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宿の今 [2012年04月17日(Tue)]

宿(しゅく)地区は、唐桑の心臓部。
役所、消防、漁協、商工会などなどがあり、スーパー、コンビニもろもろお買い物にも必須。
外海(太平洋側・広田湾側)と内海(気仙沼湾側)と両方に面しており、震災時は砂子浜(外海)と宿浦海岸(内海)から地区を挟むように津波が押し寄せた。前者は馬場の郵便局まで達し、後者は宿浦の旧唐桑小跡地のすぐ下まで達した。

数日前から被災してそのままだった交番の撤去が始まり、今日見るとキレイになくなっていた。
これにて、馬場で被災してそのままの家屋・施設がとうとうなくなった。

ローソンは再開した。(参照記事:「8月6日オープン」)黄色い車が屋根に載ったコメリはセブンイレブンになった。ホーマック進出のウワサもあったが、まさかの唐桑第二のコンビニが、ローソンの目の前にできた。
(ちなみに、その直後ローソンは大沢でもオープンして、今は唐桑にコンビニが3つある。「ここらは真っ暗になっておっかなかったから、ローソンができてよかったのよ」と大沢の在宅の人は話す。)

砂子浜のかわむらとヤマカの二大加工場は、震災後早くに再建された。
セブンの隣には、夕市の小屋が建設された。
ローソンの隣の鈴木オートは再開、その隣の薬局は解体。その隣の山本スタンド(JOMO)は、唐桑商会の創業とともに昭和シェルになった。そのお隣の国昭さん宅は解体。
向かいのお菓子の花子は再開、隣の車屋も再開。向かいの小松屋さん自宅は新築された。自宅の再建は、ここらで一番早かった。隣のフードセンターは震災直後から営業再開している。
ちなみに、役所前の通りには、キッチンひがしやまが開業した。唐桑で唯一中華料理が食べられるお店。

そして、ローソンの前に信号機が新設されたことも震災後の大きな変化。小学生の通学路なのでその点安心なのだが、まさか馬場で信号待ちの車の列を見るとは想像してなかった。
馬場は夜も明るくなった。未だにあの真っ暗な馬場をときどき思い出す。
そして、最後にローソン隣の交番が解体。

今、津波を思わせるのは小学校下まで打ち上げられた砂子の船くらいか。そうなると貴重な存在に思える。
宿にはまだまだ使われていない土地が多く、今後の発展に期待がかかる。夕市を発展させて、立派な産地直売所でもできれば、地元経済も観光客も喜ぶのになぁ、と想像してみる。
海の幸、家庭菜園野菜、果物、地元のおばちゃんたち自慢のお惣菜、お土産グッズなどが並び、人の出入りが絶えないお店。唐桑の観光を満喫した後に気軽に寄れるスペースにもなる。新たな雇用も生まれる。

宿の活用法は是非町民をあげて考えていきたい問題だ。わくわくすること間違いなしだ。
蟷螂か蜘蛛 [2012年04月15日(Sun)]

活動記録である遠東記を整理していると、未公開のままのこんな記事が見つかった。
9月に書いたものだった。
全ての活動が、真逆の2つの結果を両立させる。「矛盾」による葛藤。炊き出し、物資、イベント、仮設住宅支援、高台移転、そしてまちづくり自体も。
そんな気がして悶々としていた頃だ。

---

夏の終わりを感じさせる夜。

ぶおっと何か宙を舞い、クモの巣にかかる。大きめのカマキリだった。
カマキリがもがく。
とっさにカマキリを助けようと、なんとなく手をのばす。巣の主がさーっと逃げる。
…なんとなく手をとめる。

カマキリを助けると、カマキリは助かる。当たり前だ。カマキリに感謝されるかもしれない。
ただ、クモには「こんちくしょー」と言われるだろう。
いやそれ以上に、クモにとっては久々の獲物かもしれない。最近、エサがとれなくて死にそうな状態かもしれない。念願のメシ。それを、オレがぱぱっと取ってしまっていいものか。
一方、カマキリにも今死ねない事情があるかもしれない。これから出産かもしれない。

「あぁカマキリが可哀想」という薄っぺらい気持ちで、手を出すのは簡単だ。ただ、両者ともに生死に関わることだ。
そもそも、クモは気持ち悪い見た目?だから、「悪役」という偏見がそこに働いている。

しばらく、そこで悩み込む。

どちらかに肩入れすれば、どちらかのひんしゅくを買う。どちらかの正義は、どちらかの悪になる。逆も然り。
何かが絶対的に正しい、なんてことは絶対にない。

これは、私がこの半年ここ被災地で学んだことだった。
1年経って [2012年04月05日(Thu)]

2011年4月5日。
真っ暗の284を走り、そのまま「からくわ」がどこかも分からず、市街地に迷い込んだ。
なんとか唐桑町馬場に辿り着き、空き地のようなところに車を停める。
何かが始まる予感でいっぱいだった。
車を降りると、満天の星空…という言葉では言い尽くせないほどの星に迎えられた。
思わず声が漏れる。馬場の電気が復旧したのが4月6日だったから、星々はなんの人工の光にも邪魔されることなく輝いていた。

2012年4月5日。
朝から、拠点のプレハブでKECKARAの会計の整理をしていた。
あの日車を停めた場所辺りにプレハブを建てたので、つまりこの今座っている場所が、ちょうどあの日車から降りた場所だ。
あの日、1年後を想像することは絶対無理だった。夏ごろには東京に帰るつもりでいたのだから。
先が読める人生もいいが、1年先すら読めない人生も悪くない。まぁまだ若いからね、と自分で言い聞かす。

今日、住民票をこちらのアパートに移した。
総合支所の受付をしてくれた方は、ガレキ撤去の作業で知り合った小原木の方だった。
「えぇ!本当にですか?」と口を覆う。
住民票を移して、こんなに驚かれることももう人生でないかもしれない。
東京で免許を取りたかったから、実家から東京に移しただけの住民票なので、住んでいない東京に置いておいても仕方ない。

という訳で、「期間限定気仙沼人」となった。

---

唐桑の方々へ

この1年間、ボランティアとは名ばかりで、数えきれない唐桑の方に激励を受けながら、活動を続けてきました。続けることができました。

ありがとうございました。

これからは、先の見えない「まちづくり」。
誇れるまちをつくっていきましょう。

私は1年後、どこで何をしているのでしょうか。
今はなんとなく見えます。きっと、ここらへんで相変わらず唐桑の人と呑んでいるのでしょう。
よろしくお願いします。
2012年3月11日 [2012年03月12日(Mon)]


2011年3月11日。

静岡県御殿場。数名の仲間で卒業旅行に来ていた。
遅めの昼食のため「ドライブイン白雪」に入る。いいカンジの店見つけた。
ポツンと一人の白雪姫が座っている。時間のせいかお客はいない。
着座してメニューを見る。白雪姫と談笑。
14時46分。
「あれ、停電。ブレーカー落ちましたね」
腰の曲がった白雪姫は棒を持ち出して、ブレーカーを突こうとする。「手が届かないからねぇ」
「ちょっと棒貸して」白雪姫に寄る。
あ、ゆれてる。こりゃ大きいな。
「あ母さん、出ましょう」
室内は危ない。
白雪姫もとい83歳で店をやっているお婆ちゃんの手を引き、外へ出た。
富士山がどんと眼前に広がる。
すると、アスファルトの道路がうねり始めた。まっすぐ立ってられない。白雪姫を囲み円になり抱き合った。
仲間は半パニック状態。
「窓から離れよう」
私の脳裏に阪神・淡路大震災が蘇る。「あぁ、ついにまた大地震とやらが来たか」
逆に冷静な自分がいた。東京もんより、幼いころから「地震」との距離が近い環境で育ったせいか。
何か楽しいことでも始まるようだった。

震源は?
宮城?
また東北か。気の毒やなぁ…


2012年3月11日14時46分。
サイレンが止む。眼を開けた。
宮城県気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)地区。
周りの漁師さんたちは、鼻をすする。眼を拭く。「1年経ったなぁ」

私は夢から醒めたようだった。
1周年の黙とうでは泣くと思ってた。実際黙とうしている間は、祈りを捧げた後、ちょうど1年前を思い出していた。
すると、1年前は唐桑のかの字も知らなかった自分がいた。
冷めた。涙なんて出ない。私はたんぽぽの綿毛。また風が吹けば飛んでいく身。

あれ、なんで唐桑にいるんだったっけ?

何かよく分かんねぇ。

---

鮪立。
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その日。
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そして海が燃える。
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そして時が経ち…
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1年を迎えた。キャンドルが包む鮪立。
3111.JPG


Facebookで地元の人がコメントをくれた。

「あの日あったのは、全てを焼き尽くす業火。今夜あったのは、静かで暖かな鎮魂と癒やしの灯火。
心の中にも、故郷を愛する灯りを点して。

関係者の方々、お疲れさまでした。
ありがとうございます。」

その夜は、じいじ、カジさん、ベッチと4人でこっそり杯を交わした。
この3人、地元の人だが震災前は特に接点のなかった3人だ。
涙なんて出なかった。
「このメンツで呑んでるって不思議だよな」
「この日、こうやって吞めてよかった」
「これからが楽しみになってきたな」
じいじとカジさんとベッチがそう言ってくれたから。

あれ、なんで唐桑にいるんだったっけ?

さぁ、なんかの縁でしょ。そんなもんさ。
転機 [2012年03月07日(Wed)]

現地が変わっていく。

ここ数日、寒さが一気に和らいだ。
みんなに春を想わせる。気温が10度近くまで上がる。

この冬は特に寒い冬だったそうで、一番の問題として、仮設住宅の水道管凍結が頻発した。
建設時はマイナス3度までを想定していたそうだが、この冬はマイナス9度近くまで下がったので、当然の結果といえば当然。
当初、仮設住宅は夏の暑さを凌ぐことが急務だった。むき出しの柱は熱を持ち過ぎて、まぁ部屋の中はとんでもない暑さだった。
しかし、ある人は言う。「夏の湿気対策で、仮設の床下を風通しのいい状態にした。でも結局、それが裏目に出た。風通しのいい床下を走る水道管は冬風をもろに受けた」
凍結を避けるため、水道管を熱線で温め、床下の空いた隙間にブルーシートを張るはめになった。それでも、風あたりが強い仮設は、タンクの中から凍ってしまうことも。もうどうしようもない。
どこに問い合わせるの?解凍工事は自費?
そんな混乱に陥った。
水が一切出ないのだ。震災直後を思い出した人も少なくないはずだ。

まぁ、仮設が完成した当初から言われていたことでもある。
「こんなむき出しの水道管、冬になったらやばいぞ」

---

1月末は、ひとつの大きな転機となった。
ひとつ。宿浦のガレキ仮置き場が閉鎖。
これで唐桑には、残すところ後1カ所となった。

いろいろと感慨深い。我々ガレキ撤去屋にとって、ガレキを集積する仮置き場は特別な場所だ。
宿浦の仮置き場がオープンした当初から、毎日毎日軽トラで往復してガレキを運びこんだ。
ゴールデンウィークには、お菓子の花子の前のガレキの山を少しずつ分別して、自分たちも荷台に飛び乗り、ガレキを捨てに行った。
「ガレキ」でなく、「家」であり「家具」であり「おもちゃ」であり、「生活」である。でもそんなこともマヒして、無心に捨てた。捨てて捨てて捨てて。
宿浦にはあっと言う間に、ガレキの丘が出来た。まぁなんとも不思議な丘で。
木材の丘、瓦の丘、ガラスの丘、家電の丘…

気づけば宿浦に建物はなくなり、丘だけが残った。
冬になるとその丘が雪で真っ白くなった。
地盤沈下で浸水した宿浦には、氷が張った。

仮置き場が閉鎖することで、今からその丘の解体が始まる。ひとつ役目を終えた宿浦。

---

ひとつ。ガレキ撤去の緊急雇用対策が終わった。
漁師さんたちが浜のガレキ撤去や共同アンカーづくりに従事すると、日当1万2千円が出るというもの。
しかし地盤沈下の影響で、午後2時以降は海水が上がり浜での作業は不可能となる。半日で1万2千円はどう考えても高すぎる、正規雇用での労働意欲を削ぐだけだ、などなどの批判も飛び交った。今だからこそギリギリ書けること。
しかし、いざ終わってみると、自分まで不安になる。
「今日から正真正銘無給だ」と嘆く人。本当にきつい。ここからが勝負になってきた。

---

ひとつ。町民体育館の写真展示が終わった。
唐桑の町民体育館は、まず遺体安置所となり、その後は写真などガレキの中から見つかった思い出の品の収集・展示場所となった。
いろんな人がそこへ遺品を探しに来たし、大量の写真洗浄ボランティアが入った。潮にまみれた写真の保護、データに変換するなどのプロジェクトも立ち上がった。
そこが閉鎖することとなった。

---

2月に入ってからも、大きな変化があった。
養殖わかめの出荷が始まったのだ。
これらのわかめは震災後に種づけしたもので、養殖業者は震災後初めての本業での収入となった。
どれほど画期的な一歩か。
一方、震災後に種づけしたホタテ、カキの成長が今ものすごく早い。夏に出荷予定のホタテが、夏前には出せるかもしれない。
なぜか。主な理由は2つ。
ひとつは、津波が海をかき回したから。海底の栄養分を一気にかき上げた今回の津波。
過去の津波でも同じだった。「津波の次の年は豊作なんだ」と昔を知る人は言う。
もうひとつは、養殖の数が減ったから。養殖のいかだが減った分、ひとつひとつに栄養が行き渡るのだ。

私は見たことがないのだが、震災前、唐桑の海はカキのいかだで海が埋め尽くされていたとか。
「海も疲弊してたのさ。ぎっしり農作物を畑に植え続けると、土も疲弊するだろ?」
津波は海を元気するという結果も引き起こすのだ。自然の営みには、本当に敵わない。
しかし一方で、流れ出た大量の油が海底に敷き詰められているのも事実だが。

徐々に変わっていく。
人の感情も然り。
国昭さんが言う。「こっちの冬は厳しい分、これから春になると人の気持ちも上を向く」

もうすぐ震災から1年。
今が大きな転機だ。捕まえるも逃すも、人次第だ。
マドンナは健在! [2012年02月02日(Thu)]

過去の記事「ツナカン物語」、「続・ツナカン物語」で紹介させて頂いたのは、盛屋水産さん。
ちなみに、ツナカンは「KECKARAけっから。」の予告編でも登場。

唐桑のマドンナこと一代さんは現在も健在です。むしろパワーアップしてます。
そしてツナカン改造計画という夢に向け、ついに歩み出しました。

一代さんファンは、こちらのブログをどうぞ!
盛屋水産の新たな取り組みの様子が、たくさんの写真付きでつづられています。


「盛屋水産 気仙沼つなぎ牡蠣の仕事。」
http://moriyasuisan.blog.fc2.com/
けせんライナーのある日 [2012年01月28日(Sat)]

前にも書いたが、今月馬場のアパートに入った。
高田馬場、ではない。唐桑町馬場。
大家は馬場さん。運よく1月から一室空いたのだ。
まだ用途は就寝のみ。

滞在9ヶ月目にして初めて得た「鍵付きプライベート空間」に喜びと違和感を覚える。
少しずつ活動の体制も変わってきている。

「アパートに入ったし、オレも“屋号”を考えようと思う」
と提案したが、かじさんから「アパートに屋号は聞いたことがない」と当然の返事が返ってくる。却下。
同姓が多い唐桑では、みな家のニックネーム「屋号」を持つ。いつしかそれが羨ましくなっている。

---

5時40分、45分にケータイが鳴る。
けせんライナー(池袋・気仙沼間の夜行バス)でやってくるメンバーの迎えに、気仙沼駅まで行かなければならない。
なんだかんだ布団の中でもぞもぞして6時くらいにアパートを出る。

極寒の朝は、車がカチンコチンに凍っている。朝6時は一番気温が下がる時間帯だ。
雪の朝は、車に載った雪を落とす。新雪はふかふかで気持ちいい。ただ、融けたあと車が一気に汚れる。
雨が降った次の朝は、ドアが凍っていて簡単に開かない。こじ開けるとバリバリと音を立てる。ワイパーが凍って、ビクとも動かない。「ま、まじか」という声が漏れる。
びゅーっと出るはずのウォッシャー液まで凍っているのか、うんともすんとも言わない。

雨や雪が降った次の朝は、道路もつるつる。怖い。
「(冬は)滑るのは仕方ない」と地元の人は言う。
じゃあ、どうすんの?と聞くと、「滑りながら運転する。まぁブレーキを強く踏まないことだね」と、さらっと言う。東北人強し。

東北には、道路脇の至るところにデジタルの気温計が設置されている。最近はマイナスが当たり前になってきた。
今朝、6時に初めて「−9」という数字を見た。
今まで唐桑で自分が見てきた中で、最低の数字だ。「き、記録更新や」と逆に興奮する。
一方、昼1時の一番暖かい時間帯のはずの時間帯に「−1」とか出てると、萎える。

0度以下を「グランドライン」、−5度以下を「新世界」と名付けることにした。ネタが分からん人、ごめんなさい。

デジタル気温計くんが毎日20代後半をたたき出していた、サマーな時代は何だったのだろう。あれから半年。こうやって毎日毎日運転しながら気温の変動を見ていると、「日本には四季があるんだなぁ」と訳の分からない詩人モードに入る。

気仙沼駅まで車で20分。
石浜あたりから見渡せる空と海は、青とオレンジとのなんとも言えない中間色を見せる。あれは何色なんだろう。
メンバーを乗せて唐桑に帰ってくると、ちょうど朝日がキレイにのぼる。

けせんライナーのお迎えがある日はこんなカンジだ。

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ユ○クロのダウンに、ユ○クロのパーカー、ユ○クロのフリースに、ユ○クロのロンティー、ユ○クロのヒートテックに、ユ○クロのタンクトップ。
下も完備。アイテムは、ネックウォーマーに腹巻き、手袋。
今日もOK。

東北人は春が来るまでじっと耐える。筋肉も気持ちも縮まって仕方ない。寒くないところはない。
不思議なことにエアコンというものをほとんど使わない唐桑人。寒い寒いと言いながら、ストーブを焚いて、掘りごたつを重宝する人種だ。だから、耐えることが当たり前。
「2月の半ばが一番寒い。それが過ぎれば、あとは春が来るのを待つのよ」

それを聞いている私なんかは(いやいやいや、なんでやねん。去年は6月くらいまで寒かったやんけ)とぶつくさ言う。耐性ゼロだ。

この気温の中、漁師は海の仕事をする。海上はさらに寒い。「海水の方があったけぇんだよ」と言う漁師。
風土や気質、というものは存在するようだ。「耐える」人たち。
ぺらぺらぺらぺらと口から生まれたような関西人とは違う。
また別の魅力がある。
東北の冬を感じて、そう考えるようになった。

---

お、余震だ。
こりゃ今年あたり、また絶対大きいの来るなぁ。東京の人、ホント気をつけてね。家の中の地震対策をしっかりね。
まぁ、あれだ。 [2012年01月22日(Sun)]

「(現地駐在員として情報の)発信が足りていない」と最近指摘を受けることが多いが、
本当に何を発信すればいいのか分からない。
いや、発信したいことはあるのだが、整理できない。故に伝わらない。

---

今は、「KECKARAけっから。」の第1号発行に向け準備を進めている。
その他にも、毎日なんだかんだで用が入る。
「働いている」に値するかどうか怪しい用事ばかりだけど、なんせ何もすることがないという日は一日もない。
毎日休みみたいなもんだけど、いや、それ故に休みがない。
働くって何だ、ホント。

遠東記も最近滞っている。書きたいことは山ほどあるのだが、いや、それ故に頭がこちらに向かない。

ノドが治らない。咳が止まらない。煙草をいよいよ本格的に減らし始めた。

短期ボランティアにできることはいよいよ無くなってきた。
ここが難しい。
マンパワーを必要とするニーズが完全にない訳ではないので、短期の団体ボラはまだやることがある。しかし、短期個人ボラは厳しい。

まぁ、あれだ。そういうことだ。自分に2〜3日で何かできるなんて思わないで。
まぁ、いろいろゴメン。

FIWCの拠点(通称:唐桑ホーム)の防寒対策は、じいじ、かじさん、ベッチがやってくれたよ。
これで、またホームに宿泊が可能になる。よかったね。みんなおいで。

あ、オレは馬場のアパートに入ったよ。契約はこれから。とりあえず布団とこたつを入れた。

---

分かんない。上手く伝えられない。
遠東記に、たまにはこんなグダグダ記事を上げてもいいよね。

ただ、この正月、唐桑に来る前に郭晃彰に言われたことが頭から離れない。

「お前の仕事に、誇りを持て」
2つの意が含まれている、と解釈。

1つ目。今の活動は、自分の「仕事」だという自覚を持て。
ボランティア、ボランティアと言われ続けて久しいが、私自身にとっては「仕事」だ。
ボランティア=アマチュア的なイメージが嫌い。プロ意識が必要。

2つ目。自分自身に変な誇りを持って自惚れるな。
私がしている「活動」に対して人は評価する訳であって、私自身ではない。
私自身に変なプライドを持つと、ただの自惚れ野郎になる。
そうでなくて「活動」に誇りを持て。

そんなことを彼は伝えたかったのだろう。夜中の六本木で。

眠い。明日は虎舞の本番だ。
あ、FIWCの週報するって決めたんだ。書かなきゃ。
唐桑ボランティア団の活動報告はもうすぐ書き終わる。
あ、議事録、まだ流してなかった。亮太の仕事だった。亮太の存在は大きかったな。
来週から皆で順番で書いてくれないかなぁ。
KECKARAが間に合わないな。2月の某日に出したいんだけどな。
原稿が遅い、ファンドレイズも相変わらずのペース。
担当は誰だ、まったく。全部自分だった。くそ。
メールがまた溜まってるな。死ぬまでメール処理に追われるのかな。
電話も一件折り返しがまだだ。
ケータイがない時代は、どうやって皆仕事してたんだろ。どうやってコミュニケーション取ってたんだろ。笑ってしまうほど全く検討がつかない。

電子タバコを買ったが、あれはおもちゃだな。ごまかしはやっぱごまかしだ。
でも、なんだかんだ、そのおもちゃをふかしてる自分がいる。

まぁ、あれだ。そういうことだ。
タッペが怖い今年もどうぞよろしく。 [2012年01月11日(Wed)]

昨年は大変お世話になりました。
2012年もどうぞよろしくお願い致します。

いよいよ復興元年がやってきました。
…のはいいが、本当に東北が冷えてきた。
天気予報によると、明日は最高気温が0度に達しないらしい。最低気温はまさかのマイナス9度。
どうなっているんだ。

さて、2012年のMy漢字は「躍」と決めました。
躍進をとことん追求する年にします。
年始に、抱負として「今年の漢字」を決めるのはオススメです。皆さんもどうぞ。

その躍進のためにもまずは身の安全、ということで…
年末に気仙沼復興協会(KRA)の方が送ってくださった資料を転載します。

東北の冬道は初めて走るという方は、必ず読んでから気仙沼にお越しください。

---

雪道への対処

歩行時
・ソールに溝の無い靴は避ける(革靴なぞ以ての外)。
・あまり膝を曲げず、足の裏全体を使って歩く(足をなるべく垂直に接地させる)。

走行時
・黒く艶のあるアスファルト路面=凍結危険
・危険度=新雪<圧雪<氷結上に新雪<凍結路面
・橋、高架橋上=下が空間のためそこだけ凍結路面になるので走行注意!
・“急”のつく行動は避ける。急加速・急ハンドル・急ブレーキ
・通常の二倍程車間距離をとり、早めに減速する。
・ソフトなポンピング(ブレーキをかけ続けるのではなくチョンチョンと間隔を空けて踏む)ブレーキで減速。
・下り坂では、フットブレーキをかける前に、ギアをシフトダウン(マニュアルなら走行時のギアより1速ダウン・ATはD→2レンジへ)しエンジンブレーキで減速。
・ハンドルを大きく切る際は、十分減速する。
・ブレーキをかけるときは、ハンドルを直進状態にする。
・ハンドルを切っている時に、アクセル・ブレーキ操作をしない。
・複合動作を避ける→×ハンドル操作+ブレーキ、×ハンドル操作+アクセル踏込
・上り坂では再発進が困難になる可能性があるので、出来る限り停止しない。
・コーナーは減速し、大きく入り小さく抜ける。(アウト→イン→イン)
・長時間駐車時は、ワイパーを上げておく。
・長時間駐車時は、サイドブレーキを使用しない(凍結しブレーキが解除出来なくなるのを防ぐため)。マニュアル車の場合、平地もしくはリアが下がった状態で停車時には、1速・フロントが下りの時はR(バック)ギアに入れておく(ギアが入ったままなので、発車時要注意!)。AT車は、当然パーキング位置にしておく。
・安全な場所で、車の挙動を確かめておく。

以上、WVJ田添さんのご説明への蛇足でした。
皆様十分に注意して、東北の冬を無事乗り切って下さい!


気仙沼復興協会 塚本

---

活動において、交通事故が一番怖い季節になりました。
こちらでは、路面に張る氷のことを「たっぺ」と言います。
タッペに注意!事故って人でも殺してしまったら、今までの活動も関係もパーです。
本当に「よそもの」は注意しましょう。私も気をつけます。

以上、新年一発目だったので、ですます調でお送りしました。
さようなら2011年。 [2011年12月31日(Sat)]

2011年の遠東記はこれにて終わります。
本当に、1年間お世話になりました。
ありがとうございました。

2011年は、世界にとって忘れられない年になりました。
世界史、日本史、共にこの1年は深く長く語り継がれていくでしょう。
そんな歴史の変動期に生きていることを誇りに思います。

来年以降も、唐桑に滞在することを決意しました。
今まで以上に、地元の方々含む仲間たちにお世話になると思いますが、
どうぞよろしくお願いします。

「あけましておめでとう」とは言えない正月がもうすぐやってきます。
でも、2013年には「おめでとう」と言えるよう、来年も引き続き謙虚に地道に活動していきたいです。

では、また2012年に。

加藤拓馬
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