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ユスフ・ギラニ新首相就任と今後のパキスタン政治情勢 [2008年03月27日(Thu)]

 パキスタンでは、ブット元首相に対する自爆・暗殺テロ事件(07.12.27)から53日後に下院総選挙が実施(08.2.18)され、野党第1党のパキスタン人民党(PPP)と第2党のパキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派(PML-N)が圧倒的な勝利を収め、現ムシャラフ政権を支えてきたパキスタン・イスラム教徒連盟カイディザム派(PML-Q)は、第3党となり惨敗した。
 主要野党はこの結果を受けて、ムシャラフ大統領弾劾に向けた動きを活発化させたが、当面の国内政治の混乱を避けるために、ムシャラフ政権を支持するPML-Qとの連立政権の樹立を目指すのではなく、野党結集を最優先する動きを踏襲してきた。
 しかし、野党第1、第2党間の政策方針については、双方の政治的利害が対立し、結局、PPPの共同総裁で故ブット元首相の夫であるザルダリ氏とPML-Nを率いるシャリフ両氏との間で、3月9日になってはじめて連立政権の樹立合意に至った。

 この間、パキスタン情勢の悪化を回避するために、米英両国と、おそらくサウジアラビアがムシャラフ大統領、軍、そして野党各勢力間の調整に積極的に関わって、対立を回避したのが実状であろう。
 そして、下院総選挙から実に34日目の3月24日に、PPPのユスフ・ギラニ副総裁が下院(定数342議席)の3分の2を超える指名を受けて、新首相に選出され、翌25日の宣誓式を経て、正式に新首相として就任した。

 このような中で、ギラニ新首相が率いる内閣の政治運営が安泰であるのか、そしてムシャラフ大統領の去就がどのようになるのか、その舵取りが注目される。
 現時点で、ムシャラフ大統領が政権の求心力を失い、敗北したわけではなく、軍部は未だに大統領に忠誠を示しているとみられるが、ギラニ新首相との関係をどのように構築していくのかもこれからの課題であろう。
 もちろん、ムシャラフ大統領の立場が油断できない状況にあることは、総選挙の結果からも明らかなように、国民的支持を失っていることは周知の事実である。
 また、PPPとPML-Nの両党は、連立政権樹立に関する合意の中で、昨年11月の非常事態宣言発令時に解任されたチョードリー最高裁長官を含む60人以上の判事を復職させることを決定している。
 シャリフ氏は選挙運動中、判事の復職とムシャラフ大統領の弾劾を主要な政治的争点にしてきたため、この決定がシャリフ氏にとっては大きな勝利であり、宿敵であるムシャラフ大統領の罷免に大きく前進したと見ているであろう。

 ところが、故ブット元首相の夫であるザルダリPPP共同総裁は、これまで以上に自己のあらゆる発言に慎重で、判事復職問題についても自らの政策を述べることをこれまで差し控えてきたほどである。
 連立政権がムシャラフ大統領の弾劾に動かないとしても、判事の復職は、大統領に深刻な打撃を与えることは確実であり、大統領は最終的には辞任せざるをえない状況を迫られるかもしれない。しかし、そのような事態が直ちに訪れることはないであろう。
 ザルダリ、シャリフ両氏の思惑は、判事を復職させれば、大統領弾劾に必要な議席数を確保することによって二人の政治的影響力のすべてと引き換えに、大統領の弾劾を目指す必要はなく、その代わりに、復職した判事らの法廷がムシャラフ大統領の再選の違憲性を主張して、結果的に大統領排除に取り組むことが可能になる自然の道筋ができるというものである。
 ところが、このような思惑が、逆効果に働くこともあり得る。それは、両氏に対する汚職に対する大統領による免責措置の違法性が問われかねないからである。

 このような情勢の中で、両者の思惑通りに情勢が進展するのかどうか、政治的混乱は終わったわけではないというのが実状であろう。
 現在のムシャラフ大統領の動きも、明らかではない。与党となったPPPとPML-Nが今後の政治運営で対立を避け、どの程度協力していけるかどうかも未知数である。

 かつてブット両元首相とシャリフ氏は、激しく対立した経緯が過去にあり、双方の党内にはその溝が残存したままであり、二つの主要政党が協力することを約束してはいるものの、両党間の政治運営と方策にはかなりの隔たりがあることには変わりがない。
 その実態は、対立の火種をはらんだままであり、それが噴出して連立が崩壊する可能性も否定できないところであろう。
 その中で、最も明らかで大きな相違点は、ムシャラフ大統領に対する対応を巡るものである。
 シャリフ氏は政治的理由を超えて個人的な理由から、いかなる手立てをしてでもムシャラフ大統領を失脚させたいと考えている。

 一方で、ザルダリ氏を動かすものは現実的な対応と打算だけであり、ムシャラフ大統領を攻撃することが自らの政治生命と自党の路線に有益であり、それが可能であるとの判断に至ればそれに応じるであろうが、その妥協には慎重に慎重を期すであろう。
 現在、ザルダリ氏は、政治的混乱を招くことや対立を引き起こす決定的な動きをしないように、状況の成り行きにまかせておいたほうがよいと考えているのではなかろうか。

 他方シャリフ氏は、PPPと手を組むことで、解任された判事を復職させ、おそらくムシャラフ大統領を実質的に排除する最良の機会を得たと判断している。
 しかし、これが実現した時点で、ムシャラフ大統領側からの反動が皆無であろうか、そして連立政権が崩壊することもなく、政治情勢が安定を維持できるかどうかの予想はつかないのが実情であろう。
 実際、第1党のPPPでは、党内における主導権をめぐって既に意見の不一致に直面しているといわれる。総選挙後、ザルダリ氏は首相候補者の指名を先送りしてきた。

 党内では当初、アミン・ファヒム党副総裁の指名が最有力であると予想されていたものの、ファヒム氏がザルダリ氏にとっては脅威となる存在であり、伝統的にブット家の本拠地であるシンド州に築かれてきたファヒム氏の大きな権力基盤を怖れていることは明らかであろう。
 しかし、シンド州以外から適当な首相候補者はおらず、ザルダリ氏自身が国会議員ではないため、首相になる資格がないことは紛れもない事実である。

 首相候補者選出を巡るPPP党内の主導権争いが、今後のパキスタン政局に影響を及ぼす危険性を内在しているだけでなく、PPP指導部に対する支持者のイメージが失望となり、対外的な期待も評価も落ち込むことが懸念される。


Posted by 益田哲夫 at 10:23 | この記事のURL
ブット元首相の暗殺・自爆テロ事件後のパキスタン情勢の行方 [2008年01月04日(Fri)]

 2007年のパキスタン情勢は、まさに激動の渦の中にあった。ムシャラフ政権による同国の内外政策の舵取りがいかに困難なものであったかは、これまで報道されているとおりである。

 しかし、12月27日のブット元首相の暗殺・自爆テロ事件は予想以上に早い時点(これまでも、同女史の政策、発言等から、敵対勢力からのテロの可能性は極めて高かった。)で起きたこと、特に来月1月8日の総選挙を目前にして起きたことは、同国の政治勢力間の複雑かつ厳しい対立構造の要因を改めて露呈したものといえる。

 また欧米諸国が期待する同国における民主化への道は、制度的な仕組みが構築されただけでは解決できないものであることを示している。
 それは、同国の1947年の独立以来抱える宗教、宗派、民族、部族間の対立、争い、そして軍部の影響力という潜在的なものであり、これらの複雑な要因を解消できないまま、抱え込んだままの中で国家運営の舵取りをすることの困難さは、政権当事者でないと知りえないかもしれないし、その苦悩は計り得えないものであるかもしれない。

 この様相は、民主化を目指す中で、誰が政権を掌握しても同様であろう。
 現在のパキスタン情勢の推移を見ると、世界の冷戦構造の中での60年代、70年代、そして80年代当初の中東諸国について、ある専門家が、「弾丸一発によって情勢が一夜で一変する。それが中東世界だ。」と言っていたことを想起させる。つまり、政権交代が暗殺や軍事クーデターによって一夜にして起こることを比喩したものである。
 その一方で、独立以来のパキスタンも同様の趨勢を抱えてきた歴史がある。これを繰り返さないために、どのような方策があるのであろうか、その答えを出すことは至難の業であることが現実であろう。

 ブット元首相が、生前、総選挙後の国つくりをどのように考えていたのか、具体的にどのような方策を考えていたのかを知る余地がないし、また実際にムシャラフ大統領とどのような共同政権構想を描いていたのかも、明らかではない。また、構想自体が白紙に戻ったのか、現在も新たな協議が進められているのかもわからない。

 ここで言えることは、パキスタン情勢の短期展望をみる上で、2月18日に延期された総選挙が、ムシャラフ大統領にとってどのような結果になるかが政権運営の一つの鍵となるであろう。
 2月18日の総選挙までにパキスタンの政情がどのような推移を辿るのか、それ以降、どこに向かうのかを予測することは困難であろう。

 以下は、あくまでも現時点で予想し得る可能性の要点を列挙したものである。

  ○ 総選挙の結果がどのようなものになるかであるが、ムシャラフ大統領の支持政党である与党の
    パキスタン・イスラム教徒連盟(PML-Q)が、民衆からの支持を得て優勢のまま第一党となるの
    か、あるいはこれに反して、野党との共同政権運営を取らざるを得ない状況になった場合、有力
    野党勢力でカリスマ指導者を失ったパキスタン人民党(PPP)、若しくはパキスタン・イスラム教徒
    連盟シャリフ派(PML-N)と何らかの連携を組むのかどうかということである。
     故ブット女史が暗殺・自爆テロに遭遇する前までの予想は、PPPが優勢であるものの、第一党
    となっても単独政権を樹立することは困難であり、軍部の支持を確保した上でムシャラフ大統領
    との共同政権を樹立し、PML-Nの影響力が弱まるであろうとのシナリオが大方の見方であった。
     しかし、有力指導者であったブット女史がいなくなった段階で、このシナリオはなくなった。

  ○ 次に、ムシャラフ大統領支持の与党が善戦する可能性は更に小さくなり、PPPとPML−Nが議
    席を有利に確保する可能性が大きくなったが、この野党の二党が連合を組むのかどうかである。
     もし、そうなれば、ムシャラフ大統領にとっては、大きな痛手となり、何らかの手立てを打たざる
    を得なくなり、同大統領の政権維持が窮地となる。
     このような事態が現実となれば、キヤニ陸軍参謀長指揮下の軍部が動き出し、ムシャラフ大統
    領を支持続けるのか、あるいは同大統領をはずす形で反ムシャラフ連合政権と組むかの選択を
    する緊迫した状況になるかもしれない。

  ○ ムシャラフ大統領の立場は、ブット元首相の暗殺・自爆テロ事件後、極めて窮地にあることは否
    定できない。それは、事件の真相究明の問題であり、世論はこの事件に政府が関与していたの
    か、否かを明らかにすることを求めている。大統領は、1月2日の国民向けの演説の中で、事件の
    捜査を第三者である英国の警視庁に委ねて公正を図ることを約束したばかりである。その結果次
    第では、大統領支持が大幅に落ち込む可能性も否定できない。

  ○ 2月18日の総選挙投票までに、ムシャラフ大統領支持の機運が高まる可能性は、小さいと思わ
    れるが、その結果でPPPと PML-Nの両党とPML-Qの一部が連合政権に加わったとした場合、ム
    シャラフ大統領の実質的な権限が大きく弱体化することは避けられなくなるであろう。

 ただ、このようなシナリオは、再び非常事態宣言が発動されるような状況になれば、パキスタン政情は更に混沌としたものになり、先行きが見えない状況になる。
 一般国民は、政情の安定化は当然としても、経済状態の安定を最優先に求めていることは明らかである。現政権は、同国の全ての分野で国民から「よし」とされない限り、政権に対する支持を得ることができない現実に直面している。

 政権の舵取りは、そのためにも治安の安定が前提であり、それが危うい状況の中では、経済の飛躍的な発展を阻害するものであることを百も承知していることであろう。
 その現実は、厳しいというのが大方の見方であろう。
Posted by 益田哲夫 at 13:08 | この記事のURL
パキスタン:「非常事態宣言」解除後のムシャラフ政権が歩む厳しい道程 [2007年12月17日(Mon)]

 パキスタン情勢は日々、刻々と進展していることから、中長期的展望を立てることも、一か月先の情勢を予測することも中々困難である。
 内外に山積する問題を抱える現政権にとって、全ての問題を一石二鳥に解決することなどは不可能であり、民主化に向けての政治課題一つを仕上げるためにも、単に野党との協議で片付けられるものではない。
 国を動かしていく原動力は、独立以来の歴史的な背景に裏付けられており、その統治機構・機関が動脈硬化を起こせば、国家の安定そのものが脅かされる状況に至ることは、中東世界の事例からも明らかである。
 パキスタンで何が進んでいるのか、報道規制がある中で、何が的確な情報であるのかを見極めることは困難であるが、同国の安定が南西アジアだけでなく地域情勢の安全保障の上でも重要であることからその動向を注視せざるを得ない。

 ムシャラフ大統領は、12月15日に公約どおりに11月3日の深夜に発令された「非常事態宣言」と「憲法停止命令」を解除した。
 同大統領は、これに先立つ11月28日に大統領職との兼職を続けてきた陸軍参謀総長職を離れ、翌29日パキスタン史上初めての軍籍を離れた文民大統領として就任した。
 ムシャラフ大統領はこの一か月間、パキスタンなりの民主主義を構築することを表明し、民主化に向けた内外からの批判、非難を回復するためのいくつかの措置を実施してきた。
 それらは、先ず12月16日に非常事態宣言を解除すると宣言したことであり、次に総選挙が、来年1月8日に実施されることが宣言された。
 そして、劇的な動きとして、大統領が陸軍参謀長を辞任して軍籍を離脱し、文民大統領になったことである。
 総選挙をとりまく情勢は複雑であり、与野党間の攻防だけでなく、野党間の駆け引きも激しくなっており、その対立要因が異なった方向で引き合っている。
 先ず野党勢力が、総選挙に参加するか、ボイコットするかという問題である。
 野党のほとんどが参加している全政党民主化運動(APDM)は、現時点では総選挙ボイコットを呼びかけている。これまでのところ、ナワズ・シャリフ氏率いるパキスタン・イスラム教徒連盟ナワズ・シャリフ派(PML-N)は選挙のボイコットに従う意思を表明している一方、ブット氏のパキスタン人民党(PPP)は「しぶしぶ」選挙に参加すると発表した。
 しかし、この動きは、あくまでもムシャラフ政権の動向を見極めようとする選挙戦術と見られ、それぞれの陣営の思惑は異なっている。
 パキスタン人民党(PPP)を率いるブット元首相は、自分が選挙で優位な立場にあると見ている。
 このことは、選挙のボイコットはPPPに不利になると考えている。ムシャラフ大統領が軍籍を離脱したことから、現在、政権の共同運営案を巡ってブット陣営との合意実現が近い状況にある。この可能性は、高いシナリオと見られている。
 他方、もう一つの野党有力組織であるシャリフ氏は現在、11月3日の非常事態宣言発令時に解任された最高裁判所判事が復職しない限りPML-Nは選挙をボイコットするとの条件闘争的な発言を繰り返してきた。しかし、PPPが選挙に参加し、PML-Nがボイコットするという共闘が崩れれば、シャリフ氏にとって政治的自殺行為も同然となる。

 したがって、PPPとPML−Nの両党が、全面的なボイコットについて合意できなければ、シャリフ氏は再度、総選挙への参加を決断するであろう。
 このシナリオはブット氏にとって有利である。シャリフ氏が立候補することになれば、選挙運動に残された時間は少なく、シャリフ氏はまた、「最高裁判事が復職しなければ選挙に出ない。」という自らの発言を翻したと受け取られるからである。
 おそらく、野党勢力が全面的な総選挙ボイコットというような合意に達することはないであろう。それは、ブット氏とシャリフ氏の間のこれまでの宿敵関係と信頼関係がないからである。
 また、どちらも相手が選挙をボイコットして自分が選挙に参加すれば、かなり得をすることになるとの胸算用が働いているからである。
 また、野党勢力が選挙期間中に参加するか、ボイコットするかの間を行ったりきたりすることは、選挙のボイコットという戦術に係わるいずれの政党にとっても政治的にダメージが大きく、ムシャラフ大統領陣営のパキスタン・イスラム教徒連盟カイディアザム派(PML-Q)が有利となることは明らかであろう。
 ただ、パキスタン政治の中で見えない大きな問題のうちの一つは、軍部がどれくらい忠実であるのか、そして、誰に忠誠を誓っているのか、という問題である。
 軍部はキアニ新参謀長に忠実であるのか、それとも、まだムシャラフ大統領に忠実であるのか。ムシャラフ大統領自身が軍事クーデターで権力の座に就いたため、大統領はクーデターを懸念しなくてはならないのかなどである。
 現在、ムシャラフ大統領は、軍事クーデターの可能性について懸念する必要はないといえよう。
 側近であり、最も信頼を置くキアニ参謀長が大統領に背を向けざるを得ないような急激な情勢変化があったとしても、現時点でクーデターを起こす状況は整っていないであろう。
 軍部はムシャラフ大統領が1999年10月に軍事クーデターを起こした当時とは対照的なほど国民から不人気であり、国民は軍事独裁者の登場を望んでいない。
 現在の状況が変わらないまま、再び軍がクーデターを起こすというようなことになれば、内外から極めて評判の悪い政権が樹立することを意味する。

 いずれにしても、キアニ参謀長の完全な忠誠が大統領にとっては、非常に重要である。ムシャラフ大統領はこれまで法律を制定し、それを軍を使って施行するために、大統領と参謀長という二つの立場を使うことができた。
 しかし、大統領は陸軍参謀長を辞任しており、法令を施行するには、今やキアニ陸軍参謀長を頼らなければならない。
 キアニ参謀長がどれほど軍を掌握することができるか、参謀長の思いどおりに軍を従わせることができるかは、未知数である。
 つまり、今後も軍の立場と動向を注意深く見守るべきであるが、パキスタン情勢に今すぐ表立って重大な影響を及ぼす可能性は低いであろう。
 パキスタンは、来年1月8日の総選挙に向けて暑い選挙戦を展開するが、同国の動向は、国内政治だけでなく、イスラム過激派勢力の動向、そして対外関係の推移にも眼を離せない地政学的にも重要な国であることには変わりない。
Posted by 益田哲夫 at 15:23 | この記事のURL
パキスタン:ムシャラフ大統領の陸軍参謀長参謀長辞任で、一挙に総選挙体制に入るのか [2007年11月29日(Thu)]

        - 微妙な舵取りを続けるムシャラフ政権、野党勢力の統一結集は困難 −

 パキスタン情勢は、今後の南西アジア、近隣諸国地域との関係を見る上でも、その推移が注目される。
 しかし、非常事態宣言下で、ムシャラフ政権が進めている政策は、「一歩前進、二歩後退」の印象を受けるものの、11月28日にムシャラフ大統領が、就任以来8年間にわたり続けてきた大統領職と陸軍参謀長職の兼職肩書きから軍籍を離れ、非常事態宣言の解除は未だ行われていない中で、十分ではないものの、来年1月8日の総選挙を実施するための体制に向けた動きが整い始めているともいえる。

 山積する問題を抱えるパキスタンを内外情勢の変化を踏まえて統治することの難しさは、世界の西欧民主主義社会では想定できない面もある。
 その民族的歴史、部族社会、イスラム過激は世禄の拠点である不統治地域の存在、軍部と政権の関係、そして経済インフラの未整備などの複雑な政治・社会要因が交錯する中で、民主化に向けた国づくりの途上にあることは否めない。

 11月3日深夜のムシャラフ大統領による非常事態宣言は、憲法の停止、暫定憲法命令の発令、最高裁判事の解任、弁護士、野党勢力メンバーの拘束、報道機関の放送停止などの強権発動をもたらした。 
 これを受けて、国内での主力野党による政権糾弾の動きを活発化させたものの、一般市民を巻き込んだ反政府運動の引き金となるような事態には至らなかった。
 また、国際社会も非難を強め、英連邦加盟国は非常事態宣言の解除を求めていたが、パキスタンの資格停止に踏み切るなど、今後同国との貿易・投資を激減させるなど、同国の経済支援分野にも影響を及ぼす可能性が出てくるであろう。

 ブット、シャリフの両元首相の帰国は、民主化に向けた動きの象徴的なものであるが、両人のムシャラフ政権との関係は双方の政治的取引も垣間見え、その利害関係が対立なのか妥協であるのか、実状を知る余地がない。
 双方の陣営の厳しい駆け引きが続いていると見られる。

 ムシャラフ大統領の宿敵とも言えるシャリフ元首相は、本年9月に国外追放され、再度帰国後の26日に総選挙に立候補する届出をしたものの、選挙ボイコットを示唆するなど反政権色も強めていることから、ムシャラフ大統領がどのような対応に出るかが注目される。
 他方、ブット元首相の立場も微妙なところに立たされているといえる。最高裁が、同女史に対する訴追を免除されるとの恩赦と、首相の三選が憲法上承認されるとの大統領令に関する正当性を審議し、最終的な審決を出したかも明らかではなく、非常事態宣言下でのその有効性も明らかではないという状況がある。

 来年1月8日の総選挙に向けて、野党勢力も一斉に民衆からの支持獲得に向けた選挙キャンペーンに動き始めると思われるが、これまで反ムシャラフ政権で結集を訴えてきたブット元首相が総裁で率いるパキスタン人民党(PPP)、シャリフ元首相が率いるパキスタン・ムスリム連盟シャリフ派などの主要野党勢力は、今後その利害対立を表面化させてくるであろう。
 また、ブット元首相の帰国パレードで自爆テロ事件が起きたことで示されるように、敵対分子はイスラム勢力の中にも多く、有力野党勢力の両指導者の政治的立場が微妙なものであることには変わりない。

 不確定要因の多いパキスタン情勢の短期的な今後の注目点は、先ず次の点になるであろう。

○ 非常事態宣言が、いつ解除されるのか。

○ 軍籍を離れたムシャラフ大統領と軍部との関係がどのようなものになるのか。特に、イスラム過激 
  派勢力に対するいわゆる「対テロ戦争」の軍事作戦で、その是非について微妙な思惑の違いが顕在
  化する可能性もある。

○ 拘束されている政治家、弁護士、ジャーナリストらの釈放はいつか。

○ 放送禁止などの措置が取られている報道機関の正常化は。

○ 野党勢力が一つに結集する可能性はあるのか。

○ 非常事態宣言下の海外投資、貿易の急減の影響があるのか。実態はどうか。

○ 総選挙の鍵を握るのは、市民生活の経済状況が悪化傾向にあるのかどうか。

Posted by 益田哲夫 at 10:40 | この記事のURL
パキスタン:「非常事態宣言」に面舵を切ったムシャラフ政権 [2007年11月06日(Tue)]

 民主化の過程にあるパキスタンでは、11月3日深夜、全土に非常事態宣言が出され、ムシャラフ大統領が国営テレビを通じて、国民と海外に向けてなぜ、今、非常事態宣言が発令されたかの理由を説明する演説を行った。
同国では、10月6日の大統領選挙以降、政権と最高裁判所との間の関係がこれまでになく一層緊迫化した状況を呈していた。おそらく、この時点でムシャラフ政権は、政権維持を不可能にし、国内情勢が一気に不穏化することを防ぎ、全土における一般大衆を巻き込んだ反政府抗議行動の芽を一挙に摘もうとしていることがうかがえる。
 実際、最高裁判所では、ムシャラフ政権を揺るがしかねない、次のような憲法問題に抵触する重要案件の審理が続けられ、その裁決が目前に迫っていた。

  ・ 10月6日に実施された大統領選挙でムシャラフ大統領が圧勝したが、陸軍参謀長を兼
   務したままでの再選が正当化されるかどうか(最高裁判所は、選挙管理委員会に対し
   て表を10月17日まで延期するようにとの命令を発出していたが、その裁決が1か月近く
   先延ばしされてきた。)
  ・ ムシャラフ大統領が、首相当時の汚職訴追案件でブット元首相夫妻を免責した大統領
   令の正当性
  ・ 最高裁が帰国を許可したシャリフ元首相の再度の国外追放措置の問題
 
 ムシャラフ政権は、これらの審理が長引けば長引くほど、大統領の再選が確定しないなど、11月15日で下院議員の任期が満了となり、下院選挙に向けて一斉に選挙運動に入る時期を前にして、政治的な真空状態を避けたいとの意向も出されていた。
 また、このような中で、10月18日にはブット元首相が8年ぶりの自主的な亡命から帰国し、民主化に向けた政治的動きがいよいよ始まろうとしていた。
 その矢先に、非常事態宣言が発令されたことで、最高裁判所がどのような内容の裁決を出そうとしていたのかを知る手段はなくなった。ムシャラフ政権の最高裁判所に対する対応は、極めて迅速であり、事前に綿密な計画が行われてきたことをうかがわせている。

 最高裁判所の裁判官17人のうち、非常事態宣言に反対する7人が警察に連行され、最高裁判所の建物を出た。チャドゥリ最高裁判所長官は再び解任され、非常事態宣言後に出された暫定憲法命令のもとで宣誓した4人の最高裁判事の中からムシャラフ大統領に忠誠を示したアブドル・ハミード・ドガール判事が最高裁長官に任命された。
 チャドゥリ元長官と7人の判事は、「非常事態宣言は違憲である。」としたことから、その場で収監された。また、連日、千人近い弁護士を含む法曹関係者、政治活動家などが警察等によって拘束され、抗議行動が強まっていることが報道されている。
 非常事態宣言下では、憲法の効力が停止し、国営テレビ局を除く全てのテレビ局の放送が止められ、首都イスラマバード市外の通信網は遮断されたが、一部メデイアのインターネットによる配信は続けられた。
 同市街に通じる道路も厳重な警戒措置が取られ、地元住民だけが通行できる状況になっているが、街中の様子は平静さを保ち、大都市カラチでも日常生活が維持されている。
 他方、ベナジール・ブット元首相は10月18日、8年余の亡命からカラチに帰国し、パレード中に140人近くの死亡者を出した自爆テロ事件に遭遇し、一時期パキスタンを離れて、ドバイに滞在していた非常事態宣言後、再びカラチに戻ったが、カラチ空港から警察の警護を得て、周辺を治安部隊によって囲まれている自宅に帰還した。

 現時点で、ムシャラフ大統領がパキスタン人民党(PPP)総裁ブット元首相にどのような対応を示すのかは明らかでない。
 ムシャラフ大統領は、テレビ演説では軍服姿ではなく、文民姿の服装で現れ、総選挙後に民主化が図られるとの希望が述べられている。 
 ブット元首相は帰国後、これまで個人的、政治的な利益を獲得しようというようなイデオロギーを表面に出すことなく慎重に行動してきたことから、ムシャラフ大統領は同総裁との政治的権限を分散し、共同合意に到達できる可能性は現在も残っている。
 しかし、非常事態宣言後の立場で、同総裁との協議が進展するかどうかである。彼女自身が政権の手繰り人形となるのかどうか、ブット支持勢力がどこまで世論からの支持を得ているかの見極めが鍵になるであろう。

 これは予測ではあるが、ムシャラフ大統領はブット派勢力が未だに危険な存在であるとみなし、自身の支持政党内での不人気があまりに大きいと判断した場合、そしてブット元首相が非常事態宣言後、ムシャラフ政権と共同歩調を取ることが同人の信頼と政治的支持を全て失わせるというような判断に至れば、この共同合意は崩壊する可能性があろう。
 現時点では、どのような状況に進展するのかを予測することは早計である。しかし、ブット元首相が再度の帰国を許可されたことの事実は、ムシャラフ大統領が何らかの取引をブット陣営と進めようとしていることを検討していることの証であろう。
 さらに、彼女が国内にいることが総選挙の実施に向けた民主化へのバランス力学を働かせることになるかもしれない。

 このような中で、国際社会の反応を見ると、欧米諸国の指導者らは直ちにムシャラフ大統領非難を高め、早急な民主化を呼びかけ、軍事・経済援助の削減も示唆したことから、パキスタンへの投資と貿易交渉が一時停滞するかもしれない。
 我が国は独自にどのような対応を取るべきは、パキスタンの内外情勢の推移を慎重に見極めて行うことが望まれる。
 その中で、インドは例外的にムシャラフ政権に遺憾の意を表明しながら、「パキスタンは困難な時を迎えている。」「平常にまもなく戻るであろう。」との理解を示す反応を示した。
 これは明らかにインドが、この状況の中でムシャラフ大統領から反感を買うようなことをしたくないことと、両国関係がかつてのような緊張状態に戻ることを懸念しての慎重な対応の現れであろう。
 しかしながら、インドにとっては隣国の現時点での非常事態措置をやむを得ない措置としている向きもないではなかろう。
 それは、ムシャラフ大統領がイスラム過激勢力の台頭に対する徹底した攻撃作戦を展開することが期待され、インド国境の平定を期待してのものであろう。非常事態宣言の一つの理由が、イスラム過激派勢力の脅威であることは、真の理由ではないかもしれないが、ムシャラフ政権にとって、今後更に大きな脅威となる要因であることには変わりない。
 イスラム急進勢力が、核保有国である隣国パキスタンのムシャラフ政権に取って代わるような事態になることを最も恐れるインドにとって、パキスタンの政治情勢には敏感にならざるを得ない。

 パキスタン情勢の今後の見通しを予測することは困難であるが、最悪のシナリオは、ムシャラフ政権に対する反政府に向けた動きが活発化することであり、そうなれば内戦状態をもたらし、想定以上の混乱が生じることである。
 これは最も望まない事態ではあるが、一般大衆の反政府に向けた抵抗活動が進み、現在統一された連合体になっていない、敵対関係にあるイスラム指導者と宗派組織勢力が反ムシャラフ大統領で結束、統一されるような事態に至るとすれば、予期しない事態を招くことになるかもしれない。

 現時点では、このようなリスクは小さいと見てよいであろうが、パキスタンの情勢の変化は急速に進展する場合もあり、その推移を注視しておく必要がある。
 また、イスラム過激勢力によるテロや大規模な暴力行為に対抗できるのは軍部であり、地方での反政府の動きに対して、軍が動員されることも出てくるかもしれない。現時点で、ムシャラフ政権はそれを抑制する「力」を有している。ただし、大統領の暗殺というような事態が生じない限りではあるが、そのリスクは、これまでも幾度となくムシャラフ大統領を狙った暗殺未遂事件は繰り返されている。そのような事態が起きれば、国内のイスラム諸勢力間の対立が武力抗争に急速に発展することは明らかであろう。

 また、ムシャラフ大統領に対する軍部の忠誠心の度合いを考慮に入れておくべきである。現時点では、軍部のムシャラフ大統領支持離れというような動きは見られないが、政治情勢の推移によっては、パキスタンの独立以後の歴史が繰り返されているように、軍部が再び表舞台で動き出し、民主化の振り子を元に戻すことになる。



Posted by 益田哲夫 at 12:08 | この記事のURL
パキスタン:ブット元首相帰国、自爆テロ事件、そして新たな不安定要因に [2007年10月22日(Mon)]

 パキスタンでは、最高裁判所が10月6日に行われたパキスタン大統領選挙で圧勝したムシャラフ大統領が陸軍参謀長を兼職したままで立候補したことの正当性を、現在も審理中である。
 チョードリ最高裁長官を含む全員による審理要請に対して、同長官が応じないなどその理由は明らかではないが、当初予定されていた10月17日の裁決が、更に10日以上延期されている。
 最高裁は現在、これと同時にムシャラフ大統領が署名したブット元首相らの首相当時の汚職に関する訴追案件を免責した問題や帰国したシャリフ元首相の再度の国外追放問題などが法的に合致するのか、していたのかどうかについても審理中である。
 ムシャラフ大統領の現在の任期が11月15日までであり、それまでに何らかの裁決が出されるであろうが、政治的には極めて緊迫した情勢の最中にあることには変わりない。
 このような政権側と最高裁との厳しい関係が続く政権運営の不安定な状況と治安情勢の下で、ムシャラフ政権はブット元首相が総裁を務めるパキスタン人民党(PPP)陣営に対して、予定されている元首相一行の10月18日の帰国を一時延期するよう要請していた。 

 実際、ムシャラフ大統領の任期は、11月15日までであり、最高裁が先の大統領選挙の結果に基づく再選を認めない限り、残る1か月の期間を切った中で、大統領職の正式再任、陸軍参謀長職の委譲、憲法改正によるブット氏の3回目の首相就任、ブット夫妻に対する汚職の訴追免責などの重要案件のすべてを短期間で片付けることはほとんど不可能に近いと思われる。
 つまり、最高裁によって大統領再任、大統領選挙前日に出されたブット元首相らの汚職に関する訴追を免責する「和解令」などの憲法上の手続きが問題なく処理されることが前提となり、ムシャラフ大統領にとっても今後の政権運営上の選択肢を更に狭められた不安定な状況を強いられることになっている。

 このような中で、ブット元首相一行は予告どおり、10月18日午後、滞在中のドバイから出身地であり、支持基盤の強いシンド州カラチ空港に外国での自発的な亡命生活から8年半ぶりに強行帰国し、数十万人規模の支持者による盛大な出迎えを受けた。PPPは当初、カラチ国際空港からパレードを組み、市街中心部を抜けてパキスタン独立の父で初代総督のジンナー廟に詣でた後、同広場での大集会で演説を行う予定であった。

 ところが、19日の零時過ぎ(日本時間午前4時ころ)、警察車両に囲まれて警護されたブット元首相らの防弾・防爆装備のパレード用車両がカラチ中心部に向かうファイサル通りで、爆弾が2度連続して爆発し(最初が手りゅう弾、二度目が自爆テロ)、少なくとも130人以上が死亡、400人近くが負傷する自爆テロ事件が起きた。その中にはPPP支持者だけでなく、見物人の一般市民、警備の警察官やジャーナリストもいたといわれる最悪の惨事となった。
 この自爆テロ事件は、明らかにブット元首相を狙ったものであるが、同人と側近らは幸いにこの爆弾テロから間一髪で難を逃れ、予定されていた集会への参加も取り止めて自宅に急遽避難した。
 この事件に対する犯行声明は、現時点で出されていないが、これまでブット元首相は、アフガニスタンと国境を接する北部部族州地域でのイスラム過激派勢力に対する掃討作戦を確約、支持するなどの発言を繰り返してきたことから、これに反発するアルカイダ、タリバンの武装勢力、他のイスラム諸組織・団体などが、同人の暗殺、殺害をほのめかし、ブット元首相が帰国した場合、それを実行すると繰り返していた。
 このような事態に発展した元首相の帰国は、パキスタンの民主化を標榜し、1月に予定されている下院選挙、州議会選挙に向けたPPPの選挙キャンペーンにも暗雲をなびかせる結果となり、むしろ今後のパキスタンの政治情勢に新たな混迷をもたらす兆候をうかがわせたことになる。

 また、現ムシャラフ政権にとっても、ブット元首相の帰国とPPPとの共同運営構想が、当初からいきなり難題を抱えることになった。ムシャラフ政権が当初目論んだブット元首相が率いるPPPとの政権運営を、今後どこまで共同で進展させることができるのか、難しい舵取りを更に余儀なくされることになった。今後のパキスタンの内外情勢の推移から目を離せない。
Posted by 益田哲夫 at 09:22 | この記事のURL
インド:「インド・米国核協定」をめぐる政治論争が過熱化か [2007年10月01日(Mon)]

               −下院選挙の早期実施のための政争の道具にも−

複数の報告筋によると、インドでは2月末の予算承認後に下院選が前倒しで実施される可能性があるといわれる。
 つまり、現政権のシン首相率いる与党(国民会議派を中心とする与党連合・統一進歩同盟で構成)は、2009年5月の任期満了時まで続かないということを意味する。
 この政治的混乱の直接的なきっかけは、インドが米国と7月に最終合意した原子力協力協定に左派勢力(下院545議席のうち60議席を占める)が強く反対していることである。
 「インド・米国核協定」は、法的にはインド議会の批准を必要としないが、与党の一角を占める左派勢力は、同協定が非同盟という左派勢力が遵守してきた「不可侵の原則」を無視しているとして、その受け入れを拒否している。
 その結果、左派は9月になって政府に対する支持を撤回するとの意向を改めて表明し、シン政権が少数派政権となる可能性が出てきた。

 この政治論争は、核協定の問題が原因にあるというよりも、国民会議派が選挙を一年以上前倒しで実施することが自派に得策であるとの情勢判断があることから、下院選の早期実施の可能性が高まり、現実的にはほとんど避けられない様相になっている。
 核協定問題は、左派と右派の両勢力間の論争には便利な問題である。
 国民会議派は核問題を利用して、左派も右派も、中国、パキスタンと同様に米印協定に反対を表明する国と同じ立場をとっていることを示すことができる。しかし、同核協定はインド国内で、中国に対する戦略的対抗措置と受け止められている。この措置によって、インドは米国、オーストラリア、日本の戦略陣営に参加することになった。
 国民会議派は協定への反対は非愛国的であると主張することができる。

 いずれにせよ、核協定は選挙の早期実施を正当化する国民会議派の動きを誘発するものであって、国民の関心事項である経済問題が選挙における最大の争点になると予想されている。
 インドは国民会議派主導の政権の下で経済成長を達成しているものの、地方では依然不満の兆候が膨らんでいる。最新の調査によると、国民会議派は地方での支持が緩やかではあるがゆっくりと下降傾向を示しているが、同派は地方でこれまで以上の票を獲得するであろうとも予想されている。
 したがって、国民会議派は地方でまだ優位な立場を維持している。
 現在、同派のライバルであるインド人民党が組織指導部内の主導権争いを起こしていることで、国民から左派と右派の双方が、非愛国主義的であるとのレッテルを貼られている状況が醸成されている中で、国民会議派にとってはまさに前倒しで選挙を実施することが好機であると捉えているようである。
 また、選挙の結果次第では、ウッタル・プラデシュ州の与党である大衆社会党の立場が改善する可能性がある。同州では主導的立場を強めているマヤワティ州首相が次期下院で国民会議派と同盟関係を組む可能性があり、国民会議派は左派の支持を得る必要がなくなるかもしれない。

 このように、下院選挙が前倒しされる可能性は高い。国民会議派が大幅に議席を増やす可能性は小さいが(国民会議派の現在の議席数は140)、国民会議派にとって支持を取り付けるタイミングには好都合である。
 その戦略は次期連立政権の構成を改善し、ライバル政党であるインド人民党の不意を突くことである。
 政治抗争に端を発した下院選挙の早期実施は、飛躍的な拡大を進めるインド経済に、短期的にはマイナス要因の影響をもたらすかもしれないが、その選挙結果によって米国との核協定が崩壊するとか、さらにインドの長期的経済成長のパターンが変化することは先ずないであろう
Posted by 益田哲夫 at 14:02 | この記事のURL
パキスタン:ムシャラフ政権、大統領選挙に向けて着々と布石 [2007年10月01日(Mon)]

 パキスタンでは、次期大統領選挙と来年1月にも予定される総選挙に向けた様々な動きが活発化し、それらが同国の政治的混迷、あるいは政治的危機をもたらすことになるか注目されるところである。
 ムシャラフ政権は、現時点で内外の山積する問題に慎重な対応を示し、政権継続のために着々と布石を打ってきている。
 特に、軍職兼務をめぐるムシャラフ大統領の去就の問題であるが、再選後、これまでの政権関係者による表明どおりに(大統領自身の公式発言はない)陸軍参謀総長を辞任するのかどうかについては、選挙結果後の正式表明を待つしかないであろう。

 同国選挙管理委員会は9月20日、大統領選挙を10月6日に実施し、9月27日に立候補を締め切ることを発表した。これを受けて、ムシャラフ大統領は同日、陸軍参謀長の職務を兼務したまま次期大統領選挙に立候補した。これに対して、「統一行動評議会」(MMA)の野党側は、「ムシャラフ大統領が、陸軍参謀長の軍職を兼務したままで立候補することは違憲である。」として、最高裁判所に提訴したが、同裁判所は翌28日、この訴えを退けた。
 このことから、選挙管理委員会は立候補者の審査を経て、正式に大統領候補者を10月1日までに発表した上で、同月6日に議会両院と地方4州議会議員による大統領選挙を実施する。

 このような動きは、ムシャラフ政権とそれを支持する軍部、与党勢力が大統領選挙に向けて用意周到、かつ慎重に進めてきたものであり、現在、野党勢力や司法界による政権に対する抗議行動や、一般大衆の抗議行動に波及するような状況には至っていない。
 ただ、波乱含みの問題は、ムシャラフ政権がこれまでブット元首相が率いるパキスタン人民党(PPP)との共同の政権運営について協議を続けてきていることから、双方がどのような合意内容で、具体的な決着が付いているのか、あるいは未だ結論が出されていないのかが明らかでない。
 ブット元首相は、選挙後の10月18日に無条件で帰国する旨を表明しているものの、政権の共同運営をめぐってパキスタン国内では、政権支持勢力だけでなくPPP内でも厳しい意見対立が顕在化しており、特に、ムシャラフ政権内のイスラム勢力は、ブット元首相の帰国を容認することさえも強硬に反対し、与党からの離脱を表明している。

 このため、ムシャラフ大統領は、たとえ大統領再選の第一関門を通過したとしても、それ以降も政治的には、ブット元首相の帰国問題そしてPPPとの政権共同運営の取り扱いについて慎重な対応を迫られる。
 その上で、イスラム過激派勢力による反政府テロ事件が相次ぐ情勢の中で、政権がイスラム勢力との関係をどのように維持するのかの危急の対応が求められ、ムシャラフ大統領にとって残されている選択肢は余り多くないことからその舵取りは、これまで以上に難しいものとなろう。
 他方、ムシャラフ政権が現実的にPPP との政権運営を共同で行なうなど、同国の民主化に向けた動きが一歩前進することになるのかも、大統領選挙後の政権の意向次第であることには変わりないであろう。
Posted by 益田哲夫 at 14:00 | この記事のURL
パキスタン:シャリフ元首相の帰国、逮捕、再追放の意味 [2007年09月13日(Thu)]

 ナワズ・シャリフ元首相は、現ムシャラフ大統領(当時、陸軍参謀長)との対立に起因する軍事クーデター(1999年10月)によって失脚し、2000年12月にサウジアラビアに国外追放となった。
最近、シャリフ元首相は、最高裁判所が8月23日、「パキスタン市民として、パキスタンに入国し、滞在することは奪うことのできない権利である。」との判決を出したことを受けて、滞在中のロンドンで帰国の意向を内外のメディアにアピールしていた。

 これに対して、ムシャラフ政権は、「帰国すれば、逮捕する。」と警告を繰り返し、治安当局による支持者らの拘束も強め、その方針に変更がないことを野党勢力に伝えた。
 パキスタンでは、大統領選挙、総選挙の時期を控えて、政権、軍部と野党間の政治的な駆け引きが強まるなど、特にムシャラフ大統領が大統領職と陸軍参謀長職を兼任していることへの反発が国内の政治的混乱に拍車を掛けている状況にある。
 また、ムシャラフ大統領は、国内での支持率が急落する中で、ブット元首相の帰国の段取りなど政治的打開を図るための協議を続けながら、野党側との妥協点を見出し、大統領選挙での再選を目指そうとしている。

 このような中でシャリフ元首相は予告どおり、9月10日にパキスタン航空機で首都イスラマバード空港に到着し、当局とのどのようなやり取りがあったかは明らかではないが、空港のVIPラウンジで逮捕され、その後サウジアラビアのジッダに向けて再び国外追放された。
 この措置に対して、パキスタン・イスラム教徒連盟(PML‐N)のシャリフ派の支持勢力や他の野党勢力が反発を強め、ストライキを呼びかけるなどムシャラフ政権非難の動きを強めた。しかし、このような動きは、現時点で全国規模の反政府運動の引き金にはなっていない。

 それでは、なぜシャリフ元首相がこの時点で、逮捕覚悟の帰国を決断したのであろうか。
一つの想定に過ぎないが、おそらく最近進められたムシャラフ政権とブット元首相間の一連の協議で、今後の政権の共同運営をめぐる何らかの取り決めが行われたのではないかとの動きに、楔を入れ、ブット派をけん制しようとしたのではないかとも思われる。
 ただ、現政権にとって、ムシャラフ大統領、ブット元首相、そしてシャリフ元首相の三つ巴の支持勢力間の政権争いを回避することは必須であった。
 ムシャラフ大統領は、パキスタンの政治的混乱が更に複雑化し、政権基盤を弱体化させることになるとして、先ずシャリフ元首相の国外追放措置で、当面、目前の大統領再任問題について、ブット元首相との合意を取り付けることに専念することになろう。
 ただ、大統領選挙の実施までに残されている時間は、非常事態宣言というような緊急措置をとらない限り、約1か月間であり、この間に、どのような妥協策が講じられるかが注目される。

 ムシャラフ大統領にとって、内外に山積する問題に対処せざるをえない厳しい情勢の中で、大統領再任を最優先課題として取り組み、その上で、反ムシャラフ、反米勢力の懐柔策という難しい舵取りをしなければならない。
Posted by 益田哲夫 at 16:03 | この記事のURL
アフガニスタン:韓国人人質事件が残した課題 [2007年09月04日(Tue)]

 報道のように、韓国のキリスト教団体「セムムル(泉の水)」のボランティア訪問団の一行23名が、7月19日、首都カブールから南部カンダハル方面に向かう途中、タリバン支持者が多いといわれる市場を見学後、乗っていた大型バスが武装勢力によって襲撃を受け、拉致され、人質となる事件が発生した。
 人質19名は、8月29,30日の両日に無事解放され、9月2日朝、帰国した。この間、引率者の牧師を含む2人が状況は不詳であるが、見せしめ的に7月中に殺害され、健康状態が悪化していた女性2人は、8月13日に解放されていた。 

 今回の人質事件は、現在もアルカイダと共闘関係にあるイスラム過激組織タリバンが、活動を再び活発化し、一部地域では実効支配と影響力を強めて、アフガニスタン政府警察、軍、及びNATO軍との戦闘も激化、ドイツ人の誘拐事件も起きるなど、外国人を狙ったテロ事件の可能性が極めて高いとの警告が政府関係機関からも出されていた中で起きた。

 このことは、現在のアフガニスタンの戦闘地域とテロの可能性が極めて高い地域での活動に、その目的が崇高なものであろうとも、情報も知識もなく無防備で訪問することが、「敵」の思うつぼであることを示唆している。何が留意されるべきかの基本を忘れてはならない。
 事件発生から解決までの推移を見ると、推測の域を超えられないが、実行した犯行グループがタリバンであったのか、あるいは身代金目的だけの武装部族の一団であったのかは明らかでない。
 確かに、タリバンのスポークスマンを名乗る人物は、当初から人質解放の条件として、首都カブール郊外にある場グラム空軍基地に拘束されている同士23人の解放を主張していたが、アフガニスタン政府と米国政府が、これに応じることがないとの判断が出されると、韓国政府との直接人質解放交渉に転換している。

 このような外国人人質事件では、様々な情報提供者や部族、宗教指導者が登場してくるが、実質的な交渉当事者が誰であったかは今後も明らかにならないであろう。(韓国の国家情報院長は自ら主導的役割を担ったと公表しているが。)
 ただ、交渉窓口の仲介役として、「国際赤十字」やカズニ州の「赤新月社」が人質の生命の 確保という意味で、大きな役割を担ったと思われる。
 タリバンにとっては、人質解放の条件として韓国軍の撤退とアフガニスタン国内でのキリスト教の布教活動の中止を韓国政府が受け入れたことで、アフガニスタンでの外国勢力の排除を一部達成することができたことになる。
 このことは、おそらく、タリバンが最近ドイツ人の誘拐、殺害などを繰り返していることを考慮すると、次の目標をNATO軍のうちの駐留ドイツ軍撤退の実現を目指すであろう。

 今回の事件は、アフガニスタン政府が治安を確保し、政治、経済、社会の安定を目指している中で、外国からの政府、民間の支援なしに実現できないという現実的対応に足かせとなる状況を創り出したことは否めない。
 アフガニスタンで活動を続けるNGO関係者の安全確保をどのように確保するかが大きな課題となろう。マスコミ報道のように多額の身代金がタリバン側などに支払われたとすれば、その資金が武器購入や新たな人質・テロ作戦に流用されることになり、問題の悪循環をもたらしたことになる。
Posted by 益田哲夫 at 14:30 | この記事のURL
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