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続・ツナカン物語 [2011年09月15日(Thu)]

つづき

わいわいと仲間内でこの新たな拠点のニックネーム、屋号を考える。
ホワイトボードに候補が挙げられる。
「キャンプ○○」だとか、「ホテル○○」とか、「スナック○○」とか…
「鮪立(しびたち)の基地だから、“ツナ(鮪)スタンディング(立)”ってどうよ。横文字でいこうや。ツナスタ!」
マドンナは菅野氏なので、「かんの」は入れたいよねぇ。
すると、地元の高校生がポツリと、
「ツナカンは?」
「…ツナ缶?…あぁ〜なるほど!」
鮪立の菅野家で、ツナ(鮪)カン(菅)。

---

マドンナが言う。
「ボイラーがあれば、お風呂に入れるんだけどなぁ」
写メールの仕方が分らないというので、私が代わりにボイラーの写真を撮り業者に送る。同じ型のボイラーを格安でお願い!とマドンナが交渉してくれる。
ガスは、カセットコンロでOK。
1階がリビング兼キッチン、2、3階は寝室。20〜30人は寝れるキャパの広さ。
3階に御座を敷く。ベッドも3台ある。
これで、全て整った。

8月10日夜、Gakuvoの学生が到着。
ツナカン、オープン!
「皆さん、ツナカンへようこそ!」

真っ暗な鮪立の海岸沿いに、若者の笑い声と灯りが咲いた。

マドンナはすぐ裏に住んでいるので、しょっちゅうツナカンに顔を出してくれる。前を通りすがる地元の住民も、「今度は何人来てたの?ご苦労さまね」と声をかけてくれる。
ツナカンの名も定着した。

---

マドンナから早朝まだ薄暗いころ電話が入る。
「お義父さんが亡くなってね。ちょっと忙しくなるから、今日カキはお休みね…」
旦那さんのお父さんが亡くなる。
マドンナにお世話になっているボランティアは、FIWCやGakuvoだけではない。カキ養殖のお手伝いなどでRQともつながりがある。また、唐桑で有名な家だ。大きな報せとなった。

後日、ある地元の人がツナカンの話をしてくれた。泣きながら。
6月、マドンナを私たちFIWCに紹介してくれた人だ。

「おじいちゃんが調子悪いのは聞いてたけど…」
声は涙で震えている。
「あの家は、おじいちゃんが大好きな家だったから、だから被災しても、またおじいちゃんが帰ってこれるようにって、おばあちゃんと(マドンナが)2人だけでガレキ出しとか、家の片付けをしてて…
でも、やっぱり人手が足りなくて。だから見かねて…私はFIWCのことを紹介して。
でも、おじいちゃんはもういなくて…」

私は眉間にしわをつくって、その話を黙って聞くしかなかった。何も言えなかった。
何も知らなかった。
「家」。人の家を借りるってことの重大さを考えさせられた。
感謝の意は足りていたか?被災した家だからって、軽々しく「貸してください」って言ってなかったか?今いる学生は、それを知っているのか?わいわいやってていいのか?
家には、歴々の家主の想いがたっぷり詰まっているんだ。
単なる箱モノなんかじゃない。きっといろんな夢が詰まってるんだ。

マドンナはそんな悩みを吹き飛ばすように、変わらず明るく言う。
「おじいさんは、賑やかなのが好きだったから、きっと喜んでるよ!」

引き続き、学生ボランティアはツナカンに入ることとなった。今も鮪立のガレキ撤去をしてくれている。

菅野さん、本当にありがとうございます。
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