4月30日(金)朝10時ころ、アンガージュマン前の三崎街道をパトカー・救急車がケタタマシク走って行った。相談を終えて、12時前に書店前に出ると、NHKホンダ記者(3月4日放送首都圏ネットワークで本法人の取り組みを取材してくれた)とバッタリ・・・。先程のパトカーの謎が解けた。上町3丁目で起こった傷害事故
(後に殺人事故)の取材に来たとこのこと!!
保護者会と自助グループ活動、毎月第2土曜日開催され30人近くの人たちが集まる。そこでの親たちの言葉には悲痛な叫びが毎回ある。家から出ない子ども! 親の育て方を責める子ども 食事にゴミを投げ込む子ども 服を靴を風呂場に沈める子ども 暴力を親に振るう子ども ネットで買った料金を親に払わせる子ども・・・。
同時に寡黙で家の手伝いをし、親をいたわる子どもの姿も報告される。
語りたくない家庭の出来事を絞り出すように語り始める。何が語ることを促すのか? 親の自責の念が 子どもの「反乱」を受け止め語らざるを得ないと感じる。
はたして、ひきこもりの若者は「反乱」しているのではないとタッキーは、理解してる。ある若者は父親の投げかけた言葉「情けない奴だ」に「殺してやる」と答えた。若者は説明する。分かってくれていると思った父親への決別の言葉です、と。しかし決別できたわけではない。理解してほしいと相談に来る若者が、今日も目の前にいた。
ひきこもりの若者は語ってほしい!
タッキーは思う。もちろん、語れない親子の関係は現実にあることは当然理解しているが・・・ 死をもって向き合う関係があるならば、言葉を。
理解しようとか、仲良くなろうと言うのではない。親子は暗黙のうちに理解できる関係にあるとの誤解がある。いや、「親子は理解し合い、仲良くなければならない」、これが社会に迫られている家庭道徳ではないか?〓
親子でもわからないこと、理解できないことがあるのだ。期待したり、臨んだりするから、現実を、事実を見誤ってしまうのだ。想像力を持ち、相手を思い、自分を責めることは必要だが、事実を見誤ることでもある。
今回法人の近くで起こった死亡事故に痛苦な思いを
正直感じた。きっと、この複雑な思いを持ち続けるしかないとは思うが・・・
連休中も訪問しています。解決なんてできませんが・・・。5月8日(土)保護者会・自助活動です。並行して、ネクストの体験授業や相談も実施します。親のみならず、悩んでいる当事者もお越しください。なお、当事者の方は保護者会・自助活動には出られません。悪しからず。
タッキーでした