公の活動をおろそかにしない [2019年05月01日(Wed)]
春先は、道路・水路の清掃など地域の仕事が多い。地域の仕事や活動に汗を流すことに対して、なかなか合意形成ができない。要は自分ごとではないからだ。誰しも自分ごとでは体は動くが、自分ごとではないことには体は動かない。そう思い込んでいる人もいる(笑)
人間は、自分の利益のためにしか行動しない存在であるとしたら、こんな窮屈なことはない。自分のためにだけ考えて、人のためには、一切行動しないようにしなければならない。他人の動きには興味がないから、他者と一緒に働いてもどこかぎこちなかったりする。そもそも、他者のために動こうとしないので、他者から信頼を得ることができない。感謝の報酬も来ない。これでいいなどと思い込もうとしても、誰も協力してくれないので、自分のやりたいことができない。 誠に極端だが、自分のことだけ考えて仕事をするというのは「孤独に生きる」ことだと思う。単純に、孤独は寂しい。人から、頼られ、人を頼り。そこにお金を媒介させて人は生きている。お金は、関係性を媒介させる道具でしかない。しかし、「人」は、お金に目がいきすぎて、関係性に目がいかない。なんと盲目。 平成の時期は、日本の中で経済の停滞と産業構造の転換が起きた時に重なっている。私は、「バブル経済」の恩恵を一切受けなかったので、極端な無駄遣いを覚えなかった。「やりがいロス」に見舞われることもなかった。元気にまあまあ生きている。 根本にあるのは、公の中の自分を決して忘れなかったことが大きい。自分は何のために生き、何を実現しようとしているのか?常に自分自身に問うことを諦めなかった。要は、他者の役に立つことをずっとやってきたということである。 バブル時代の我々は、公の仕事をサボろうとする?いや、そもそも「公」性を考えない人もいるのは寂しい。自分が社会のために貢献できて、自分なのに、その自分に気がつかないことがもったいない。 人は誰でも、役に立って初めて喜びを知るのである。だから、「俺関係ない」ではなく、社会の問題を常に自分ごとで考えることを若い人ほど理解して欲しいと思っている。 |