続・夢のコミュニティ誌(秋のまとめシリーズ5) [2011年12月27日(Tue)]
つづき
10月26日、ある地元の人と電話をする。 地元のママたちが久々に集まって話したことを教えてくれた。 被災地の生々しい現状だった。 「今日を生きるのに精いっぱいなのに、将来(さき)のことなんて考えられない」 地元の人の本音だ。将来の復興はやはりどこかリアリティがない。 「でも、唐桑を魅力的な町にしたいっていう気持ちもある」 次に、震災後仙台に移った友人が、家を新築し、生活を一から再開しているという話を聞く。 「唐桑にいたらやっぱり遅いのかなって。外に出た方が早いのかな」 家屋の基礎だけが残り、すっかり殺風景となってしまった被災地。地盤沈下が激しく、新築などとてもじゃないができない。復興計画も不明確だ。 「(住む場所として)唐桑にこだわる必要はないんじゃない?って皆で話した」 それを黙って聞く。 一方で、やっぱり唐桑で暮らしたい想いもあるが、ママたちの現実は重い。葛藤が続いている。 …ごめんね、勝手に書いちゃって。でも、これが本当に伝わりづらいけど伝えなきゃならないリアルだと思った… 唐桑から人がいなくなる。とっさにそう感じた。 KECKARAの1ページ目は、ポエムっぽいメッセージにしようと考えていた。 この雑誌の主旨が伝わるような。 この電話で、KECKARAの意義が固まった。 この電話と、あの畠山新聞が語る「夢のような話」がリンクした。 (参照記事:「高台移転と新聞屋さん」) こんな文章を書いた。 --- 今日を生きるのに精いっぱいな私たちへ 夢みてぇな話、語っぺし。 「たまにゃ夢みてぇな話(はなす)すねぇすか?」ある唐桑の新聞屋は集金をしながら住民にそう語る。もし、宿浦がかさ上げされて…もし、舞根が高台移転して…そしたらまた皆でここに住めるねぇ。 今は「もし」かもしれない。「万が一」かもしれない。でも、イマ唐桑に必要なのは、もしもの夢物語だ。どんな偉業も、奇跡も、復興も、夢物語から始まる。それを信じるかどうかは置いておいて、ついでに自分ががんばるかどうかも置いておいて、とりあえず夢を描きたい。バカでいい。復興を考える際に、すぐさまカネや世間体に頭がいくのはオトナの悪い癖だ。 「今日を生きるのに精いっぱい」は疲労漂うセリフだけど、「精いっぱい今日を生きる」は明日へつながる。もしもの夢物語は、そんな気持ちの逆転を起こすかもしれない。 いつか私たちの子どもが大人になって誇らしげに微笑み言う。 「ふるさとは唐桑です。親たちがゼロから立ち上げた町です」 そんな夢がある。 やっぱり唐桑で暮らしたい私たちへ KECKARA けっから。はじめました。 復興について熱く語る人を集めました。将来を担う子どもたちに聞きました。 「復興への期待」を少しでも膨らませる「KECKARAけっから。」はじめました。 KECKARAけっから。編集部 --- 押し付けがましくならないように、あえて1人称複数「私たち」を使った。実際、この言葉は地元の人から聞いた言葉たちを繋げたものだ。 方言のチェックを入れたのは、馬場さん。 唐桑の情報を唐桑に発信する超ローカルをコンセプトにした雑誌。 そのテーマ、目的を次のように決めた。 --- テーマ「復興への期待」 目的1.前向きになれる話題の提供 地元の人がなんとなくする立ち話・飲み会の話題は、「被災した過去・現在への愚痴」ばかり。この雑誌の内容を話題に「復興への期待」話を少しでも増やしたい。 目的2.唐桑の想いをつなぐ 現在、唐桑では地区ごとの意識の差、仮設住宅と在宅の意識のギャップが課題。 地区や境遇は違えども、復興に対する意見・想いが似通っている人たちがいる。その人たちが雑誌を通してつながる機会を生もう。 目的3.唐桑の再発見 以上を通して、唐桑の人に唐桑の魅力を再発見してもらおう。 そして、今後ますます加速するであろう人口流出を少しでも食い止める役割を果たしたい。 --- 春からの唐桑現地駐在員として、収集した情報の全てを詰め込んだつもり。 我ながら、それが詰まっている気がした。 11月20日には、「予告編」として簡単なプレビュー誌を発行することとなった。 本誌の発行が間に合わなかったからだ。 やるからにはアマチュア感を出したくない。デザインはプロにお願いしよう。 そこで、堀之内ジェイに依頼した。彼はそれを引き受けてくれた。 1人目のインタビューは、菅野一代さん。一度、遠東記でも紹介した。 (参照記事:「ツナカン物語」「続・ツナカン物語」) 「ピックアップ唐桑人(からっと)」というコーナーで、魅力あふれる同じ地元人を紹介して、元気になってもらおうというもの。 その時々に唐桑にいるFIWCのメンバーと、打ち合わせが重ねられる。 特に、亮太と老ちゃんが協力してくれる。 表紙は人物がいいか、風景がいいか。 人物だと、インパクトはあるが、その人物のカラーが付いてしまう。風景だと、無色だがインパクトに欠ける。 じゃあ、間をとって人物の絵にしよう。そうだ、「子どもの描いた唐桑の絵」にしよう。 ジェイには、ああだのこうだの注文を付けまくる。私は自分の納得のいくデザインじゃないと、許せない性格。が、私の注文以上にジェイのデザインは美しかった。 こうして11月20日を迎えた。 復興感謝祭を見に来たFIWCのメンバー、カジさん、ベッチが配布を手伝ってくれた。 KECKARAはこうして唐桑に、出た。 |