ブータン王国ブータン王国(Kingdom of Bhutan)
人口 :672,425人(2005年国勢調査による)
面積 : 38,394ku(九州の0.9倍)
位置 :北緯26度45分〜28度10分 東経88度45分〜92度10分
(緯度は沖縄本島と同じくらい)
人々 :チベット系80% ネパー系20%
言語 :ゾンカ(公用語)、英語(教育用語)、ネパール語、シャチョップカ
その他多くの少数言語あり
ブータン人による国名はドゥック・ユル(DrukYul)といい、雷龍(ドゥック)の国(ユル)という意味で、「チベット仏教ドゥック派」の国を表している。
ヒマラヤ山脈の東端に位置するブータンは、南隣のインドと北隣の中国(チベット)の両大国にはさまれながら独立を保ってきた。
8世紀、チベット仏教の賢人パドマサンババがブータンに仏教をもたらし、以後仏教はブータンの社会、政治、経済、文化のすべてに大きな役割を果たしてきた。パドマサンババはブータンではグル・リンポチェ(大切な師の意)と呼ばれ、釈迦牟尼以上に崇められている。
その後数百年は、仏教の指導者や豪族が各地に個別に領地を持ち、その地を支配していた。
ブータンが国家として統一されたのは17世紀に入ってからであるとされている。
チベットから亡命してきた、チベット仏教カギュ派の分派、ドゥック派の高僧シャブドゥン・ンガワン・ナムゲルが卓越した政治手腕で国を統一、近代ブータンの基礎を作った。しかし、シャブドゥン没後、その地位後継をめぐって争いがおこり、再び群雄割拠時代となる。
19世紀末までは、形では、宗教の長であるダルマ・ラジャと世俗の長であるデブ・ラジャ(デシ)が国を支配していたが、実権は地方の領主が握っていた。
19世紀後半は地方領主間の争いが激しくなる一方で、国外からの脅威も加わり、強い政治的リーダーシップが求められた。
1907年、地方領主の一人でトンサの領主であったウゲン・ワンチュクがインドを統治していたイギリスと、ブータンの有力者・宗教指導者に推されて初代国王となり、ブータンにおける世襲君主制が始まった。
初代と2代の国王は王政の確立、3代国王は社会経済開発の開始や国連に加盟するなど近代化、国際化を進めた。第4代国王は父王の路線を継承、国民の敬愛を集めながら独自の国家建設を指導していたが、2006年12月、突然王位を皇太子に譲位した。
新国王の戴冠式は今秋に行われる予定。
ブータン王国は、今年、2008年より上院と下院の2院による議会制・政党政治が始まった。上院議員選挙は2007年12月31日に行われ、20人の上院議員が選出された。また、4月11日には国王により5人の上院議員が指名され25人の上院議員が確定した。なお、上院議員は政党に属さない。
下院議員選挙は3月24日に行われ、ブータン調和党(DPT)が47議席中45席を獲得、党首のジグミ Y・ティンレが首相となり、新しいブータン王国の舵取りに就いた。
また、今年は新憲法が発布されることになっており、政体は立憲君主国となる。
国旗: 上半分を占める黄色は、国王の持つ現世の権威を表している。そして、黄色は国政と宗教の両方の実り豊かな活動をあらわす。
下方のオレンジはブータン人の信仰の源である、仏教における宗教的実践と精神の力を表している。描かれている白い竜は、さまざまな人種や言語を超えた国民の忠誠心を表し、牙をむき出した竜の口は、ブータンを守る男女の守護神の絶対的な力を、つめに握られた宝石は、国の豊かさと完全無欠を象徴している。
国家: 白檀の木で飾られた雷龍の王国に
聖俗二つの教えを守る守護神がおわします。
その方、尊い栄光ある統治者は支配権を広げ
その変わらぬ御身は不滅なり。
仏陀の教えが花開くとき
平和と幸福の光が国民の上に輝かんことを。