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アワビの開口 [2014年12月11日(Thu)]

12月8日。
5時30分、美帆に「5時半だよ」と起こされる。
5時40分、センパイから電話。「あ、ちゃんと起きてだ?」
5時50分、車に乗り込む。フロントガラスが凍って前が見えない。こりゃ遅刻だ。
暖房でフロントを溶かす間に、車に置いていた缶コーヒーをカシャっと開けて口に運ぶがコーヒーがちょろちょろっとしか出てこない。あれ。
んげ…凍ってる。車が表示する外気温は「-3」。
6時過ぎにセンパイ宅到着、トラックに乗り換えて、すぐ下の港に降りる。トラックには何メートルもある竹の竿「カギ」が載っている。

唐桑に来て3年と8ヶ月、ついに初の「開口」見学が始まった。

開口とは、漁の解禁のこと。ウニやアワビなど海の資源を守るために漁協が設定する。
ヒジキやマツモなど雑海藻も開口品目になっている。ツブ貝も。漁業権をもった人でも、磯にあるものは基本魚以外勝手に獲っちゃダメと思っていい。まぁ決まりはあくまで決まりなんだが。
特にウニ・アワビについては漁協が開口日を指定するのだが、年に何度もない上に朝の○時〜○時と決まっており、その数時間は海が戦場と化す。

しかもその開口日は前日に組合員(要は漁師)知らされる。海の状況次第なので事前にまとめて設定することはできない。漁協の有線放送からお知らせが流れてくる、という。
つまり、養殖漁師ではなく漁船漁業の漁師にとっては、運悪く開口の日に漁で沖に出ていればアウトだ。
と言っても「今年はあと3回開くらしいぞ」「おそらく来週頭だな」などだいたい町民たちは情報をシェアし、予想をしている。
「開口が開く」という不思議な表現を使う唐桑の人たち。胃痛が痛い、みたい。町内に星の数ほどいる組合員は、開口の知らせとともに臨戦態勢に入る。
今回見学に行ったのは、冬の高級品、アワビの開口だ。

浜に着くと、漁師たちがせっせと船外機の上で漁の準備をしている。
みんな寡黙で、よくて「おはようございます」の一言を交わすくらい。
なんだこの空気。

「船外機」と呼ばれる小漁用の一番小さな船(厳密には船の後部に装着してあるエンジンのことを指すのだろうが。)に乗り込むのは、センパイのお父さんとセンパイと私の3人。
私が合羽(カッパ)を着ている間に、センパイのお父さんが凍り付いたエンジンと格闘。「新品なのにこれだもんなぁ」と苦笑している。仕方ない。寒すぎるんです。

ブロロロロと、ひ弱な音を立てながらようやくエンジンが起きる。
「カギ」を載せ、「カガミ」を載せ、普段は見ない「スラスター」が載せられる。
我々の準備もほぼ完了すると「さぁ戦場になるよ」とセンパイがたばこの灰をぽんっと落とす。
なるほど、和気あいあいとなんてやってられない。みんな目がギラついている。

船を走らせていると、ちょうど御崎の岬から日が上がる。
唐桑半島の海の守り神は、半島の一番先端の御崎と、半島を見渡すことのできる早馬の山にいる。
神々しいくらいの朝日。空が紺色から橙色、そして白へと移る。

解禁時間は7時から9時までの2時間。
なので7時の前には出港し、場所を確保、スタンバイする。
海は広いが、みんな特定の岩場の脇にわらわらと狭そうに船外機を並べている。
なるほど、みんな獲れる場所を知ってるんだ。
お父さんもじっと目を細めて場所を吟味しているようだ。
そうして私の腕時計で6時59分ころから、カギが海に対し垂直に立てられ始める。
一斉にみんなが船から身を乗り出し、海をのぞき込む。

ウニ、アワビは一体どうやって獲るのか。

つづく
たくらみ [2014年12月10日(Wed)]

遠東記がさっぱり更新されない、と地元の人に注意される。
ありがたい。
「第四章」が始まって1年半以上が経つ。第五章が見えてきた。

−−−

「たっく、ごめん今沖から帰ってきたばりだ」

いいっすよ。あったかい缶コーヒーでも買って浜いきます。

と電話。
そのまま仕事を早めに上がって、唐桑のとある浜に降りていく。

カッパ姿の若手の漁師さん2人。
海から数メートルのところに建つ工場?番屋?の中で、3人で作戦会議が始まる。
左手はたばこを持つためかじかむ。右手はペンを持つためかじかむ。
「ユウギョっていくらくらいっすか」
「2月って作業は何でしたっけ」
「んで、オカでソギカタすんのいいっすね」
話は進んだり、逸れたり。

ガタガタと外でフォークリフトの音がする。
先輩の漁師さんが来たようだ。
「あー、来たぞ。『おめぇだづ、なぁに悪だくみしてんのやぁ』って語られっぞ、これ」
と若手の2人はにやにや。

先輩の漁師さんもよく知った御仁だ。
「どーもです!」挨拶する。
先輩は入ってきて3人を見るなり、
「おめぇだづ、ナニたくらんでんのや」
と低い声で一言。

思わず3人は笑う。

最近、すっかり漁師さんと「作戦会議」もとい「たくらみ」をすることが多くなった。
唐桑も初雪が降った。
4℃ [2014年11月04日(Tue)]

「4℃」

ジュエリーではありません。
まちのところどころに立つ気温計が点滅して示す今夜の気温。

ついに冬がやってきた。
夜9時半に「ば!ば!ば!プロジェクト」の定例会が終わり、帰路の途中。

高石浜団地の丘を越えて下り坂に入ると、南東の水平線にずらりと漁火(いさりび)が並ぶ。
何度見ても何年見ても、幻想的なイカ漁の灯。
大きな大きな大陸が海の向こうに横たわるような錯覚は、今も覚える。

家(アパート)の前に着き、そのまま車からミラーレス一眼を持ち出して、馬場浜の方に向けて固定し、シャッターをカシャーーーっと数秒間開けっ放し。
その間は寒さで手が震えるのを圧し殺す。出来を確認してニヤニヤする。

海の漁火と空のオリオン座が冬の到来を物語る。
PB047401.JPG
指圧とまちづくりの極意 [2014年10月21日(Tue)]

たしか2011年の話。

指圧もやっているまちの歯医者さん、あきら先生ととある飲み屋で一杯やっていた。
あきら先生が語る。
「指圧はね、強引に押すだけじゃダメ。
相手から伝わる抵抗とこっちの指の力がちょうど釣り合うところを探し、」

親指を立てて、下に向ける。
「そこを見つけたら、そこからゆっくり、ぐーーっと押していく」
じわりじわりと指を下げていく。
それが指圧の極意。

話を聞き終えてはっとする。
なぁるほど。酔いのまわった私は唸る。
復興のお手伝いも一緒だ。
復興支援の名に下に、強引にこちらのやりたいことを地元の人に押してつけてはいないか。
地元の人のエネルギー、こちらのエネルギーがちょうど均衡する点をまず模索することが肝要。
押すなら、そこからが一番効く。
押しても押しても一向に効かないときがあるのは、そういうことか。
効かないどころか、地域に「もみ返し」を起こす。

2014年。
まちづくりも一緒だ。人との付き合い方も一緒だ。
今もたまに思い出して大切にしている言葉なので書き留めておく。
子ども企画と2人の学生 [2014年09月25日(Thu)]

8月のまとめ。

今年の8月は真っ黒に焼けた。
地黒な私が陽に焼けて皮が剥けるなぁんてことは滅多にないのだが、今年は鼻が「脱皮」した。

その理由が「子ども」。

市役所の仕事でも中学生と一緒にまち歩き、
中井公民館の事業で小学生たちと遊ぶ、
からくわ丸で小学生対象の企画が盛況、
休みの日に松圃虎舞で仲良くなった小学生を連れて釣りに行く、磯遊びをする…

こんなに唐桑の子どもたちと顔を合わせる機会はこの3年半で始めて。
だんだん、顔と名前が一致してくると意外とハマってくる。
名前を呼ぶことができる。コミュニケーションがとれる。叱ることもできる。
こいつらが将来このまちを担っていくんだなぁと思うと嬉しくなってくる。

これにはルーツがある。

渡辺国権と中内祥子、という2人の学生。
2人は大学を休学して1年間唐桑に常駐、からくわ丸を一緒に立ち上げた仲間。
教育学部だった彼らは最初から子どもに対しての活動が軸にあって、小原木小学校の現場に入りながら、いろんな企画に顔を出していた。
正直、私はありがたいと思いはするものの、当時興味がなく、中井キッズクラブの企画だ夏休みの自習教室だなんだと一度も顔を出したことがなかった。

そんな彼らが常駐を終えるときに遺してくれたものが2つある。
1つ目は、2013年3月5日という日。
からくわ丸のホームで一大ワークショップを開いた。
3月でよそ者がほとんど帰京し、次年度から地元じゅんちゃんを代表として「地元メンバー主体」に生まれ変わる新生からくわ丸は、何を主に活動していくのか…それを考える必要があった。そのときに出てきたのが「子ども」というキーワードだった。
そこで議論の叩き台として、2人が中心となって取り組んできた子ども対象企画を1年分全部紙にまとめてくれた。

それを見ながら「子どもと思いっきり外で遊ぶことなら、俺らにも楽しみながらできるよね」と、からくわ丸の地元メンバーは意気込む。
釣り、磯遊び、虫とり…付せんがどんどん貼られていく。
「俺ら世代は、自然の中で走り回った最後の世代、いわばデッドラインだ」
30間近のじゅんちゃんが言う。海に飛び込み、貝を潰してえさにして魚を釣り、山の中を駆けた。ポータブルゲーム機が遊び道具の主となった今の子どもたちが忘れかけているものを自分たちはもっている、という自信が彼らにはあった。

「地元の若い兄ちゃん姉ちゃんが地元の子どもと接する機会なんて、どの地域でもほとんどないよねェ」と私もわくわくする。「そこに地元のじいちゃん、ばあちゃんも参加してもらおう」
地域密着にこだわった多世代交流の姿。

ワークショップは大層盛り上がった。
サラリーマン中心の地元メンバーでも、楽しみながらまちのためにできることがある。それを示唆したワークショップとなった。

2つ目、後輩。
特筆すべきは、しょうこの後輩。広島大学のしょうこは、常駐当初から大学の後輩をじゃんじゃん唐桑に連れてきた。
それは、「からくわ丸広島部隊」という学生団体となり、今も「そっちチルドレン」が大勢唐桑にやってくる。(そっち=しょうこの大学でのニックネーム…らしい)
そして、今年から「ふるさとからくわいなか学校」というイベントを運営してくれている。今夏は、かっつたち地元メンバーと企画運営。なんと町内の小学生30人が集まって、2日間思いきり唐桑で遊ぶという一大企画になった。
P8236506.JPG


今も小原木小学校には、じゅんちゃんや私がゲストティーチャーとして呼ばれ、ふるさと学習のお手伝いをさせてもらっている。
唐桑中学校も然り。教頭先生と一緒にワークショップを企画し、子どもたちにまちについて考えてもらう。
中井小学校の校長先生とのお付き合いも最近生まれた。
そして何より、岡崎真弓がしっかり彼らの想いを引き継いでくれている。
輪は着実に広がっている。

気づけば私の活動に対するモチベーションのひとつになっている。

2人が蒔いた種が土の中から芽を出した。
実を結ぶのはまだまだ先。
2人といつかまた一緒に仕事をしたい、と願う。
石巻になくて気仙沼にあるもの(シリーズ「春よ来い」C) [2014年08月19日(Tue)]

年度末の記録、シリーズ「春よ来い」。
春どころか秋がやってこようとしている今日この頃。シリーズ最終回です。

---

3月31日の話。
東京の企業から市役所に出向してきている森さんと紫市場のとんかつ屋でランチ。
気仙沼の観光に関することで一緒にお仕事をさせてもらう機会がある。
なんせ東京の一流企業のサラリーマンとお仕事をさせてもらえるだけで、日々いい経験。ミーティングの仕方から何まで、学生上がりでこっちに飛び込んだ私には新鮮。
それに加えて、この森さん含む「出向チーム」の皆さんは、地元にとことん密着する。気仙沼の人材育成、水産、そして観光の振興に取り組む彼ら。泥臭さがあって、尊敬の念に堪えない。

ところで、とんかつ屋。

「石巻と気仙沼の違いって、東京の人からしたら分からないよね」
そう切り出す森さん。
「同じ宮城、同じ水産業のまち、同じ被災地。よそから見たら、何も変わらない」
確かにそうだ。
地元の人から見ればもちろん県内でも全然違うまちだが、その差別化は外の観光客からしたら非常に難しい。
観光の勝負でいうなら、仙台から近い石巻の方が断然有利に思える。
そんなこと考えたことがなかった。

「そこで先日石巻に行ってきてね。
何が気仙沼と違うのか見てきてん」

ほう!それで…

「見つけた。石巻になくて、気仙沼にあるもの。
何だと思う?」

石巻になくて、気仙沼にあるもの…
なんだ。頭の中をくるくる回すが何も出てこない。


森さんはにやりと微笑む。
「唐桑。
唐桑があるかないかや。」

瞬間、ずわっと鳥肌が立った。
市街地から20分でたどり着くリアスの竜宮城。
この絶妙な距離は石巻―牡鹿半島には出せない。

「唐桑は気仙沼の観光のダークホースになる」

ぐぐぐっとこみ上げる想いをとんかつと一緒に飲み込んだ。
復興とは(シリーズ「春よ来い」B) [2014年08月16日(Sat)]

「災害は社会のひずみ(課題)を顕在化させる−」

中越からのゲスト稲垣さんは皆の前でそう語る。
産業の衰退、行政の縦割り、福祉も縦割り、住民と行政の関わり、少子高齢化…
「でも本質的にはね、
(社会のひずみとは)地域社会の課題を(ひとりひとりが)私事として捉えずに、誰かのせいにしていたこと」

「グチ(愚痴)をジチ(自治)に変えろ!」水俣の吉本さんの言葉が頭を横切る。

稲垣さんの講話は、新潟で起きた2つの震災の話へ。
「2004年の中越地震の前にも、新潟では1964年に大きな地震(新潟地震)がありました」
稲垣さんは、山を描くグラフを示す。
縦軸が新潟の人口やGDP。横軸は1945を起点とする年代を表す。
よくある戦後の日本の発展と後退を表す山だ。

1964は、人口やGDPが上り坂の時代。
「当時の豊かさとは、『数ではかれるものが増えること』でした。
人口や経済のことですねェ。
しかも、当時は上り坂にあった訳ですから、

復旧=復興

だった」

元の軌道に戻すこと(復旧)が、つまり上り坂に戻すこと、イコール発展(復興)だった訳だ。

「2004年の中越地震ではどうでしょう」
2004は、山頂を越え、下り坂に入っている。
「豊かさをはかる尺がなくなった」
厳密に言うと、豊かさは尺ではかれるものではない、という概念が生まれた。

「この時代においては、復旧=復興とはならないんですね。
元に戻すって言っても、元が下り坂ですから、復旧≠復興。
今回の東日本大震災もそうです」

豊かさとは何か。
被災した地域だからこそ、社会のひずみが顕在化した地域だからこそ、切羽詰まって問う。
2011年のGWに、FIWCのワークキャンプの大先輩、矢部顕さんがガレキのまちを目の前に言った言葉を思い出す。
「モノは波に流される。カネは恐慌で価値がなくなる。残るのは、人の絆。
ここに価値や幸せを見出す時代が来たのかな」
(参照記事:「GWキャンプが終わり・・・」

時代によって価値観が変わるように、復興のあり方も変化する。
じゃあ、価値観の変革が訪れている今、復興とは何なのか。何が復興なのか。

稲垣さんは言う。
「今、『復興』とは『豊かさ探し』だと思います」

なるほどっ

すっと心に何かが落ちた。
今年の3月20日のことだった。
3年経って、宙ぶらりんだったもやもやがひとつ、すっと着地した。
気仙沼の観光 [2014年07月31日(Thu)]

「私は、気仙沼の観光に、生涯かけて取り組みます」
かつて、そうおっしゃった。
おぉ!っと周りが囃す。
市役所にもこんな人がいるんだ。そう思った。
私のような「よそもの」が会議に参画する意義を見出し、期待を膨らませてくれた。
突然の訃報。

「観光」とは、一概に「外へのPR」を指すものではなく、「まちの誇りと自信を取り戻す」ための事業でもある。
観光事業に必要なコミュニケーションは決して「内(対)外」だけではなく、実は重要な「内(対)内」の要素。つまり地元学。−−観光戦略会議で習ったこと。

あれから気仙沼の観光に関わるようになって丸2年。
気仙沼の観光、やろう。
事業をもっともっと加速させねば。
動揺する心がぐらぐらと煮える。強く締められる。

ご冥福をお祈りいたします。
かあちゃんへ(シリーズ「春よ来い」A) [2014年07月27日(Sun)]

昨年度末のことを記録するシリーズ「春よ来い」。
忘れちゃいけないことを書いて記録しておく。

3月11日。あの日から早3年が経った。
今年も馬場の浜でその時を迎えた。独りで馬場の浜の小さな祠の前で眼を閉じる。
黙祷の音が浜にも響き渡る。

3月16日。東京にいた。
からくわ丸の企画があった。今や東京と広島に学生支部がある当団体だが、唐桑の地元の若者メンバーと両学生団体の幹部が東京で一堂に会すという企画。代々木のオリセンでワークショップやなんやらして、そのまま最寄りの駅前で飲み会。

飲み会中。珍しい人からメールが来ていることに気づく。
それを見て、私は不意に涙が止まらなくなった。
なんせ止まらない。嗚咽。

母からだった。
「おかんは、泣きましたよ。いやーホント。お知らせまで。」
とのこと。画像が添付してある。
写真 (17).JPG

かあちゃんへ

いつもありがとう
早くも三年が経ちました。
タクマ隊長と会いタクマの
芯の強さをあらためて感じ
ております。
この気仙沼唐桑が元気に
なるまで頑張ってほしいですね。
これからも見守って下さいね。

平成二十六年三月十四日
一丸

震災から3年。
地元の漁師さんからお礼のメッセージ入りのクッキーが急に実家に届いたそうだ。
泣いた。
3年間心配をかけながらも最終的には応援をしてくれた母を、泣かせてくれたことが嬉しかった。
そして、あれから3年、3年やったぞ、歯を食いしばって俺はやったぞ、という決して人には言葉にできない言葉が脳みそを走った。
粋なサプライズにすっかりやられてしまった。感謝。

こんな形でひとつ孝行。

---

このちょうど3ヶ月後の6月14日、気仙沼に両親を招いて気仙沼での結婚パーティーをからくわ丸主催で開く。
たくさんの地元の方に来ていただき、両家の両親にもおおいに感動してもらった。

親はいつまで経っても、私がどこで何をしようと親だ。
仕事中です。 [2014年07月20日(Sun)]

昼飯を市内の定食屋でさっと済ませて、唐桑へ向かう。
雨が降り出した。

漁師さんの家にお邪魔して、コーヒーやらお茶やらをいただきながら、まちをおもしろくするための作戦会議。

「つないでいがねぇと。
このままなんとかすねぇと唐桑は消滅すんのさ、結局」

次世代がいないことを嘆く漁師さん。「やれることはなんでもやろう」と意気込んでくれる。
外を見ると雨があがっている。
「雨ハレたの?」奥さんに尋ねられる。「はい、ハレたみたい」
「雨が晴れる」というなんとも不思議な表現にも慣れた。

浜の話をしていたので、思わず「ちょっと浜降りましょうよ」と誘う。
長靴に履き替えて浜へ。
「これ今、干潮?」と尋ねると漁師さんは防波堤に目をやって「満潮でも干潮でもねぇな」と返す。
「昔は昆布とって、浜にびっしり並べて干したのよ。干す場所でケンカしてなぁ。境界線引いて。浜で足りないときは、家の前、家の屋根にまで干したんだ。
夜中寝ねぇで取ったんだぁ。ちょうちんつけてな。
隊長ぉ(私のことをこう呼ぶ)、ちょうちんだぞ、おい。今みてぇに、頭にライトなんづぅハイカラなもんでねぇのよ。
もっこに入れて担いで運んだのさ。つれぇなんてもんでねぇ。
でも、ガキながらにそれが楽しかったんだべな。モノを獲れるっていうのが。」

地元の人とちょっと外に出て歩けば「あるもの探し」が始まる。「地元学」が始まる。

唐桑中学校に寄って、先生と「まち歩き」企画の打ち合わせ。
昇降口で知った顔の中学生を見つけ、「おぉ」と声をかける。
「あ、どうもス」と他人行儀に返してくる。かぁぁ〜!震災のときは「ねぇ〜キャッチボールしようよ〜」とまとわりついてた小学生が今じゃこの敬語だ。
「みけんにしわ寄ってるぞ。どした反抗期入ったか」と聞くと、
「いや、そんなんじゃないス」とすっかり声変わりしたおっさん声で照れている。

ガソリンがない。
私用車での移動だったので、とりあえず郵便局へお金を降ろしに向かう。
唐桑郵便局のATMには、警察官の姿が。お金を降ろしている。
後ろからぬっと顔を近づけると、「あぁ!こら、盗る気じゃないだろうなぁ!」とATMにしがみつくような仕草。この方、通称「ショチョー」。
「今日仕事?」「仕事中です。」
ふと、カウンターの中から目線を感じる。あら。郵便局勤めの大沢の兄貴がたまたま唐桑の局にいた。
兄貴は「あ、あそこの人怪しいです!」とお巡りさんと戯れる私を指差して、他の局員に触れ回る。
私は「ショチョー、あそこにニセ局員が紛れてます!」と返す。

カウンターを挟んでおしゃべり。
「やせましたか?」と兄貴に聞く。
「おめぇが太ったんだべど」と笑顔で返される。新婚をイジってくる。「今日、仕事か?」
「仕事中です。仕事中だけど、今日給料入ったから慌てて降ろしに来たんですよ」
いやいやいや、と笑う。

ガソリンスタンドへ向かう。
さっきの漁師さんの家でたくさんお茶こ飲んだおかげかトイレが近い。もれそう。
迎えてくれたのは社長。第一声、「今日はお休み?」
「仕事中です」
「5000円?」レギュラー5000円分現金は定着。
「そう!社長、トイレ貸して!」
勢いよく車から降りる。
「はい、トイレ代が5000円ね」と片手をぴょんと出す。

親しき仲には、冗談が欠かせない。そういう人たちだ。
スタンドのトイレでふと不思議になる。
そうだ、この数時間のことを遠東記に書こう。
漁師さん、子ども、お巡りさん、郵便局員さん、スタンドの社長…
なんだこのまちは。

まちのどこに行っても、人がいる−


このまちの居心地のよさをどう表現するのか、移住者としての私の今の課題。
なんつぅか、こういうことなんだよな。
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