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今日の人111.赤坂剛史さん [2014年02月18日(Tue)]
 今日の人は、サハラ砂漠や南極マラソンを走破した極地マラソンの達人でもあり、2014年秋に石川県白山市の白山麓で開催する衣食住に関わるものは全て背負う日本初の7日間約250キロのロングトレイルレース、白山ジオトレイルを開催される赤坂剛史さんです。2013-12-27 09.42.22.jpg
赤坂ご夫妻


赤坂さんは神奈川生まれ神奈川育ち。小さい時はシャイで引っ込み思案、どこかに出かけるとお母さんの後ろに隠れているようなそんな子どもでした。プラモデルを作るのも好きでした。でも、外でも遊ぶし野球やサッカーもやっていました。
 高学年になると、ファミコンがはやるようになり、ご多分に漏れず、赤坂さんもよくやっていました。今はとても想像できないのですが、その頃の赤坂さんは太っていたそうです。小6の頃、なりたかったのは特派員でした。世界中を飛び回りたい、そんな想いを抱いていました。

 中学になると、ソフトテニス部に入部。特に悩みもなく、勉強も大好きでした。特に好きだったのは数学と物理です。共学の学校だったのですが、理系なので男ばかりの世界に。ハリウッドの映画が好きで、宇宙やロケット、飛行機に憧れました。そして、最先端に触れたいと選んだ進路は東海大学の航空宇宙学科でした。空を飛ぶものが好きだったので、パラグライダーサークルに入りました。パラグライダーのインストラクターのアルバイトも始めて、長野に毎週末通いました。平日は勉強、週末は長野でパラグライダー、そんな学生生活でした。その頃、パラグライダーの事故が多かったこともあって、卒業研究はパラグライダーの事故を減らす研究をしました。そのまま研究を続け、大学院に行き、パラグライダーの雑誌に毎月記事も掲載しましたし、行きたかった大学の先生との交流も生まれ、とても充実した学生生活を送りました。

 社会人になって大学時代の友だちから「マラソンやらない?」と声をかけられ、河口湖のフルマラソンに初挑戦します。走り終わった後は、二度とやるものかと思ったのですが、みんなすぐに次の大会の話をしだして、じゃあ俺も、という流れになって3ヶ月後にはまた次のフルマラソンを走っていました。走るだけではなくて、マラソン仲間との交流も楽しかったのも大きかった。
 こうして、旅行も兼ねて全国のマラソンを走るようになっていきました。

 学生時代にはバックパッカーもやっていて、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、アジアといろいろなところをまわりました。その中で印象に残ったのはインドとネパールでした。

 社会人になってからは休みには会社のコートでテニスをやり、休みの日には走り、とにかく体を動かすのが大好き。

 100キロマラソンにも挑戦することになり、トライアスロンも始めます。北海道の100キロマラソンに毎年参加していたのですが、たまたま最初に泊まった宿がマラソンマニアが泊まる宿でした。そこに集まる人の話を聞いていると、200キロ走ると言う人や100キロを2日連続走るという人がいて、100キロって普通なんだなぁと思うようになるのですから、人間の感覚って面白いものです。

 2005年頃からは自己啓発セミナーにも行くようになりました。ある時、ジェームス・スキナーのセミナーの中で、サハラマラソンの話を聞きます。全ての荷物を背負って、7日間で245キロを走る、そんなマラソンに心惹かれついにサハラマラソンに挑戦したのです。砂漠を走るマラソンですからそれは過酷です。しかし、フルマラソンから100キロマラソン、そしてサハラマラソンと過酷になればなるほど、変態が集まってきて、みんなキラキラしているのでした。
 「定年後に好きなことをやればいい、そのために今は我慢して働くんだ」そんなサラリーマンにはなりたくなかった、と赤坂さん。逆にサラリーマンをやりながら、何かをやれる人はかっこいい!そう思いました。

 こうして、2009年にはチリ・アタカマ砂漠マラソン(7日間250キロ)を走り、2010年6月には中国・ゴビ砂漠マラソン(7日間250キロ)、そして2010年11月には日本人で3人目となる南極マラソン(4日間250キロ)も走破したのでした。
 
 その間、赤坂さんはマラソンだけではなく、ミュージカルにも挑戦します。100人が100日でミュージカルを作るというコモンビート・ミュージカルプログラム。そこで知り合って、意気投合したのが、奥さまの友紀さんなのでした。

 さて、限界のマラソンに挑戦していた赤坂さんにとって、南極マラソンを走るのはひとつの夢でした。その夢を達成してしまうと夢が終わってしまうような気がして、それが怖かった。
 その頃、赤坂さんは金沢工業大学から声がかかって、金沢へやってきていました。

2011年3月、東日本大震災が起こります。
その頃はまだ東京にいた奥さんの友紀さんは会社から石巻に入っていたのですが、それを軌道に乗せると、次に赤坂さんと2人で石巻で陸の孤島になっていた石巻市北上町十三浜大指(おおざし)に入ります。そこでの支援活動については、奥さまの友紀さんの回でまた書きますが、そこで赤坂さんはいろいろなものを失いながらも避難してブルーシートの中でなお夢を語っている大指の人たちに逆に励まされます。南極マラソンを走って夢を失っていた自分、石巻に支援に来たつもりで、逆に支援されていた自分。自分がこれからやっていきたいことは何だろう。

こうして赤坂さんは新たな夢を抱けるようになりました。そして白山ジオトレイルを開催するという夢をドリプラ金沢でプレゼンします。それが2012年のことでした。翌年の2013年には白山で3日間100キロのジオトレイルを開催し、17名が参加。そして今年はなんと7日間250キロのジオトレイルレースを霊峰白山山麓で開催するのです!
そんな白山ジオトレイルについてはぜひ、こちらをご覧ください。
http://www.hakusangeotrail.com/

赤坂さんはこの白山ジオトレイルにぜひ外国の方もたくさん参加してほしいと考えています。いろんなちがいを超えて自分の限界に挑む、そこで見えてくるものはまさに私たちの望むダイバーシティの形かもしれません。

 赤坂剛史さん、いくつになっても自分の限界に挑戦していくかっこいい極地ランナーであり続けるでした。



次項有赤坂さんのブログはこちら
マラソンファン必見!砂漠マラソンや南極マラソンから学ぶランニングライフ
そして、今、白山ジオトレイルのボランティアスタッフを絶賛募集中!
一緒に感動を味わいたい方はぜひ!
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