理事挨拶(にゃん太郎) [2008年07月25日(金)]
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はじめまして。にゃん太郎です。
2008年度の代表理事を務めさせていただいております。 本日は挨拶代わりに『ギャザリング』について語りたいと思います。 ■「ギャザリングは<社会を変える場>か?」 エコ・リーグのような活動をあまり良く思っていない方と対話をしてみると、 たいていこんな感じになります。 Aさん「ギャザリングなんて、結局学生が集まって盛り上がってるだけの閉鎖的 なものなんじゃないの?それで社会がどう変わるの?今まで15年やってきて何か 変わったの?」 エコ・リーグのBさん「言われてみればそうかもしれない…、でも…、何か悔しい!」 皆さん、こういう経験ありませんか? ですが、そうかといってギャザリングが無価値かというと、 決してそうではないのを何よりも私達自身が実感しているはずです。 けれでも、これまでエコ・リーグはキチンと ギャザリングの意義を言葉で表現することをしてこれなかった… そんな風に思います。 なので本日は、私なりの見方を語ってみます。 きっと、新しい目線でギャザリングを見れるようになる見方です。 ■新しいギャザリング観 私が思うに、ギャザリングとは<社会を変える場>ではありません。 ギャザリングが法律などの社会制度を作るわけではないし、 直接的にギャザリングが環境問題を解決するわけでもありません。 ギャザリングの意義は、現時点ではまだ非常に曖昧で感覚的です。 では、一体ギャザリングとはどういう場なのでしょうか? ここで私からひとつの見方を提示します。 それは『ギャザリングとは<新しい自分を開いていく場>である』という見方です。 どういう意味か、説明します。 ギャザリングとは大勢の人々が行き交い・出会う場です。 そして、出会いとは、程度の差はあれ多くの人々を“変化”させるものです。 その“変化”を<新しい自分になること>と捉えてみます。 <環境問題に興味をもっていただけだった自分> から <環境問題に積極的に取り組もうとする自分> に変わるというのが、ひとつの例です。 その変化のきっかけとは<他者との出会い>に他なりません。 <他者との出会い>が<新しい自分を開いていく> 「新しい自分が開かれていく無限の可能性が秘められた場」 それがギャザリングという場の最大の魅力だと私は思っています。 上の例以外にも、 <海外の青年>と出会うことで<日本人としての自分>が開かれたり、 <勉強家の青年>と出会うことで<勉強意欲をもつ自分>が開かれたりする例は 枚挙に暇がありません。 新しい出会いが、次々と<新しい自分を開いていく> そういった出会いが高密度に、連続的に展開される場所。 それがギャザリングではないでしょうか。 また、共同生活であることも、大きな魅力です。 <気遣いが下手な自分>から、<何気ない気遣いができる自分>へ。 <引っ込み思案だった自分>から<一歩踏み出せる自分>へ。 そうやって、“出会い”や“出来事”が、 参加者にとっての<新しい自分を開いていく>のです。 そして、<新しく開かれた自分>は、 前の自分に比較して、より<社会に開かれた自分>へと変化しているはずです。 <新しく開かれた自分>は、きっと“社会とのつながり”を新しく見出していま す。 そうやって、あらゆる領域へと“つながり”を広げていくこと。 環境問題と、自分とのつながりを、明瞭に見出して展開していくこと。 それを支えるのがが 持続可能な社会への、ギャザリングの果たす役割ではないでしょうか? 私はそんな風に思います。 皆様も、是非そんな見方でギャザリングを考え直してみてください。 また、まだギャザリングに来たことのない方は、 <新しい自分を開く>ために、じゃんじゃん飛び込んで来て下さい☆ 以上、簡単ですが、代表理事の語るギャザリング観でした。 もう夏場になってしまいましたが、 1年間、よろしくお願いいたします。 8月全国ギャザリング http://gathering.eco-2000.net/8g/ 9月中部ギャザリング http://gathering.eco-2000.net/chubu/index.html |
Posted by
松浦洋平
at 10:26



