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オール電化は温暖化防止に役立つか? [2006年08月28日(Mon)]
特定非営利活動法人気候ネットワークが、最近流行のオール電化について検証したレポートを発表しました。

検証ペーパー「オール電化住宅は地球温暖化防止に寄与するのか?」

非常に興味深い分析ですので、ぜひご覧ください。

今回のプロジェクトは、そもそも資金規模の問題から、エコキュートなどを使うことは出来ず、またエネルギー源を統一することのリスクの問題や、アパート経営という観点から、太陽光や通風など自然エネルギーを最大限に活用する「パッシブソーラー」を基本に考えておりますが、生活に欠かせない電気などのエネルギーについて考えるよい機会となりました。
森と住宅の関係 [2006年08月25日(Fri)]

日本は国土の3分の2が森林という。

20代のころ、日本全国の森や山村を訪ね歩いたが、

「そんなにあったかなあ?」

というのが正直な感想。
たぶん道路などの交通網を利用していたからだろう(逆に熊野や四国の山間部や椎葉などは、95%以上が森のように感じたが)。

私が訪ねた当時、多くの森林が荒れていた。そして林業にたずさわる人からは、暗い話を数多く聞いた。

人工林の多い日本の森林は、価格の安い外国材の輸入により衰退し、多くが手入れをせず放置されてしまった。
間伐されず放置された杉やヒノキの人工林は、狭い間隔で太くなることが出来ない。太陽光を浴びるために八方に枝を伸ばし、樹冠が大きくなるので、木の下に生える下草が育つことができなくなる。そこへ雨が降ると、植物の根がない表土は流されて、岩だけがむき出しになる。木は根が露出して安定性を失い、倒木が出る。

影響はこれだけではない。

表土が失われると、スポンジのように水を蓄えていた機能がなくなって、川は渇水と増水を繰り返す。不安定な水量の川で産卵する鮎などは、水温の影響を受けて繁殖ができなくなる。また、木材として切り出された木も、枝が多い木は、ふしだらけで材木としての価値が下がってしまう。価値の低い人工林は経済的価値を失い、見捨てられ、ますます荒れていく。

このような負の連鎖が日本全国の森林で起こってしまっている。

手がつけられないような森林の現状を再生するには途方もない労力が必要だが、これまで山林を支えてきた技術者は、高齢化がすすみ後継者不足に悩んでいる。環境への意識の高いボランティアも多いが、素人だけでなんとかできるような生易しい作業ではない。
このまま日本の山林が荒廃するならば、地球温暖化防止のCO2の森林吸収などとても望めないだろう。

一方で、私たちは世界の原生林の木を大量に消費している。

理由は簡単、安いからだ。

安いからという理由で、日本のありあまる森林を放り投げ、世界の原生林を伐採し、消費するという不思議なことをしている。
多様な価値を持つ森林が、高いか・安いかという単純な価値で判断されるようになったのは、私たちの生活と森林との関係が希薄になったこととも無関係ではない。
木をめぐる流通が、経済の論理優先で動くために、このようなおかしなことになってしまったのだが、私たちが間接的に選択した結果でもある。

しかし、仮に高い安いだけを見たとして、これは本当に安かったのだろうか?

山田さんが以前書いたように、目の前の安さのツケは様々な形で帰ってくる。
二酸化炭素を吸収できない森林ストックと、貴重な原生林の伐採。
林業の崩壊による山村地域の過疎化、台風などで発生する土石流と復興対策として計上される特別予算。
砂防ダム建築など増加する公共事業・・・。

私たちが国内材を使わないように直接選択したわけではないけれど、私たちが自然災害の被害のすべてを直接受けるわけではないけれど、それらはどこか遠くでつながりを持って帰ってくる。それは私たちにかもしれないし、私たちの子孫にかもしれない。


戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方(合同出版)」著者である田中優氏は、口先の希望と貯蓄先というテーマで次のように述べている(以下引用)


「ぼくたちは口先で「平和が大事だ」という。しかし貯蓄は銀行に預けたままだ。口先で言っただけでは現実にはならない。どうせ本気でないのだし、無視しておけば足りるからだ。しかしカネで表現したことは現実になる。「口で表現したことは現実にならないがカネでしたことは現実になる」というのが定理なのだ。こうして私たちの未来は、私たちの貯蓄した方向に向かって進んでいく(P103引用)。」

状況を評論することはたやすい。誰かを批判することも、現状を嘆くことも容易だ。
しかしそれらは現状を変えていく力にはなっていない。
物事は言葉によって代わるのではなく、言葉に伴った行動でかわる。

そこで私はあらためて思うのだ。できることは何だろう?

アパート経営はビジネスだから、もちろん採算性は重要だし、そのための取捨選択も必要。
ただ、もっとも大切なのは、目先の経済性だけで重要性を測ってしまうと、色々なことが見えなくなってしまい、日本の森林経営のようになってしまう。持続可能性を考慮したたコスト計算が必要だ。

今回のプロジェクトでは、日本の山の木を使ってみたい。それもできれば移送距離が短く、気候も似た関東近辺の木。
木造建築でつかう木材を国産にすれば、林業は再生し、日本の森も再生する。
再生された森は二酸化炭素を吸収するだけでなく、水を浄化しながら蓄え、肥料を下流に提供する。建物解体時には、再びリサイクルすることで、数十年後のゴミの削減にもなる。

輸入材と国産材の価格差は、例えば一軒の家を造る場合、50万円程度だそうだ。最近は、油の高騰で船賃が上がり、その上、南洋材の産出国の輸出規制もあって、逆に国産材のほうが安いケースもあるという。
日本の森林を守り、世界の森林を守り、文化や地域社会との連携を維持し、湿度などその土地にあった良質な木材を得ていく方法が、建築費のわずか数%のコストアップで得られるとすれば、環境コストまで含めたトータルな経済性はよくなるだろう。

森林を取り巻く課題を解決する仕組みなど、私にはつくれない。
でも住宅を支える木材を、日本の森林や、地球環境のことや未来のことを想像しながら、一軒のアパートに使う木材を選択できる立場にいる。

自分の信じた道を選べる境遇にいるということは、とても幸福なことだ。

それが国土の2/3を占める日本の森林を大切にし、森林を守る人を支え、持続可能な社会をつくっていくためのメッセージになるのではと思うから。
家の価値とは [2006年08月23日(Wed)]
ビオフォルム 山田です。
平田さんが「住まい造りの費用」と「100年もつ家」について言及されておられるので、私もひとこと。

たしかに昨今は家はすっかり「消費財」になってしまって、「造る」ものではなくて「買って」くるもののようです。
そうした価値観のなかではいかに「安い」か、ということが重要な評価軸になってしまいました。世の中の住宅供給者たちはこぞって「うちは坪いくらでやりまっせー」という競争を繰り広げています。
だけど当然のごとく、コンビニで買うプラスチック入りのそばとちゃんと席に座って食べるそば屋さんのそばとはその内容は全く違う。それと同じように家も単に価格だけではまったく評価できません。

もちろん買い手にとってはそこそこの性能であれば安いに超したことはない、ということかもしれませんが、ちょっと待って下さい。
住まいとはそもそも、そこでその住まい手が自分たちの住まい方とその価値観を実現する場です。「私はこんな暮らしがしたいからこんな家がほしい」というのが筋です。
ですから、その価値観に照らし合わせて、それが実現できる度合いによって、それが本当に安いか高いかが決まるのだと思うのです。

安さ競争で、しかも経済原理はグローバリズムで世界を相手にしなければなりませんから、ますますその競争には拍車がかかり、とても大事なものをどんどん失っているように思えてなりません。

その裏では大きなツケを我々は払わされています。シックハウスが起きてしまえば、医療費。外国の森林を破壊すれば、環境破壊となってその代償。熱帯雨林を破壊すればその補償としてODAのようなカタチで払う。30年で捨てられた家の産業廃棄物処理代。そんな家づくりが果たして本当に「安い」のでしょうか?
また、安さだけでは勝負できませんから、住宅の造り手は差別化をはかるために盛んに広告宣伝をうったりします。住宅展示場に行けば営業マンや立派なモデルルームがあります。
だけどこうした経費はどこから出ているのでしょう?
そう、我々がそうした住宅を「買う」と同時にそうした経費分も払わされているのですぞ。

もっと無垢で身がつまっていて、掛け値なしの家造りができないものでしょうか?

真剣にどんな家にしたいのかをちゃんと造り手と住まい手が向き合って、築き上げていく。そんなプロセスが家造りには必要です。どんな材料をつかうのか、その材料は環境を破壊していないか、どんな設備が必要なのか、必要ないのか、間取りと広さはどうなのか、廻りの環境も配慮しているか、等々、考えるべきことはやまほどあります。
だけどそうして実現していく家造りのプロセスは楽しい。
そうした背景でつくられた「家」はよもや30年で捨てようとは思わないでしょう。
大事に100年住まうに堪えられる「住まい」となるのではないでしょうか。
(写真:住宅展示場の「町並み」)
KJ法でアイディア整理 [2006年08月23日(Wed)]


打ち合わせの様子。

KJ法を使いながら、これまでの話を整理する私、山田さん、モカ次郎(おやつを狙っている)。
この時点では、まだ間取りや設計などの話はまったくありません。

希望やアイディアを出し合い、まとめたり、つなげたり、足したり、引いたりしながらイメージを練っていく作業。

「このアイディア入れるべきか、入れないべきか、それが問題だ」

というハムレットの心境ではなく

「まあ、とりあえず入れときましょう、なんくるないさぁ」

といううちなんちゅーの心境です。

じっくりと時間をとることで、お互いの考えがシンクロしていきます。
100年持つ家 [2006年08月21日(Mon)]
「本当はさあ、家なんかもっと長く持つようなつくりにしないとダメなんだよね」

出来上がった第一デザイン案をもとに打ち合わせを終えた後、焼き鳥屋名物の「特皮(とくがわ)」を食べながら言ったのは工務店の大森さん。

「確かに、外壁とか風呂とか電気設備とかは10年・20年で変えなきゃいけないものもあるけれど、パーツだけを交換できるようにして、躯体自体は長持ちさせなきゃダメだ。まあ、それで俺らは食っているところはあるんだけども、ゴミの問題もそうだし、その世代ごとに家を建ててたら家を建てるために働かなくちゃいけなくなる」

施工のプロがこういう認識でいるのはなんとも心強い。
実は、その考え方は経済問題においても、環境問題についても核心をついている考え方だ。

『サステナ・ラボ』のあだなおさんは、フローからストックへという記事でこんなことを書いている。
以下、青字部分引用

 日本の住宅の平均寿命が30年なのに対して欧米はおおおむね3倍、イギリスに至っては平均で141年!です。日本では世代毎に一軒の家を丸々負担しなければいけませんが、ヨーロッパでは数世代にわたって負担すればいいのです。
 これは言ってみれば、日本が「使い捨て」型、つまりは資源を大量に消費するフロー型の国だからです。ヨーロッパのように、家も、家具も、車も、電化製品も、修理したりしながら大事に使えば、つまり資産を大切にするストック型の社会にすれば、生活コストはずっと下がり、生活にゆとりが出てくるはずです。


30年とは住宅の資産価値評価からでた数字ですが、それを差し引いても最近の住宅の設計は「使い捨て」タイプになっているため、ヨーロッパ人が収入をゆとりにつかう割合に比べ、日本人は住宅に多くを注ぐ結果、働いているのに豊かになれないという構図ができているという。

湿気・地震など環境が違うとはいえ、確かにあちらはDIYも盛んで、住宅のメンテを自分たちで細かくしながら、住宅を大切にし長持ちさせている努力が伺える。

「100年かけて育てた木を使えば、建物は100年持つ」

宮大工さんなどは、そういう誇りを持って建築をしていたことを考えれば、「安かろう・悪かろう」という考え方を住宅に持ち込むと、長期にわたり悪質なストックを社会に残すことになりかねない。

また、解体した住まいは「産業廃棄物」になる。ガラス、鉄、樹脂、木、コンクリート、タイルなど様々な素材が混ざった厄介な存在だ。
2002年に「建築リサイクル法」が施行されてから、これらを一気に機械で壊す「ミンチ解体」が禁止され、木材、アスファルト、コンクリートの3種については再資源化されることが義務付けられた。
しかし実際には木材の表面に釘が残っていたり、様々なものが付着していて、なかなかリサイクルがすすまず、埋め立てに回されるケースも少なくないという。

新品の住まいも、いずれは「廃棄物」になるということも頭に入れておく必要がある。

しっかりした躯体を作ると同時に、パーツ交換などメンテナンスがしやすい設計をし、家を壊すときもなるべくリサイクルできるように、作る前の設計することが重要になる。
水場 [2006年08月20日(Sun)]

植物や昆虫や魚や鳥が集まる場所。
ビオトープ。
小さな魚、ヤゴの抜け殻見つけたよ。
命にやさしい場所は、ほっとするね。
住まいづくりの費用は? [2006年08月16日(Wed)]
坪単価の話がでたついでに、建築にかかる費用についてちょっと勉強してみた。

坪単価とは、1坪(3.3u)あたりにかかる建築コストのこと。

私のような素人には坪単価のような単純な計算はありがたいのだが、実際の工事には、仮設工事・基礎工事・屋根板金工事・金属木製建具・左官工事・タイル工事・塗装工事・内外装工事・電気工事・ガス工事・給排水工事・運搬費・・・などがあり、これらをひっくるめて「坪単価」にしているわけだ。
そんな単純なものではないことがわかる。

「坪単価を下げる」

とは、これらの工事のどれかを省略化・効率化するわけで、それは企業努力によってなされる場合もあるだろうし、庇などを削って工事を簡略化させることによって実現させる場合もある。見えにくいプロセスの価値と労力を認めず、目に見えるもの(坪単価)だけを評価すれば、作り手はそのニーズに応えるだろう。
しかしそれがイコールよい家になるかは別の問題だ。

さらにややこしいのは、上記の費用は工事費用のことで、実際には工事費用のほかに、別途費用がかかることだ。

「建築費用って、だいたい敷地面積と坪単価で計算した数字の5割り増しくらいなんだよな」

過去に家を立てた人の話です。

「そんなバカな!」

と私は思ったわけです。だって、その計算だと、仮に30坪の建物を坪単価70万円で建てるとする(土地の購入費用は計算していません)と、

30坪×70万円=2100万円

でも実際にかかる費用は

2100万円×1.5=3150万円!?

こんなことが本当にあるの?と思っていたら、多少大げさとはいえ、ちゃんと理由があった。

私たち素人が住宅展示場などで見学しながら、またはかっこいいパンフレットを見ながら

「この坪単価でこんな家が建つんだー」

と思ってしまう、そのことが大きな勘違いなんですね。

私たちがいう「こんな家(住宅展示場で)」とは、外のフェンスや家電やすべてそろった完成品を見てのことだが、坪単価にそれらの料金は入っていない。
坪単価に含まれる工事の範囲は、本体工事費のみ。

実際には設備や仕上げ、外溝など別途費用はふくまれていない。さらに設計・管理料、測量費、手続き費用、税金などの諸経費がかかる。

せっかく新しい家を建てるんだから、新しい家具にしたいし、フェンスもカッコいいものにしたいし、と考えてしまうのが人というもの。
確認申請などの手続きや、登記、印紙税、登録免許税、建てた後の不動産取得税、固定資産税などもある。

・・・ということで坪単価の価格以外の費用はどんどんあがっていく。

一概には言えないが、15〜40%程度は別途費用がかかるのではないだろうか?

「なんというアバウトな!」

といわれるかもしれないが、実際に自分で計算してみてはじめてその難しさがわかる。
どんな設計を望むのか、キッチンはどうするのか?、トイレは?、照明は?、インテリアは?、フェンスは?・・・。
膨大な資金をつぎ込んでつくる真剣勝負であり、理想と現実のせめぎあいであり、そのひとつひとつの選択でコストが変わってくる。

予算をはるかにオーバーしたという話もよくきくが、これはうっかりしていて別途工事のオンパレードになった結果かもしれない。
工事が始まってから支出の多さに驚き、あたふたしてもお金は沸いてこないのだ。
契約前に範囲をしっかり確認し、見積もりを出してもらう必要がある。

どんな住まいを作りたいのか、その場で思いつくのではなく、しっかりとしたイメージを固めていくことが大切だろう。
RE:まずは庇と軒の出 [2006年08月14日(Mon)]



『昨今の住宅は価格競争に晒されて、一坪あたりいくら、というようなことばかりが喧伝されています。そうしたコスト競争のしわ寄せはどこにくるのでしょうか?
例えばそうした庇などをつけるか、どうかに影響されてくるのですね。庇をつけなくても床面積の広さは変わりませんから。いわゆる「坪単価」は低くなってくるわけです。だけど確実に家の価値は下がっています。』


なるほど、坪単価がいくらかが、イコール住宅にかけるコスト基準であるという考え方は、確かにあります。

それなら余計な出っ張りをなくして、その分単価を安くしようという考えも、ビジネスですから当然出てきますね。見た目も良いですし、メンテナンスも楽でしょうし、何より施主がそれを望んでいるという傾向も実際にあるわけですから。

「坪単価25万円!」

なんて宣伝にぐぐっと引き付けられてしまう施主にも問題がありますね(と反省)。まして自ら住むわけではないアパート経営なら、なおさら

「より安く・より広く・より早く・より簡単に」

いう考えが加速してもおかしくありません。なにしろ住まい手が

「間取りはどうか?」
「日当たりは?」
「アクセスは?」

などは気にしても、

「庇の長さはどれくらいですか?」

などというマニアックなこだわりは持ちませんからね。
実際、周辺で新しく建設されるアパートやマンションは、1DKが多いです。

「寝る・食べる・くつろぐ」

という個のニーズは満たしても、またアパート経営で成功するという施主のニーズは満たしても、隣同士があいさつしたり、多様な個同士が合意したり、個がつながって町を形成していく場や機会は少なくなるかもしれません。

「もしその街で子供を育てるとしたら?」
「もしその街で老後を過ごすとしたら?」
「もしその街でプライベートな時間を楽しみたいと思ったら?」

年をとり、ライフスタイルが変われば、コミュニティとの関わりも変わってくるでしょう。
できたばかりの若い街は、若者を惹きつけるかもしれません。でも私たちはいつまでも若いわけではなく、また街は私たちと同じように歳をとってくれるわけでもありません。

目に見えるきれいな街がどんどんできるなかで、経済指標には現れないさまざまなものが失われていくような気がします。環境とビジネスにおける適正なバランスなどというとちょっと小難しいかもしれませんが、安くつくって使い捨てのような感覚で住宅を造ると、あとあと高くつく羽目になりますね。

庇の話からだいぶ脱線しました。


 山田さんの投稿写真と、私の投稿写真が偶然上下になったので、昔の家の庇(ひさし)と現在の家の庇の差がはっきりとわかりました。  

庇を長くしなければ建物に影響してしまった昔と違い、現代の建物は材質などの向上で庇がなくても平気なように技術が発展しました。それ自体はよいことなのですが、問題はそこに知恵の調和というか、現代技術のよいところはどんどん取り入れながらも、同時に古くからのよさも伝承していく、という考え方があまり見られないことです。それは建物だけでなく、町全体にもいえることです。

 以前訪ねたモントリオールのオールドタウンや、沖縄の離島でみかける珊瑚の石垣などを見ると、歴史や文化とつながっている自分を発見できてなんだかわくわくするものです。
建物はその土地、その気候にあったものであるべきという話をよく聞きます。

「住まいは夏を旨とすべし」

とは吉田兼好が、徒然草のなかで述べた言葉です。

エコアパートが建ったら、庇の説明をするたびに、吉田兼好の話を引用するためにも、庇はコスト計算に入れておきたいですね(「そのためだけかよ」とツッコミがはいりそうですが)。


まずは庇(ひさし)と軒の出! [2006年08月11日(Fri)]
ビオフォルム 山田です。

日差しが強い日々が続きます。そうかと思うと、季節はずれの台風が突然来たりして。これも温暖化の影響でしょうか。日本は確実に熱帯地方になりつつありますね。

昨今の住宅は価格競争に晒されて、一坪あたりいくら、というようなことばかりが喧伝されています。そうしたコスト競争のしわ寄せはどこにくるのでしょうか?
例えばそうした庇などをつけるか、どうかに影響されてくるのですね。庇をつけなくても床面積の広さは変わりませんから。いわゆる「坪単価」は低くなってくるわけです。だけど確実に家の価値は下がっています。

日本はモンスーン地帯にあって、雨がたくさん降ります。それは稲を育てる恵みの雨なわけですが、同時に建物を傷める原因にもなります。
だから風土に根ざした伝統的な建築は庇を長く延ばして、雨ができるだけ建物に影響しないようにしたのでしょうね。
それは同時に夏の暑い日差しは遮り、逆に冬のやわらかい日差しは部屋の奥まで差し込むようになっています。

極力動力を使わず、建物が本来持っているデザインで室内環境をコントロールするような仕組みを「パッシブシステム」と言います。
エコロジカルな住まいはこうした太陽や風や雨がもっているポテンシャルをどう活かすか、ということが大変大事ですから、庇や軒の「出」のデザインはまずはパッシブソーラーハウスの基本といえるでしょう。

太陽光発電や風力発電などは見栄えがするので、自然のエネルギーを利用する装置としてはわかりやすいのですが、まずはこうした家造りの基本をきちっと押さえておきたいものです。

今回のエコアパートもまずは庇と軒の出。です。



(写真:かつての民家の茅葺きの屋根。長い軒の出になっている)

ひさしの役割(山田さんへ) [2006年08月10日(Thu)]


すっかり日差しが強くなりました。

うちの両親の家は、大手メーカーがつくった家なのですが、夏になると南面の窓から日差しがダイレクトに差し込みます。
さらにコンクリートの土台が日差しを反射するものですから、ダブルの太陽光で部屋の中はものすごく暑くなるんです。

よくみるとそこには庇(ひさし)がないんですね。

ベランダがある部分も、写真のように庇がほとんど出ていないので、凹凸がなくて見た目はすっきりしているんですが、直射日光が入り込むので、フローリングは異常なほど温度が上がります(それでも私の住む家よりは涼しいですが・・・)。

そういえば、新しく建つ家は庇がないものも多いですね。

「機密性がよいので、庇がなくても問題ない」

というのが現在の住宅の主流なのでしょうか?
確かに家の機密はよいし、エアコンだって性能が良いから涼しい部屋はつくれますが、外部との関係性は遮断されているように思います。
例えば、クーラーを使うにしても、庇で日光をさえぎることで使う時間が1時間でも少なくなれば、それでけ電気量は減るわけで、それは何十年も住めばけっこう大きな差になると思うのですが・・・。

昔の家は、みな庇があったような気がするのですが、設計上、庇をつけることの意味やメリットやデメリットはあるんでしょうか?
またエコハウスというコンセプトのなかで、庇の果たす役割について教えてください。
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