設立、あれこれ考えることがまた増えた。

「ま、ひとりになって考え込んじゃダメ。毎日『たのもぉぉ』の精神よ。私も未だにそうよ〜」
大企業の偉い方々なのになんて気さくで優しいんだ。

夕方の辛口メンタリングのあとだけに、優しさが染みる。

たまたま隣の席にいらした根口の社長が帰り際に
「まちづくり協議会がんばってんなぁ。なんか力になるから声かけろよ」
と、ぽんっと言ってくれる。それを聞いて、突発的においおい泣いてしまう自分。
あぁ不甲斐ないったらありゃしない。


こんな感じで始まったのが2017年だった。
「じもとまるまるゼミ」リリースの4ヶ月前のこと。
唐桑の高校生チーム成るか [2017年06月26日(Mon)]

唐桑町まちづくり協議会「地域教育チーム」プレゼンツで、唐桑の高校生チームが生まれつつあります!

今日は顔合わせ会でした。

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「都市部のわかものにも『地元』があって、そのそれぞれの地元を大切にしたいなぁと思ってもらえる活動を(唐桑の発信を通して)したいんです」


さっそく唐桑や気仙沼をはるかに越えた発言に感動。

わくわく。

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#やっぱりつなかん [2017年06月24日(Sat)]

3月25日、事故の2日後から仲間内でちょこちょこと連絡をとって集まり始めた。
りょうすけさんを囲んで今後どうするか話し合うカンジ。
いちよさんとはしばらく会えなかったから、気持ちの準備と整理みたいな意味合いもあったんだと思う。

メッセンジャーのスレッド名「つなかんをつなぐ件」とした。



4月8日、工場の大掃除をみんなで手伝った。
6年前同じ場所でガレキの撤去をする光景がフラッシュバックする。

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このあたりから意外な展開に。
つなかんを早々に再開する!といちよさんが言い始めたという。
つなかんの継続を進言するつもりだった私たちは、一転「時期尚早ですよ〜」と止めるのに必死になった。



4月17日、いちよさんがFacebookに投稿する。

「なかなか上手く言葉にできないのですが、嫁に来た時にじーちゃんが言っていた「与えられた運命を愛せよ」という言葉を胸に、もう一度ラストスパート頑張ってみようと思います。
そうして、「こんなに頑張ってきたよ」ってドヤ顔で3人の元にいけたら本当に幸せです。
まだまだ皆さんのお力をお借りしたいです。また皆様と笑顔でお会いしたいです。」


(Facebookより一部引用)


私はまるオフィスの合宿で仙台に来ていたのだが、夜中これを読んで泣く。
「一代のドヤ顔」がまた見たい、そう思った。



一方、4月末りょうすけさんが東京に帰る宣言。
自分の無力さと他人任せだったことを猛省する。



5月1日、お葬式。
これを区切りに、ホワイトボードを持参してちょくちょくいちよさん宅を訪れるようにする。



5月14日、糸井さん夫妻が訪問。キーマンが誕生。

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5月20日「裏作戦会議」で1階部分の活用についていちよさんにある提案をする決意をする。



次に、さちをとばっぱの台所を訪れる。かずえさんに会うため。

6月1日&6日「ばっぱの勉強会」開催。

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このあたりから動きが加速し出す。
まり財務大臣(もしくは首相)を中心に具体的な準備が始まった。

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(6月7日 つなかんの1階にて)




私はというと、この日からちょこちょこつなかん1階に顔を出すようになる。



6月12日、気仙沼界隈の有識者!!によるNewつなかんごはん試食会。



6月15日、ひとまず広報のお手伝いをすることに。Instagram再開。

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6月22日、つなかん再開のお知らせがアップ。ここにもいろんな方のお手伝いが。
26日からいよいよ再開。



新しいキャッチコピーは「唐桑に嫁いだ、いちよが始めた民宿です。」

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みなさん、「唐桑御殿つなかん」が再開しますよ。
嬉しいなぁ。



合言葉は「#やっぱりつなかん」。



やっぱりつなかんは、いろんな人に愛されてるんだなぁと感じた3ヶ月でした。

やっぱりつなかんがなかったら、Gakuvoの受け入れもできてなかったし、「KECKARAけっから。」も生まれてなかったし、結局、今の私たちはありません。

そしてやっぱりつなかんは、波を乗り越えるいちよさんといちよさんの家族の笑顔ではじまるんだと思います。

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(愛用してるほぼ日手帳。糸井さんの言葉。この言葉がここにあってよかった。)


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いちよさんが不意に言う。
「人と人とがつながる場だよ。ねぇ、今の時代に必要なことだと思うんだよね。
つなかんってさ、つながざるをえないところでしょう?」

天国の3人のため、時代のため。
「ねぇ、たくま、私には夢ができた!」思い起こさせるように、頭ん中で6年前のいちよさんが元気よく声を張る。
そうそう、まだまだ夢の途中だもんね。

2011年に書いた記事を読み返してみた。



「ツナカン物語」2011.09

鮪立に「唐桑のマドンナ」がいる。
カキ養殖業の奥さんで、とてもエネルギッシュだ。
3階建ての立派なお宅は、3階まで波を被った。

(中略)

みな、マドンナのパワーに圧倒され、マドンナのトークに爆笑し、力をもらった。
徐々に家がキレイになるにつれ、マドンナが言う。
「この家は一度はもう取り壊そうかと思ったけれど、みんなにキレイにしてもらって、取り壊すのがもったいなくなってきた」
3階まで波を被ろうと、家の基礎や柱に問題はなかった。すごい家だ。

「私には夢ができた!いつか将来、ここを改装して、手伝ってくれたボランティアさんたちが帰ってこれるようにするの。そのときは、私がカキなり何なりを御馳走するわ。泊まってもいいし、休憩でもいいし」
ボランティアに恩返しする場所にしたい。帰ってこれる場所にしたい。みんなが集まれる家にしたい。
「それ、絶対やりましょう!みんな、唐桑に帰ってきますよ」

(中略)

それから1ヶ月は経っただろうか。夏休み目前。マドンナに相談しに行く。
「この夏は、学生はじめたくさんのボランティアが来ます。この3階建てで、寝泊まりできるようしませんか」
旦那さんやマドンナは快諾してくれた。
これで、唐桑ボランティア団事務局として、短期団体を受け入れやすくなる。
マドンナの夢の一歩にもなってくれたら。

マドンナは、それから空いている時間を見つけて、せっせと拭き掃除をしてくれていた。
ボランティアがやるからいいですよ!と言っても、オレらがいない間に掃除を進めている。

(中略)

わいわいと仲間内でこの新たな拠点のニックネーム、屋号を考える。
ホワイトボードに候補が挙げられる。
「キャンプ○○」だとか、「ホテル○○」とか、「スナック○○」とか…
「鮪立(しびたち)の基地だから、“ツナ(鮪)スタンディング(立)”ってどうよ。横文字でいこうや。ツナスタ!」
マドンナは菅野氏なので、「かんの」は入れたいよねぇ。
すると、地元の高校生がポツリと、
「ツナカンは?」
「…ツナ缶?…あぁ〜なるほど!」
鮪立の菅野家で、ツナ(鮪)カン(菅)。

(中略)

8月10日夜、Gakuvoの学生が到着。
ツナカン、オープン!
「皆さん、ツナカンへようこそ!」

真っ暗な鮪立の海岸沿いに、若者の笑い声と灯りが咲いた。

(後略)

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引用記事
「ツナカン物語」 http://blog.canpan.info/entoki/archive/70
「続・ツナカン物語」 http://blog.canpan.info/entoki/archive/71
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(つなかんと出会った日。天井をはがすワーク。2011年6月16日)


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(Gakuvoの緑のビブスだ。2011年6月26日)


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(まだ痛々しいつなかん。2011年7月22日)


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(みんなでBBQ。2011年9月26日)