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転機 [2012年03月07日(Wed)]

現地が変わっていく。

ここ数日、寒さが一気に和らいだ。
みんなに春を想わせる。気温が10度近くまで上がる。

この冬は特に寒い冬だったそうで、一番の問題として、仮設住宅の水道管凍結が頻発した。
建設時はマイナス3度までを想定していたそうだが、この冬はマイナス9度近くまで下がったので、当然の結果といえば当然。
当初、仮設住宅は夏の暑さを凌ぐことが急務だった。むき出しの柱は熱を持ち過ぎて、まぁ部屋の中はとんでもない暑さだった。
しかし、ある人は言う。「夏の湿気対策で、仮設の床下を風通しのいい状態にした。でも結局、それが裏目に出た。風通しのいい床下を走る水道管は冬風をもろに受けた」
凍結を避けるため、水道管を熱線で温め、床下の空いた隙間にブルーシートを張るはめになった。それでも、風あたりが強い仮設は、タンクの中から凍ってしまうことも。もうどうしようもない。
どこに問い合わせるの?解凍工事は自費?
そんな混乱に陥った。
水が一切出ないのだ。震災直後を思い出した人も少なくないはずだ。

まぁ、仮設が完成した当初から言われていたことでもある。
「こんなむき出しの水道管、冬になったらやばいぞ」

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1月末は、ひとつの大きな転機となった。
ひとつ。宿浦のガレキ仮置き場が閉鎖。
これで唐桑には、残すところ後1カ所となった。

いろいろと感慨深い。我々ガレキ撤去屋にとって、ガレキを集積する仮置き場は特別な場所だ。
宿浦の仮置き場がオープンした当初から、毎日毎日軽トラで往復してガレキを運びこんだ。
ゴールデンウィークには、お菓子の花子の前のガレキの山を少しずつ分別して、自分たちも荷台に飛び乗り、ガレキを捨てに行った。
「ガレキ」でなく、「家」であり「家具」であり「おもちゃ」であり、「生活」である。でもそんなこともマヒして、無心に捨てた。捨てて捨てて捨てて。
宿浦にはあっと言う間に、ガレキの丘が出来た。まぁなんとも不思議な丘で。
木材の丘、瓦の丘、ガラスの丘、家電の丘…

気づけば宿浦に建物はなくなり、丘だけが残った。
冬になるとその丘が雪で真っ白くなった。
地盤沈下で浸水した宿浦には、氷が張った。

仮置き場が閉鎖することで、今からその丘の解体が始まる。ひとつ役目を終えた宿浦。

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ひとつ。ガレキ撤去の緊急雇用対策が終わった。
漁師さんたちが浜のガレキ撤去や共同アンカーづくりに従事すると、日当1万2千円が出るというもの。
しかし地盤沈下の影響で、午後2時以降は海水が上がり浜での作業は不可能となる。半日で1万2千円はどう考えても高すぎる、正規雇用での労働意欲を削ぐだけだ、などなどの批判も飛び交った。今だからこそギリギリ書けること。
しかし、いざ終わってみると、自分まで不安になる。
「今日から正真正銘無給だ」と嘆く人。本当にきつい。ここからが勝負になってきた。

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ひとつ。町民体育館の写真展示が終わった。
唐桑の町民体育館は、まず遺体安置所となり、その後は写真などガレキの中から見つかった思い出の品の収集・展示場所となった。
いろんな人がそこへ遺品を探しに来たし、大量の写真洗浄ボランティアが入った。潮にまみれた写真の保護、データに変換するなどのプロジェクトも立ち上がった。
そこが閉鎖することとなった。

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2月に入ってからも、大きな変化があった。
養殖わかめの出荷が始まったのだ。
これらのわかめは震災後に種づけしたもので、養殖業者は震災後初めての本業での収入となった。
どれほど画期的な一歩か。
一方、震災後に種づけしたホタテ、カキの成長が今ものすごく早い。夏に出荷予定のホタテが、夏前には出せるかもしれない。
なぜか。主な理由は2つ。
ひとつは、津波が海をかき回したから。海底の栄養分を一気にかき上げた今回の津波。
過去の津波でも同じだった。「津波の次の年は豊作なんだ」と昔を知る人は言う。
もうひとつは、養殖の数が減ったから。養殖のいかだが減った分、ひとつひとつに栄養が行き渡るのだ。

私は見たことがないのだが、震災前、唐桑の海はカキのいかだで海が埋め尽くされていたとか。
「海も疲弊してたのさ。ぎっしり農作物を畑に植え続けると、土も疲弊するだろ?」
津波は海を元気するという結果も引き起こすのだ。自然の営みには、本当に敵わない。
しかし一方で、流れ出た大量の油が海底に敷き詰められているのも事実だが。

徐々に変わっていく。
人の感情も然り。
国昭さんが言う。「こっちの冬は厳しい分、これから春になると人の気持ちも上を向く」

もうすぐ震災から1年。
今が大きな転機だ。捕まえるも逃すも、人次第だ。
【第二章「まちづくりへ」(11.10-12.4)の最新記事】
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