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気仙沼の体験型地域塾「じもとまるまるゼミ」 maru-zemi.com

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まるゼミ誕生までA〜生きがい働きがいを暴く〜 [2017年10月26日(Thu)]

2016年12月19日。中井小学校校長室。

「地元の漁師、大人たちのね、生きがい、働きがいを暴くことが大事だよね。
なんのために生まれ、なんのためにこの仕事をしているのか、
『感動』がどこにあるのか、
それを丸裸にするのがまるオフィスの役割だと思うんだよね」

えいき先生が地元中高生向け漁師体験「すなどり先生」について、フィードバックをくれる。

気仙沼の「かっこいい大人」のひとりだ。
この部屋には先生が大好きなミニカーやエレキギターもあって、異色の校長室だ。
そして子どもたちが集まってくる校長室。
「大人って楽しいんだぞ!」という姿を子どもたちに日々伝える校長先生だ。

人間の生きがいをえいき先生はこう語る。

「自分の好きなことで . 人の役に立ててる仕事に 一生就くこと」

おぉ。こちらも熱を帯びてくる。
先生はなんのために生まれ、誰の役に立つ仕事をしてるんですか…?

「俺はぁ、やっぱり子どもたちの笑顔をつくるために生まれてきたんだなぁ」

しびれる。
決めた。
新企画案「じもとまるまるゼミ」の学びのテーマはこれだ。

従来の案「地元のくらし方・はたらき方」を消して、
「地元のくらしがい・はたらきがい」とした。

---

経営未来塾の終盤、もう吐けるものがないことを悟った私は何かを詰め込まねばと珍しく読書を始めた。
それが『未来を変えた島の学校』(岩波書店)だった。

島根の離島、海士町の学校の話。
岩本悠さんに会いたい。

そう念じていると不思議なもんで、卒塾の翌月、NHKの収録をきっかけに岩本さんが気仙沼にやってきた。
NHKの収録は1月に終わったが、これはチャンス!と市職員の神谷さんらを中心に、瞬く間に気仙沼の市&市教委&NPOの教育視察企画 to 海士町が立ち上がった。

2月、ついに、あのまちづくりの先進事例の中でもボスキャラである海士町に上陸することになった。

---

ここ1年、「協育」だなんだ言い始めたはいいものの、
どういう地域でありたいか、ばかりで、
どういう人材を育てたいのか、
そう言えばそんなこと考えたこともなかったのかもしれない。

新たな領域に足を踏み入れると、視野を大きく広げてくれる出逢いがわんさか待っている。
まるゼミ誕生まで@〜おカネくださいは悪ちゃうで〜 [2017年10月25日(Wed)]

4ヶ月ぶりに遠東記を再開します。
長いことブログの執筆を休みました。
ごめんなさい。また遠東記を読んでくださいね。

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「おカネください!って言うことと、これやりたいんです!って言うことは全然違うから。
両者の間には大ぉきな川が流れてるから」

はぁ。いつまで経ってもその川を渡れずにおります。

「おカネくださいって言うことは思ってるより悪ちゃうで」

はぁ。悪までとは、ねぇ。思ってないっすよぉ。自信ないんすよ、結局。


2016年12月6日。
花形さんと森さんに囲まれ「福よし」でビール片手にうな垂れる。

今のオレってどんな感じっすかねぇ。
「踊り場に来てる感じやわ。ちょっと前より今の方が好きやけどな」
踊り場かー。長い踊り場やわぁ。

経営未来塾を意気揚々と卒塾して1ヶ月半。
明日陽が昇れば革命を起こしてやる!ぐらい意気込みで走り出したものの、あっ…

という間に、日々の仕事に埋もれ掻き分ける生活に戻った。
何も動けていない自分に苛立ちだけが募る毎日だった。
気仙沼ESD円卓会議では、来年はまるゼミの事例ひっさげてあそこに登壇したいなぁと指をくわえて見ているだけ。
唐桑町まちづくり協議会もついに設立、あれこれ考えることがまた増えた。

「ま、ひとりになって考え込んじゃダメ。毎日『たのもぉぉ』の精神よ。私も未だにそうよ〜」
大企業の偉い方々なのになんて気さくで優しいんだ。

夕方の辛口メンタリングのあとだけに、優しさが染みる。

たまたま隣の席にいらした根口の社長が帰り際に
「まちづくり協議会がんばってんなぁ。なんか力になるから声かけろよ」
と、ぽんっと言ってくれる。それを聞いて、突発的においおい泣いてしまう自分。
あぁ不甲斐ないったらありゃしない。


こんな感じで始まったのが2017年だった。
「じもとまるまるゼミ」リリースの4ヶ月前のこと。
唐桑の高校生チーム成るか [2017年06月26日(Mon)]

唐桑町まちづくり協議会「地域教育チーム」プレゼンツで、唐桑の高校生チームが生まれつつあります!

今日は顔合わせ会でした。

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「都市部のわかものにも『地元』があって、そのそれぞれの地元を大切にしたいなぁと思ってもらえる活動を(唐桑の発信を通して)したいんです」


さっそく唐桑や気仙沼をはるかに越えた発言に感動。

わくわく。

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#やっぱりつなかん [2017年06月24日(Sat)]

3月25日、事故の2日後から仲間内でちょこちょこと連絡をとって集まり始めた。
りょうすけさんを囲んで今後どうするか話し合うカンジ。
いちよさんとはしばらく会えなかったから、気持ちの準備と整理みたいな意味合いもあったんだと思う。

メッセンジャーのスレッド名「つなかんをつなぐ件」とした。



4月8日、工場の大掃除をみんなで手伝った。
6年前同じ場所でガレキの撤去をする光景がフラッシュバックする。

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このあたりから意外な展開に。
つなかんを早々に再開する!といちよさんが言い始めたという。
つなかんの継続を進言するつもりだった私たちは、一転「時期尚早ですよ〜」と止めるのに必死になった。



4月17日、いちよさんがFacebookに投稿する。

「なかなか上手く言葉にできないのですが、嫁に来た時にじーちゃんが言っていた「与えられた運命を愛せよ」という言葉を胸に、もう一度ラストスパート頑張ってみようと思います。
そうして、「こんなに頑張ってきたよ」ってドヤ顔で3人の元にいけたら本当に幸せです。
まだまだ皆さんのお力をお借りしたいです。また皆様と笑顔でお会いしたいです。」


(Facebookより一部引用)


私はまるオフィスの合宿で仙台に来ていたのだが、夜中これを読んで泣く。
「一代のドヤ顔」がまた見たい、そう思った。



一方、4月末りょうすけさんが東京に帰る宣言。
自分の無力さと他人任せだったことを猛省する。



5月1日、お葬式。
これを区切りに、ホワイトボードを持参してちょくちょくいちよさん宅を訪れるようにする。



5月14日、糸井さん夫妻が訪問。キーマンが誕生。

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5月20日「裏作戦会議」で1階部分の活用についていちよさんにある提案をする決意をする。



次に、さちをとばっぱの台所を訪れる。かずえさんに会うため。

6月1日&6日「ばっぱの勉強会」開催。

スクリーンショット 2017-06-24 22.35.35.png




このあたりから動きが加速し出す。
まり財務大臣(もしくは首相)を中心に具体的な準備が始まった。

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(6月7日 つなかんの1階にて)




私はというと、この日からちょこちょこつなかん1階に顔を出すようになる。



6月12日、気仙沼界隈の有識者!!によるNewつなかんごはん試食会。



6月15日、ひとまず広報のお手伝いをすることに。Instagram再開。

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6月22日、つなかん再開のお知らせがアップ。ここにもいろんな方のお手伝いが。
26日からいよいよ再開。



新しいキャッチコピーは「唐桑に嫁いだ、いちよが始めた民宿です。」

スクリーンショット 2017-06-24 22.55.24.png




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みなさん、「唐桑御殿つなかん」が再開しますよ。
嬉しいなぁ。



合言葉は「#やっぱりつなかん」。



やっぱりつなかんは、いろんな人に愛されてるんだなぁと感じた3ヶ月でした。

やっぱりつなかんがなかったら、Gakuvoの受け入れもできてなかったし、「KECKARAけっから。」も生まれてなかったし、結局、今の私たちはありません。

そしてやっぱりつなかんは、波を乗り越えるいちよさんといちよさんの家族の笑顔ではじまるんだと思います。

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(愛用してるほぼ日手帳。糸井さんの言葉。この言葉がここにあってよかった。)


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いちよさんが不意に言う。
「人と人とがつながる場だよ。ねぇ、今の時代に必要なことだと思うんだよね。
つなかんってさ、つながざるをえないところでしょう?」

天国の3人のため、時代のため。
「ねぇ、たくま、私には夢ができた!」思い起こさせるように、頭ん中で6年前のいちよさんが元気よく声を張る。
そうそう、まだまだ夢の途中だもんね。

2011年に書いた記事を読み返してみた。



「ツナカン物語」2011.09

鮪立に「唐桑のマドンナ」がいる。
カキ養殖業の奥さんで、とてもエネルギッシュだ。
3階建ての立派なお宅は、3階まで波を被った。

(中略)

みな、マドンナのパワーに圧倒され、マドンナのトークに爆笑し、力をもらった。
徐々に家がキレイになるにつれ、マドンナが言う。
「この家は一度はもう取り壊そうかと思ったけれど、みんなにキレイにしてもらって、取り壊すのがもったいなくなってきた」
3階まで波を被ろうと、家の基礎や柱に問題はなかった。すごい家だ。

「私には夢ができた!いつか将来、ここを改装して、手伝ってくれたボランティアさんたちが帰ってこれるようにするの。そのときは、私がカキなり何なりを御馳走するわ。泊まってもいいし、休憩でもいいし」
ボランティアに恩返しする場所にしたい。帰ってこれる場所にしたい。みんなが集まれる家にしたい。
「それ、絶対やりましょう!みんな、唐桑に帰ってきますよ」

(中略)

それから1ヶ月は経っただろうか。夏休み目前。マドンナに相談しに行く。
「この夏は、学生はじめたくさんのボランティアが来ます。この3階建てで、寝泊まりできるようしませんか」
旦那さんやマドンナは快諾してくれた。
これで、唐桑ボランティア団事務局として、短期団体を受け入れやすくなる。
マドンナの夢の一歩にもなってくれたら。

マドンナは、それから空いている時間を見つけて、せっせと拭き掃除をしてくれていた。
ボランティアがやるからいいですよ!と言っても、オレらがいない間に掃除を進めている。

(中略)

わいわいと仲間内でこの新たな拠点のニックネーム、屋号を考える。
ホワイトボードに候補が挙げられる。
「キャンプ○○」だとか、「ホテル○○」とか、「スナック○○」とか…
「鮪立(しびたち)の基地だから、“ツナ(鮪)スタンディング(立)”ってどうよ。横文字でいこうや。ツナスタ!」
マドンナは菅野氏なので、「かんの」は入れたいよねぇ。
すると、地元の高校生がポツリと、
「ツナカンは?」
「…ツナ缶?…あぁ〜なるほど!」
鮪立の菅野家で、ツナ(鮪)カン(菅)。

(中略)

8月10日夜、Gakuvoの学生が到着。
ツナカン、オープン!
「皆さん、ツナカンへようこそ!」

真っ暗な鮪立の海岸沿いに、若者の笑い声と灯りが咲いた。

(後略)

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引用記事
「ツナカン物語」 http://blog.canpan.info/entoki/archive/70
「続・ツナカン物語」 http://blog.canpan.info/entoki/archive/71
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(つなかんと出会った日。天井をはがすワーク。2011年6月16日)


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(Gakuvoの緑のビブスだ。2011年6月26日)


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(まだ痛々しいつなかん。2011年7月22日)


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(みんなでBBQ。2011年9月26日)


6月22日の一日 [2017年06月22日(Thu)]

「このハゲーーーっ!」
朝からテレビが叫び散らす。自民党議員の暴言暴行問題発覚。加計問題、共謀罪法案採決強行に続き、負けっぱなしの野党への追風が続く。さて、安倍一強はついに揺らぐか。

昼前に中井小学校へ。
2年生「生活」の授業のお手伝いをしている最近。今日も子どもたちと給食をいただいてきた。ササミのレモン煮は超人気メニューだそうだ。とても美味しい。
「ねぇねぇ何番だった?」と聞いてくる女の子。牛乳パックの上部の裏っ側に小さく刻まれた番号をみんなで見せ合ってる。あぁぁ、そういえば俺らのときもそんなのあったかも。

午後は、唐桑地区(NPO/NGO)連絡会。
実はこれ「唐桑ボランティア団」が前身の定例会で、震災直後の5月に立ち上げ、6年関わり続けた会議だ。(ここ数年は航也に任せっきりだったが)

参照記事:
唐桑ボランティア集結。」2011/05/20
『唐桑ボランティア団』」2011/05/25

気仙沼より早く唐桑でNPOの連合が立ち上げた協議会で(当時22歳の若造が共同代表として担がれた形になるのだが)多いときには毎日100名以上のボランティアをさばいたり、災害NPOの猛者たちと闘った経験はおかげさまで血肉となった。
月日が経ち、毎週の定例会は月1へと落ち着いた。
私もしくはまるオフィスはその連絡会の世話役としてずっと携わってきたが、今日その任を終えた。
FIWC、からくわ丸、市地域支援員、まるオフィスとして見てきた6年間。最近は形骸化していったとは言え、6年に及ぶ何かの幕引き。
感慨深くなるが、気仙沼含め当時のメンバーは誰一人いないのでピンと来ない。そそくさと一服のため退席。

夕方は、唐桑中学校へ。
「海洋教育」がテーマである3学年の総合学習のコンテンツを詰める会議だったのだが、ようやく糸口が見え、先生たちと一緒に思わず笑みがこぼれる。かなりプレッシャーだったため、昇降口を出て運転席にどっと座ると、すっと肩の力が抜けるのを感じた。
唐中応援団構想&唐桑協働教育構想(まだ妄想)に向けて、動き出…しそう!

そのまま唐桑御殿つなかんへ。
やっくんゼミの広報作業をして、そのまま次の寄り合いに突入。
つなかんに関するブレストは23時までかかった。
「#やっぱりつなかん」
決定!決定!と口々に言う。詳細は後日。

23時半帰宅。
妻の手料理のありがたみたるや。
3月の大きな変化 その2 [2017年06月15日(Thu)]

つづき(前回の記事はこちら

2.2小学校の仮設住宅が撤去される

唐桑の小原木小学校、中井小学校という2つの小学校の校庭から仮設住宅が消えた。6年弱に渡る役目を終え、ある日見ると忽然と姿を消していた。

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ありがとう、と思った。

被災した方の雨風を凌ぎ、そこに暮らす子どもたちにとっては仮とは言え「実家」と化した。
半分以下になった校庭でおにごっこをしていた小学生にとっても、先生や保護者にとっても、地域住民にとっても、ある種当たり前の景色となるには十分すぎる時間が6年という月日だった。

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(3月9日の地元紙一面)


震災直後小学校に入学した子らが、この3月に卒業生となった。
卒業までのほんのわずかな間、彼らは広々とした校庭で走り回った。

年度が変わると、運動会が開かれた。
新入生は仮設のある校庭を知らない。

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(中井小学校の運動会。松圃虎舞の太鼓演舞のため参加)


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(小原木小学校の運動会。実はこれが最後の運動会となった。来年は唐桑小との合併が待っている。でも、この運動会は小原木の地区対抗運動会の復活と兼ねることになった。来年以降も運動会は続いてくれるだろう)

「3.11」がまたひとつ終わった−
やたらノスタルジックな気持ちに駆られ、復興が大きく進んだ象徴的な変化として書き留めておく。
(ちなみに、6年経ってもまだ仮設住宅は全て無くなった訳ではありません!)



3.大島架橋がかかる

東北最大の有人島(人口3000人)の気仙沼大島に、70年に渡る悲願の架橋が架かった。
その架橋作業自体はなんと1日。珍しい工法だとか。(開通はまだまだ先)

「ハァーー しまと からくわに 
 そりはし かけて
 わたりたいぞや
 ただいちど ハァヨーイヨーイヨーイドサッ」

唐桑に伝わる「浜甚句」(はまじんく)の一節。
甚句とは、7・7・7・5の労働歌の一種で、江戸時代、地域地域を流れるうちにその地元ごとの歌詞が定着していったもの。
そんな唐桑の浜の労働歌の歌詞には、大島を(現代語wで言うと)ディスる場面が登場したりしておもしろい。当時の唐桑人のユニークさが伺える。
この一節は一転、大島の恋人に焦がれる唐桑人の心情が唄われる。

「大島への橋は(70年なんてもんじゃなく)ずーっと昔から請われてきたんだ」

浜甚句を後世に伝える活動をしている地元のおじいちゃん漁師が言う。
でも、まさか本当に橋がかかる日が来るなんて、誰が想像できただろう。
江戸時代の恋人にそっと報告したくなる光景だった。

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(唐桑の藤浜から。写真じゃ全然見えないけど画面中央にしっかり架かってる!)
「人間力大賞」 [2017年06月03日(Sat)]

【"人間力大賞"ちゃっかりエントリー】

成り行き?で、こんなコンテストにエントリーしちゃいました。笑

WEB投票10秒で終わります。
「加藤拓馬」に清き一票をよろしくお願いします。笑
(下のURLからどうぞ!)

「第31回人間力大賞」
http://nippon-saiko.jp/ningenryokutaisyo/webenquete2/


「人間力」って何だろう。
鈴木重雄さんの話を [2017年06月01日(Thu)]

今日、唐桑中学校2年生の福祉の授業で唐桑の偉人「鈴木重雄さん」の人生について話して来ます。

40余年前、ハンセン病回復者でありながら、船主らに推されて唐桑町長選挙に出馬、まちを二分し僅差で敗れるものの、高松園(洗心会)を創るに至った壮絶な人生です。

今年で唐中でこの話をするのは3年目になります。

"らい"(ハンセン病)がつないでくれた唐桑との縁を毎年感じる一日です。
馬場のぴーちゃんにも一報入れてから、謙虚な気持ちで話してこようと思います。

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死んだら死んだで生きてゆくのだ [2017年05月03日(Wed)]

岡山からお手紙が届いていた。
夫婦揃って震災直後から唐桑を応援してくれている矢部さんからだ。
その后代さんの文に、こんな詩が引用してあった。

「死んだら死んだで生きてゆくのだ」草野心平

そこにこう添えてある。
「死を生と同じように肯定することができたら、もっと楽になるのでしょうね。
それには時がいりますよね。」

私たちへの激励も。
「からくわ丸に乗った若き船員は、めざす目的地までそれぞれ頑張れ!!」

よし。5月も走り抜けよう。
3月の大きな変化 その1 [2017年04月23日(Sun)]

2017年3月に起きた変化。静かな、でも大きな変化。

1.2016年度インターン終了

1年間インターン生としてまるオフィスで活動していた森田みなみが広島大に帰った。

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(ゆうか、みなみと)


相方の牧野由和が年末に帰ったあと、入れ替わるように(2〜3月の)2ヶ月間滞在した加藤広大も3月末に東京に帰った。
みなみロス、こうだいロスの3月。

「唐桑ってどんなところ?」って聞かれたら、
私はまず、「ここから社会が変わる、という予感のするところ。」って答えます。


(みなみのPen. turnブログ http://pen-turn.com/2017/03/10/blog-28/ より)

みなみたちの感想文をブログとかfacebookとかで読んでいるとあることに気づく。
「東日本大震災」の6文字が出てこない。
これは大きな流れの中での大きな成果だと思う。
唐桑の魅力と課題を「地方にある一地域」として見て、考えている。
よくも悪くも3.11が薄〜くなっている。いい悪いの話は置いておいて、ね。

「被災地の支援」を「ポスト被災地の開拓」に変えよう!
と学生たちに言いはじめて丸2年。

彼ら大学生の活動は、”被災地”での「課題解決型」から、三陸での「価値提供型」へと変化を遂げた。
「マイナスをゼロにしよう」という前者と「ゼロをプラスにしよう」という後者は似て非なるもの。
「支援したい!」が「挑戦したい!」になっている。

あとはその”挑戦"の公益性が担保されているかどうか。
その”挑戦”の背景に3.11の記憶が静かにしっかり流れているかどうか。

それさえクリアすれば、この地域は大学生の挑戦とともにどんどんおもしろくなる。
そんな予感をさせてくれた彼ら、でした。

本当にお疲れさまでした。
みんな はよ帰ってこいな〜

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(みなみ、こうだいと)


つづく