家の価値とは [2006年08月23日(Wed)]
ビオフォルム 山田です。
平田さんが「住まい造りの費用」と「100年もつ家」について言及されておられるので、私もひとこと。 たしかに昨今は家はすっかり「消費財」になってしまって、「造る」ものではなくて「買って」くるもののようです。 そうした価値観のなかではいかに「安い」か、ということが重要な評価軸になってしまいました。世の中の住宅供給者たちはこぞって「うちは坪いくらでやりまっせー」という競争を繰り広げています。 だけど当然のごとく、コンビニで買うプラスチック入りのそばとちゃんと席に座って食べるそば屋さんのそばとはその内容は全く違う。それと同じように家も単に価格だけではまったく評価できません。 もちろん買い手にとってはそこそこの性能であれば安いに超したことはない、ということかもしれませんが、ちょっと待って下さい。 住まいとはそもそも、そこでその住まい手が自分たちの住まい方とその価値観を実現する場です。「私はこんな暮らしがしたいからこんな家がほしい」というのが筋です。 ですから、その価値観に照らし合わせて、それが実現できる度合いによって、それが本当に安いか高いかが決まるのだと思うのです。 安さ競争で、しかも経済原理はグローバリズムで世界を相手にしなければなりませんから、ますますその競争には拍車がかかり、とても大事なものをどんどん失っているように思えてなりません。 その裏では大きなツケを我々は払わされています。シックハウスが起きてしまえば、医療費。外国の森林を破壊すれば、環境破壊となってその代償。熱帯雨林を破壊すればその補償としてODAのようなカタチで払う。30年で捨てられた家の産業廃棄物処理代。そんな家づくりが果たして本当に「安い」のでしょうか? また、安さだけでは勝負できませんから、住宅の造り手は差別化をはかるために盛んに広告宣伝をうったりします。住宅展示場に行けば営業マンや立派なモデルルームがあります。 だけどこうした経費はどこから出ているのでしょう? そう、我々がそうした住宅を「買う」と同時にそうした経費分も払わされているのですぞ。 もっと無垢で身がつまっていて、掛け値なしの家造りができないものでしょうか? 真剣にどんな家にしたいのかをちゃんと造り手と住まい手が向き合って、築き上げていく。そんなプロセスが家造りには必要です。どんな材料をつかうのか、その材料は環境を破壊していないか、どんな設備が必要なのか、必要ないのか、間取りと広さはどうなのか、廻りの環境も配慮しているか、等々、考えるべきことはやまほどあります。 だけどそうして実現していく家造りのプロセスは楽しい。 そうした背景でつくられた「家」はよもや30年で捨てようとは思わないでしょう。 大事に100年住まうに堪えられる「住まい」となるのではないでしょうか。 (写真:住宅展示場の「町並み」) |