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活動の近況はこちら
からくわ丸 活動ブログ『唐桑航海日誌』 http://blog.canpan.info/karakuwamaru/
からくわ丸-Karakuwa Designers Leagueは唐桑のまちづくりサークルです→ karakuwamaru.net
テレビでまーす。 [2015年03月31日(Tue)]

4月3日、NHK総合にでまーす。
残念ながら仙台圏ですが。

番組情報
4月3日(金)19:30-20:30
NHK総合 生放送「やっぺぇTVスペシャル」
(一瞬だけですが)私の登場時間帯は19:30-20:00あたりの観光コーナーの2つ目VTRの予定だそうです。
(放送圏内は宮城県だけですので、他地域の方はご了承下さい。)

加藤拓馬
2015年3月11日 [2015年03月22日(Sun)]

2015年3月11日−

唐桑町馬場の浜。
必ず毎年ここでこっそり黙祷を捧げる。
小さな小さな祠の前で。この浜の神様の前で。

目を閉じて立ちつくしていると、ごっと浜風が吹きつける。
目を閉じて足を揃えて直立しているからか、くらくらっとよろけそうになる。

まだまだよろける訳にはいかないのよさ。
「唐桑好き集まれ!からくわ丸東京報告会2015」 [2015年03月13日(Fri)]

明日はいよいよ、実に2年ぶりとなるからくわ丸の東京報告会です〜
詳細&申込フォームは以下です。(当日参加&夜だけ参加も可です!)

---------

からくわ丸が東京にやってくる!
約2年ぶりに活動報告会を開催致します。
たくさんの方々に支えていただいたおかげで、
設立から4年目を迎えられることに
メンバー一同感謝の気持ちでいっぱいです。

唐桑好きのみなさまと久しぶりに顔を合わせ、
「これまで」と「これから」のからくわ丸の活動についての報告や、
意見交換を行いたいと考えております。

・しばらく唐桑にいけていないけれどどうなっているんだろう?
・からくわ丸なにしているの?
・久しぶりにメンバーの顔がみたいなぁ!
・なんだか移住者が増えたって噂だけど?
・2年前の報告会も楽しかったから行ってみよう!
・唐桑好きといったらわたし!
・唐桑はまだ行ったことないけど興味ある!

参加理由はなんでもかまいません。
地元メンバーも唐桑からやってきます。
唐桑好きのみなさまのご参加を心よりお待ちしております!

--------------報告会詳細---------------

【日時】
 2015年3月14日(土)15時00分〜17時30分

【場所】
 「TKP東京駅丸の内会議室」
http://tkpteigeki.net/access.shtml
 ・東京メトロ「日比谷駅」B3出口直結
 ・東京メトロ「有楽町駅」B3出口直結
 ・JR線「東京駅」徒歩7分
 ・JR線「有楽町駅」徒歩2分

【内容】
 1.からくわ丸 in TOKYO
  −からくわ丸代表   立花 淳一−
  −からくわ丸事務局長 加藤 拓馬−
 2.パネルディスカッション
  −地元メンバー× Iターン者−
 3.ワークショップ
 4.じゅいラジCM収録
 (報告会終了後、交流会)
     
【主催】
 からくわ丸-Karakuwa Designers League
 http://karakuwamaru.net/

【参加費】
 無料


----------------交流会詳細-----------------

報告会終了後、気仙沼・唐桑産の海の幸や
地酒を使った交流会を別会場にておこないます!

【時間】
 18時00分〜21時00分
 ※遅れての参加も大歓迎です。
 備考欄に到着予定時間をお書きください。

【場所】
 「宝」
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13004073/
 ・JR線「有楽町駅」徒歩1分
 ・東京メトロ「有楽町駅」徒歩1分
 ・東京メトロ「銀座駅」徒歩5分
 ・東京メトロ「日比谷駅」徒歩4分
 ※報告会会場より徒歩3分!

【コース内容】
 ・3時間飲み放題(蒼天伝含む)
 ・唐桑産の海の幸をたっぷりつかった料理
 ・立食形式

【参加費】
 社会人 4500円
 学生  3500円


--------申込みとお問い合わせ--------
下記のとおり、フォームにてお申し込みいただけますと幸いです。
フォームURL(担当:根岸えま、宮越逸都子)
https://docs.google.com/forms/d/1Ti33S4w-8_hX2u3p1TFV--Pr9NgrMhDIiyfI8YKvyAA/viewform?c=0&w=1
   
問い合わせ:info@karakuwamaru.net (からくわ丸事務局)
当日連絡先:080-1456-4251(加藤拓馬携帯)
※また、こちらのイベントページの参加ボタンをポチッ!と押していただけると嬉しいです!
※当日参加も大歓迎です!
不安な春 [2015年03月08日(Sun)]

「不安か?」

「…はい。」

「不安を楽しめ。
人は『自由』になると『不安』を感じる。
あなたはこれをしてください、あれをすべきです、と他人から言われる方がよっぽど楽。
何をしてもいいですよっていう状況が実は一番大変や。不安でしかない」

春休みに唐桑に長期滞在している大学生が悩んでいる。
自分は一体唐桑で何をやっているのだろう?
それを明らかにするため唐桑に来たが、滞在すればするほどそれに霧がかかっていく。
長期滞在によくある現象。
ただ一旦霧で前が全く見えなくなったら、あとは晴れるのを待つだけだったりする。

「真っ白な丸い部屋にいるとする。
そこにひとつのドアがある。
『どうぞ次に進んでください』と言われると、人は迷いなくそのドアを空ける。

一方、真っ白な丸い部屋に無数のドアがついているとする。
すると…人の足は止まる。
ドアがたくさんあるときの方が、逆に人は進めへんねん。

選択の自由は怖い。責任が自分にあるからや。
自分が今不安なんは、逆に言えば、自分の前にいっぱいのドアがあるってこと。
こんなに不安で楽しいことはないなぁ」

たま〜にプレハブ小屋で始まる大学生対象活動相談室。という名目で俺が呑んでるだけ。
話している途中から、
自分自身に必死に言い聞かせていることに気づいて閉口した。

26歳になった。
20代を折り返した。
この春は、なんとも「不安」で「自由」な春である。
原田燎太郎氏の唐桑中学校講演B完 [2015年03月05日(Thu)]

つづき

彼のプレゼンが終わると、私も登壇する。
彼と私の対談形式で生徒に質問を聞いていく。

その中で私が故・鈴木重雄さんの話をすることになっていた。
「今日はみんなに一人紹介したい人がいます。
この銅像、どこにあるか知ってる?」
スライドには、2011年唐桑に来たばかりのときに撮った写真。鈴木重雄さんの銅像の左右に馬場康彦さんと私。
「はい!」
ある子が挙手。
「崎浜の…からくわ荘…ですか?」
一人だけ知っている子がいた。

私は鈴木重雄さんの話を子どもたちにした。

越路の話。
愛生園の話。
そして「あの1973町長選挙」の話。
高松園の話。

「当時選挙応援に駆けつけた大先輩たちによく言われます。
『唐桑はキセキのまちだ!』って。
『唐桑はキセキのまちなんやで!』って。
その大先輩たちと唐桑のつながりは鈴木重雄さんが亡くなった後も、馬場さんに引き継がれていきました。

その選挙から40年。
東日本大震災が起きました。
だからね、馬場さんは僕たちにこう言いました。
『鈴木重雄さんがお前たちを唐桑に連れてきてくれたんだなぁ』…って」
自分の話に酔ったのか、ぐわっとこみ上げるものがあって、思わず視界が歪む。
「そういう人のつながりを辿って、俺は今ここで活動しています。
みんなも、そういう人(重雄さん)がこのまちの先輩にいることを知ってほしい」

これは私にとって、この4年弱の唐桑生活の中で一番大きな事件だったかもしれない。
私の原点を生んでくれた原田燎太郎が唐桑で語ったのだから。
ようやく鈴木重雄さんと馬場康彦さんの話を唐桑で公然と語れたのだから。

授業が終わると、校長先生が真剣な顔つきを崩さず彼のもとにやってくる。
「私は最高の時間を過ごしたかもしれません。子どもたちは最高の学びを得たのかもしれません」
教頭先生も興奮さめやらぬ様子。
「子どもたちに種は蒔かれました。
あとは子どもたちがこの種をどう育てていくか、です」

この熱いお二方がいたからこそ、この企画が実現した。
一番感謝しなければ。

私たちが唐桑に来たもう一つの本当の理由を明かした日となった。
「震災」と、もう一つ。

「らい」。
原田燎太郎氏の唐桑中学校講演A [2015年03月03日(Tue)]

つづき

中国のハンセン病快復村に移り住んだ原田氏は、ソウチンクワンら村人(快復者)が差別が故に今も故郷に帰れないことを知る。

「なんで?
ハンセン病はもう治っているのに。

『中国の地元の大学生』を巻き込んで活動をしたい。
そう思うようになった…」

それから12年が経った。
今では日中の大学生や若者ら年間2000人が華南のハンセン病快復村を訪れ、ワークキャンプを通してインフラ整備や啓発活動に取り組む。
彼は2004年に「家JIA」というNGOを立ち上げ、そこが事務局としてキャンパー(キャンプする人)をコーディネートしている。

その2000人の内の1人が、大学時代の私だった。

授業はまとめに入る。
「今日はみんなに贈る言葉があります。

『心の英雄の叫びに従え』」

心には英雄がいて、その英雄が時々ざわつき、必死に何かを叫びだすときがくる。―その叫びに従えばいい。
私も大好きな言葉。白根大輔の言葉。
彼のプレゼンを聞いていると、走馬灯のように私の頭がいろんなシーンを再生し、アドレナリンが出る。

「Anyway i believe your sense.
Don't obey the voice of the others,
but obey the voice of the hero of your soul.

love,
ryotaro
2011.3.26」
あのメールがすっとよぎる。

中学生に優しく強く静かに語る彼の声が一瞬震える。
「もうソウチンクワンはこの世にいないけど、俺の中で彼の魂は生きている」
彼は拳を胸にあてる。
中学生を引き付ける。
校長先生、教頭先生は目を見開いて聞いている。
「みんながいがみ合う世の中じゃなくて、支え合う世の中にしていきたい。
でも、そんな大きなことばかり言ってもピンと来ない。
そこで最後にもう一つ贈る言葉、
『大切な人は実は身近にいる』ということ。
隣の子を見てみて。
家族を思って…」

教頭先生がぐっと頷いた。
中国・ハンセン病・ワークキャンプの話を通して、彼は子どもたちに差別、夢、仲間、家族…いろんなものを投げかける。

つづく
原田燎太郎氏の唐桑中学校講演@ [2015年02月21日(Sat)]

2008年2月頭。
中国・広州。
ガチャリとアパートの扉が開き、暗闇にオレンジ色の灯りが広がる。柵が開く。
大きな男のシルエットが現れる。
「加藤拓馬です」ぐぃっと胸を起こす。
「タクマ。―よろしく」
静かな声とともに手がぬっと出てきた。それを掴む。
(なんておっきな手なんや)
彼の長女リンホウちゃんが生まれて数日しか経ってないその日、私は彼と初めて会った。


2015年1月末。
日本・唐桑。
「リンちゃん、いくつになる?」
「リンはもうすぐ7歳」
「ほな、もう7年経つん?」
大笑いが起きる。カチャンと日本酒の入ったコップが鳴る。

原田燎太郎氏。
中国の活動家、とでも言おうか。
早稲田大学卒業後、そのまま中国の辺境にある「ハンセン病快復村」に移り住み、NGOを立ち上げた男。

今回は彼にとって2度目の唐桑訪問。
1月28日、唐桑中学校で1・2年生を対象に彼の授業が始まった。
今回私は、道徳/志教育の時間を頂いて彼に講義をしてもらう企画を立てた。校長先生、教頭先生がそれを受け入れてくれた。

彼はどういう子ども時代を送ったのか。話は1枚のカメの写真から始まった。
「将来なりたいものはカメさんだった。
中学のときはいじめられっこだった。
殻に閉じこもっていたかった。
大学に行っても、就職活動に失敗し、周りの目ばかり気にして、俺は誰にも必要とされていないと絶望していた。
そんなとき、俺を唯一必要としてくれる人がいた。
西尾雄志。
彼もまた当時絶望していた。
『りょうたろう、どんっとでかいことやろうぜ』彼はそう言い、俺たちは乾杯した。
彼の『でかいこと』、それが中国ハンセン病快復村でのワークキャンプだった。」

子どもたちにハンセン病の説明をする。
ハンセン病はかつて日本では「らい」と呼ばれ、ほんの半世紀とちょっと前までは外見が変形する不治の病として怖れられ、患者の隔離がどの国でも行われた。治療方法が確立した後も、その後遺症故に差別・偏見が快復者の社会復帰を阻んだ。
しかし、その正体は末梢神経を冒す微弱な菌だった。
これは古今東西、世界共通の話。

「俺は中国のリンホウ村というハンセン病快復村で元患者・ソウチンクワンに出逢う。
そして差別にさらされているにも関わらず自分らしく生き抜く彼にいつしか惹かれていった。
彼の変形した外見を見るのではなく、彼の内面・魂を感じるようになっていた。
『ちいせぇ』
周りの目ばかり気にしている自分の小ささが嫌になった。
『ソウチンクワンに学びたい』
俺は大学を卒業し、リンホウ村に住むことを決意した。
もう他人の目は気にしないことにした」

つづく
原点回帰 そのA社会の矛盾に出逢う [2015年02月05日(Thu)]

つづき

閉会の挨拶で西尾さんが重ねて若者を激励する。
いつも西尾さんがしている話。私がもっとも好きな西尾さんのスピーチのひとつ。
それと同じ話を述べた文章から一部引用する。

------
佐藤優という元外交官の作家がいます。
彼によると、今の日本は、社会が弱い状況にあるといいます。
そして、社会を強くするためには、大きな夢をもつことが必要だといいます。

「大きな夢」とは何でしょうか。
彼は次のように言います。

「会社の社長になりたい、中央官庁の事務次官になりたい、あるいは、総理大臣になりたいなどの夢はスケールが小さすぎます。貧困がまったく存在しない社会、絶対に戦争がない世界、これが私の大きな夢、すなわち『究極的なもの』です。こういう夢を実現することに満足を感じる、言い換えるならば、大きな、とてつもなく大きな夢がエゴとなる人が増えれば社会は強化されると私は考えます」

佐藤の言う夢とは、彼の指摘する通り、究極の領域に属するもので、実現可能性からいえば、人間の手によっては不可能な領域に属します。
しかし僕も、佐藤の言うとおり、今の若者にそういった夢を持ってもらいたいと思っています。
------
日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)代表挨拶http://gakuvo.jp/aboutgakuvo/message/より一部抜粋。改行筆者)

もし大学生がこれを読んでくれていたなら、是非全文を読んでいただきたい。
名文だ。

西尾さんは語る。
「社会の矛盾に出逢うこと、そこで人に会うこと」
これこそ学生に求めたい、と。

何度聞いても心が震える。
ハンセン病然り、薬害エイズ然り、ジェンダーマイノリティ然り、被災地然り…
郭晃彰との出逢いもここから生まれた。

「しっかり原点に帰っておいで」
唐桑を出るとき、そう康彦さんに激励された。
そのとおり原点回帰の1日となった。
原点回帰 その@唯一のリーダーシップとは [2015年01月30日(Fri)]

1月22日、早稲田大学にて
「ハンセン病でつながる若者と世界」合同シンポジウムが開催。

アジア各国のハンセン病快復村(コロニー)にてワークキャンプを実施してきた若者が集まってプレゼンをしていく。
中国・フィリピン・ベトナム・インド・日本。
あと、私。
_MG_8551 のコピー.jpg


会の途中、日本財団笹川陽平会長と座談会がある。
「笹川会長に聞きたいこと聞いちゃおう〜」という趣旨らしい。
あまり知られていないが、日本財団とハンセン病の縁は深く、笹川会長は世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧大使として40年も現場を回りながら活動を続けている。

「はい、普段はダライラマ法王や各国首脳と会談するような方ですが、どうぞ皆さん緊張しないように」と茶化すのは、ファシリテーターの日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)代表・西尾雄志。私の大学時代の恩師だ。

私の質問はこうだった。
「私は中国でのハンセン病快復村ワークキャンプの活動が原点にあり、今東北で活動をしています。
ハンセン病やワークキャンプに携わる若者が、今後大きな災害などの社会問題に立ち向かうリーダーとして羽ばたいていくことが期待されますうんぬんかんぬん…
会長にとってリーダーシップとはなんですか?」

会長曰く
「リーダーシップとは、先ほどから申していますとおり“リクスをとること”です。
今、しっかりリスクをとる政治家はいますか。
昔は責任者が腹を切ったんですから。
そういうリスクを背負ってリーダーは采配をしていた。

唯一のリーダーシップは、“リスクをとる”ことです」


なるほど。
会長は若者へのエールとして繰り返し述べる。
「今の若者はリスクをとらない。
『なんとかなる』んです。
今の日本で餓死しますか?
世界全体を考えると、今日本の安全な環境の方がむしろ異常なんです。
今の自分の立ち位置を世界レベルで捉えられる若者が必要なんです」
_MG_8479 のコピー.jpg


私も大学生相手によくくだを巻く。
「日本に生まれたこと、さらにその中でも大学に通わせてもらえる家庭に生まれたこと、今自由に学べる立場にあることは、世界の人口を考えた場合、奇跡的な確率やろ。
その奇跡的な確率に当たった自分たちが、世界を少しでもよくしようと考えることは何ら不思議ではなく、むしろ当然のことのようにも思えるんやけどなぁ…」

今の日本社会はリスクを排除し過ぎる社会だ。
その結果、何かが弱くなっているのかもしれない。

つづく
強く生きる覚悟 [2015年01月24日(Sat)]

突然の訃報でした。

酒を入れて1回大泣きして、落ち着かせました。

彼が唐桑の震災復旧に貢献したものは計り知れず、
彼が唐桑の震災復興に期待していたものもまた人一倍大きいものでした。

彼が私の活動に協力してくれたものは計り知れず、
彼が私の活動に期待してくれていたものもまた人一倍大きいものでした。

まだ期待に応えられてないのに。

若くして逝くことの罪深さを痛感し、強く生きる覚悟を新たにします。
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