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[活動の近況はこちら]
一般社団法人まるオフィス maru-office.com
まるオフィスは気仙沼・唐桑のまちづくり団体です。
地元から電話が来る [2016年08月26日(Fri)]

「これだよ、これ」
こうや、しゅんくん、えまと事務所で深夜まで議論を繰り返す。
10回20回の悶々として鬱々とした議論の末、光が差す議論が1回やってくる。
気仙沼の漁業の衰退の正体とは。日本の高度経済成長とは何だったのか。
本当に「昔はよかった」のか。どうしても今唐桑でもがく志を問うとそんなテーマに及ぶ。
「そうだよ。おれたちはこれだ」
がっと視野が広がる瞬間がたまにやってくる。ほんの少しずつ前に進んでいる。
あと少しだ。あと少しで何かが見えてきそうだ。見えるに決まってる。

暗いトンネルの中でそう言って前方をにらみつける。

---

地元・姫路の先輩から電話が来る。地元のまつりが危ない。
私の地区のヤッサ(屋台…関東でいう神輿の巨大なヤツ)が若者不足/担ぎ手不足でもう上がらないという。
「(毎年やばいねんけど)今年はホンマにやばいわ。地のもんの力が必要やねん…なんとか、まつりのときだけ帰ってこれへんか」

「播州の秋まつり」と言えば、自分のアイデンティティと言っても過言じゃない。
英賀の秋まつりが小さいころから本当に好きで好きで、小学生のころは太鼓の叩き手として担がれ(小5に宮入のブイサシに選抜されたのが乗り子のピーク。確か卒業文集にも書いたくらい。)、中学生からはヤッサのかぎ手として担いだ。大人になってからも時間が合えば帰って担いだ。(震災後も唐桑の兄ちゃんを同伴して参戦したりもした。)
中高一貫の私学に通った私にとって、この秋まつりは自分を「英賀の人間」たらしめた唯一のものだった。がらがらの声で「よぉぉやさぁぁ」と叫ぶことが、元来根なし草の自分の精一杯の根っこだった。
播州の熱はこの1年に1回の秋まつりに詰まっていて、それは日本中どこにも負けない「地元の誇り」でもある。
(日本で一番ガラが悪い自信がある、とか、デカさが違いすぎて関東の神輿がおもちゃに見える、とか、語り出したら止まらない。)

仕事が追いつかない。おどおどする心持の反動で、仲間への態度がねじれ曲がる。
家族との時間も最近不十分だ。
くんばんちゃんもまた入院する。みんないよいよ歳をとってきた。
「地域に自分ゴトを!」と虚しく叫びながら、地元のまつりの火が消えそうなのを傍観することしかできない。
いったい東北でなにをやってんねん、おれは。
家路につく。ただただ呆然として、ハンドルを握る力も沸かない。
久々に維新志士に逢った [2016年08月17日(Wed)]

最近、久々に維新志士に逢った。
「これが幕末だったら、たくまも刺されてるわな!」
かっかっかっと笑う。
東北弁の志士。東北にもいたんだ。眼が見開く。

「都会と地方をかきまぜる!と俺は寝言を言い続けてきたが、唐桑はそれを実現していた!
いやぁ…こりゃしつこくないとできないことだ。そのしぶとさの源はなんですかっ!」
嬉々として杯を仰ぐ男。

ひとつ上の先輩たちがつくった時代より「1cm上を目指す」ことが、今の時代に生きる我々の使命だと語る。
歴史とはそうやって紡がれる。
本気でそれを目指した人間がその功績を刻む。

「人間は(近代に入り)海は危ないもの、土は汚いものとして遠ざけた」
海を排除し、土を排除し、それで人はどうやって生きていくっていうんだ。そこに現代の「負」の根っこがあると言う。

「東北食べる通信」の高橋博之さん。この人には「思想」がある。
自分に足りないものだ。
「近代を生んだ『資本主義』も一種の文化あるいは宗教として1000年後の歴史家は位置づけると思うんです。拙い持論ですが。
だとすれば、高橋さんがやろうとしていることは…そうですねぇ…維新なんてもんじゃない。宗教改革のような壮大なことかもしれません」

「失われた20年」が指し示す先は、海と生き、土と生きるここ「イナカ」だ。

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お食い初め大作戦 [2016年08月15日(Mon)]

「親ばか記」第2弾。

妻の一言からはじまった。
「ねぇ、お食い初めの魚ね。(一般的に使われる)鯛を新鮮館に見に行ったらね、こんな大きいのしかなくてね。いいサイズのお祝い用の鯛がネットなら売ってるらしいんだけど」

ほう。最近、唐桑で地域経営だの地産地"食"だの謳っているのに、家の眼の前に海が広がってるのに、ネットで買うのもなぁ。

「なぬ。よし、父が魚を獲ってこようぞ」
(訳:父が魚を獲ってくる方にお願いしてきます)

こうして「お食い初め大作戦」が開始。
お食い初め(おくいぞめ)。生後100日の儀式で、赤飯、オカシラ付きの魚などなどお膳を準備して食べさせるマネをする。

---

数日後、とある小船の漁師さんに頼む。
「13日?揚げるよ〜。おめぇの頼みだもの。いいさ。5時にこぉ。」
交渉完了。

8月13日。久方ぶりの休日。
船外機にて小鯖5時出航。
根網(刺し網の種類)を揚げる。唐桑半島と大島に囲まれた内湾なので波は穏やか。
機械で網をぐりぐり揚げるのを横で見ているだけ。たまに海水をバケツで汲んで網にかける。
タナゴGET!ネウ(アイナメ)GET!
っしゃー!さっそく目的達成!
上機嫌。

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「次はカレイ網いくぞ」
へい。
御崎沖へ移動。半島の先っちょから離れていく。水平線が眼前に広がる。
内湾とは全然波が違う。大ぉぉきな波がゆぅぅっくり押し寄せる。ぐぐぐっと船体が持ち上がる。朝陽が強すぎて、酔いそうになる。
大海原にぽつんと一艘。なんだか寂しい。

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カレイ網(刺し網の種類)を揚げる。さっきよりだいぶ網の量があるらしい。
「生きてた!ほれ、入れろ!」生きたヒラメがかかってた場合、甕に移すのが私の役目。巨大ヒラメと格闘。
「魚の持ち方がシロウトだぁ」
へい!

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網にかかったまま死んでしまった魚はいくら鮮度がいいとは言え、10分の1ほどの値にしかならないそうだ。
だから家でおかずにするか、おすそ分け用になる。
死んだ魚には小さくて丸々としたエビのような虫がわらわらと群がっている。
「シムシっていうんだ、こいつぁ」
「"死蟲"ですか」
「漢字は分かんねぇけどシムシって語るんだ」
海水でキレイに洗い流す。
次は錆び切った鍋ぶたが網にかかっている。「5年前のものだ。震災直後は網揚げるのもおっかなかったなぁ」

チャイムが半島全体から鳴り響く。朝6時だ。
半島が唄っている。

網を揚げ終わると次は、網を繰る作業が始まる。その場で繰って、また海底に仕掛けて帰るのだ。
それがなんとも地味な作業で。しかも手伝えることがないと見た。
船のトモ(後部)にぐったりしゃがみこんで、座って粛々と作業をしている漁師の背中をぼーっと見ながら、世間話をする。
エンジンは切れている。ぐぐぐっと持ち上がる板子一枚の上に載った私と漁師。
7時を過ぎている。
「なぁ。何週間も漂流するっつーのは気が狂うだろうなぁ。陸(オカ)もなんも見えねぇでなぁ」
うぷ。酔ってきた。あくびも止まんねぇ。相づちが消え、頭ががくりとなる。

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撃沈した私を連れて内湾に戻った船。「ヒラメが生きてる内に一回、小鯖に戻るぞ」
(おぉ!)
ところが、小鯖に戻ったのはよかったが、洋上で海中に吊るしたばんじょう籠にヒラメを移すと、そそくさとそのまままた沖へ向かった。上陸なんてしません。
(Nooooo-!!)心の中で、岸壁に手を伸ばして叫ぶ。

こうして最後の根網を揚げる作業に入った。
が、さすが内湾。揺れが微量になるとたちまち体調は快復した。
「もう大丈夫なのか」
へい!
ここからは漁師さんと共同作業だった。揚げた網のアバの方をぐいぐい巻き取っていく役目。
途中、網に絡まった昆布やメカブの残骸をひとつひとつ取り払いながら揚げていく。結構大変な作業だ。
「これは全て養殖んヤツらが捨てたものだ。分かるか。こうやって、おれらの網にかかるんだ、全部」

再び小鯖に帰ってきたときには9時前になっていた。計4時間弱の船旅だった。
「船の上でな、つくってしまうんだ。その方が楽だからな」
船の上で、ざっざっと鱗をとって、さっとワタを取り出す。ヒラメは三枚におろす。手際がいい。早い。

「あるもの探し」はいつまでも続けなきゃなぁ、と痛感。まだまだ唐桑も知らないことだらけだ。
なんせ、オカシラ付きGETだぜ。

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---

つづいて「歯固めの石」。
午後、馬場の浜に行って、一人でちょうどいい石を見つけて2、3個拾う。ついでにポケストップになっているため、モンスターボールも2、3個拾う。
海水浴に来ている家族連れに怪しい目で見られる。見るな見るな。

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両家の親から頂いた食器に妻の手料理が飾られ、こうしてお食い初めの準備が整った。
これから唐桑の魚を食って丈夫に育つんだぞー
焼いたタナゴを箸でつついて、口元に持っていった。

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父になり 親ばかになり 初幟 [2016年07月06日(Wed)]

「父になり 親ばかになり 初幟」

姫路の実家から祖母の俳句が届く。
旧暦の端午の節句のころで、唐桑では鯉のぼりがはためくころ。

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さて、はじまりました「遠東記」改め「親ばか記」。

4月26日に長男が誕生。
30日に母子ともに退院し、その日には姫路からわらわらと両親、祖母、一番下の弟が上京。
5月2日に区役所に出生届を提出。
本籍:兵庫県姫路市
生まれたところ:東京都練馬区
住所:宮城県気仙沼市唐桑町
これが江戸時代ならインターナショナルな出生届。
5月4日、義父さんが筆で半紙に名前を記す。

それから1ヶ月後。
6月9日、東京は吉祥寺の武蔵野八幡宮でお宮参り。
翌6月10日、立派なチャイルドシートに揺られて6時間、長男が唐桑に初上陸した。

いらっしゃい、ここが5年前からパパが世話になっているまちなんです。
車を降りると早速、馬場ノ浜の潮風と初対面。これからは毎朝この潮風を浴びるんですよ。
馬場家のみんなとも初対面。えいか姉ちゃんがほのちゃんを抱っこして登場。ひとつ先輩のほのちゃんが興味深そうに顔をのぞき込む。
(実の)おじいちゃんおばあちゃんが近くにいないのは淋しいけど、このまちにはたくさんのじいじ、ばあば、兄ちゃん姉ちゃんがいるんです。一見不思議なことだけど、不思議でもなんでもないんです。
さて、どんな景色を見てどんなことを感じて、貴方は育つんでしょう。
たっぷり外海の荒波にもまれて、できるだけたくさんの先人にたくましく育ててもらいなさい。

「はじめまして、加藤東太(はるた)です」

気づいたら7月になっていた。
休みがあると息子を連れて、挨拶を兼ねてちょこちょこと町内をまわり始めた。

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カツオとたばこと私 [2016年06月26日(Sun)]

第5期経営未来塾が本格化。
「自分は人生をかけて何を為したいのか」という問いに、訳が分からなくなった。

事業構想書が白紙に戻った。ぷしゅーーって音がして頭がフリーズした。
クリックしても、反応しない。あれ。カチカチカチカチ。

---

帰り道、カエル塾の前にくんばんちゃんの車を発見。
(お、珍しい。寄って、なぐさめてもらおうっと)
と、一旦は通り過ぎるが、ぐるっと車をまわす。
(カエル塾は、唐桑の自宅のすぐ手前にある「はなれ」)

ちは〜と戸を開けると、とくサンとこうへいもいて、一緒にメシを食ってる最中だった。
「ありゃりゃ、こりゃご無沙汰です。お食事中失礼しやした」
「いいんだ、おめも食ってけー」
「いえいえ、アイサイご飯が待ってますので」
食卓にカツオの刺身発見。
「ば!こうへい、お前はまたなんちゅうもんを食わしてもらってんねん」
「へへ」
くんばんちゃんは立ち上がり、皿にカツオをぱっと取ってラップしてくれる。
「ほれ、みほちゃんさ持ってって、かせろー」
「え、いいんですか?」
「ほれ。たばこも(カートンでもらったから)いくつかけっから。おれとおんなじヤツ飲んだべ、確か」
「え、何そのサービス!いいの!?」

くんばんちゃんは白メシにカツオを数切れ載せて、醤油をこれでもかというくらいぐるぐるぐるとかけて、沸かしたやかんの熱湯をぶっかけた。
これがカツオの最高の食い方。
「いや、かけすぎだから、醤油」
「いいんだ、もういつ死んでも、この人生に悔いなし」
「よくいうよ。ほんで、あと、いきますから。いただいていきます」

カツオの刺身とたばこを両手に持って立ち上がったら、元気が出てきた。
よし。カーソルが動いた。

「だめだ、これ、ちょっとしょっぱい」
一同吹き出した。
その時 歴史が動いた [2016年06月24日(Fri)]

英EU離脱の速報−

英EU離脱と米トランプ旋風は共通点が多い、という指摘。

大戦の反省から70年、何かが着々と動き始めている。
一度誰かが興奮し始めると興奮が連鎖するのが社会性をもつ人間の宿命。
「ばか、幸せになるためにケンカを避けて、結果不幸になっちゃうんじゃあ本末転倒でしょうよ。だろ?」
と誰かが興奮気味な声で言い始めると、次の大戦の足音が聞こえてくる。
「すなどり先生」始動 [2016年06月19日(Sun)]

すなどり【漁り】[名]1 魚や貝をとること。すなどること。2 漁 ( りょう ) を業とする人。漁夫。漁師。(辞書より)

かつて漁師のことを「すなどり」と呼んだそうです。
すなどり先生とは、気仙沼/唐桑の漁師が半日先生になり、気仙沼の高校生・中学生が弟子入り体験できるプログラムです。浜の漁師ぐらしの魅力=気仙沼の魅力をたっぷり伝えます!(毎月1回開催予定です)

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---

今年度のmaru-officeの目玉事業「すなどり先生」がついに本格化。
構想からちょうど半年かかった。
第1回は先月開催、一丸船頭に先生になっていただいた。
第2回は今日開催、藤浜の若手養殖漁師に先生になっていただいた。

浜のくらしを次の世代にバトンタッチできるよう、
地域を育てる漁師=「イクメン漁師」を輩出する。
これが、2016年度「地域"協"育」を掲げるmaru-officeのねらいだ。

春には「しんきんの絆」復興応援プロジェクトの助成が決定。
さっそく、漁師に「教師」のコスプレをお願いしに行く。
「ネクタイにシャツに合羽か…さすがに初めてだ」苦笑される。

こりゃ、楽しい。

観光事業として始めた漁師さんとのチャレンジ「気仙沼・漁師ぐらし体験」、人材育成事業として始めた月1回セミナー(ぬま大学)、白幡教育長(当時)や阿部教頭先生(当時)から刺激を受けた地域教育の大切さ、ここ数年のいろんな経験が織り重なっていく。

「すなどり先生へようこそ。今日はみんなに3時間だけ漁師さんに弟子入りしてもらいます!
 さぁ準備はいいですか?」

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(半年前のアイディアMEMO)



<すなどり先生CM、公開中!!>
第1回 https://youtu.be/CCetIRfnDzU

<第2回すなどり先生の様子>
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(第2回のすなどり先生は、20〜30代の若手養殖漁師
=やっくん先生、たくと先生、たかや先生)


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(牡蠣養殖の作業。牡蠣の種ばさみ。唐小出身の子以外は体験したことがありません)


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(牡蠣の種がついたロープを下げにGO!また2年後に!)


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(スペシャル先生。漁協のイケメン枠さっさが登場。
加工出荷センターを見せてくれました)


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(唐桑中学校などからなんと8名も集まってくれて大盛況でした!)
冠婚葬祭は [2016年06月18日(Sat)]

「何かを決断するときは、いろんな人の意見を聞いて、決めなさい。
ただし、その助言の結果選んだ道が間違っていたとしても、絶対にその人のせいにしちゃいけない。
それは自分の責任」

子どもだった私に、酔うと必ずこの話をしてくれた。繰り返し繰り返し。だから、すっかり覚えている。
なんでこの話だったんだろう。
そんな鯖江のじいちゃんが逝った。

その第一報を受けたときは「唐桑御殿つなかん」にいて、それをすぐに従兄弟であり事務局長のこうやに伝える。
こうやは2階の玄関を出たところの柵に体を預けると、ずるっとしゃがみ込んで、震えるため息をひとつ吐いた。
「そうか、こうやは実のじいちゃん亡くすのは初めてか」と兄貴ぶる。余裕ぶる。
こうして、こうやと私は急ぎ福井県鯖江市に向かった。
久々に兄弟・従兄弟が集まる。
なんだか元気が出る。りょうちゃん、こうや、しゅん、なほ、けん。みんな、いる。

20代も後半になると、冠婚葬祭に触れる機会が増えてきた。
友人の結婚式、唐桑でお葬式。そして実の祖父。

冠婚葬祭はあわただしい。
大人がよく走る。お膳を搔っ込む。
冠婚葬祭は罪悪感なく昼間っから呑める。
酔って寝るだけだからハンドルキープを気にしなくていい。
冠婚葬祭は初めましてが多い。
結婚式での相手方の親戚。葬式で初めて会う親戚のおっちゃん。
冠婚葬祭は大人がもめる。席順、段取りの方法。それを横で他人事みたいな顔して眺める。
ついでに言うと、地元播州の秋祭りでも必ず喧嘩は起きる。
冠婚葬祭は普段泣かない人も泣く。自分もよく泣いてしまう。
泣くとどっと疲れがまわる。酒がまた旨くなる。
冠婚葬祭は世相を映し出す。
意外と流行りを受けやすく、世代の価値観の違いでぶつかったりする。
冠婚葬祭は面倒くさい。
やたらと「それ要る?」みたいな手順、儀式が多い。

だから冠婚葬祭は大事なんだ。
あわただしくて、酔ってて、初めまして〜って言って、もめて、泣いて、時代を感じて、やっぱりめんどくさいなってなるから、おれら親戚家族なんやなぁって実感せざるを得なくなる。
冠婚葬祭は、家族や集落を維持する上で欠かせない、人間の大事な発明品なんだ。

くるくる回る頭でそんなことを考える。
叔父さんがうとうとしている。おかんは寝ているフリして起きてる。親父は相変わらずざるだ。
じいちゃんはなかなか棺桶から出てこない。起きてきて一緒に呑んだら楽しいのに。

---

じいちゃんは毎朝散歩(というか山登り)に出掛ける人だった。夏休みに遊びに行ったときには、こうやとよく散歩についていった。まだ暗い内から西山公園に行き、展望台で体操をして、鯉にえさをやって、すっかり明るくなってから帰ってくる。
(こうやはこの頃から、すれ違う大人全員に元気よく礼儀正しく挨拶する子だった。)
(私はこの頃から、なかなか起きれず、散歩の約束をパスする子だった。)

腿(もも)の骨をつまんで、思い出される鯖江の街角だった。
「しっかりしてますね…」と驚かれるほど、逝去まで1年間入院していた人とは思えないがっちりした骨だった。

東京にいる産まれたばかりの息子に会いたくなって、納骨を見届けると鯖江を後にした。
これからはひ孫のことも見守ったってな。

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何屋さんだ。 [2016年06月16日(Thu)]

ご近所の中井小学校による、まち探検。
3年生、2年生が相次いでウチの事務所にやって来る。

「まるオフィスさんのお仕事を話してやってください〜♪」
と先生には言われたものの、どう説明すればいい?
…当日、朝からそわそわし始める。

3年生、全生徒数15名。
「はい、まるオフィスやからくわ丸はみんな知ってますか〜?」
はーい!と半数以上が反応してくれる。
「お。じゃあ問題です。まるオフィス、からくわ丸は一体何屋さんでしょう?」
…。

はい!後ろの列の子が元気よく挙手する。
「かき氷屋さん!」
…なに!?
あ、そういや地区の夏祭りでやったんだ。

はいはい!「本つくってるところ!」
コミュニティペーパーKECKARAのことかな?嬉しいねぇ。

…。

「はーい。全員正解です〜。私たちはね、まちづくり屋さんです〜」

…ポカーン。

そりゃそうなるわな。

「あるもの探し」の事業説明や、最近の漁師企画事業の解説をする。
あとは自由時間。わいわい、がやがや。

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2年生、全生徒数5名。
「まちづくりとは、まちをげんきにするかつどうです。
それにはまず、まちのむかしといまをしらべ…」
「ふーん!ふーん!」
「それをまちのみらいに…」
「ふーん!ふーん!」
…ぐぬ…
小学生に圧倒される。

---

「子どもでも分かるように説明してみて」
などという言葉をよく耳にするが、本当に子どもたちを目の前にして、私は一体何屋さんなんだ、と改めて悩む。
他人にズバッと説明できないことほど、じれったいことはない。

最近は唐桑産牡蠣の直販のサポートとか始めたから、
「牡蠣小売り(かき氷)屋さん」かな。
なんつって。

…こりゃ当分、難解だ。
小原木小の運動会 [2016年05月28日(Sat)]

小原木小学校の統合が平成29年4月から平成30年4月へ1年延期、とのニュースが地元紙のトップを飾る。
小原木小は、唐桑地域にある3小学校の内の1校だ。
平成27年4月に唐桑中学校と小原木中学校が統合したばかりだ。
続いて、平成30年に唐桑小学校と小原木小学校が統合すると、小原木地区から小中学校は無くなる。
気仙沼市の旧唐桑町は、かつて明治の時代、北の小原木村と南の唐桑村が合併してできたまちである。その名残で、今も小原木のじいちゃんばあちゃんは、南部(旧唐桑村)のことを「唐桑」と呼ぶ。
何年か前に小原木の舘地区でまち歩きをしていて、「おれ、唐桑のこどよぐ分がんねぇからなぁ」というばあちゃんがいて(ん、ここも唐桑町なんだけどなぁ…)と不思議に思ったことがある。

ちなみに、同じくもう何年も前の話。馬場のくんばんちゃんのお孫さんが気仙沼旧市内から唐桑に遊びに来ていたときの話。いたずら好きの小学生の女の子だ。
「ねぇ、◯◯ちゃん、どこ行ったの?」と不意に聞かれたので、
「あぁ。◯◯なら今日は気仙沼に買い物に行ったよ〜」と何気なく答えたら、
「…?ねぇ、ここも気仙沼だよ」
と小学生に指摘されて閉口した。
ちなみに、この春気仙沼と唐桑が合併して10年が経った。

---

話を小原木に戻す。
そんな小原木小学校の運動会に先日参加してきた。
仲のいい先生に「当日スタッフとして期待していたOBの高校生が来れなくなった。来てくれ!」と頼まれて、ほいほいと嬉しそうに参加してきた。
小規模学校は、先生の数が少ない分、大変だ。
まぁ我々からすれば、休日に運動会に参加だなんてステキな過ごし方だ。

全校生徒で30名ちょっと。
今までは小中合同で運動会を開催していたが、昨年から中学校が唐中と合併したため、小原木小単独開催となってしまった。
見ていて、やはり寂しい。
学年別リレーなどは基本数名で行うことになる。3人で「ヨーイ、どん!」

私の姫路の母校はひと学年150名、計1000名のマンモス校(…という認識はないのだが)だったので、クラスごと、町ごとに代表を出し合ってリレーをやった。故に、まずはクラス代表・町(地区)代表に選ばれるための予選に向けて必死だった。
まぁ本番のリレーともなれば、運動会の花形中の花形だった。あそこに立ちたい。
「こうやって走るんや!こないしたら、はよ走れるわ!手をな、こうしたらえぇねん!」
当時、映画「ターミネーター2」を見ていて、家で両親が言う。めちゃくちゃ足が早い液体金属のターミネーターの走りをマネしろという。
(よっしゃ、任しとけ!駅前町の代表に今年こそなったるで!)
でも結局、これ(同地区の同級生のこれやすクン)には勝てず、よく涙を呑んだ。来年こそ!と思う訳である。

(あんな悔しい想いも、たった3人じゃできないだろうに)
そんなことをぼんやり思い出す。

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(全校生徒による紅白応援合戦)


「よぉ〜」
「あ!」
小原木小出身の中1軍団を発見。みんな唐桑中学校のジャージを着て、遊びに来ている。
昨年度この子たちが6年生のとき、総合学習のアドバイザーとして私は学校に何度かお邪魔していた。なので顔見知りだ。たった数ヶ月ぶりの再会だが、なんだかみんな大人びている。

アナウンス「続きまして、OBの中高生も参加しての、借り人競走です」
高校生の替わりに、私たちからくわ丸が参戦。
選手入場。
中学生と並んでイチニ、イチニ。「ふふ、高校生に見える?」
「は?見えないし。おじさんだよ、おじさん!」女子中学生に一蹴される。
…確かに、もう10コ以上違うのか。

アナウンス「続きまして、保護者と地域の方による、綱引きです」
地区のじいちゃんたちがわらわらと出てくる。ばあちゃんまで出てくる。

アナウンス「続きまして、中学生の先輩との小原木ソーランの共演です!」

アナウンス「最後に、校歌斉唱です」
「海幸しげき 小原木の 秀麗の地を 故郷に…」会場から湧く、校歌。

当校の歴史を遡れば、明治にまで行き着く。1世紀以上の歴史だ。
震災後は、祥子、国権、真弓、と私の仲間たちが非常勤としてお世話になった学校である。

平成30年まであと2年。
小原木小の運動会もあと残すところあと1回なのか。
なんとかなるさ、では、世の中なんともならない。
そういう時代に私はいる。

早朝からパラパラと降っていた雨は、運動会が終わるころには人知れず止んでいた。
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