体験語り、回復後押し アルコール依存症のリハビリ施設指導員 石井肇さん(53歳)(東京新聞)
[2008年12月21日(日)]
2008(平成20)年12月21日(日)
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【神奈川】
体験語り、回復後押し
アルコール依存症のリハビリ施設指導員
石井肇さん(53歳)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20081221/CK2008122102000077.html

壮絶なまでのアルコール依存症体験を糧に、
同じ症状に苦しむ人のリハビリ施設
「第三アルク・デイケア・センター」
(横浜市中区)で指導員を務める。
高校生の時に登山先で飲んだのが酒との出会い。
すぐに意識を失うまで飲むことが常となった。
大学を出て大手商社に入り、米国支店に配属
されたが、酒依存は悪化の一方。
二日酔いの朝に酒を飲む迎え酒や、
睡眠と飲酒を繰り返す連続飲酒などをするように。
数年後には日本に強制送還された。
■ 症状収まらず
帰国後も、ウイスキーを何本も買い込み、
同居する両親の目を盗んで車の中で飲むなど
症状は治まらない。
「AA」(「無名のアルコール依存症者」の英名の頭文字)
と呼ばれる依存症者の集いや施設に通ったが、
効果はなかった。
1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、
同じ会社の社員が死亡したのに、
「悲しむ感情すら失っていた」
というほど心身をむしばまれていた。
転機が訪れたのは同年9月。自宅でウイスキーを
らっぱ飲みしていると、訪れてきたAAの仲間に
連れ出された。
行き先は、それまで通っていた依存症者施設だった。
■ 深い絶望感
心のどこかで「そのうち何とかなる」と高をくくっていた。
しかし、通所しても効果が上がらない施設に連れ込まれ、
ここに来ても駄目だと思う一方で、新たな感情が芽生えた。
「逃げ道がなくなった」
という深い絶望感だった。
アルコール依存症から回復するには、一度「どん底」
を見る必要があるという。
この時、まさにそこまで追い詰められた。
「不思議とやる気がなくなり、酒を飲む気もなくなった」
この日以降、酒に手を付けないまま施設やAAに通い続け、
会社にも復帰した。
さらに1年後、自らが依存症であるという事実を
ようやく受容できるようになった。
現在、こうした実体験を依存症者たちに語っている。
その後、商社勤めから会社社長に転身し、
さらに大手通信企業に入社。
55歳の定年を間際に控えたころ、AAの仲間から言われた。
「そろそろ、仲間のために仕事をしたらどうだ」。
開所した「第三アルク」に飛び込んだ。
一歩間違えば、病気や自殺などで命を失いかねない
依存症者を世話する仕事。
ストレスから胃かいようになったことも。
それでも、依存症者を守る決意に迷いはない。
「アルコール依存症は回復可能な病気。
そのことを社会にもっと理解してほしい」
(中山高志)
1955年 東京都中野区生まれ
79年 大学卒業。大手商社に入社
84年 AAへ参加開始
85年 施設通所を開始。
9月の飲酒を最後に酒から遠ざかる
88年 退社し、後に会社経営を手掛ける
2000年 大手通信企業に入社
05年 退社し、「第三アルク」指導員に就任
2008年12月21日
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【神奈川】
体験語り、回復後押し
アルコール依存症のリハビリ施設指導員
石井肇さん(53歳)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20081221/CK2008122102000077.html

壮絶なまでのアルコール依存症体験を糧に、
同じ症状に苦しむ人のリハビリ施設
「第三アルク・デイケア・センター」
(横浜市中区)で指導員を務める。
高校生の時に登山先で飲んだのが酒との出会い。
すぐに意識を失うまで飲むことが常となった。
大学を出て大手商社に入り、米国支店に配属
されたが、酒依存は悪化の一方。
二日酔いの朝に酒を飲む迎え酒や、
睡眠と飲酒を繰り返す連続飲酒などをするように。
数年後には日本に強制送還された。
■ 症状収まらず
帰国後も、ウイスキーを何本も買い込み、
同居する両親の目を盗んで車の中で飲むなど
症状は治まらない。
「AA」(「無名のアルコール依存症者」の英名の頭文字)
と呼ばれる依存症者の集いや施設に通ったが、
効果はなかった。
1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、
同じ会社の社員が死亡したのに、
「悲しむ感情すら失っていた」
というほど心身をむしばまれていた。
転機が訪れたのは同年9月。自宅でウイスキーを
らっぱ飲みしていると、訪れてきたAAの仲間に
連れ出された。
行き先は、それまで通っていた依存症者施設だった。
■ 深い絶望感
心のどこかで「そのうち何とかなる」と高をくくっていた。
しかし、通所しても効果が上がらない施設に連れ込まれ、
ここに来ても駄目だと思う一方で、新たな感情が芽生えた。
「逃げ道がなくなった」
という深い絶望感だった。
アルコール依存症から回復するには、一度「どん底」
を見る必要があるという。
この時、まさにそこまで追い詰められた。
「不思議とやる気がなくなり、酒を飲む気もなくなった」
この日以降、酒に手を付けないまま施設やAAに通い続け、
会社にも復帰した。
さらに1年後、自らが依存症であるという事実を
ようやく受容できるようになった。
現在、こうした実体験を依存症者たちに語っている。
その後、商社勤めから会社社長に転身し、
さらに大手通信企業に入社。
55歳の定年を間際に控えたころ、AAの仲間から言われた。
「そろそろ、仲間のために仕事をしたらどうだ」。
開所した「第三アルク」に飛び込んだ。
一歩間違えば、病気や自殺などで命を失いかねない
依存症者を世話する仕事。
ストレスから胃かいようになったことも。
それでも、依存症者を守る決意に迷いはない。
「アルコール依存症は回復可能な病気。
そのことを社会にもっと理解してほしい」
(中山高志)
1955年 東京都中野区生まれ
79年 大学卒業。大手商社に入社
84年 AAへ参加開始
85年 施設通所を開始。
9月の飲酒を最後に酒から遠ざかる
88年 退社し、後に会社経営を手掛ける
2000年 大手通信企業に入社
05年 退社し、「第三アルク」指導員に就任
2008年12月21日


