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加藤拓馬さんの画像
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[活動の近況はこちら]
一般社団法人まるオフィス maru-office.com
まるオフィスは気仙沼・唐桑のまちづくり団体です。
報告会@Tokyo & 4周年記念誌 マルクワ2016 [2016年02月07日(Sun)]

「からくわ丸創立4周年記念誌 マルクワ2016」ついに完成です!
これを見れば、からくわ丸の4年が!そして今が、よく分かる…はずです!ウチのオールスターそろってます。
20ページ全カラー(無料)。
表紙だけお見せしますw 半月の突貫工事でした〜

さてさて、これがいち早くGETできるのは、「からくわ丸活動報告会@Tokyo」だけ!地元メンバーも大集合ですよ〜ん。

ぜひぜひ2月14日バレンタインデーは、渋谷へいらっしゃってください!

※ちなみに…同日開催「maru-tokyo カラクワナイト」
東京で唐桑の旬を食せるってよ!
学生部隊代表の Kohei Ohmachiがホントがんばってます!
夜からの参加も大歓迎です〜

maru-office 代表 加藤拓馬
01_表紙.jpg


「からくわ丸活動報告会@Tokyo」

https://www.facebook.com/events/1542782409368308/
2015年度からくわ丸報告会@Tokyo やります!
からくわ丸地元メンバー&Pen.turn(半島移住)メンバーも参戦!
ふるってご参加ください!

【日程】
2016年2月14日(日)
14:00〜16:30

コンテンツ@
からくわ丸活動報告

コンテンツA
maru-office事業紹介&移住定住推進事業に向けて

コンテンツB
トークイベント&ワークショップ

スペシャルコンテンツ
からくわ丸創立4周年記念誌「マルクワ2016」発刊&配布!
→からくわ丸も5月で創立4周年を迎えます。
そこで、4年間を振り返ったレポート誌を発刊!(フリー)
東京でいち早く手に入れるにはここにしかない!是非もらいに来てください。

【場所】
渋谷ヒカリエ カンファレンスルームC

【主催】
からくわ丸
一般社団法人まるオフィス

※報告会終了後、懇親会を兼ねて「maru-tokyo カラクワナイト」を予定してます。


「maru-tokyo カラクワナイト」

https://www.facebook.com/events/966897250073011/
〜カラクワナイトとは?〜
宮城県気仙沼市唐桑町の“ウマい”が1日限りで渋谷に登場!
唐桑の美味しい食材を楽しもう^_^
今回は渋谷のパーティー会場を貸し切って行ないます。普段のコース料理に、唐桑の食材を加えたスペシャルメニューです。

2/14は、からくわ丸の東京報告会。報告会終了後に、地元メンバーも集めて大交流会をします!

日時:2/14(日) 17時〜19時30分
住所:渋谷タンジェリン(東京都渋谷区 渋谷 3-6-4 プライア渋谷B1)
参加費:5000円(予定)
形式:立食、2時間飲み放題
参加方法:FBイベントページ参加ボタンを押す。

会場URL→http://www.tangerine.ws/
2016年の漢字一字 [2016年01月03日(Sun)]

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

年賀状2016イラスト_02.jpg

さて、今年の漢字一字を抱負として正月に発表するコーナー。
の、前に少し振り返りを。

2007年「初」(事後決定)
2008年「逢」(事後決定)
2009年「円」(事後決定)
2010年「劇」(事後決定)
2011年「静」→「震」(事後変更)
2012年「躍」(記事リンク「タッペが怖い今年もどうぞよろしく。」
2013年「忍」(記事リンク「もうすぐ春」
2014年「帆」(記事リンク「2014年の漢字一字」
2015年「攻」(記事リンク「2015年の漢字一字」

1年前の記事にこう記してあります。

「今年は新しい事業を2つ考えています。
 今年は張った帆に風を集め駒を前に進めたいです。
 「攻」
 2015年4月でついに唐桑に来て4年。
 それは、大学4年間の東京滞在期間を超えるということです。
 2015年4月には新しい仲間が唐桑にやってきます。
 いよいよ攻める年がやってきました。
 一か八かの2015年。
 粉骨砕身、働きます。」

2つの新しい事業とは「ぬま大学」と「maru-office」の立ち上げでした。
昨年は、市役所の地域支援員として「担い手育成支援事業」を担当して3年目になる年でしたが、ついに「ぬま塾」そして新企画「ぬま大学」が日の目を見る年となりました。
長かった。
下積み?の成果もあって、今や市長にまで気仙沼イチオシ企画として内外に発信していただいております。文字どおり有り難いことです。
課での関係者との下積みはもちろんですが、峻くんと仕事を始めたのも大きかった。
今年はさらに加速させます。

からくわ丸の活動を法人化、「一般社団法人まるオフィス」として再出発を果たした2015年でもありましたが、こちらは苦戦しながらのスタートとなりました。
「自主財源の確保は?」と詰問され続けて9ヶ月。なかなか答えが出ません。
そんな中でも、帆が風を集め運が向いた年でもありました。

そこで…「2015maru-office3大グッドニュース!」
1.移住定住の風
4月にやってきた新しい仲間が「唐桑移住者増えてるらしいよ」ウワサを急浮上。
気づけば、からくわ丸の移住者(+私の奥さん)で9名になってました。
そこへ「地方創生」の追い風が吹き、私たちは「ボランティアさん」を卒業し「移住者」という新たな肩書きをゲットした訳です。
「けせんぬま創生戦略会議」(本会議)の委員にも選んでいただき、分科会ではえまが大活躍しました。

恥ずかしい話、11、12年当初はかなり荒れましたが、12年末の郭先輩との「大同団結」から13、14年…とだいぶ落ち着いたことが功を奏したのでしょうか…
(記事リンク「RE:START」
なんせ引き続き、カネ集めより仲間集めに精を出します。

2.ワークキャンプ開催
私の原体験「ワークキャンプ」を唐桑で始めました。
学生部隊のこうへいとずっと以前から話していたことでした。満を持して、です。
いつか「仕事としてワークキャンプをマネジメントする」と大学生時代、夢見てました。
その実現に向けた第一歩です。
ちなみにこれは「震災復旧」のためのワークキャンプではなく、「ポスト被災地の開拓」を掲げた地域づくりのための新しいワークキャンプと位置づけました。
この夏、計24名大学生が訪唐、感動的なワークキャンプをやりきりました。
同時にマネジメント役のこうやが縁の下の力持ちを完遂しました。
これがまた移住定住の追い風を受けることになりそうです。

3.KECKARAけっから。3年半ぶりに発行
とあるセミナーで唐桑での活動を見直す機会を得ました。
そこでぽろっと出てきた答えが
「私がホレた唐桑の人と 私がホレた唐桑の人とが つながるキッカケをつくりたい。」
というものでした。

…つまり「からくわ未来予報誌 KECKARAけっから。」だったのです。
当誌は、3年半前に#2を発行して以降、ストップしていました。
「三号雑誌、なぁんて表現をするが、KECKARAは3号にも達しなかった」などと地元の人に嘲笑われる始末。
そんな、KECKARAを復活させたのが2015年でした。

長くなりましたが、maru-officeの2015年ダイジェストでした。

---

さて、2016年は?

加藤家に新しい朝を迎えられるよう、
仕事をする上で朝を大切にすることを心がけ、
maru-officeに夜明けが来て、今までの取り組みが芽を出すよう…

「朝」

としました。(あ、朝ドラではありません!)
毎年転機を迎えてますが、今年も春に2つ大きな転機を迎えそうです。

仕事・活動のテーマを、今年は「地域"協"育」に絞って勝負をかけます。
具体的には、地域の「未来の大人」たちとの協働を意識して、
・地域"協"育+多世代協働(=からくわ丸)
・地域"協"育×漁業振興(=漁師ゴト。)
・地域"協"育×移住定住
に取り組みます。

さてさて、今年も気仙沼・唐桑での活動にご期待ください。

<おまけ>
2016年1月1日の地元紙・三陸新報に「新春座談会」という特集で載りました。

IMG_7547.JPG
浪江訪問 [2015年12月30日(Wed)]

2015年12月15日

「ここから先は通行証が必要です」
「申請済みです」
「スクリーニング場で取ってきてください」
「加倉でですか?」
「はい」

バリケードを前にした我々はUターンした。
「なんだかRPGみたいだね。くくく、ドラ◯エみたい」
「アイテムがないとこの村には入れません!みたいなね」
そんな冗談をこぼしていたが、そのスクリーニング場とやらに到着すると一変する。

コンビニの跡地に置かれたプレハブ小屋、数棟。車はすぐに5〜6人に囲まれた。
「◯◯さんですね。はい、名簿にお名前ご記入頂いてますか?
はい、線量計です。こちら、(区域内で)作業される場合は防護服を着用してください。防鼠剤は要りますか?
こちらはトランシーバーです。緊急時にお使いください。使い方はこちらのマニュアル…」
対応はすごく丁寧。決して無愛想でもない。ある男性スタッフの胸には東京電力のバッジが。

一人ひとつ線量計を渡され、一同は息を飲んだ。

image.jpg

---

バリケード内に進入する。
ところどころ地震で倒壊した家屋がある。我々は4年前の気仙沼にタイムスリップした。

太郎さんの出身は浪江町。
福島の現状をこの目で見るため、ご実家をぜひ訪問させてください、とお願いした。そして、この度の浪江訪問が実現した。メンツは、太郎さんに、しゅんくん、じゅんちゃん、こうや、私。

海辺に出た。
津波で被災し半分だけ残った家がちらほら。まるで片足で4年半そのまま突っ立っているような。

image.jpg

墓石が散乱している。
地蔵だけは誰かが起こしたのだろうか。横たわり、散乱した墓石の合間合間で、地蔵が手を合わせている。
墓石は先祖の象徴だ。

image.jpg

その遥かかなたに、それはあった。
「あれ…そうじゃない?」
「あぁ、そうだね。こっから見えるんだ…」
煙突が数本。
浜へ急いだ。
「まるでバラモス城じゃない」
曇り空の隙間から太陽の光線が数本筋になり、その煙突を雄々しく照らしている。いや神々しさすら感じさせる。
なんと皮肉な。人間が作り出した人間には近づくことの許されない領域、福島第一原子力発電所。

image.jpg

---

我々は町内に戻り、太郎さんの中学校の通学路を車で辿った。
「こうやって町並みを見てると、人が出てきそうだよね」
太郎さんがつぶやく。
「でも人はいない」
イノシシの親子に出くわし、キツネがキョロキョロ歩いている。

太郎さんの母校浪江中学校に到着。
衝撃の光景が待っていた。
「世界一安心して楽しく学べる学校」と貼られた下足室のガラス戸。
覗くと、運動靴がばらまかれている。

image.jpg


image.jpg

「まさか…」
順に一階の教室の窓から中を除いていく。
机と椅子は左右に乱れ、教科書、上履き、帽子が散乱。床はホコリが溜まり過ぎてか砂っぽくなっている。

image.jpg

予想は的中した。
黒板の日直を書く欄に「3月11日(金)」と残されていた。

体育館を覗くと、卒業式が行われていた。椅子がまばらに散乱している。まだ、ずーっと卒業式が続いてる。

image.jpg


本当にこんなことが現実であるのか。
まもなく5年になる。5年前の3月11日、浪江中は卒業式だった。
あのときから一切人の手が加えられていない。
職員室も保健室も。
瞬間冷凍された学校。
頭がぼーっとしてきて、残像のように子どもたちが走り回る。
いつ冷凍は溶けるのか。

窓ガラス越しに教室の後ろに目をやる。
はっと目が醒めた。鳥肌を立たせる電流が頭から走り、身体が一瞬よじれた。

image.jpg

「原子力の利用」
1年生の習字が飾られていた。

そうだよ、これが原子力の力。
除染作業員たちが車内で昼寝をしている。それを横目に我々は中学校を後にした。

太郎さんの家につくと、防護服を着た。敷地内の庭の土などは線量が高い可能性がある。それが靴や服に付着しないための簡易防護服で、雨ガッパと大差ない。
お家のお庭にお邪魔して、鼠除けの薬を家の入り口という入り口に撒いていった。その薬の臭いに酔って気分が悪くなった。

image.jpg

作業が終わると、マスクを外して、タバコに火をつけ、思い切り息を吸み、道路の真ん中で背伸びした。
「目に見えないもの」「臭いもしないもの」がこんなに怖いとは。
園子温監督「希望の国」のラストシーンを思い出す。急に鳴り出すガイガーカウンターの不気味な音。
ちなみに「希望の国」上映会が気仙沼で行われたとき、上映後園子温監督と喫煙所でばったり出くわした。興奮やまぬ私は不意に「希望なんてもうこの国には無いっていうメッセージですか」と尋ねた。「ちがう!そうじゃない!」と監督に一喝された。

暖冬のせいか柿がどの木もよくなり、ぽかぽかした冬空が浪江にも広がっていた。目に見えないし、臭いもしない。だから、タバコはまぁいつも通り。うまい。たぶん。

image.jpg

---

image.jpg

スクリーニング場に帰ると、ひとりひとり足の線量を計る。続いて車のタイヤ。

image.jpg

「問題ありません。お疲れ様でした」
「一時帰宅の方は一日何台くらい来るんですか?」
「今日は年内最後ですから…このスクリーニング場で今日は20台ほどです」
車が発車するとスタッフが横にズラリと並び、深々と頭を下げた。
車が遠ざかるまで頭を上げない。
あの東京電力のスタッフも。
その光景に胸が詰まる。

image.jpg

「太郎さん、ありがとうございました。この光景は、子どもたちに必ず伝えます。」
5年。
何も終わっちゃいない。何も始まっちゃいない。

---

そこから南下し、夜はいわき市で地域おこしに取り組む方々と懇親会。
とある30代の農家の方に出会った。6次産業化に取り組み、かなり精力的に事業展開しているそうだ。
その方が言ったことがまた衝撃だった。
「福島も津波被害が甚大だ。
津波にある日急にのまれて死んだ人がたくさんいる。
そっちの方がよっぽど酷い。
俺たちは生きているんだ。
なぁ。本当に帰れないのか?帰らないのか?
放射能なんてたいしたことねぇ。」
私は目を丸くするしかない。
「それでもね、俺たち福島の農家は一番最悪の状況を経験した。
だから後は、一番テッペンを経験したい。両方経験できるのは俺たちだけだからな。」
生きてやる。津波で亡くなった人の分も生きてやる。
そしてこの地域の子孫に伝えてやる。俺たちは生きていた、と。

何も終わっちゃいない。福島は今も昔と変わらず生きている。
KECKARAけっから。ついに本格復活! [2015年12月24日(Thu)]

KECKARA_03_広報用POP.jpg

2011年11月に「予告編」を発行、翌2月に創刊した気仙沼・唐桑のコミュニティペーパー(フリー)「KECKARAけっから。」!

「唐桑の人の夢と唐桑の人の夢をつなげたい」当時そんなローカルにこだわり、わたくし加藤拓馬が唐桑でまちづくりを始める原点となった企画です。

そして2012年7月発行「‪#‎2‬」から3年半の月日が流れ−−−

2015年ついに本格復活です!
12月20日「KECKARAけっから。‪#‎3‬」発行。目玉企画は「Special 2×2 Interview唐中女子×移住女子」。地元の中学生と移住者の対談を3頁にわたって記事にしました。一体どんな会話が繰り広げられるのか?
唐桑や気仙沼の商店に配置予定です〜。是非手にとって楽しんでみてください。

加藤拓馬

---

地域”協”育

今号のテーマは、「地域協育」。
ほとんどの地方がこのままじゃ消滅してしまう、と言われています。この唐桑も無人の半島になるという未来予報です。いよいよ転機を迎えつつある、そんな今の世の中、子どもたちに「教育」することなんてあるのでしょうか。
このピンチをチャンスを変えるためには、子どもたちと力を合わせて、私たちも一緒に育っていくしかないと思うんです。
「協育」とは、そんな意味を込めたちょっとした造語です。
とある山陰地域の地域づくり先進地で、こんな言葉を聞きました。

1年先を見据えて 花を植え
10年先を見据えて 木を植え
100年先を見据えて 人を育てる


また、ある人はこんなことを言いました。

彼らは「子ども」ではない。「未来の大人」だ。

100年先の大人のために、私たち今の大人ができることは何でしょうか。
KECKARAけっから。‪#‎3では‬、それを「移住者」という地域の新入りたちを通して考えてみたいと思います。

KECKARAけっから。編集部
(KECKARAけっから。‪#‎3冒頭より‬)

http://maru-office.com/
ついに宮城をPR!〜宮城県・広島県共同移住フェア〜 [2015年12月08日(Tue)]

《宮城をPR!東京の移住フェアに登壇します》

12月20日(日)11:00〜16:00
東京で「地方」について考える!なんだか流行ってきたのかも。
有楽町においでください。ブースも出してます〜

【宮城県・広島県共同移住フェア開催概要】
日時:12/20(日) 11:00-16:00
場所:東京交通会館カトレアサロン
住所:東京都千代田区有楽町2-10-1東京交通会館12階

≪プログラム≫
●トークセッション「東京から東へ、西へ。」13:00-15:00
日本を変えていく、新しい流れ。
若い世代を中心に、暮らす場所、働く場所として、宮城県や広島県といった地方への移住が大きな流れになるなか、「東京で暮らす人びとの空気感」を知る和田コ之さん、石巻で新たな人の流れを生むために「Reborn-Art Festival」の開催を目指す河合恵里さん、「よそ者」の視点を大切にしながら地域のために活躍する気仙沼在住の加藤拓馬さん、そして瀬戸内の島で、新たな「産業」を次々と興している井上明さんに地方への流れは本物なのか、地方で何が起きているのか、ズバリお話を伺います。
※トークイベントの定員は150名となっています。

〜コーディネーター〜
○ 小西威史さん 月刊ソトコト副編集長
〜パネリスト〜
○ 河合恵理さん (一社)ap bank 復興支援専任スタッフ
○ 加藤拓馬さん(一社)まるオフィス代表理事
○ 井上明さん 合同会社よーそろ代表執行役員
○ 和田コ之さん 釜a大地代表取締役
移住に役立つブースやイベントも同時開催!

●地域紹介・相談ブース 11:00-16:00
宮城県 気仙沼市雇用創造協議会、栗原市、宮城おおさき移住支援センター、七ヶ宿町、丸森町、加美町、ap bank、まるオフィス、ISHINOMAKI2.0
広島県 呉市、竹原市、三原市、福山市、府中市、三次市、庄原市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、北広島町、大崎上島町、世羅町、呉市御手洗(みたらい)地区、nextひろしま

当日参加も可能です。是非、ご参加ください!
https://miyagi-ijuguide.jp/event/1073

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唐桑小学校まちづくり授業 [2015年11月16日(Mon)]

唐桑小学校の6年生のクラスで「まちづくり」の授業をしてくる。

「地域の未来を考える」この授業。

「なかなか自由な発想で子どもたちが地域の未来を描けなくて。
まちづくりって実は分かりづらく、子どもたちにとってハードルが高いんです。そのハードルを下げてほしいんです」
という先生からのご要望。こりゃ楽しい!

「まちづくりとは、唐桑を元気にする活動でーす」から始まり、
一通り「からくわ丸」の活動紹介をしたのち、
「んじゃ、みんなも"まちづくり"やってみますか」と切り出し、
「地区&ご近所自慢大会!」を開催。

「地名、行事、人の名前…自分のじいちゃんの名前でもいい。とにかく『あるもの』を全部出してみて!多く出した地区の勝ちね」

石浜1-2 VS 石浜3&宿 VS 中&鮪立チームで競争。

すると、出るわでるわ。地区に「あるもの」。
黒板いっぱいに埋まる、唐桑に「あるもの」。
その数なんと5分で57個。驚いた。

151110_唐小まちづくり授業_1_light.JPG


−水俣の吉本師匠の教え−
「地域を元気にする『新しいもの』とは、あるものとあるものの『新しいかけ合わせ』のこと」
まちづくりは難しいことじゃない。

1.昔と今に「あるもの」を謙虚に調べる。
2.それを未来に活かす。

この2ステップの繰り返しだ。
「まちづくり」は決して何もないところから新しいものを生み出す作業ではない。

「お、早馬神社のお祭りとごだいのラーメンをかけ合わせるか。お祭りでラーメン出してもいいなぁ。二本杉にツリーハウスつくるか。怒られるか(笑)…でも楽しいなぁ。みんなで第二高松園にリンゴ売りに行くか?」

子どもたちが出したものを適当にかけ合わせる。

「いいな、それ!」
「それおもしろい!」
子どもたちも乗ってくる。
「ほら、誰と誰をかけ合わせる?」

まちを元気にするアイディアなんて無限に出てくるよ、って。
まちにはたくさんの「ひと」「場所」「物語」が眠っている。
それをどう自由な発想でかけ合わせるか。
それをしやすいのは「よそもの」はもちろん、実は「子ども」たちだったりする。

みんなだからこそ、まちのためにできることがある。

そんなことをペラペラ語った。
「子ども」もとい「未来の大人」たちと接すると、今の大人が元気をもらう。
唐桑の伝統太鼓→上京! [2015年11月02日(Mon)]

【唐桑の伝統太鼓→上京!】
気仙沼・唐桑の伝統芸能、松圃虎舞が、なななんと渋谷へ!!

気仙沼の地元の子どもたち、そして大人も大勢上京します!
(大型親子遠足。)
震災から4年半、東京のみんなに恩返しをしたいと唐桑のみんなは本気で練習中。
私も太鼓たたき始めて4年半になりますが、まさか東京で叩ける日が来るとは。

11月3日(火・祝)
「ふるさと渋谷フェスティバル」
場所:代々木公園あたり

12時50分〜松圃虎舞保存会
(宮城県代表!!)

たぶんセンターあたりで叩いてるんで、ぜひお友だちと見に来てくださいね。

https://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/event/2015/pdf/panf2015.pdf
唐桑と戦争A〜生きた教材〜 [2015年10月06日(Tue)]

つづき(前の記事はコチラ

8月19日、唐桑中学校と協力して、テーマ型まち歩きを実施した。
「戦後70年」というテーマで、中学生とまちの中を散策するという企画。
普段見過ごしている何気ない地域の資源にスポットを当てる「あるもの探し」という取り組みで、市の地域支援員の事業として企画し始めて3年目になる。
今回は、町内の「防空壕跡」を訪れ地域と戦争について考える、というオチなのだが、ただ連れていくだけではおもしろくない。
そこで阿部教頭先生と作戦を考える。

---

当日。快晴。なんと中学生16名が有志で参加。
「今日はみんなに『冒険・探検』をしてもらいます」私が言う。
中学生がどよどよっと顔を見合わせる。
阿部先生が口を開く。
「70年前に通じる『どこでもドア』がこのまちのどこかにあるらしい。
どこだべなぁ。探してみっぺ。さぁ行ってこい〜」
いきなり企画スタート。なんのこっちゃ分からない生徒もいるようだが、とりあえず班に分かれてまちに繰り出す。

一応、ちゃんと防空壕跡に辿り着くように様々なヒントを事前に用意している。
阿部先生と私が校庭に待機しているので行き詰まった班はヒントをもらいに来るように、と生徒たちには伝えてある。
さっそくヒントをもらいに来る班もいたが、先生は追い返してしまう。
「分からなかったらどうすんだ。まちの人に聞いたか?」
「…え?」
「さぁ、もう一度行ってこぉ〜」

中学生たちは自由に住民に聞き込みを開始する。
再度ヒントをもらいに来る。
「聞いたか?」
「はい!近所のお家で聞いてきました!」
「ほう。それで?」
「えーっと、なんだったっけ。敵の飛行機が飛んできて、…なんだったっけ」
「敵って誰のこと?」
「…いや…うーん。アメリカかな?たぶん」
なるほど。もはや相手が米国だったことすら「歴史」と化していることに驚く。
「メモとったのかぁ?」
「…いえ」
「なんでメモとらない?話しを聞くときは、メモをとらなきゃ。
もう一度行ってこぉ〜」
「え!またですか!?ヒントは…」
なかなかヒントを出さない阿部先生。

「生徒も教師も用意された教材に慣れ切っている。与えられた教材ではなく、生きた教材を自分たちの手で拾ってくることが大切だ」
阿部先生はわくわくしながら生徒たちの後ろ姿を見つめる。
おもしろい。
しばらくすると生徒たちは、私たちが用意していた「防空壕」という答えに限らず、いろんな当時の生の声、戦跡の存在を聞き出してくる。
「ほらほら、どんどん出てくる。おもしろいなぁ」阿部先生が一番楽しそうだ。

その日は1日かけて、地域の金鉱跡を活用したという防空壕、お宅の庭に掘った防空壕(当時のまま残っているのはかなり貴重!)を巡り、夕方に解散した。

「なんで今回まち歩きに参加しようと思ったの?」参加した中学生ひとりひとりにヒアリングする。
おもしろい答えが返ってくる。
「お母さんが『唐桑には何もないなぁ』ってよく言うから。本当に何もないのかな?と思ったんです」
こりゃ参った。大人の悪いクセかもしれない。
「将来のために活かせると思ったからです」将来って?「将来の夢はツアーコンダクターなんです。なので地元のことを知っておきたいと思って」
そりゃすごい!ツアーコンダクターなんて言葉が出てくるとは。思わず嬉しくなる。

---

後日、生徒の感想文を読む。
「戦争」についての言及と、それを丁寧に話してくれた地域の「人」についての言及が多い。
その中にこんな一節があり、目を見張った。

「唐桑は何もない所だと思っており、あるといっても海とか山とか、東京とかのようなスカイツリーとかもなく、いなかだなあと思っていました。

しかしそれはとかいのものがいなかにないだけでした。

いなかのものはとかいにはないはずです。」

「生きた教材」がここにはまだまだありそうだ。
唐桑と戦争@〜当時の声〜 [2015年09月16日(Wed)]

安保法制が大詰めを迎えているタイミングだからという訳ではないが、戦後70年について。
この夏、唐桑中学校の阿部先生のおかげで私は「唐桑と戦争」というテーマに初めて触れることとなった。
都市部では焼夷弾による空襲が多かったが、地方は主に機銃掃射によるピンポイントな攻撃を受けることになる。
以下、唐桑のとあるじいちゃんからご自宅にて空襲(機銃掃射)について伺ったときのセリフを、そのまま文字おこししたものである。
ここにも戦争があった。

---

毎日逃げる準備はしてんのよ。

陽あたって、このようなときは、外にはね、人がいても、絶対出ねぇんだ。
ところがあそこ、馬、おらい(家)で飼ってたから、
おれのじいさんは、“みの”で−藁でつくった−、それを着て、草刈りすんのよ。
馬さ(草を)食わさなけりゃわかんねぇから。

んで「おれは死んでも何しても、生き物は、かせなくてわかんねぇ(餌を食わせないといけない)」って(言って)、
(空襲で)おらが逃げているときにも…
…あれさ、ここでなく、あっちに逃げたときだなぁ…
上のそこのところで、機銃掃射(で)(中井)小学校がやられたとき、ここ(が)やられたような音(が)した訳だ。

ほでぁ、ばあさんが「もう、ずんつぁま(じいさま)やられてしまったなぁ」って。
ほで涙流しながら、山をあがって、そこさ来て見た訳だ。
ほしたれば、「なんだが動いてんのいるなぁ」と思ったっけ、
(じいさんが)着てた“みの”をこう着て、こうして(かがんで)すくだまっていたった。動かないで。
んで「ずんつぁま生きてたぞー」って(ばあさんが叫んだ)。

動くもの(が)あったらもう皆やられんだもの。
猫でも。猫でも撃たれたってたんだから。犬だの。

―Q:どうやって攻撃してくる?
なぁにや、艦載機だから、飛んであるいて、まわってるうちに、
銃が…見たものはなんでも、銃を下げて撃ってきたのさ。ばばばばっと。
だから、こういうとこ(陸地)を撃つよりも、水さ撃てば一列に弾がずーっといって(水面に走るのがよく分かる)。

んだから、絶対逃れられなかった。
んだから、動いてる姿は絶対見せられねかったのよ。

---

8月19日、唐桑中学校と協力して、テーマ型まち歩きを実施した。

つづく
(次の記事はコチラ
からくわワークキャンプ「maru-camp」はじまる〜プロローグ〜 [2015年09月05日(Sat)]

2011年2月20日、日記にこんなことを書いている。
「ワークキャンプは、マイノリティ、マジョリティ、国家といった
 (意味のない)カテゴリーを越えた次元で、
 てっとりばやく強固な連帯意識を生むシステムなのです。
 とか、いってみた。」

その4年前のこと。

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2008年2月頭、中国・広州。
大学1年生18歳の冬で、2度目の中国ワークキャンプに臨む直前だった。

「リョウタロウさん、これはどういう意味スか?」
原田燎太郎氏のアパートに転がり込んだ私となべサン。
壁にかかった大きな掛け軸に目をやる。堂々とした漢字が2行に渡りずらりと並ぶ。
中国語は読めない。

「走進工作営
 天下一家親」

聞いたのは、なんとなしの興味本位だった。

「World as one family by Work camp…
“ワークキャンプが世界をひとつの家族にする”。

亮輔らと考えた。
ちょっとクサいんだけどね…」
「たいらん」こと原田燎太郎氏が照れ笑いしながら答える。

なんじゃこりゃ。
静かにびりびりと身体に電気が走るのが分かる。
むわっとした排ガスと熱気を纏う広州の、決してキレイとは言えない灰色のアパートの、こざっぱりした一室に「世界」を謳った掛け軸がある。

かっこいい。
他に理由はなく、魂が震えた。
「リョウタロウさん、おれ、中東に興味があって。
中東でもいつかワークキャンプできますかね」

「お〜。じゃあたくまが卒業するまでに下見に行くか」
それから4年間、私は「ワークキャンプ」の魅力、もとい魔力に取り込まれていく。

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2011年2月末、中国・広州。
大学4年生21歳の冬。
「俺と一緒にワークキャンプをやってください」
ホテルの廊下で膝をついた。

恩師・西尾雄志氏が広州に行くと聞き、それに先輩・郭晃彰氏が同行すると聞き、私も同行することにした。
「西尾さん、たいらん、郭くんと一晩飲む」それは(たとえ貧乏が過ぎようとも)航空券5万円を借金してでも行く価値があった。
エジプトで失敗し、リャオじいを亡くし、内定先の会社に通う日々を送る私は、焦っていた。
3月で卒業だ。このまま迫り来る波に呑まれるのか。

たいらんと郭くんの初顔合わせだった。
西尾さんが弟のように可愛がるのがたいらんだった。彼の中国でのワークキャンプ活動を東京から支援し続けていた。
一方、西尾さんが早稲田の教え子の中で「二人の天才」と呼ぶ内のひとりが、この郭晃彰だった。「学生なのに大人への対応・巻き込み方がズバ抜けている」と評した。
郭くんは学生時代、薬害エイズ問題と向き合い、イベント屋として活躍した。この時はテレビマン1年目。

ワークキャンプ屋とイベント屋は、根っこにある想いを共有するとすぐ共鳴し始めた。
手法として、現場力に長け発信力に飢えるワークキャンプ屋と、発信力に長け現場力に飢えるイベント屋。
がっしり2人は握手した。
歴史的な出逢いだ、と私は嬉々として杯を重ねた。

IMG_0022.JPG

昼間っから飲み始め、転々と店を変え、最後はホテルで飲んだ。
大学時代4年間とてつもなく影響を受けた3人が、目の前でこれからの連携について話し合っている。こんなにわくわくする光景はない。
同時にいよいよ焦りを隠せない。
「オレは、また西尾さんにバカにされて、スネてた。
 どうも、この3人の前だとやはり気がひける」
と当時の日記に記してある。相変わらず、酔って西尾さんにまた食い掛かっていた。
そんな最中だったと思う。

このまま就職しても、俺はいずれ退職してワークキャンプをやるために海外に出る。
「仕事」としてワークキャンプを運営して、広めていきたい。
「World as one family」のために。
その夢のためには、このひとつ年上の郭晃彰が必要だ。
「エジプトの失敗」は、もうしない。
この人の鋭い批判力と求心力があれば、2人でその夢を実現できる。

そう確信した。
ホテルの部屋に戻るため、よたよた郭くんと二人廊下を歩いているとき、私は郭くんを呼び止めた。
「おれと一緒にワークキャンプをやってください」
そう言い放った記憶が、酔いもまわり、定かではないが、ある。
ただ、暴発しそうなエネルギーだけは確実に、あった。

その翌月のことだった。東日本大震災。
そして3月12日、私の人生を変えたメールが郭晃彰から来た。

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それから4年と半年。
2015年8月、気仙沼・唐桑。
ついに、私たちmaru-officeはワークキャンプを唐桑で開催した。

つづく
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