「がんを生きる」対談:鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授(毎日新聞)
[2008年12月21日(日)]
2008(平成20)年12月21日(日)
毎日新聞
トップ>ライフスタイル>健康
「がんを生きる」対談:
鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×
中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c6.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c7.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c8.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c9.html
【鎌田】どうしたら、検診率を上げられるでしょうか。
僕らは35年前に長野県で胃がんの受診率を上げる
ために努力しました。前院長の今井澄先生(故人)
が音頭を取って健康教育をしました。
最初は脳卒中で死なないためという講演をしていた
のですが、塩分摂取量が多くて脳卒中だけでなく
胃がんも多い。
1日の塩分摂取量は10グラム以下にすべきところを、
多い人は25グラムぐらい摂っていました。
山盛りの野沢菜漬けを食べているのですね。
高血圧や脳卒中を減らそうという運動をしながら、
胃がんを減らそうとしたのです。
早期に見つけると助かるということを説明しました。
健康づくり教室を各集落を回って年間80回ぐらい
やると、受診率が上がってきた。
さらに、受診しやすいようにということで、
朝8時前に検診車を出すとか、
日曜検診をするとか、地域の人たちの生活を
みながら検診を合わせることで、検診率を上げました。
国立がんセンターの先生を招いて私たちが昼間勉強
して、夜は住民に分かりやすい話をしてもらうと
いったことをしました。
【中川】がん検診を受けなさいとコマーシャルを
流しても受診するはずはない。
がんがどういう病気であるかを知ることが大切です。
学校で教えるべきですが、それができていない。
私は今年1月に母校の高校で授業をしました。
11月には東京都国立市の中学校で全校生徒に
授業をしました。
今日ちょうど生徒からの感想文が届きましたが、
実に感動的です。
「がんで死ぬことは悪くないんだな」
「がんは怖いと思っていたけれど、人生の一部
なのだと分かりました」
というようなことが書いてある。
始める前は、がんについて子どもに話すことは
恐怖心をあおるだけだなどと言われましたが、
大人が思うほど子どもは弱くないと思いました。
指導要領にはがんについて書いていないわけでは
ないのですが、学校の先生がなかなか、
がんについて教えられない。
全国の学校を回るということも考えています。
僕は鎌田先生と同様にドンキホーテ的なところが
ありますので(笑い)。
【鎌田】僕は医局に長野県茅野市の地図を張って、
93カ所ある公民館をすべて回るという
ドンキホーテではありましたが、全国を回ると
いうのはすごい(笑い)。
【中川】授業を聞いた中学生の半分は将来がんに
なりますが、その時に
「あー、あの日聞いた」
ということが必ず生きてきます。
【鎌田】僕も「教科書にない1回だけの命の授業」
というのをライフワークにして、毎年3カ所の都道府県
を決めて、高校で話をしています。
がんなどの病気や障害などを含めて、命のことを話します。
「うちの高校は荒れているから、先生の話を10分以上
聞けないと思いますよ」
などと言われたことがありますが、しーんと泣きながら
聞いてくれました。
命の話、死にたくないのに死んでいく人がいるという
本当の話を聞かせて、その中でがんのことを聞かせておく
ということは大事ですね。
【中川】日本人に「死なない感覚」があるのは、
病院死と核家族化が非常に大きい。
東京では近くに高齢者がいなく、老いを知らない。
がんの場合、95%の人は病院で亡くなる。
人の死を病院に隠ぺいしている感じです。
日常生活の中に「死」がない。
ある小学校の先生が小学生に
「人は死んで生き返るか」
というアンケートをしたら、
34%は生き返る、
32%は分からない、
正解は34%だったそうです。
実際に親を殺して、「生き返ると思った」と言った
小学生もいました。
毎日新聞が昨年秋に実施した世論調査で、
「緩和ケアを知っていますか」
という質問に、
「知らない」
という答えが71%でした。
医療用麻薬の1人当たりの使用量は、
日本は米国の20分の1です。
放射線治療は米国では患者3人に2人が受けているのに、
日本は4人に1人しか受けていない。
知らないことによって、損をしています。
モルヒネを使って痛みを取ると、延命します。
モルヒネを使わないと、痛い思いをして
短命に終わるという損をするわけです。
●
−−鎌田先生は在宅看護と緩和ケアを
早い時期に進めてきましたね。
【鎌田】地域医療という形で、寝たきり老人が
地域にいたので、困難な人を何とかしてあげたい
と思い、在宅医療を始めたわけです。
訪問看護という制度もなかったのですが、
医師よりも看護師が行くほうが効果があると思い、
訪問看護を始めました。
在宅医療と訪問看護という形でやり始めてみると、
例えば働き盛りの方が
「効果的な医療がないのなら、一度家に帰って
仕事をしたい」
と言い出したわけです。
今で言うと、在宅ホスピスケアという形に
なったのです。
在宅医療の半分以上ががんの患者さんで、
病院の増築の時に、在宅医療部門から
「全部を在宅で看取ることはできない。
小さくてもいいから緩和ケア病棟を作ろう」
と提案がありました。
小さな町にホスピスがあっても誰も行かないと、
市議たちは心配していたのですが、
住民のニーズをつかんだ提案だったから、
6床の病棟が空くことはなく、
「あそこに入れたから幸せだよね」
「いつ行っても、患者がにこにこしていた」
という口コミが広がって、東京や九州からも
来るようになりました。
【中川】ホスピスは20床ないと、経営的には
難しいのですが、そのために大きな病棟を
つくって入ってもらおうということが多いのです。
そうではなく、必要だからつくるということは
非常に重要です。
日本の緩和ケアはがんとエイズに限っていますが、
それはおかしい。
死が間近に迫った人をどう支えるかということであって、
米国では肺障害の方なども入っています。
【鎌田】6床でうまくやっていられるのは、
いったん入って、緩和ケア専門医が痛み止めを駆使して、
8〜9割の患者さんは痛みが止まるのです。
にこにこして、
「家に帰るよ」
と言うわけです。
帰ったら、緩和ケアの医師が往診に行き、
看護師が訪問看護に行きます。
具合が悪くなったり、家族が大変になったりすると、
病棟を空けてまた来てもらうわけです。
【中川】在宅緩和ケアという、家族を含めたチーム医療が
都会ではやりにくい。
東大病院でも在宅に持っていこうという努力をしていますが、
核家族化やコミュニティーの希薄さがあって、難しい。
コミュニティーの再構築が必要だと思いますね。
【鎌田】あったかい医療があると素晴らしいと思った
例があります。昨日、緩和ケア病棟を回診していました。
3週間前に東京の病院から移ってきた人がいます。
昨年までタクシー運転手をしていた70代の方です。
会社がつぶれて、子どもを置いて東京に出て、
独りでさびしかったと言っていて。がんの末期になって
初めて、ケースワーカーが家族を探してくれた。
娘さんは二度と会いたくないと思って躊躇していたけれど、
ほかに誰も看病に行く人がいない。
自分が看なければいけないと思って、諏訪中央病院を
選んで移したのですね。
昨日、初めて娘さんと会ったのですが、
「私にとってもすごい良かった。ずっと恨んでいたけれど、
お父さんの面倒をみて、お父さんもすまなかったと言ってくれて」
と言うのですね。
お父さんもやっと娘に会えて、人生の最後に、
家族の結び直しができた。
病状は厳しいのですが、顔は穏やかなのですよね。
【中川】症状を取る技術もあると思うのですね。
痛いと娘さんや医療者とのコミュニケーションが
取れないと思うのですね。
鎌田先生が体験されたことは、きちんとした技術の上に
成り立つと思うのです。
きちんと医療をする、痛みを取る、その次に
交流や心の痛み、精神的な問題が出てくると思います。
【鎌田】そうですね。痛みが取れないと、
なかなかその先に行かないですね。
身体の痛みで参っちゃっている人は
まだまだ多いですね。
●
−−中川先生は
「どうせ死ぬならがんがいい」
と言っていますね。
【中川】がんが治らない、がんで死ぬと
分かっても、多くの場合、ある程度の時間がある。
多くの人は1年、2年という時間があると思います。
その時間をなかなかうまく使えない。
私の部下で34歳で肺がんになった医師がいます。
自分が
「がんもそれほど悪くない」
と言っています。
彼は放射線治療医でがんを治し、あるいは、
がんで亡くなる患者を看取ってきたのですが、
自分ががんになって初めて
「俺も死ぬんだな」
と分かった。早期とはいえ、5年生存率は75%です。
「紅葉や桜を見る、次はもう見られないかもしれない。
一期一会ということがよく分かる。
毎日が輝いて見える。がんになる前はそういうことは
なかった」
と言っています。
がんを通して人生を考えるきっかけになるのですね。
【鎌田】僕の患者さんには、家庭生活が失敗した人もいる
し、家族がばらばらになった人もいました。
しかし、独りでも人間は死ぬことができます。
いい生き方をしてきたから、いい死があるということでは
なくて、めちゃくちゃな生き方をしてきた人でも、
いい死ができる。
大事なのは、誰か「分かるよ」と言ってくれる人が
1人でもいることです。
死を前にして、人は変わり、成長します。
死はいろいろなことを考えますから、
田舎のおじいちゃんが変わっていって、
かっこよい言葉を残して亡くなるということはよくあります。
死ぬということはすごいことです。
がんは死ぬまでに考える時間、生活する時間があるので、
救いですね。
●
◎ 鎌田實氏(かまた・みのる)
1948年東京都生まれ。
東京医科歯科大医学部卒業後、
諏訪中央病院(長野県茅野市)
で地域医療にかかわる。
88年、同病院院長に就任し、2001年に退く。
著書「がんばらない」「あきらめない」
(いずれも集英社)がベストセラーに。
チェルノブイリ被災住民の救援活動でも知られる。
◎ 中川恵一氏(なかがわ・けいいち)
1960年東京都生まれ。東京大医学部卒。
2002年、東京大付属病院放射線科准教授。
03年から同病院緩和ケア診療部長を兼任。
昨年から毎日新聞医療面に「がんを知る」を
連載中。
今春には連載1年分をまとめた
「ドクター中川の”がんを知る”」(毎日新聞社)
が出版された。
厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」座長。
毎日新聞
トップ>ライフスタイル>健康
「がんを生きる」対談:
鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×
中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c6.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c7.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c8.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c9.html
【鎌田】どうしたら、検診率を上げられるでしょうか。
僕らは35年前に長野県で胃がんの受診率を上げる
ために努力しました。前院長の今井澄先生(故人)
が音頭を取って健康教育をしました。
最初は脳卒中で死なないためという講演をしていた
のですが、塩分摂取量が多くて脳卒中だけでなく
胃がんも多い。
1日の塩分摂取量は10グラム以下にすべきところを、
多い人は25グラムぐらい摂っていました。
山盛りの野沢菜漬けを食べているのですね。
高血圧や脳卒中を減らそうという運動をしながら、
胃がんを減らそうとしたのです。
早期に見つけると助かるということを説明しました。
健康づくり教室を各集落を回って年間80回ぐらい
やると、受診率が上がってきた。
さらに、受診しやすいようにということで、
朝8時前に検診車を出すとか、
日曜検診をするとか、地域の人たちの生活を
みながら検診を合わせることで、検診率を上げました。
国立がんセンターの先生を招いて私たちが昼間勉強
して、夜は住民に分かりやすい話をしてもらうと
いったことをしました。
【中川】がん検診を受けなさいとコマーシャルを
流しても受診するはずはない。
がんがどういう病気であるかを知ることが大切です。
学校で教えるべきですが、それができていない。
私は今年1月に母校の高校で授業をしました。
11月には東京都国立市の中学校で全校生徒に
授業をしました。
今日ちょうど生徒からの感想文が届きましたが、
実に感動的です。
「がんで死ぬことは悪くないんだな」
「がんは怖いと思っていたけれど、人生の一部
なのだと分かりました」
というようなことが書いてある。
始める前は、がんについて子どもに話すことは
恐怖心をあおるだけだなどと言われましたが、
大人が思うほど子どもは弱くないと思いました。
指導要領にはがんについて書いていないわけでは
ないのですが、学校の先生がなかなか、
がんについて教えられない。
全国の学校を回るということも考えています。
僕は鎌田先生と同様にドンキホーテ的なところが
ありますので(笑い)。
【鎌田】僕は医局に長野県茅野市の地図を張って、
93カ所ある公民館をすべて回るという
ドンキホーテではありましたが、全国を回ると
いうのはすごい(笑い)。
【中川】授業を聞いた中学生の半分は将来がんに
なりますが、その時に
「あー、あの日聞いた」
ということが必ず生きてきます。
【鎌田】僕も「教科書にない1回だけの命の授業」
というのをライフワークにして、毎年3カ所の都道府県
を決めて、高校で話をしています。
がんなどの病気や障害などを含めて、命のことを話します。
「うちの高校は荒れているから、先生の話を10分以上
聞けないと思いますよ」
などと言われたことがありますが、しーんと泣きながら
聞いてくれました。
命の話、死にたくないのに死んでいく人がいるという
本当の話を聞かせて、その中でがんのことを聞かせておく
ということは大事ですね。
【中川】日本人に「死なない感覚」があるのは、
病院死と核家族化が非常に大きい。
東京では近くに高齢者がいなく、老いを知らない。
がんの場合、95%の人は病院で亡くなる。
人の死を病院に隠ぺいしている感じです。
日常生活の中に「死」がない。
ある小学校の先生が小学生に
「人は死んで生き返るか」
というアンケートをしたら、
34%は生き返る、
32%は分からない、
正解は34%だったそうです。
実際に親を殺して、「生き返ると思った」と言った
小学生もいました。
毎日新聞が昨年秋に実施した世論調査で、
「緩和ケアを知っていますか」
という質問に、
「知らない」
という答えが71%でした。
医療用麻薬の1人当たりの使用量は、
日本は米国の20分の1です。
放射線治療は米国では患者3人に2人が受けているのに、
日本は4人に1人しか受けていない。
知らないことによって、損をしています。
モルヒネを使って痛みを取ると、延命します。
モルヒネを使わないと、痛い思いをして
短命に終わるという損をするわけです。
●
−−鎌田先生は在宅看護と緩和ケアを
早い時期に進めてきましたね。
【鎌田】地域医療という形で、寝たきり老人が
地域にいたので、困難な人を何とかしてあげたい
と思い、在宅医療を始めたわけです。
訪問看護という制度もなかったのですが、
医師よりも看護師が行くほうが効果があると思い、
訪問看護を始めました。
在宅医療と訪問看護という形でやり始めてみると、
例えば働き盛りの方が
「効果的な医療がないのなら、一度家に帰って
仕事をしたい」
と言い出したわけです。
今で言うと、在宅ホスピスケアという形に
なったのです。
在宅医療の半分以上ががんの患者さんで、
病院の増築の時に、在宅医療部門から
「全部を在宅で看取ることはできない。
小さくてもいいから緩和ケア病棟を作ろう」
と提案がありました。
小さな町にホスピスがあっても誰も行かないと、
市議たちは心配していたのですが、
住民のニーズをつかんだ提案だったから、
6床の病棟が空くことはなく、
「あそこに入れたから幸せだよね」
「いつ行っても、患者がにこにこしていた」
という口コミが広がって、東京や九州からも
来るようになりました。
【中川】ホスピスは20床ないと、経営的には
難しいのですが、そのために大きな病棟を
つくって入ってもらおうということが多いのです。
そうではなく、必要だからつくるということは
非常に重要です。
日本の緩和ケアはがんとエイズに限っていますが、
それはおかしい。
死が間近に迫った人をどう支えるかということであって、
米国では肺障害の方なども入っています。
【鎌田】6床でうまくやっていられるのは、
いったん入って、緩和ケア専門医が痛み止めを駆使して、
8〜9割の患者さんは痛みが止まるのです。
にこにこして、
「家に帰るよ」
と言うわけです。
帰ったら、緩和ケアの医師が往診に行き、
看護師が訪問看護に行きます。
具合が悪くなったり、家族が大変になったりすると、
病棟を空けてまた来てもらうわけです。
【中川】在宅緩和ケアという、家族を含めたチーム医療が
都会ではやりにくい。
東大病院でも在宅に持っていこうという努力をしていますが、
核家族化やコミュニティーの希薄さがあって、難しい。
コミュニティーの再構築が必要だと思いますね。
【鎌田】あったかい医療があると素晴らしいと思った
例があります。昨日、緩和ケア病棟を回診していました。
3週間前に東京の病院から移ってきた人がいます。
昨年までタクシー運転手をしていた70代の方です。
会社がつぶれて、子どもを置いて東京に出て、
独りでさびしかったと言っていて。がんの末期になって
初めて、ケースワーカーが家族を探してくれた。
娘さんは二度と会いたくないと思って躊躇していたけれど、
ほかに誰も看病に行く人がいない。
自分が看なければいけないと思って、諏訪中央病院を
選んで移したのですね。
昨日、初めて娘さんと会ったのですが、
「私にとってもすごい良かった。ずっと恨んでいたけれど、
お父さんの面倒をみて、お父さんもすまなかったと言ってくれて」
と言うのですね。
お父さんもやっと娘に会えて、人生の最後に、
家族の結び直しができた。
病状は厳しいのですが、顔は穏やかなのですよね。
【中川】症状を取る技術もあると思うのですね。
痛いと娘さんや医療者とのコミュニケーションが
取れないと思うのですね。
鎌田先生が体験されたことは、きちんとした技術の上に
成り立つと思うのです。
きちんと医療をする、痛みを取る、その次に
交流や心の痛み、精神的な問題が出てくると思います。
【鎌田】そうですね。痛みが取れないと、
なかなかその先に行かないですね。
身体の痛みで参っちゃっている人は
まだまだ多いですね。
●
−−中川先生は
「どうせ死ぬならがんがいい」
と言っていますね。
【中川】がんが治らない、がんで死ぬと
分かっても、多くの場合、ある程度の時間がある。
多くの人は1年、2年という時間があると思います。
その時間をなかなかうまく使えない。
私の部下で34歳で肺がんになった医師がいます。
自分が
「がんもそれほど悪くない」
と言っています。
彼は放射線治療医でがんを治し、あるいは、
がんで亡くなる患者を看取ってきたのですが、
自分ががんになって初めて
「俺も死ぬんだな」
と分かった。早期とはいえ、5年生存率は75%です。
「紅葉や桜を見る、次はもう見られないかもしれない。
一期一会ということがよく分かる。
毎日が輝いて見える。がんになる前はそういうことは
なかった」
と言っています。
がんを通して人生を考えるきっかけになるのですね。
【鎌田】僕の患者さんには、家庭生活が失敗した人もいる
し、家族がばらばらになった人もいました。
しかし、独りでも人間は死ぬことができます。
いい生き方をしてきたから、いい死があるということでは
なくて、めちゃくちゃな生き方をしてきた人でも、
いい死ができる。
大事なのは、誰か「分かるよ」と言ってくれる人が
1人でもいることです。
死を前にして、人は変わり、成長します。
死はいろいろなことを考えますから、
田舎のおじいちゃんが変わっていって、
かっこよい言葉を残して亡くなるということはよくあります。
死ぬということはすごいことです。
がんは死ぬまでに考える時間、生活する時間があるので、
救いですね。
●
◎ 鎌田實氏(かまた・みのる)
1948年東京都生まれ。
東京医科歯科大医学部卒業後、
諏訪中央病院(長野県茅野市)
で地域医療にかかわる。
88年、同病院院長に就任し、2001年に退く。
著書「がんばらない」「あきらめない」
(いずれも集英社)がベストセラーに。
チェルノブイリ被災住民の救援活動でも知られる。
◎ 中川恵一氏(なかがわ・けいいち)
1960年東京都生まれ。東京大医学部卒。
2002年、東京大付属病院放射線科准教授。
03年から同病院緩和ケア診療部長を兼任。
昨年から毎日新聞医療面に「がんを知る」を
連載中。
今春には連載1年分をまとめた
「ドクター中川の”がんを知る”」(毎日新聞社)
が出版された。
厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」座長。


