並んだ菜園
南側に並んだ菜園は、
お隣同士の交流を円滑にする
エコアパート設計案では、建物南面に4世帯の畑が一列に並んでいる。
しかも境界のフェンスをできるだけ低く、腰あたりに設定したいと考えている。
その結果、畑の片面、もしくは両面が、おとなりと接することになる。
実は、このような設置の仕方は、隣同士が近すぎて、揉め事が潜在的に起きやすい形になっている。
例えば、無農薬で野菜を栽培したいと思っている横で、農薬を撒かれてしまうと、風でとなりに影響が出てしまう。
または逆に無農薬で野菜を育てるために、アブラムシなどが大量に発生して、隣に迷惑をかける。
境目のフェンスぎりぎりまで農作物を育てて、隣の場所まで出てしまう、などなど。
このへんのことは、5年もコミュニティガーデンを運営しているので容易に想像できる。
それでも、畑は横一列に並べるのは何故か?
なぜなら、畑を
「食糧生産の場」「資源循環の場」「雨水循環の場」「気温上昇抑制の場」
として捉えるにとどまらず
「コミュニティ創造を演出する装置」
と位置づけているからだ。
接したとなりを気遣い、遠慮し、我慢し、分かち合い、仲良くすることが、良質なコミュニティを生むことをコミュニティガーデンで経験してきた。
隣人を疎む傾向が、個のプライバシーを保護する社会を生んだが、それは同時に犯罪など隣人の目が行き届かない死角をつくる社会でもあった。
「ひとはひとりでは生きていけない」
この根本的な真理を、私達の社会は見失っていたのではないだろうか?
ほどよくお互いが関わりあいながら、支えあう関係は、エネルギー効率の問題だけでなく、私たちの暮らしになくてはならないもだろう。
農薬を撒きすぎる人に
「こっちに農薬が飛ぶのでやめてください」
というのではなく、
「うちで木作酢を使ってるんですが、よかったら試してみませんか?」
と声をかけてみたり、
「アブラムシが大量発生して迷惑です」
というのではなく、
「アブラムシは植物を枯らせてしまうので、苗が小さいときに、ちょっと薬を撒くと成長がいいですよ」
といったような会話がはじまる可能性であるとも考えられるのではないか?
世の中、自分以外のことは無関心という雰囲気が漂い、なんとなくぎすぎすしてしまっている。
もっと、お互いをゆるし、会話を重ねながらやんわりとお互いを支えあうコミュニティができればと思っている。
そのためには畑のほかにも、成果を分かち合い、語り合うスペースも必要で、西側には共有のウッドデッキを設け、そこで農作業後にお茶を飲みながら、野菜作りの情報交換やミニ収穫祭が楽しめるようになっている。
当然利用規約などは、しっかりとしたものを作っておかないといけないのだが、あくまで畑を通じてやんわりしたご近所づきあいができる空間を創出したいものだ。