CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

NPO法人宮崎自殺防止センターを応援したい

NPO法人国際ビフレンダーズ 宮崎自殺防止
センターでボランティア活動を始めました。
いろいろと勉強中です。

なお、このブログは、自死等の相談に応じるものではありません。


NPO法人宮崎自殺防止センター
■ TEL 0985(77)9090
■ 毎週 日・水・金曜日
   午後8時から午後11時まで(3時間)


<< 2014年07月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新記事
記者の目:上原専禄さんが現代に問うもの=田原由紀雄(毎日新聞) [2010年10月26日(Tue)]
2010(平成22)年10月26日(火)
毎日新聞
トップ>ニュースセレクト>社説・解説・コラム>記者の目

記者の目:
上原専禄さんが現代に問うもの=田原由紀雄
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20101026k0000m070098000c.html

60年安保闘争では反安保の学者・文化人グループの支柱
として活躍したが、突然、姿を消し、75年に亡くなった後
3年8カ月もその事実が世間に知られなかった
歴史学者、上原専禄(せんろく)さん(1899年生まれ)。

その「死者との共生・共闘」という特異な思想が
没後35年という歳月を経て注目されている。

多数の生死・居所不明高齢者がいることが発覚するなど
死者を軽んじる風潮が目につく今日、透徹したまなざしで
日本社会の病根を見つめ続けたこの学者に学ぶべきものは
少なくないと思う。

◇妻の死きっかけ 独創的日蓮解釈

西洋中世史家の上原さんは学長まで務めた一橋大学を
60年に退職。71年親しい編集者以外には行き先を告げずに
東京を離れ消息を絶った。

翌年に京都府宇治市内に家を建てて長女と2人で隠れ住み、
75年10月に76歳でひっそりと逝った。
私は30数年前、駆け出しの宗教記者として東本願寺紛争の
取材中に上原さんが同寺の改革運動に共鳴していることを
知って、その講演録を読み、強い衝撃を受けた。
捜し出して会おうと思ったが果たせなかった。

京都の日蓮宗の寺の檀家(だんか)に生まれた上原さんが
日蓮の遺文や法華経を新しい視点で読み込み、
独自の死者観に到達するきっかけは
69年に妻利子さんをがんで亡くしたことだ。

上原さんは次のように考えた。
利子さんの死は医師の怠慢、無責任、患者よりも
利益追求を優先する医療などが重なった結果であって、
単なる病死ではなく、人為的に、社会的に「殺された」のだ、
と。利子さんの死の翌年に行った講演で次のように述べる。

「今日の日本社会においては、単純素朴な死というものは
 ありえないのではないか。
 人びとは、正義によわい社会の仕組み、
 その中に生きる正義によわい人びとの邪心によって
 殺されていっているんではないのか。
 それと同時に、その殺す作業に
 私が参与しているということがありはしないか」

上原さんは利子さんの死を見つめることを出発点として
公害など日本の社会にはびこる「生命の蔑視(べっし)」
の現実をえぐり出し、鋭く告発するとともに、
死者を欠落させた時代思想を根底から批判していく。

◇「死者と共闘」 生者の責任説く

日蓮宗の場合、一般的にいえば題目を唱え、お経をあげ、
回向と呼ばれる営みをすることで、
迷っている死者の霊を成仏させることができる、とされている
が、上原さんはそうした回向のあり方も否定して

「回向の主体は死者」
「社会的不正は死者が裁く」
「生者は死者と連帯し、共闘し、死者のメディアとなって
 この世で審判の実をあげなければならない」

という独創的な思想、日蓮解釈を打ち出すに至る。

連帯する死者はアウシュビッツの虐殺で亡くなった人々らにも
及ぶのである。

上原さんの死後、宇治の家には長女弘江さんが1人住まいし、
05年3月に亡くなるまで父の著作集の編集に打ち込んだ。
宇治支局長時代に弘江さんと知り合い、
親しい交際のあった滝沢岩雄・元毎日新聞論説委員によると、
父娘は生前、宇治の家を「闘う拠点」と呼んでいた。

姿を消す前、上原さんは
「妻の回向三昧(ざんまい)に生きる」
ともらしていたが、著述という形で
死者との共闘を続けていたわけだ。
そして、弘江さんによる著作集編集も死者との共闘だった。

最近、上原さんの思想に関心が高まっている。
仏教学者の末木文美士(ふみひこ)・国際日本文化研究センター
教授は、新著『他者・死者たちの近代』の中で、
上原さんの思想を「最も深いところからの近代批判」
と高く評価している。

ある評論家も対談で上原さんによる歴史学の再構築、
死者との連帯に触れていた。



上原さんが見直される背景には、
近代合理主義思想の行き詰まり、
さらには生者を優先し、死者を排除する方向で進んできた
日本社会の精神的な荒廃が顕著に顕在化してきたことがある
と見てよいだろう。

「単純素朴な死というものはありえない」
というのは極論だが、毎年3万人を超える人が自殺し、
父や母の死を隠し、遺体を放置する事件も相次ぐ
現代日本の社会状況を予見していたようにも思える。

末木教授が指摘するように上原さんの死者論は
「時代に先駆けすぎていたために、
 正当に評価されることなく、埋もれていた」

に違いない。

上原さんは日蓮に帰依したまれな知識人だった。
その厳しい生き方はだれにもまねはできない。

だが、死者と向き合った真摯(しんし)な姿勢や深い思索は
これからの葬送や現代社会の中での生者と死者の関係を
考えていくうえで大きな手がかりになるのではないか。

毎日新聞 2010年10月26日(火)00時03分
コメント
プロフィール

黒水 宣行さんの画像
黒水 宣行
プロフィール
ブログ
リンク集
最新コメント
最新トラックバック