6月22日の一日 [2017年06月22日(Thu)]
「このハゲーーーっ!」
朝からテレビが叫び散らす。自民党議員の暴言暴行問題発覚。加計問題、共謀罪法案採決強行に続き、負けっぱなしの野党への追風が続く。さて、安倍一強はついに揺らぐか。 昼前に中井小学校へ。 2年生「生活」の授業のお手伝いをしている最近。今日も子どもたちと給食をいただいてきた。ササミのレモン煮は超人気メニューだそうだ。とても美味しい。 「ねぇねぇ何番だった?」と聞いてくる女の子。牛乳パックの上部の裏っ側に小さく刻まれた番号をみんなで見せ合ってる。あぁぁ、そういえば俺らのときもそんなのあったかも。 午後は、唐桑地区(NPO/NGO)連絡会。 実はこれ「唐桑ボランティア団」が前身の定例会で、震災直後の5月に立ち上げ、6年関わり続けた会議だ。(ここ数年は航也に任せっきりだったが) 参照記事: 「唐桑ボランティア集結。」2011/05/20 「『唐桑ボランティア団』」2011/05/25 気仙沼より早く唐桑でNPOの連合が立ち上げた協議会で(当時22歳の若造が共同代表として担がれた形になるのだが)多いときには毎日100名以上のボランティアをさばいたり、災害NPOの猛者たちと闘った経験はおかげさまで血肉となった。 月日が経ち、毎週の定例会は月1へと落ち着いた。 私もしくはまるオフィスはその連絡会の世話役としてずっと携わってきたが、今日その任を終えた。 FIWC、からくわ丸、市地域支援員、まるオフィスとして見てきた6年間。最近は形骸化していったとは言え、6年に及ぶ何かの幕引き。 感慨深くなるが、気仙沼含め当時のメンバーは誰一人いないのでピンと来ない。そそくさと一服のため退席。 夕方は、唐桑中学校へ。 「海洋教育」がテーマである3学年の総合学習のコンテンツを詰める会議だったのだが、ようやく糸口が見え、先生たちと一緒に思わず笑みがこぼれる。かなりプレッシャーだったため、昇降口を出て運転席にどっと座ると、すっと肩の力が抜けるのを感じた。 唐中応援団構想&唐桑協働教育構想(まだ妄想)に向けて、動き出…しそう! そのまま唐桑御殿つなかんへ。 やっくんゼミの広報作業をして、そのまま次の寄り合いに突入。 つなかんに関するブレストは23時までかかった。 「#やっぱりつなかん」 決定!決定!と口々に言う。詳細は後日。 23時半帰宅。 妻の手料理のありがたみたるや。 |