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急がせられるのが、実は時間の無駄につながっている [2019年10月12日(Sat)]

私たちは、なんか急がされています。ご飯を食べる時。着替える時。運動する時。
なんか忙しい。用事が終わったらさっさと帰れというオーラを感じることもあります。無駄な時間を減らす。ちょっと大事そうなことだと思いますよね。自分の殻にこもって、どんどん努力させて個人を分断して対応する。
 そして急がせる。自分の意思に無関係に急がさせられると、誰もがますます考えなくなります。急がされると、ただ周りだけを見て行動する人間になります。合わせればいいとしか命令されないから。人間には意志があるので、自分と確認しながら進めてゆきます。どうも合わない。もっとゆっくりと自分のペースで行動したい。
 こんな気持ちが壊されます。だから急がされるのは怖い。自分の時間を過ごしていないから。
いじめも虐待も事実からしか学べません [2019年09月26日(Thu)]

3.11大川小学校の佐藤俊郎先生が語った言葉が忘れられない。大川小学校で、74人もの子どもが津波にさらわれて死んでいった事故で、ご自身の娘さんも亡くされた。あれから8年あまり、「世間はいつまで言っているのか?あの時は、どうしようもなかった。」と語るか。「遺族でもないのに、いつまで事故のことと言っているんだ。死んだ人間は帰ってこないからもっと前向きに考えろ」と言われる。もちろん遺族の中には、「そっとしておいて欲しい」という人もいる。しかし、これらの言葉の怖いことは、誰も事件のことを口にしなくなることだと言う。怖いのは、何も学ばず忘却を続けること。
綱弘の自死を受けて9ヶ月あまり、1年も経たないのに同じような空気が流れてゆくことが怖い。中には、子どもの自死は親の責任だと、公言する人もいる。遺族は、「表面的には、誰かに攻撃されるわけでもない、言われるわけでもないが何度も息子が殺されるような思い」を感じる。遺族は、ただ息子のいじめから何かを学んで欲しいと言うだけなのだが。
 どうやら、学校も教育委員会も行政も事実から学ぶが苦手なようだ。教科書から学ぶのがあんなに得意なのに、書き取りを何回もするのに、現場で起きたことから学ぶことができない。ここに、今の教育が抱える問題の一端が見える。お互いに事実から考えたり、学びあったり、課題解決し合うことを現在の教育は全く得意としていないということだ。
 特に、自分が問われるかもしれないとなると余計にそうだ。虐待の問題を見ていると、親の成育歴から職歴、こうれまでの交際した経歴、世間の評判、親戚の評価。全て赤裸々にされる。社会全体でバッシングするが冷静に、そこから何が課題かを学んでいるかどうかはわからない。
 私たちは、悲惨な事実を冷静に分析することを苦手にしていると言っていい。冷静にそこから学び続けることを拒否しているとも見える。その結果おきるのは、同様の事件の再発である。私の地域でも、高校生が学校で自殺する事件があって間もない。学校の先生にいじめの第3者調査委員会の報告書を読みましたか?何かを学びましたか?と聞いても何も答えない。
 現場の先生は、多忙と疲労で学ぶどころではない。けれどもスポーツや弁論大会、学力向上に余念がない。この恐ろしい営みに、子どもたちは命を預けている。本当にこれでいいのか?私は、綱弘からずっと問われている。
もっと「子ども」から学んでください [2019年09月25日(Wed)]

 スウエーデンのの16歳の少女が地球温暖化防止のために、ニューヨークの国連総会で、各国首脳に対して未来につけを残さないようにCO2排出削減に、環境問題に真剣に取り組むように演説しました。この女のの子呼びかけに応えるような、世界的な10代の若者の声。日本ではあまり盛り上がりませんが、未来にツケを残さない。大人たちで責任を持って解決してゆくことはとても大事です。
 原子力発電所、核兵器、地域紛争の問題もさることながら、地球温暖化の問題は私たちの将来にとってとても大事な問題です。次世代にツケを残していいわけがありません。本気で今、彼女たちの声を聞かなければ、かつてなんと自分勝手な大人たちがいたのか?という問題になるでしょう。
 地球は、住んでいる全員で守るこの勇気を大人たちが問われています。
学校ムリでも、メシは食えるよ [2019年09月05日(Thu)]

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「#学校ムリでも、ここがあるよ」キャンペーンを8月19日〜9月13日まで行っています。今年は日本冒険遊び場協会、多様な学び場プロジェクト、そして私たちフリースクール全国ネットワークの3団体の連携で事業を実施しております。ホームページも合同で作成しています。お互いに「夏休み明けの子どもの自殺を防ぐ」という共通の目標のために知恵を出し合っています。
 NPOもこれまで、今もそうですが、他団体との違いをアピールすることに熱心です。それはそれでいいこと。でも、目的が同じなのに一緒に活動しないことはお互いにデメリットの方が大きいです。だから協力します。
 大人も子どもも、違う団体が目的は同じだからと協力関係を簡単に結べるのか?というとこれまた大変だったりします。団体の文化が違ったり、手法が違う。それでも一緒にできたこの企画は、大人たちの叡智がたくさん詰まっています。
 子どもたちに汗をかけ、努力しろと大人は言います。でも、何のために、「誰のために」ということは言いません。教育の目標を花まる学習会の代表である高濱さんは「メシが食える大人を増やす」という言葉で端的に、言います。目的に関しては、私も全く同意です。「お金を稼ぐこと」ではなく、飯を食べることができる大人をつくる事であることはとても大事です。
 教育を受けると、自分で判断しなくなったり、常識に任せたりします。要は考えなくなります。ここが最大の問題です。考えないこと。自分で判断しないこと。権威に頼ることが、当たり前になってしまっています。自分で考えないことが、当たり前になっている社会は、もう一歩先の知恵を自分で考えてゆく人たちがいれば、簡単に追い越されます。学校を出たとか?でないとか?という問題ではなく。自分の考えをしっかりと整理できて、一歩踏み込んだ考えを出せるのかどうか?
 おそらく、ここに人間の知恵はあるということについては、高濱さんに全く同意します。人間の知恵は使ってなんぼ、人間の意欲はどんどん無限に膨らんでなんぼです。
 メシを食える大人は、正しい答えを出す大人とは全く違います。
対話は、不登校の子どもをツナグ [2019年08月30日(Fri)]

ここ数年「対話」をすることに力を注力しています。
子どもは、「理解された時に」動き出すからです。大人は、子どもの自ら動く力をあまり信用していません。人によれば、そんな力は無いと思っています。何かをさせたがることばかりなのは、その証だと私は感じています。
人はつながり、人に肯定されるだけで自分の関心が満たされます。修正されることばかりであれば、全くもって不安になります。学校教育は、修正が大好きなので、修正されればされるほど、子どもは元気を失います。自分を嫌いになります。
 人はツナガルことと、肯定されることで、「自分を取り戻します」「自分の可能性を信じます」この関心の持ち方や、思いの深さから人は自分のやる気をどんどん伸ばしてゆきます。実は、これは不登校の子どもだけではなく、大人たちも同じことなのです。しかし、自分がやられて嫌なことを無意識にやってしまう大人が非常に多いのは残念です。
 私たちは、日々この大人の無力感を、肯定感にかえる関わりも行なっています。子どもにとっての未来は、いつも開かれているのに、その道を閉ざさないでほしい。
議員立法は誰のため [2019年08月29日(Thu)]

最近教育関連法案「子ども貧困対策推進法」の一部改正を受けて市町村でも、具体的な計画策定を行わなう義務が生まれました。要は、国や県がいくら言っても地方では浸透しないし、具体的な行動にはいたらないケースが多いからです。
 自治体は予算不足。しかし、状況に応じた施策を行ってゆく必要がある。それにも関わらず、行政の計画策定、予算配分もこれからの状態にとどまっています。公務員の皆さんからすれば法案の改正も、新しい施策も対応しなければいけない問題ですが、特論現場では対応し切れていません。
 私たち、民間の側は対応できないことを責めてはいません。しかし、具体的な施策は必要になっている。こどもの問題は、放置できません。場合によっては虐待の問題に発展する場合もあります。待った無しの問題にどのように対応するのか?
 問題は切り口を変えると、全く問題ではなくなります。背景を理解しなければ、「これまでの施策、準要保護の制度運用や母子手当の支給でいいではないか?」という議論で止まってしまいます。見る人の視点が、問題解決しようという視点に至らない。「自分の思考を止めている」と言ったほうがいいかもしれません。私たちは、現場にサービスを届けてゆくことで一人でも多くの子どもの、育ちを支える責任を感じています。「公務員でもないのに、課題解決なんて生意気に」と言われ続けて30年あまり。公務員に嫌われることは、無数にあります。
 公務員だけで解決できるほど、子どもの貧困現場は人が足りているわけでもありません。課題は、どこいありますか? 公務員の皆さんと一緒に考えて、行動する必要があります。現場の担当者は見えているのでやる気の多い人も多い。残念ながら法案改正の意味を理解しない人もいる。私たちは両方の公務員に動いてもらう必要があります。
 自治体職員の心を動かす。心ある公務員が、孤立しないように応援したいところです。
学校を楽しい場所にできているのか? [2019年08月23日(Fri)]

夏休み明け、自殺予防キャンペーンを行っております。フリースクールの無料開放(9月13日まで)も行っています。子どものみなさん、1日学校をずる休みしてみませんか?そこで出会う自分の感情と向き合うことが大事です。
 さて、江川は学校を忌み嫌っていると思われていますが、私が考えているのは、学校を楽園にできないか?ということです。誰もが学校が楽しくなれば、学校にゆくことを問題にすることはありません。でも、学校を楽しくするということを、あまり考える人がいません。楽しいのが、学校ではないという前提があるからではないでしょうか?
 学ぶことは楽しいことでなければ、学校には通いません。だから、学校を楽しくするのは、学校に通ってほしい「大人たちの責任」じゃないですか?学校にはかよって欲しい。でも、学校はつまらなくてもいいというのは矛盾しています。大人は、子どもにばかり努力させようとしているからです。
 学校には、気づく喜びがある。つながる楽しみがある。ここですよね。
大人の疲労と、子どものあきらめ [2019年08月22日(Thu)]

大人は、疲れるとお酒を飲んで寝たりする。ちなみに、私も子どもの頃は何で、あんな風に眠れるんかなあ。疲れるって、どんなことなんだろうかなあと思っていました。
 大人になって、疲労を感じています。どんな時に感じるか?これはなんか絶対伝わらないなあ、という絶望を感じてしますのです。言語は同じ、日本語は伝わっていますのにねえ。「君の話を聞く気がないよ」というオーラをすごく感じます。自分が言いたいこと。説得したい気持ちが満載なので、聞くことに意味を感じていない。
 これは全くもって、時間の無駄です。同じ言語としても共通しない。共通体験はないのか?記憶の中の言葉を呼び起こしても、伝わらない。絶望と同時に疲労を感じます。疲労は、想像を壊す。未来を壊す。挑戦を壊す。
子どもが、暴れるとき! [2019年07月17日(Wed)]

 最近の子どもは、大人に反抗しなくなりましたが、意地悪をいう子どもはいます。大人を困らせる子どももいます。なぜ困らせるのでしょう?意地悪ですか?好きだからですか?そのどちらも真実かもしれません。
 要は自分をわかってほしい時に、無理難題は出されます。これを面倒と言ってしまえば、そこまでです、「確かに面倒なことになってしまいます。わかって欲しいからと考えれば、私たちからすればチャンス到来であると思います。子どもは自分でわかって欲しいなんて滅多に言わないので、こちらが相手を理解する絶好の機会です。
 つまらない話でもなんでもいいんです。その暴れるエネルギー。わかって欲しいというエネルギーを素直に受け取ればいいんです。子どもが暴れる表面だけを見ていては何も見えない。だから、もう一歩前に。進むことが大事だと感じます。
不登校は不幸じゃない! [2019年07月16日(Tue)]

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 7月14日不登校は、不幸じゃない!プレイベントを会津若松で行いました。小幡和輝さんは24歳とは思えない堂々とした対応と、自分の想いを伝えられる人でした。誰しも自信がないところから、不登校に向き合います。その過程で、自分の関心と社会との接点を探り、社会でのこども生きる道を探ります。
 ゲームでも、コミュニケーションが広がればいいじゃない。ちなみに小幡さんが得意だったのは囲碁なそうです。なんと和歌山県の高校生チャンピオン。社会の中の自分を意識して、不登校から自分の生き方、仕事を考える小幡さん。
 8月18日は、ともに「不登校は不幸じゃない!」全国イベントを共催します。誰もが、自分の学びを手に入れ、自信を持って生きることができる社会のために。ともに力を合わせたいと思っています。「不登校は孤独ではない」と言いながら。
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