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「不登校」の呼び名を変える [2019年06月27日(Thu)]

 不登校は、かつて登校拒否と呼ばれていました。この呼び名を変えようという動きがあります。不登校の呼び名をどう変えるか?否定的な呼び名から、肯定的な呼び名に変えたい。それ自体は非常にわかります。
 不登校には、「学校にゆくのが当然で、学校にゆかない子ども」
 かつて非行「犯罪に及ぶかもしれない行動」をおこす子どもという分類に似ていると思います。
 
日本語として美しい表現を取るとすれば、「自習生」「選択的学習生」という表現ですが、もっと積極的表現をすると「本質学習生」という表現かなあ。英語でいうと「エッセンシャル・エデユケーション スチューデント」とでも言えばいいのか

 なぜかといえば、@自らが問いを立てて学ぶというのは、学習の基本スタイルです。この基本スタイルが身につけるということは学習スタイルの基本です。学校にゆかない子どもたちは、それをいち早く身につけることができる。Aどの機関のサポート、もしくは資金援助を受ける必要性がある子どもかも明確になる。かつ「自習生」であることを否定的ではなく、肯定的に表現することで本人の学習意欲を下支えできる。B家族も含めて、本人の学習を支援することを義務化できる。(これは教科学習、学校への登校を強制することではない)C固有名詞としての名称ができることで、本人の社会的な立場が生まれる。要は否定されなくなる

以上の点が改善されるだけで、このネーミングの変更はとても役に立つ。ネーミングって大事なんだとあらためて気づきました。
子どもを犠牲にしない大人。子どものためと言い訳する大人 [2019年06月25日(Tue)]

子どもと本気で遊べる大人。こどものためにといいながら、自分自身の感情や理屈をこどもに押し付けてします大人。えてして。大人は、自分の正しさだけを言います。こどもに自分の正しさを押し付けることがいいことだと思います。大人になることだと。                   正しさの裏側には、大人の隠れた狙いがあります。このままなんとか、自分に迷惑をかけないで育ってくれというような。子どもは、大人以上に大人の気持ちを察してしまうので、はじめから大人の能力を超えるお願いをしなくなります。「大人はそれでいいんだよ」ということもできます。ただ、こどもの諦めがあることをわかってあげることは大事です。大人だって万能じゃないと子どもは知っています。だから子どもに寄り添いつつ考え、行動することが大事だと思います。