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高台移転と新聞屋さん(秋のまとめシリーズ1) [2011年11月24日(Thu)]

遠東記第二章、本格始動。

秋が来てから、活動はガラッと変わった。
過去に「草雲雀」という記事を書いた。(参照記事「草雲雀」)
どう具体的に変わっていったのか。「秋のまとめシリーズ」と題し、ゆっくり書いていく。

活動のフェーズは「復旧」から「復興」へ。
活動の対象は「ガレキ」から「人の心」へ。
そして、
活動のキーワードは「出会った人をつなぐ」=「町づくり」へ。

9月16日の日記にこう書いてある。

「今までは、ボランティアとして
“平等に、平等に”…
でも、これからは違う。
自分の好きな人、ほれた人、
この人と一緒に何かやりたいって思える人。
そんな人と協働していきたい。」

そこで、2つのキーワードに魅かれ始める。
「高台移転」と「まちづくりカンパニー」。

---

「もう一度、みんなでここに住みたい」
高台移転にかける想いだ。住民のコンセンサス(合意)をとりながら、近くの高台への移転を模索・希望している。
その故郷にかける想いが大好きで、期成同盟会の総会や住民の集まりに顔を出している。

ただ、平地→平地の集団移転は過去にいくつか例があるのだが、平地→高台の集団移転(要は高台移転)は過去に例がないとされる。国も自治体も住民も探り探りの状態で、予算や土地の問題が浮上している。
具体的に唐桑では、大沢地区、舞根1区、舞根2区、鮪立が手を挙げている。

大沢では、住民が希望する移転先と三陸道の建設予定地が被っている。これは問題。
大沢における集団移転の期成同盟会会長は現在仮設暮らし。他地区に比べ若い方だ。「帰っぺす大沢さ」を合言葉に、その想いを熱く語る。ごちゃごちゃした難しいことは嫌いな人で、話していて気持ちがいい。

また、現在取り残された在宅の方もいる。彼ら在宅がコミュニティから孤立している状態を何とかするのが最優先。移転場所の選定は、難しい。

9月には、「防災集団移転促進事業期成同盟会の唐桑町における連携について」という仰々しいタイトルの文書を勝手につくり、地元の人に見せたりもした。
高台移転のために切り崩した土砂を、(高台移転の声の上がってない)他地区の盛り土に使おう。そのための大沢・舞根二頭プラン。「高台移転」と「道路建設」の連動…などなど。
地元の畠山新聞屋と一緒にあれこれ意見を出し合った。

---

ここで登場しました畠山新聞屋。彼はすごく魅力的なことをしている。
震災から数ヶ月。息もせず短距離走を駆け抜けるように日々格闘した唐桑に、疲れが見えていたころ。
同じく息切れしてしまった彼はしばらく力を抜いた後、「これじゃいけない」と精力的に町内を回り始めた。

彼は集金をしながら、いろんな人の話を聞いてまわる。傾聴ボランティアのような役回りなのだが、同じ唐桑人による「新聞の集金ついでの立ち話」というごく自然な形だ。地元の人からしてみると、ボランティア以上に彼はよき話し相手となった。おしゃべり好きの彼にとっても、悪くないはずだ。
「集金さ行く先々でお茶っこして話し語りしてたら、時間がかかってかかって…」と彼は嬉しそうに笑う。

だが、その先々で聞く話は悲観的な話題が多かった。
そこで彼は言う。
「たまにゃ夢みてぇな話すすねぇっすか」
彼は高台移転の話、かさ上げの話、みんなでもう一度ここに住める日のことを語る。「あぁ、確かに…いいねぇ」聞く側も妙に明るくなる。
嘆くべき現実を嘆くのは、確かに埒の明かない作業だ。

お金を集めながら、夢を配る新聞屋。素敵な話ではないか。

また、彼は高台移転の情報屋でもある。
「○○地区で、こういう動きがあったぞ」
情報収集の中で得た動きを、私にも教えてくれる。
…と言うとスパイっぽいが、残念ながらそんなカッコいいもんではない。せいぜい傍観者だ。
新聞屋と私は、高台移転を進める地区どうしの連携を目指すようになった。
唐桑にいるからには、声を併せ、増幅させ、中央に届けるしかない。
彼は、そのフットワークの軽さで、あっちとこっちを繋げようとする坂本竜馬だ。